結局、気持ちはたったひとつだけ。
もちろん、とてもショックは受けている。私と彼の間には、そういった男女関係は一切なかった。言い方から察するに、この六年の間に節操なく女性に手を出していたわけではなく、ココットとだけ唇を重ねた。
今すぐにオーウェンの頬を引っ叩き、流刑された彼女を追いかけ海に沈めてやりたいくらいには、腹が立って仕方がない。
けれどもう、過ぎたことは変えられない。この話を聞いたところで、私のすべきことは同じなのだ。
とはいえ、思わずオーウェンの柔らかそうな唇を注視してしまい、そのせいでますます彼を泣かせることとなった。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……っ」
「私の予想よりも幾分ましでしたので、許して差し上げます」
「本当にごめんなさ……っ、え……?」
「ですから、許して差し上げます。これでもう不安の種は摘み取りましたわ。覚悟をお決めになって、私に許されてください」
あんなにも涙を流していた人間が、急にぴたりと泣き止む様は少しおもしろい。人体の構造とは摩訶不思議だと、この状況とは関係のないところで興味が湧いた。
「そ、そりゃあ確かに最初は、みっともなく君に縋り付いて『婚約解消はなしで』なんて言ったけど。冷静に考えてみれば、こんな僕では君を幸せにしてあげられない。だから、許しなんて求める資格は」
「それはただの傲慢ですわ、オーウェン様。私は、貴方から幸せを搾取しようなんて考えは持ち合わせておりません」
きぱりと告げる私を、オーウェンは信じられないと言う目で見つめている。
「私が許したい、傍にいたい、だからそうなさってと頼んでいる。ただそれだけです。何か他にも言い分が?」
「だ、だって僕はあの子と……」
彼が言い終えるよりも先に、私はぐいっと体を寄せる。震えていることを勘付かれないよう、力任せに唇を押し付けた。
「エ、エミリ……、んん……っ」
「はぁ……っ、こ、これでおあいこ。そしてもう一度です」
「ま、待っ……、ん、ふ……っ」
生まれて初めてのキスは、二度。彼の呼吸をまったく無視して、私はキスを与える。去り際に、ほんの少しだけ互いの間を銀の糸が伝った。
オーウェンの肩をとん、と押しやり、半ば馬乗りになるような形で堂々と見下ろした。
「さぁ。覚悟を決めて潔く許されなさい、オーウェン=レイヴン・トレントハーク」
「え、えみりにゃ……ぁ」
とろんと蕩けるような瞳と、真っ赤な顔。小動物のようにふるふると震えながら、舌ったらずな口調で私の名を紡ぐ。
予想していた以上の色香に充てられた私は、ぐう……と口を噤むことしか出来なかった。本来ならば、女性からキスなどをするなどあり得ない。しかも、二回も。
オーウェンがあまりにも臆病で頑なだから、虚勢を張るしかなかった。そうでなければ、私の方こそ今すぐにでも倒れてしまいそうなほどに、恥ずかしくて堪らない。こんな場面でさえ可愛くない態度しか取れない私とは違い、彼はとても愛らしい。
「僕は昔も今も、あの忌々しい六年間でさえも、君には絶対に敵わない」
「でしたらもう、抗うのをお止めになっては」
「……うん、そうだね。そうするよ」
オーウェンは覚悟を決めたように、澄んだ碧眼にきゅっと力を込める。そうして、私の体を包み込むように優しく抱き締めた。
「好きだよ、エミリナ。僕は君のことが、世界中の誰よりも一番好きなんだ」
「……ええ、分かりました」
「僕のことを、受け入れてくれる?」
最後まで、彼は許してとは口にしないらしい。
「公衆の面前で貴方に辱められた時は、それはもう恨みましたわ。出来ることなら、あの日の記憶を捨て去ってしまいたいと」
「エミリナ……」
「ふふっ、ほんの冗談です。そんなに、死にそうな顔をなさらないでください」
小さく微笑みながら、私はそっと彼の目元に指を沿わせる。左目の涙袋にある黒子に触れると、くすぐったいのを我慢しているかのようにぴくぴくと震えていた。
「私も、オーウェン様のことが好きです。どうか、貴方のお傍に置いてくださいませ」
「ああ、エミリナ……っ!」
心から感嘆の息を漏らしたオーウェンは、一層強く私の身体を抱き寄せる。その反動でゆらゆらとチェアが揺れ、私達の体はぴたりと重なった。
「まさかもう一度、君を手に入れることが出来るなんて。本当に、夢みたいだ」
「あら、そのように安心されては困りますわ。今回の件で、私はいかに自分が貪欲であるかに気付かされました。餌を貰えず放っておかれたら、噛み付いてしまうかもしれませんわよ」
照れも相まって、そんな台詞が口を衝く。オーウェンはなぜだか嬉しげに鼻を鳴らして、私の首元に顔を埋めた。
「エミリナは可愛いね」
「そんな物好きは貴方だけです」
「次に僕がおかしくなったら、君が頭から丸ごと飲み込んで」
訳の分からないことを言いながらも、どこか切なげな雰囲気を醸し出しているのは、きっとこれまでを懐古しているのだろう。
「貴方を食べてしまったら、私は一人になってしまいますわ」
「そっか、それは良くないね」
「そうならないよう、精々ご自身の手綱をしっかりと離さないようになさってください」
「あはは、頑張ります」
私の中にこびりついた恐怖は、どんなに擦ろうが消えることはない。いつまた捨てられてしまうのかと、怯えながら年老いていかなければならないのかもしれない。
けれどそれは、私に課せられた罰。オーウェンを救い出せなかった戒めを背負い、生きていかなければならない。
互いに、辛い道を選んだ。それでも傍にいたいと、強烈に願う。何があろうとも、私も彼も、離れることは出来ない。愛とはまるで呪いのようなものだと思いながら、いつの間にか解けた彼の金髪を、さらりと指で掬う。
「好きです、オーウェン様」
「僕も大好きだよ」
その言葉だけで、全てを肯定されているような気分になる。今はただ、この幸せというぬるま湯に思う存分浸り続けたい。
「ああ、エミリナ!脚!大変だ‼︎」
「そういえば、そうでした。ですが、もう血も止まっておりますし」
「本当にごめんね、今すぐお医者様に診てもらおう‼︎」
再び顔面蒼白に戻ったオーウェンは、なんの躊躇いもなく私を横抱きにすると、そのまま全力疾走で庭園を駆け抜けたのだった。




