美しい思い出に縋っても、蘇ることはない。
解熱したとはいえ、無理は禁物。幸い今日は日柄も良く、私達は王宮の端にあるこぢんまりとした第三庭園へと足を運んだ。中央に位置するロイヤルガーデンよりも規模は小さいが、ここは私が幼い頃から気に入っている場所。
オーウェンの人柄ががらりと変わってからは訪れる機会も減ってしまったので、今日こうして久方振りに訪れることが出来て、内心小躍りをしていた。
「あ、あった。エミリナの好きなガーデンチェアだ」
今日のオーウェンは、数日ぶりにきちんとした身なりをしていた。ずっとベッドの上で飽きあきしていたらしく、外に出られてはしゃいでいる。そんな彼を一歩引いた場所で見つめながら、自分でも気が付かないうちに微笑んでいた。
たたっと駆け出したオーウェンが指差す先には、白樺の木で作られたスウィングチェアが置かれている。確かに彼の言う通り、小さな頃はこのチェアにゆらゆらと揺られるのがとても好きだった。
「それは昔の話ですわ、殿下」
「いいからいいから、一緒に座ろう」
ぱっと自然に握られた手が、いとも簡単に私の心拍数を上げる。一瞬レオンハートの顔がちらついたけれど、彼はきっと私が異性と触れ合うことに気分を害したりはしないだろう。
「ほら、揺らすよ」
スウィングチェアに並んで腰掛け、オーウェンが力強く地面を蹴り上げる。久しく感じていなかった浮遊感に、思わず彼の腕を掴んだ。
「あはは、可愛い」
「……私で遊んでいらっしゃいますね」
「ごめんね、少しだけ」
悪戯にウインクして見せるその姿に、小さく噴き出してしまう。今度はゆっくりと、ちょうどいい塩梅でゆらゆらと揺らしてくれた。
「風が気持ちいいね。春前の気候って、好きだな」
無邪気に目を瞑るオーウェンの綺麗な横顔をちらりと見やりながら、まさか再びこの場所に二人で来ることになるとは思わなかったと、ぼんやり考える。
スウィングチェアに揺られていると、これまで辛かった六年がまるで嘘だったかのように感じる。目を覚まして隣を見れば、本当のオーウェンが優しく笑う。
――可哀想に、嫌な夢でも見たんだね。
そう言いながら大きな掌で私の頭を撫で、何かおいしいものでも食べようと手を引いてくれる。私達二人に待っているのはそんな未来だと、あの頃は信じて疑わなかった。
大切な母を亡くし、父はすぐに後妻と義兄を連れて来た。オーウェンからは突然冷たくあしらわれるようになり、心の拠り所を失った私は自室ですら泣けなくなった。
オーウェンを、許したい。けれどそれでは、この六年必死に耐えてきた自分が、あまりにも報われない。もっと縋りついて、泣き叫んで、許しを乞うて、私がいなければ生きていけないと、もう二度と傷付けないと、神に誓って。いいえ、違う。そんな無様な姿など、見たくはない。
形も色も匂いも異なる感情がせめぎ合い、頭がおかしくなりそうだった。さわさわと髪を撫でるそよ風にさえ、責め立てられているような気分になる。
「本当に懐かしいね。この庭で、何度遊んだことか。君は意外と不器用で、花冠を作るのはいつも僕だった」
彼は嬉しそうに目を細めて、ありし日の思い出に心を寄せる。私の耳元では、しきりに小さな羽虫が騒めいていて、その声を素直に受け取ることが出来なかった。
「だけど僕は虫が苦手だから、花から青虫が出てきた時はもう大騒ぎで、エミリナが逃してくれたよね。平気そうに指でひょいっと摘んで――」
「もう、止めてください」
ぴしゃりと言い放った言葉は、予想以上に冷たい声色だった。オーウェンの双眼が戸惑いに揺れるのも構わず、真正面から彼を見据える。
「過去の思い出話など、今は聞きたくありません」
「エ、エミリナ?急にどうして」
「やはり貴方はいつまで経っても、とんだ臆病者だわ」
勢い良く立ち上がると、チェアがぐらりと揺れる。それを構わず、私はドレスの裾を静かに整えた。
「所詮は婚約を解消した仲。これ以上の茶番は不要でしょう」
「エミリナ、待って。僕は……」
「そうやって、幸せな夢を見続けていればいい」
微かに触れられた指先に気付かない振りをして、一人で歩いていく。この場所を訪れた時は二人だったのに、今はそうではない。自身が選択したことであるのに、後悔に押し潰されそうになる。
どうせ、明日には全ての魔法が解けてしまう。それがほんの少し、早まったというだけのこと。
可憐に咲き誇る青く小さな花が、視界の端に映る。そこからふいっと目を逸らしながら、追いかけられる気配すらない背後を、酷く虚しいと感じたのだった。




