第574話 おでんと紗雨
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「一〇年前になにがあったの? いったい誰が紗雨の家族を殺したの!?」
「これ以上は言えない。紗雨ちゃんが充分に成長するまでは、其方の過去を決して明かさない。わしはそう、カムロと約束したからじゃ」
サメの着ぐるみをかぶった銀髪碧眼の少女、建速紗雨は泣き崩れそうになる自分をおさえ、鴉の濡れ羽がごとき黒髪が美しい、真っ赤なサマースーツを着た黒髪の麗女、田楽おでんの前ですすり泣くような嗚咽を漏らすにとどめた。
「おでんオネーチャン。本当は、紗雨って名前もウソなんだよね」
「詳しくは明かせないが、紗雨という名前は、カムロが外敵からお前を守るためにつけた名前だ。どうかあやつのオモイを汲み取ってやってくれ」
紗雨は光の消えた目で、溺れる者が水面のワラを掴むように、おでんに手を伸ばした。
「でも、それじゃあ、本物の紗雨が消えてしまうっ……」
「めったなことを言うなっ。その体に流れる血が、お前が今生きていることが、建速一族の愛に他ならん!」
おでんは紗雨の手をぎゅっと力強く掴み、真正面から見つめ返した。
「でも、おでんオネーチャン、紗雨は自分の本当の名前も知らないし、一〇年前までの記憶がないの。なのに今の紗雨がどうして本物だって言えるの? 知りたいんだ。桃太おにーさんに、本気で向き合うために」
「自分の過去と向き合いたい、か。カムロめ、勇敢な子を育てたものよ」
おでんは紗雨を引き寄せ、力強く抱き留めた。
「紗雨。わしはカムロと約束した際に、〝もしも紗雨が尋ねたなら、わしは姉として、十年前に起きた事件への手がかりをひとつだけ明かす〟ことを条件に飲ませたのじゃ。
失われたアシハラの里を調べなさい。あとでお前の先祖と親しくしていた杖……、今は竪琴となった付喪神を案内役として紹介しよう。次は、出雲桃太を呼んできてくれ」
「うん、わかったサメエ。おでんオネーチャン、ありがとうサメエ……」
紗雨は着ぐるみの尻尾を力無く垂らしつつも、涙をハンカチでぬぐい、おでんに向けて頭を下げた。
自らの願いを叶える道筋が見えたからか、必死で背筋を伸ばして力強く歩く。
「次はいよいよ出雲桃太か。わしに叶えられる願いであれば良いが、望みは薄そうじゃ」
紗雨が去った後、おでんは自嘲する。
賞品として願いを叶える立場にある自分が、「望みが薄い」などと口にすることが、おかしかった。
「望み、願い。誰もが持つ普遍的なもの。人はそれを叶えるために前進し、後退し、時を重ねてゆく」
おでんは、このウメダの地で果てた戦友、今はアテルイと呼ばれているドラゴンと、かつて激しく口論を交わしたことを思い出した。
「アテルイ。二千年前、我らが主君を万能神にしようとした試みに、お前がなぜあれほど反対したのかわかった。ただの賞品を与えるわしですら、思うようにならん。全ての願いを叶える万能神など作るべきではない。いや、そもそも作れるはずもなかったのだ……」
あとがき
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