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歓迎出来ない来訪者。

「はぁ……。ここも落ち着かないわね」

 私が学園にいた間に、部屋主を失った空間はすっかり埃を被っていた。少しずつ自分で掃除をして、なんとか人が住めるくらいには綺麗になった。

 壁一面を覆い尽くす棚に、びっしりと詰まった本。それではまだ足りず、床にも溢れて積み上がっている。これをバーベナに捨てられていなくてよかったと思いながら、私は手近にあった本を一冊手に取った。

 古ぼけた表紙を軽く手でなぞり、埃を払う。くしくもそれは、オーウェンから最後に贈られたプレゼントだった。


 ――君が好きそうだと思ったから。


 遠い異国の御伽話が、美しい押絵と共に私の心を刺激した。文字を読めずとも雰囲気だけで十分楽しめるのだが、私はこの国の言葉を必死に覚えた。そうして、オーウェンに話して聞かせたのだ。

 陽の当たるテラスで二人、ぱらぱらと本を捲った。彼はいつだって、私の話を楽しそうに聞いてくれた。

「いつか本当に、この国に行ってみよう」

「まぁ、素敵。とても楽しみです」

「エミリナのやりたいことに、僕は何だって付き合うよ」

 遠い日の思い出が、私の心を容赦なく抉る。もう、オーウェンのことは忘れなければ。私はこの先彼以外の他の誰かと結婚し、子をもうけ、新しい家庭を築いていく。いつまでも彼を想っていても、ただ辛いだけ。

「本に罪はないわよね」

 もう何度も修繕を繰り返して、ぼろぼろになっている。それでも捨てる気にならないのは、未練の現れなのだろうか。

 ふぅ……。と溜息を吐き、それを元に戻す。あれだけの大口を叩いても、結局一人では何も出来ないことが情けない。

「エミリナ‼︎」

 ぼうっと呆けていたせいで、盛大な足音を聞き逃していたらしい。勢いよく扉が開かれたと思ったら、つかつかとこちらにやってきたオーウェンが、私の両肩を掴んだ。

「婚約解消の話を、なかったことにしてくれないか!」

「は、はい……?」

「僕は君と、離れたくないんだ!」

 どれだけ急いでやってきたのだろう。普段丁寧に束ねられている金髪は乱れ、はぁはぁと肩が上下に揺れている。タイも曲がり、シャツにも皺が寄り、スラックスの裾が片方捲れていた。

「目を覚まされたという噂は、本当だったのですね」

 声が震えてしまわないよう、喉に力を入れる。彼から視線を外すと、先ほど見ていた本の背表紙をじっと見つめた。

「ご回復おめでとうございます。オーウェン殿下」

「あ、ああ。ありがとう」

「どうぞお帰りになって、ゆっくりと静養されてください」

 頭が沸きそうなほどに、腹が立って仕方がない。何が「なかったことに」だ、馬鹿にするのも大概にしてほしい。ココットがとんだ尻軽だったからと、また私を婚約者に据えるつもりなのか。それとも、国王や王妃から苦言を呈されたか。

 今や彼の立場は「男好き女に騙された馬鹿王子」となっている。私から許されたという免罪符が欲しいのだろうが、そんなことをしてやる義理はもうない。

「元婚約者の屋敷に訪れるなど、ココット様が悲しみますわ」

「エミリナ……」

「さぁ、どうかお引き取りを」

 淡々と告げると、彼を見ないまま静かに右手を上げる。掌を扉に向け、退室を促した。

「お願いだ、話を聞いてくれ!」

「お止めください、殿下」

「エミリナ!」

 一国の王子が、手ひどく振った相手の前に跪く。彼は私の手を握り、その澄んだ碧眼からぽろぽろと涙を溢していた。

「オーウェン殿下……?なぜ涙を」

「好きなんだ、エミリナ」

 まるで懇願するかのように、上目遣いに私を見つめる。顔をくしゃくしゃにしたこの泣き方は、幼い頃のオーウェンそのもの。

 三日前までの彼とは、まるで別人。傲慢な態度も、蔑むような眼差しもない。ただ、私を慈しむような瞳に心が揺さぶられた。

「今までの六年間、どれだけ君を傷付けたか分からない。本当ならこんなこと、到底許されない。だけどどうしても、僕はエミリナを失いたくないんだ……っ」

「少し落ち着いてください。きっと、まだ本調子ではないのです。記憶が混乱し、昔の思い出が一時的に蘇っているだけで」

「それは違う‼︎」

 さり気なく引こうとした手は、オーウェンの指にさらに強く絡め取られる。六年ぶりに触れた掌は熱く、封印したはずの彼への想いが簡単に再燃してしまう。

 散々煮湯を飲まされ、屈辱を味わわされ、心をずたずたに引き裂かれたというのに。

「僕は、僕はずっと……っ」

 ぐらりと、オーウェンの体が揺らぐ。やはり無理が祟ったのだろう。陽の光に照らされた彼の顔色は白く、唇は小刻みに震えていた。

「とにかく、一度横になりましょう。私のベッドへ」

「き、君の⁉︎それは無理だよ!」

「そうですか、分かりました」

 すぐに誰かを呼ぼうとした私の腕を、オーウェンが即座に掴む。ふるふると首を振るので、私は扉に掛けた手を下ろした。

「し、失礼いたします」

 まるで何かの儀式でも始めるかのような面持ちの彼に、つい気が緩んでしまう。先ほどまで青白かった顔が今は熟れたプラムのように赤く、呼吸すら出来ていないのではと少々心配になった。

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