第621話 挑発はやめましょう
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「田楽おでん。あの不良オヤジ、伊吹弥三郎は確かに貴女を欲したのだろうが、そりゃあ有能な副官とか、作戦参謀としてであって、女としては見ておらんよ。ちょーっと色ボケが過ぎるんじゃないか、おバアサン?」
昆布のように艶がない黒髪の少女、伊吹賈南は、遊戯用迷宮〝U・S・J〟の最下層。
地下三〇階の隠し部屋にて、二千年を生きる付喪神、田楽おでんの本体、神槍ガングニールを見つけ出した。
「なーんちゃってな。オヤジはアレでアンタのことを気に入って……」
賈南は、以前、建速紗雨にからかわれた件を思い出し、江戸の仇を長崎で討つような逆恨みを晴らそうと盛大に煽ったのだが、想定以上に挑発が効きすぎた。
「誰がバアサンじゃ、このクソヘビ」
なにせ田楽おでんは、付き合いの長い友人、佐倉みずちをしてイノシシと呼ぶほどに気が短いのだ。
時を経て朽ちかけたといえ、神槍ガングニールの繰り出す、殺意満々の一刺しが賈南の鼻先をかすめた。
「ひえっ」
賈南はとっさに腰から得物を引き抜いて、顔面直撃コースを慌てて逸らす。
が、真新しい光り輝くナイフは、古く脆そうな槍に触れただけで、枯れ枝のようにポキリと折れてしまう。
「ああっ。爪に火を灯す思いで節約して買った、特殊合金製のナイフがおしゃかになったじゃないか!?」
賈南は慟哭した。
別れた旦那、獅子央孝恵の金でエステ、化粧品、マッサージと湯水のように散財、好き放題していたのは昔のことで、今の彼女は学生らしく苦しい生活を強いられていた。
そうまでして私財を投じた装備を壊されては、たまったものではない。
「おいこら田楽おでん。妾は人間水準に〝鬼の力〟を抑えているんだぞ。今の一撃を受けたら、正体がバレるところだったぞ!」
賈南は、昆布のように艶のない黒髪を逆立てながら、自分を狙う古びた槍を制止しようとする。
「伊吹童子め、今さら何を言っている? 其方が八岐大蛇の首だということは、とっくの昔にバレておるわい!」
若干の頭が冷えたのか、おでんは賈南の呼びかけに応えて、槍から人間の姿に変わる。
鴉の濡れ羽を連想させる美しい黒髪に、陶器のように白い肌を彩る赤いサマースーツと、おおまかなシルエットは彼女が憑依していた人形と変わらないが、わずかに違った。
「本物の瞳は、黒でも赤でもなく、金色なのか。カムロや出雲桃太との戦いに人形を利用していたところを見ても、もはや肉体は限界のようだな」
おでんは、二度に亘る世界滅亡戦争と二千年に及ぶ長い時を経て、器が傷つきすぎたのだろう。人型に化ける術が十全に機能せず、体のテクスチャが安定しないのか細部が明滅している。
「カカカ、その通りよ。こうなってはわしも覚悟を決めよう。あの伊吹弥三郎の娘となれば、最期の敵として不足はあるまい。さあやろうかあ!」
賈南と向き合うおでんの殺気は、かつて討ち取られそうになった強敵、異世界クマ国代表のカムロと比較しても、まるで遜色がない。
弱まったおでんの本体と会えば、交渉を有利に進められるだろうという賈南の目論見は、ものの見事に頓挫した。
「こ、この妾の目をもってしても読めなかった。八岐大蛇の首である妾達よりも戦闘意欲が高いとか、どんだけ蛮族なのーっ」
あとがき
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