三十二、『ミズタマリ』
昼頃。
キサラは薬を持ってナツヒの部屋を訪れた。
中からは、話し声が聞こえる。
おそらくまだ客人がいるのだろう。
客人がいても「気にしなくていい」と言っていた。
キサラは憂鬱な気持ちになりながら、扉をたたいた。
「どうぞ」
「失礼します、ナツヒ様。お薬のお時間です」
「ああ」
ナツヒの前に座っているのは、廊下ですれ違った紺色の角ありの鬼。
紺色の瞳が振り向いて、キサラを見た。
「あ、さっきのお医者様じゃん」
「失礼します」
キサラは軽く頭を下げて、ナツヒの横に立つ。
「ナツヒ様、こちらがお薬です」
「ありがとうキサラ」
微笑むナツヒが薬を受け取り、飲んでくれる。
「ああ、紹介しておこう。墨 マサ。北の墨家の当主の甥っ子だ」
「どもー」
「次の当主だな」
角あり、ということはそうなのだろう。
「……あ。あああああ‼」
ナツヒが薬を飲んでいるのを見ていると、突然マサが叫ぶ。
それは、怒りや威嚇ではない。
マサをみると、ナツヒとキサラを見比べていた。
「思い出した!」
「なんだ、マサ」
「お前!『ミズタマリ』か!しかも、キサラ!聞いたことがあるぞ!」
「『ミズタマリ』?」
ナツヒとキサラは首をかしげた。
「なんだそれは」
「水がたまる病気だ。大抵みんな水っぽくなる。時々うちの領土にいる妖怪に発症したときに、この草を使ってるんだ。よく効くって」
「確かに水がたまる病気だ。知ってたのか」
「この植物を見て思い出したんだよ」
それにしても、とマサの目がキサラから動かない。
「キサラキサラキサラ……大学の医者か?」
「彼女は個人医だ」
「……『沼地の闇医者』か⁈」
「ぬまちのやみいしゃ?」
「……」
ナツヒは聞いたことがなかったのだろう。
キサラは静かに目を細めた。
「うちではそう呼ばれてる」
「へぇ」
キサラは無表情のまま口をとざしていた。
どんな話が墨家の中で行われているのかわからないが、あまりいい話ではないに違いない。
「円弧キサラ……そうだ、『沼地の闇医者』。それがまぁさかこんなところでお出会いできるとは」
「…恐縮です」
キサラの沼地は北領の端にある。
北領を治める墨家の次期当主が知らないわけがない。
「……私はナツヒ様が薬を飲むことを確認しにきただけですので、これで失礼します」
「まぁそんなに急がないでさぁ」
マサがそう言ってケラケラ笑う。
「僕の親友であるナツヒの命の恩人だ」
「いえ。角ありの次期当主様方のお話を、一介の『闇医者』がお邪魔するわけにはいきませんから」
「けど、キサラが来てから、ナツヒの機嫌がよさそうだ」
マサはそう言うが、キサラがチラリとナツヒを見ると、眉をひそめてマサを睨んでいる。
キサラから見ると機嫌がよさそうとは思えない。
「うん。今は機嫌が悪いね」
そう言うのに、マサの声色はずいぶんと楽しそうに笑った。
「けど、よく『ミズタマリ』を知ってたなぁ。しかも、飲み薬もあるのかぁ」
「マサ様の領地では、水に強い妖怪が多いからでしょう。自分の中で水の調整を行うことができるので、自然によくなるのだと思います」
「ああそうだそうだ。僕たちのほうじゃ、『ミズタマリ』になると妖怪として強くなれるって言われてる。本当かどうかわからないけど。角なしの鬼でも、『ミズタマリ』になると妖気が強くなる気がするんだよなぁ」
「病気として認識されていなかった可能性がありますね」
「そうだなぁ」
「おい、君たち」
キサラとマサがそう話をしていると、低い声色でナツヒが文句を言う。
「ここは俺の屋敷だ。俺のわからない話は控えろ」
「申し訳ありません、ナツヒ様」
「いいじゃないかぁ。僕だって話したことなかったんだからさぁ」
正直、墨家に伝わる『ミズタマリ』について詳しく聞いてみたかった。
しかし、キサラ個人が行うことではない。
ナツヒの言葉をいいことに、キサラは頭を下げた。
「お邪魔をしてしまい申し訳ありません。では私はこれで失礼させていただきます」
「あ、おい」
背中にナツヒの声が投げかけるが、聞こえないふりをして、扉に向かう。
「それでは」
余計なことを言われる前に、部屋を出た。
* * *
「ほほーん」
「……なんだ」
「いやぁ?ずいぶんと気に入ってるねぇ」
「うるさいぞ、マサ」
キサラが出て行ったあとの扉を悲しげに見るナツヒに、マサはニヤニヤを隠しきれなかった。
「悪いか?」
「いやぁ?けど、これまで全く他人に興味がなかったお前が、そんなに入れ込むなんてなぁ」
「キサラは特別だ」
「そのようだ」
やれやれ、とマサは肩をすくめる。
「けど、彼女は人間だろ?なんか、違和感はあるけど……」
「困ったら、墨家の次期当主様に媚びを売るから、問題はない」
ナツヒはにやりとマサに笑い返した。




