これがあの兄だと俄かには信じ難い。
なぜ彼が兄だと気付いたのかといえば、それはバーベナの様子からだ。目元を赤く腫らし、彼に寄り添っている。それは喜びの涙で、帰国の無事と華麗なる変貌への称賛だった。そしてやはり、変わらずの銀髪碧眼。
「やぁ、エミリナ。久し振りだな。元気だったか?」
「レイモンドお兄様。息災で何よりです。無事のご帰国、心よりお祝い申し上げます」
「お前はどうやら、随分な目に遭ったようだな」
にやりと笑みを浮かべた兄を見て、その後に続く言葉がどんなものなのか容易に想像がつく。
「結婚前に本性が知れて幸いだったと思え」
「は、はい」
おかしい。もっと嫌味をぶつけられると構えていたのに、声色もやけに穏やかで私の知るレイモンドではないようだ。
「今はエミリナのことなんて構わないで、貴方の話を聞かせてちょうだいな」
「そうだぞ、レイモンド。私達がこの日をどれだけ待ち侘びたことか」
「ははっ、それは光栄だ。父さんも母さんも、相変わらずですね」
以前のように引きつった笑みではなく、口の端を対照に上げた品の良い笑顔。二人はすっかり気を良くして、私を押し退けるようにして彼に近付いた。
そんな私の肩をぽんと叩くと、レイモンド達はプライベートサロンへ消えていく。焦茶色のスリーピーススーツが良く似合う後ろ姿を見つめながら、私は一人ことりと首を傾げたのだった。
てっきり呼ばれないと思っていた食事の場に、なぜか私も同席することとなった。細やかな刺繍が施された淡藤色のドレスに身を包み、久し振りに髪を結い上げる。
それらは全てレイモンドの指示らしく、一体何事かと訝しんだ。こんなことは、今までに一度だってなかったからだ。
「帝国の女性は山ほど見たけれど、やはりエミリナは別格だな」
私の姿を見た彼は、開口一番そんな台詞を口にする。驚いたのは私だけではなく、特にバーベナがぽかんと呆けていた。
いつもの何倍も豪華な食事はつつがなく進み、私以外の三人は楽しげに談笑している。
「落ち着いたら、お前の帰国パーティーを盛大に開かなければならないな」
「そうよ、レイモンド。いずれは第一王子殿下にお仕えすることになっているのでしょう?そのお祝いも兼ねて」
「ああ、嬉しいよ」
以前は、誰かに取られるのを恐れているのような早食をしていたのに、目の前のレイモンドは実に優雅な所作で食事やワインを嗜んでいる。
会話にも品があり、多少の口の悪さは残っているものの、両親のように他人を口汚く罵ることはしていない。
「お前はどう思う?エミリナ」
「ええ、素晴らしい取り組みだと思いますわ」
「だろう?お前ならそう言うと思った」
表情には出さなくとも、大いに動揺している。彼が私に意見を求めるなど、寝耳に水もいいところだ。
どうやら話を聞くにある辺境伯の元で学んでいたらしく、それは甘ったれのレイモンドにとっては大層辛い日々だったらしい。
けれどその辺境伯のご子息が大変な人格者で、同年だった彼を励まし支え続けた。そのおかげで、すっかり立派な真人間へと変貌を遂げたと。
「あいつは素晴らしい人間だ。最初は嫉妬から随分酷い態度を取ってしまったが、僕の気持ちも分かると笑いながら許してくれたよ」
「まぁ、そうだったのね、貴方ったら、そんなことは少しも手紙に書いていなかったじゃない」
「辺境伯が中身を確認するからね。下手なことは書けなかった」
先ほどから、バーベナは何度も涙ぐんでいる。辛い思いをした愛息子に心を痛めているのか、その成長を喜んでいるのか、あるいはそのどちらもか。
「その方の名前は何と?」
「レオンハート・セルゲイ。いずれはあの莫大な辺境伯領を継ぐに相応しい、優秀な男さ」
まるで自分のことのように、鼻高々にそう口にする。そしてなぜかこのタイミングで、ちらりと私に視線を移した。
「ところで。エミリナとオーウェン殿下が不仲だと言う話は、こちらにも流れていた。あろうことか学園の創立記念パーティーの席で、堂々と婚約解消宣言をしたとか。先ほども言ったが、自ら醜態を晒してくれて良かったじゃないか」
「はい、そうですね」
正直に言って、今は顔も思い出したくない。あの最悪な日を最後にしていれば、未練など残さずに済んだというのに。ここ最近の彼の奇行のせいで、オーウェンのことが頭にこびりついていた。
「けれど、エミリナには困ったものだわ。また新たな婚約者探しに心を砕かなければならないなんて」
はぁ。とわざとらしく憂いを帯びた溜息を吐くバーベナに向かって、レイモンドは実にさらりとした口調で言った。
「ああ、それなら心配いらない。今話したレオンハートが、エミリナをぜひ婚約者に迎えたいと言っているんだ」
「は、はい……?」
思わず聞き返してしまうほど、信じられない話だった。




