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善悪中毒の寓話

「灰の国と色彩の鳥」と「鏡を作った賢者の物語」

【寓話】灰の国と色彩の鳥


むかしむかし、あるところに「灰の国」と呼ばれる王国がありました。その国の空はいつも薄い灰色で、木々も灰色、人々の服も灰色、子どもたちの笑い声すらもどこか乾いていました。


なぜそんな色のない国になったのか。


それは、「善」と「悪」の鏡が国中に置かれたからです。


かつてこの国にも、色とりどりの風景があり、笑いと涙が混じり合った毎日がありました。けれどある日、賢者を名乗る者が現れ、人々にこう言いました。


「この鏡に映るものこそが、絶対の正しさを示す。善なる行いをすれば清らかな光が映り、悪なる行いをすれば影が落ちる。これで人々は迷わずに生きられるだろう。」


人々はその言葉を信じ、あらゆる場所に鏡を設置しました。学校、家、広場、教会。誰もが自分の行いや考えが「善」であるか「悪」であるかを毎日確かめるようになったのです。


最初のうちは、それはうまくいっているように見えました。嘘をつく者が減り、盗みも消え、街は静かに整っていきました。


しかし、やがて奇妙なことが起き始めました。


ある青年が、病気の友を助けるために他人の畑から果実を盗んだとき、鏡は「悪」と告げました。青年は国中から非難を浴び、友も含めて誰も彼をかばおうとはしませんでした。


またある少女が、いじめられている同級生に声をかけただけで、「加担の疑いあり」として鏡に影が映りました。その日から彼女のまわりは冷たくなり、誰も彼女に近づこうとしませんでした。


人々は次第に、他人の言葉よりも、心の声よりも、「善悪の鏡」の示す答えを優先するようになっていきました。


「これは善か?悪か?」

「どちらと見なされるだろう?」

「あの人の笑顔は、どちら側だろう?」


こうして人々は、本心を抑え、互いを疑い、正しさを演じることに疲れていきました。


国中に流れる空気は重く、色のない世界が完成していきました。


ある日、灰の国の北の端で、一羽の小さな鳥が生まれました。


その鳥は、くちばしが赤く、羽が青く、しっぽに黄色の模様がありました。まるでこの世界に色が戻ってきたかのようでした。


鳥は空を飛びながら、街の上を舞い、人々に話しかけました。


「あなたの心には、ほんとうに“悪”しかありませんか?

それとも、そこに何か、悲しみや望みが混じっているのでは?」


人々は戸惑いました。誰もが鏡を見るように育てられ、善悪だけで判断することに慣れきっていたのです。


「何を言っている?善でなければ悪に決まっている。」


そう言って誰かが鳥を石で打とうとしました。しかしそのとき、ある少年が立ち上がり、こう叫びました。


「違うよ!お父さんは“悪い”って言われたけど、ほんとうは優しかった!僕のために泣いた夜を、僕は見てた!」


少年の目から涙がこぼれ、そのしずくが地面に落ちた瞬間、地面の色が淡い緑に変わりました。


人々はざわめき始めました。灰の国に、久しく忘れられていた色が戻ったのです。


鳥は、笑いました。

それは言葉にはならない、でもどこか懐かしい音でした。


「善や悪に名前をつけるのは、時に役立つ。けれど、それがすべてではない。

人の心はもっと曖昧で、もっと複雑で、もっと美しい。

色が混じり合って、新しい色が生まれるようにね。」


そう言うと鳥は、高く高く飛び去っていきました。


その日以来、鏡の数は少しずつ取り外され、人々は“確実な正しさ”よりも、“揺れるままの心”に耳を傾けるようになっていきました。


灰の国には、ゆっくりと色が戻っていきました。

赤い花が咲き、青い服を着る子どもが現れ、黄昏に語り合う人々が増えました。


人々はまだ迷い、間違いもしました。

けれど、「中毒のような正義」ではなく、「分かり合おうとする対話」に希望を託すようになったのです。


それから誰も、「絶対の善」を語らなくなりました。


けれど、誰もが少しずつ、「やさしさの色」を知るようになっていきました。







鏡を作った賢者の物語


【外伝寓話】鏡をつくった賢者


むかしむかし、「灰の国」がまだ色にあふれていたころ。

そこに一人の学者がいた。名はオルテス。人々は彼を「賢者」と呼んだ。


オルテスは聡明で、穏やかで、だれからも慕われていた。病を癒す薬草を調合し、飢えた者にはパンを焼き、争う者の間には詩をもって仲裁した。


だが、オルテスには一つの癖があった。

それは――「なぜ人は、善を求めながら悪をなすのか?」という問いに、執着しすぎることだった。


誰かが優しさを見せた翌日に裏切り、

涙を流しながら語った誓いが数日後に破られる。

人間という存在は、あまりにも矛盾に満ちていた。


ある夜、オルテスは火を灯しながら、こんな言葉を日記に記した。


「人の心は海のようだ。浅瀬には光が差すが、深海には闇が満ちる。

だが、それを見極める術がないことが、最大の悲劇なのだ。」


そしてオルテスは、ついにそれを“見える”ようにする装置を作りはじめた。


十年の歳月が流れた。


オルテスは、光の屈折と水晶の共鳴、さらに古代の文献にあった“意識の色”の理論を統合し、「善悪の鏡」を完成させた。


鏡は、見る者の内面の“波動”を映し出す。

その波動が澄んでいれば「善」、濁っていれば「悪」を示す。

しかも、それは行動だけではなく、「意図」すら読み取った。


オルテスはそれを、王に献上した。


「この鏡があれば、人はもう迷わずにすむでしょう。

本心が明らかになれば、裏切りも、嘘も、悲劇も減るはずです。」


王は感動し、すぐに国中に鏡を設置するよう命じた。

オルテスは称賛された。人々は列をなし、自らを鏡に映しては安心し、他人を鏡で裁いては正義を語った。


けれど――ある日、オルテスは一人の少女が鏡を見て泣いているのを見た。

その少女はただ「友達を助けたかっただけ」と言っていた。

だが、鏡は彼女の“怒り”に反応し、悪の影を映したのだった。


オルテスは思った。


「これは……本当に、正しさなのか?」


時が経ち、国は灰色になっていった。

オルテスは屋敷にこもるようになった。

賞賛は消え、代わりに静かな恐怖と従順だけが広がっていた。


日記の言葉は、変化していた。


「善悪が可視化されれば、正しさは広がると思った。

だが、人は“善”を演じるようになり、“悪”を他者に押しつけるようになった。

真の意味で“善”を見失ってしまった。」


そして、ある晩。彼の元に一羽の小鳥が訪れた。


それは、あの「色彩の鳥」だった。


鳥は言った。


「あなたは、ほんとうは悪人ではない。

でも、“絶対の善”を信じすぎて、人々の色を奪ってしまった。」


オルテスは小さく笑った。


「私は、人の混ざり合う心に耐えられなかったのかもしれない。

正しさで縛れば、混乱は消えると思った。

でも、混乱の中にも、愛や赦しがあったんだな。」


鳥は、オルテスの肩にとまり、そっとささやいた。


「ならば、あなたもまた“色”に戻りなさい。

善悪の外で、人と関わり直してみなさい。」


翌朝、オルテスは自ら王に願い出て、鏡を一つずつ取り外す計画を始めた。

「かつての賢者が、間違っていた」と告白したとき、国中に衝撃が走った。


しかし――誰も彼を責めなかった。

なぜなら、そのときオルテスの声には、かつてなかった“人間らしい揺らぎ”があったからだ。


灰の国には、ゆっくりと色が戻っていった。


オルテスは老いて、町の小さな図書館の館長として余生を過ごした。

彼の周りには、子どもたちが集まった。

彼は彼らに、もう善悪を教えなかった。


代わりに、こう言った。


「なあ、お前なら――どう思う?」


そして、彼が静かに息を引き取った夜、

あの色彩の鳥が図書館の屋根にとまっていたという。


まるで、もう一つの色を――心に届けるために。

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