三十六、ナツヒの出迎え
「……ということがありました」
「ふーん。『ミズタマリ』ね」
「テツ、聞いたことは?」
ふむ、とテツが考え込む。
「ないなぁ。確かにその状態は、古文書に記載はあった。知ってる。どこか忘れたけど。けど、病名はついていなかったと思う」
「病気じゃなくて状態なんだよなぁ」
「そうだよな」
ふたりでうーんと考える。
「どちらかというと民俗学か?」
「たしかにー」
キサラよりもテツの方がこの研究室にいる時間は長い。
何か知っているかもしれないと話を振ってみたが、正解だったようだ。
「円弧先生はいますかー?」
民俗学の教室に行こうかどうしようか迷っていたところで秘書に呼ばれる。
キサラは教室の入り口に目を向け、絶句した。
「円弧先生。お迎えが……」
「は?」
入り口に立つナツヒの姿に、思わず声が漏れてしまった。
失礼極まりないキサラの態度に、ナツヒの笑顔輝く。
「迎えにきたよ、キサラ」
* * *
「なぜこんなことに……」
「君とご飯を食べたかったから」
キサラは迎えに来たナツヒにより、半ば連れ去られた。
その先は料理店の一室。
キサラとナツヒの二人で同じ机に座っている。
こんなことになるなんて、誰が予想できただろう。
「中央領まで……体調は大丈夫なんですか?」
「マサと来たから大丈夫だ。大分体力も戻ってきたしな」
料理が順番に運ばれてくる。
どれも高級なお皿と高級な食材。
場違いすぎて居心地の悪さを拭い切れない。
「私はこのような場所にはふさわしくないのでは……」
「なにを言ってる?俺がキサラと食事をしたかったから、してるだけ」
「私はただの医者です」
「俺にとっては唯一の人だ。ずっと結婚してほしいって言ってるだろ」
少し眉を寄せるナツヒ。
どこか不機嫌そうだった。
「坂城とはご飯に行ったと聞いているのに、なんで俺はだめなんだ」
「坂城先生の奥様の料理を食べにいっただけです」
「父上や母上とも食事を食べたというのに、俺はまだだ」
キサラは納得した。
ナツヒの機嫌が悪そうなのは、キサラがすでに自分以外の人と食事に行っていることだったのか。
「ずるい」
心の底からの言葉。
変に返すと、面倒なことになりそうだ。
キサラは黙ることした。
「それに、キサラがいないことを、一人で嘆いても仕方ない。会いに行けるなら会いに行けばいい。だからきた」
「そうですか……」
「中央領には別荘もある。大丈夫、薬は持ってきたし、ちゃんと飲む。安心してほしい」
「……私と食事に行ったことがわかったら、怒られたりしないんですか?」
キサラは当主との食事会を思い出す。
この状況を知ったとき、当主のカゲツはニコニコとしていそうだが、母親のリンは叫び声をあげそうだ。
しかし、ナツヒはふふん、と鼻を鳴らした。
「誰も興味はないさ。赤居や坂城には伝えたから、父上には伝わるだろう」
「そうですか」
誰も止めることなくここで食事を共にしているということは、問題ないという判断なのだろう。
リンには伝えていない可能性があるが。
「そんなことより、味は口にあうか?口に合うといいんだが」
「おいしい……ですよ?」
「そうかそうか」
キサラの答えに満足したのか、笑顔に戻るナツヒ。
実際は緊張して、あまり味わえていない。
思えば、坂城家の食事は雰囲気もよくおいしかったが、今のキサラにはその雰囲気を作る力はない。
「他に食べたいものがあったら教えてほしい。次のときは、君の好きなものを一緒に食べたい」
「待ってください、来週も来るつもりですか?」
「だめか?」
ナツヒの言葉にキサラは小さくため息をつく。
「体力、大丈夫ですか?」
担当医として心配なのはそこだ。
先日まで中庭を歩いただけで休憩が必要だった。
中央領で倒れられると困るのはキサラだ。
それで大学校の病院に運ばれたとすれば、もっと気まずい。
「考えようと思う。もし大丈夫そうなら、来週もくる」
「……無理しないでください」
キサラにはそう言うしかなかった。
絶対的に止める理由がない。
「坂城先生と相談しますね」
人間の医者として、止めるだけの理由が必要だ。




