六年前の幸せな記憶は、薄れゆく。
オーウェンの傍にいる、白兎がごとき女生徒の名は、ココット・キルティエラ。キルティエラ公爵の愛妾の娘で、一年ほど前にこの学園へやって来た。
彼女の母親は、見たもの全てを虜にする魅惑の貴婦人と名高い美人。彼女もその血を色濃く受け継ぎ、あっという間にこの学園の男子生徒を骨抜きにした。
我が婚約者も例に漏れず、私を差し置いてココットに夢中。どんな時も彼女を傍に置き、周囲からの忠告など耳に入らないようだった。
「どうかお考え直しください、殿下。私達の婚約は、当人同士でどうにかなるものではありません。このような場で軽々しく解消などと口にすれば、謗りを受けるのは貴方なのです」
「うるさい!お前はいつもそうやって僕を馬鹿にして、可愛げの欠片もない女だ!この僕にはまったく相応しくない!」
ああ、もう嫌だ。私だって、最近の彼にはほとほと愛想が尽きている。家の為、彼の為、自分の為。厳しい王子妃教育をこなし、理不尽な仕打ちにも耐えてきた。
ココット・キルティエラはとんでもない性悪で、私から酷い苛めを受けたなどという嘘を吹聴しては、体のあちこちに包帯を巻く。そこに傷などありはしないのに、誰もが彼女の言い分を信じた。
ぽろぽろと涙を流すココットと、キツい目つきの私。どちらが庇護欲を掻き立てるのかは一目瞭然で、私には味方をしてくれる家族も友人もいない。
「……本当に、人前で泣く女ほど信用出来ないものはないのよ」
心中で呟いたつもりが、どうやら声に出ていたらしい。オーウェンは途端に眉を吊り上げ、一層声を張り上げた。
「なんという女だ、謝罪の一言すらないとは!」
「それを言うのなら、私達二人ですべきです。このパーティーを楽しんでいる生徒や、時間をかけて準備をしていた先生方に」
私が気に入らないのならば、きちんと話し合えば良かったのだ。こんな公衆の面前で、ココットの腰を抱きながら、悪びれもせずに私を捨てると宣言するなんて。
私が家族と折り合いが悪いことも、人付き合いが苦手だということも、オーウェンは全ての事情を知っている。それでもなお、ここまで非道な行いが出来るということは。
私はもう完全に、彼にとってどうでもいい存在になってしまったのだ。
「……貴方は、本当に変わってしまわれました」
――忘れもしない、六年前の冬。互いに十歳だった私達は、宮殿のテラスに並んで立ち、しんしんと降る雪をただ眺めていた。
「今日は特に冷えるね。中に入らなくて大丈夫?」
「はい。もう少しこの景色を眺めていたいです」
「そっか、分かった」
オーウェンは柔らかな声色でそう言うと、そっと私の手を握る。
「こうしていれば、少しでもあったかいかなって」
「無理をなさらないでください」
彼の頬が紅いのは、決して寒さのせいではない。
「無理なんかしてない、僕がしたいんだ」
ふにゃりと目を細めると、目元の黒子がよく目立つ。それが妙に可愛らしく、私は小さく微笑んだ。
「とても暖かいです、オーウェン様」
「……エミリナ」
彼はじっと私を見つめ、意を決したように口を開く。
「僕は、僕は君のことを――」
それから後の台詞を、私は聞くことが出来なかった。オーウェンは突然苦しみだし、ぷつりと糸が切れたように倒れた。私は悲鳴を上げ、すぐに従者を呼ぶ。命に別状はなかったが、彼は丸三日もの間眠り続けた。
私が早く部屋に入らなかったからだと、何度も自分を責めた。彼の傍に寄り添い、ほとんど一睡もせずその青白い顔を見つめた。弱々しい呼吸がいつ止まってしまうのかと思うと、気が狂いそうで。
オーウェンが目覚めた時、どれほど嬉しかったか分からない。けれど、涙を流しながら握り締めた私の手を、彼は思いきり振り払う。そして、冷ややかな表情で言い放ったのだ。
――君は、僕の好みではない。
と。