ただ、傍にいてほしかっただけ。
♢♢♢
約束の三日が経ち、四日目の朝。昨夜はほとんどオーウェンと顔を合わせることなく、偶然鉢合わせをしても私は反応を見せなかった。彼は弁明すらせず、ただ黙って私を見つめるだけ。それが堪らなく腹立たしく、一刻も早く家に帰りたいとその一心だった。
これまで、母が他界して以降あの屋敷は居心地が悪かった。兄レイモンドにも散々な態度を取られてきた為、今でもちくりと嫌味を言いたくなる瞬間はある。
けれど、彼が良い方向に変わったことは喜ばしいし、恨むつもりもない。今後も精進して、幸せな人生を歩んでほしいと願っている。
それなのに、なぜ同じ状況であるオーウェンに対してはそう思えないのか、自身の感情が理解出来ないが、もうその必要もなくなる。今日で、私と彼の縁は完全に切れてしまうのだから。
「迎えに来たよ、エミリナ」
「レオンハート様。お手間を取らせてしまい、申し訳ありません」
王宮の客室にて身支度を整えていた私は、
「そんな他人行儀な言い方をしないで。僕達はいずれ、人生を共に歩むパートナーになるのだから」
にこりと柔らかな笑みを浮かべる彼を見ていると、罪悪感で心臓の奥が酷く詰まる。やましいことなどしていないのに、薄紫の瞳をまっすぐに見つめることが出来なかった。
「三日振りに会う君も、とても綺麗だ」
「お気遣いくださり、ありがとうございます」
「本心だよ、エミリナ」
レオンハートの表情が普段より甘く蕩けているように感じるのは、私の気のせいだろうか。少し居心地が悪く、数歩後ろへ下がる。と、靴のヒールが絨毯に引っかかり、ぐらりとバランスを崩した。
「キャ……ッ」
「危ない、大丈夫かい?」
咄嗟に伸びてきた彼の腕が、しっかりと私の腰を抱き止める。その瞬間背筋がぞわりと粟立ち、思わず突き飛ばしてしまいそうになる。そんな自分が恥ずかしくなり、頬が熱くなった。
「も、申し訳ございませんでした。レオンハート様」
彼の腕から逃れようとすると、なぜかぐっと手に力を込められる。体勢のせいか、これまでにないほど距離が近付く。
「エミリナ、僕は……」
微かに切なげな瞳と視線が絡み合った瞬間、派手な音が周囲に響き渡り、そちらに気が移る。扉前には、私達を見て顔を強張らせているオーウェンと、その足元にティーポットとカップらしき茶器の破片が散らばっていた。
「ご、ごめん」
気まずそうに目を逸らし、金の髪がさらりと揺れる。それだけを口にして、彼はその場から足早に立ち去っていった。
「……オーウェン、様」
無惨に割れたそれをぼうっと見つめながら、彼の名をぽつりと呟く。私の為に、第二王子が自らお茶の用意など。そんなことをするのは、オーウェンくらいだ。
「なぜ、私を置いていってしまわれるの……?」
あんな風に傷付いた顔をするのならば、レオンハートを押しやって自分が私の手を取れば良かったのに。他の誰かと結婚などするなと、この場から連れ去れば良かったのに。貴方はいつだって私を残して、一人で決めてしまうのだ。
「エミリナ」
「あ……。すぐに侍女を呼んで片付けを」
「君は、追いかけるべきだ」
レオンハートの澄んだ声が、はっきりと聞こえる。驚いて顔を上げると、彼の薄紫の瞳が静かに細められた。
「今行かないと、後悔することになる」
「ですが、私は……」
「生きて会えることを、当たり前だと思わない方がいい」
それは、レオンハートの哀しみ全てが込められた台詞。愛しい婚約者を死なせてしまったのは自分だと、後悔の念に苛まれている。
心の傷を打ち明けてくれたというのに、私は彼に何ひとつ返すことが出来ない。オーウェンに手酷く捨てられた私に手を差し伸べ、この国を出ようと言ってくれた。それは、孤独で堪らなかった私の心を確実に救ってくれたのだ。
「さぁ、手遅れにならないうちに早く」
とん、と優しく背中を押され、私の足は自然と歩み始める。ぎゅうっと掌を握り締め、くるりと振り返った。
「レオンハート様に出会えて、私は幸せでした」
「ありがとう、僕もだよ」
彼に向かって深々と頭を下げ、私は駆け出す。出会い頭に目が合った侍女が驚愕の表情でこちらを見つめたけれど、そんなことを気にしている余裕などない。既に見えなくなった背中を追って、私は靴を脱ぎ捨て駆け出したのだった。




