三十五、坂城の思い
初めて食べた家庭料理は、言葉にできなかった。
まともな家庭料理は食べたことがなかったのだと知った。
坂城の言ってた『自慢の手料理』というのは本物らしい。
「円弧先生はお酒はどうかな?」
「あ、少しなら」
「彼女のつくるあてもおいしいんだよ」
そんなことを言っていると、ユナが小鉢を持ってくる。
ゆで卵にネギのたれがかかっている。
「ユナさんの食事は本当においしかったです」
「ありがとう」
「ユナは私が昔通ってた定食屋さんの娘さんでね」
お酒を注ぎながら坂城がそんなことを話してくれる。
「そこの食事がとてもおいしくて。医者になったときに求婚したんですよ」
そんな話から始まり、やがて紅家の話になる。
「ナツヒ様は本当に他人と関わらない方でした……マサ様が唯一のご友人でしたが、病気がわかってから、マサ様も来られず。紅家の専属医として、治すためにさまざまな手を使いましたが、キサラ先生が来てから本当に助かってるんです……」
「すいません、父はいつもこんな感じで」
いつもの様子とは違う坂城の姿に、戸惑っていたキサラ。
ショウは苦笑する。
「いつも父はキサラ先生に感謝していました。詳しいことは聞いていないんですが、キサラ先生がきてから、紅家の雰囲気もよくなったと」
「そう、でしょうか」
正直、自分が来る前の紅家を知らないのでわからない。
だが、坂城がそう言うのならそうなのだろう。
「あ、すいません……」
坂城がはっとしたようにキサラを見る。
「その、自宅では、キサラ先生と呼んでしまっていて……」
「まぁ、いいですよ?」
「本当に感謝しているんです、あんなナツヒ様ですが……逃げずに対応していただけるとありがたいんです……」
坂城からそんな風に言われるとは思っていなかった。
「以前はもっと愚痴も多かったんですよ。鬼しかいない、狭い屋敷の中で。僕もいろいろな話を聞いてました。でも、キサラ先生が来てからは楽しそうに思います」
「私は何も……」
いろいろなことを思っても、坂城には安心して過ごせる場所がある。
それはキサラが持っていないもの。
キサラは坂城とショウがうらやましく思えた。




