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腸が煮え繰り返りそうになる。

 その後私達の様子を窺いにきた継母バーベナの侍女が、ことの次第を彼女に告げた。オーウェンはすぐさま来客用の部屋に移され、お医者様の診察を受ける。

 なぜこんなことになったのか説明しろとバーベナに詰られたが、私にもオーウェンの行動の真意は読めなかった。さらに彼女は「王子にこの屋敷で倒れられては困る」と、私に看病を命じたのだった。


 ゆっくりと上下するオーウェンの胸元をぼうっと見つめながら、無意識に彼の言葉を反芻していた。


 ――好きなんだ、エミリナ。


 本当に遠い昔に、濁したようにしか言われたことはない。恥ずかしがり屋のオーウェンは、そういった類の感情を私に伝えようとする時は、いつだってもじもじとしてなかなか口にしなかった。

 私自身も、愛の言葉を彼に伝えた記憶はない。想っていても、どうしても勇気が出せなかった。オーウェンを好きになる前から彼と婚約していたせいで、その立場に胡座をかいていたのかもしれない。

「今さら、どうしてあんなこと……」

 何をどう考えてみても、都合が良すぎる。表情の乏しい私なら、さして傷付いていないとでも思っているのだろうか。

 先ほどの彼は、まるで昔のオーウェンだった。この六年間が嘘のように、澄んだ碧眼が私を愛おしそうに見つめていた。これが演技だというのなら、今まで通り邪険に扱われていた方がまだマシだ。

「これ以上、私を悲しませないで。オーウェン様」

 随分と久しぶりに見る彼の寝顔はどこか哀しげで、胸が締め付けられる。すぐにふいと視線を逸らし、膝上に組んだ自身の手元をじっと見つめた。

 昔の貴方に戻ってくれたのかもという儚い希望を抱くことが、どれだけ滑稽か頭では分かっている。

 こういったことは、この六年の間にも何度かあったのだ。ここまで露骨でなかったが、気紛れに私へのご機嫌取りをしてみたり、周囲から煩く言われない為に仲の良いフリをしてみたり、彼は自分の都合の良いように私を振り回した。

 優しく微笑まれるたびに喜んでしまう自分が惨めで、それでもどうしようもなくて、結局手酷く裏切られるだけ。ココットに夢中になってからは演技ですら私に構わなくなったが、その方が受ける傷はずっと少なくて済む。

「んん……。あれ、ここは……?」

 僅かに身じろぎをしたオーウェンは、ゆっくりと目を開ける。まだぼうっとしているようで、数回瞬きを繰り返した。

「ご気分はいかがですか?殿下」

「エ、エミリナ……?どうして君が」

「ここはスウォルトの屋敷です。覚えていらっしゃいませんか?」

 私の言葉を聞いた彼は、記憶を辿るように視線を彷徨わせた。

「数日前に倒れて、王宮の自室で目覚めたところまではちゃんと覚えてる。君に会いたいとそればかりが先行して、無我夢中でここに来たんだ」

「私に婚約解消を撤回するようにとおっしゃったことは?」

「そ、それも何となくは」

 私の部屋へいきなり入ってきた時のような勢いはなく、どこか戸惑っているような雰囲気だ。やはり本心ではなかったのだと、私は無意識の内に胸元を手で押さえた。

「殿下はご気分が優れず、少し混乱されていたようです。すぐに従者を呼んで参りますので、お待ちください」

 気丈に振る舞おうとすればするほど、必要以上に口調がキツくなる。それは、自身を守る為に。

「ま、待ってエミリナ!」

 彼が私を引き止めようと、必死に手を伸ばす。

「僕が言ったことは、間違いなく本心だ。君との婚約解消を取り消してほしいと……」

「それは無理です。殿下が伏せっておられた間に、国王陛下と私の父との間で正式に婚約解消の手続きがなされました」

 事実のみを淡々と告げる私とは対照的に、オーウェンの顔にみるみるうちに絶望の色が広がっていく。あれだけ大勢の前で高らかに宣言したのは貴方のくせにと、責めたくなる気持ちをぐっと堪えた。

「ココット様の犯した罪は確かに重く、さぞや殿下のお心を深く傷付けたことでしょう。ですが、一度お二人できちんと話し合われた方が良いのではと、私は思います」

 こんなことを言えば、またいつものように「偉そうな口を聞くな」と怒鳴られるのがオチだ。それが嫌なら、さっさと私の前から立ち去ってほしい。

「そういえば、彼女は婚約者のいる男性にたくさん手を出していたんだったね。とても良くないことだ」

 その言い方は、まるで他人事。当事者という自覚がまるでないように見える。

「愛し合った女性をそうも簡単に切り捨ててしまうなど、私には考えられません」

 それは、大いに嫌味を含んでいた。かつて、私にした仕打ちと同じだったからだ。

「ぼ、僕は彼女を愛していない!愛しいと思ったことなんて、ただの一度もない!」

「オーウェン殿下、それはあまりにも……」

「僕が好きなのは、エミリナだけだ!」

 ああ、まただ。もううんざりする。婚約者だった頃は黙って耐えていたけれど、既に婚約は解消された。私が彼の茶番に付き合う必要は、どこにもない。

「私達の婚約は、互いの合意によって()()に解消されました」

「エ、エミリナ。待って、話を――」

「お医者様を呼んで参ります」

 私は彼を見ないまま、静かにその場を後にする。普段よりも足取りが早いせいで、ドレスの裾がもつれてしまいそうになった。

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