第110話 深遠なる闇中の別れと、希望
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一葉朱蘭と奥羽亜大らが、人工島〝楽陽区〟からひとまずの脱出をはかっていた頃――。
冒険者組合本部の最奥。三日月が照らす獅子央家の私邸では、まるまると太った中年男と、妖艶な女の影が、広い庭に造られた人工池の水面に映っていた。
「こ、こうして会うのが最後になると思うと、寂しいね。ぼ、ぼくは、良い夫では無かったし、マイハニーも良い妻ではなかったケド。……むしろ悪いというか、仮にも夫の目の前で、浮気やら乱交パーティやらを見せつけるとか最悪だよね?」
「ハハハ。あの頃は、ダーリンの宝石みたいに透き通った目を曇らせるのが楽しくてな。だが不思議だ。護衛の柳と北宮を下がらせたばかりか、なぜ妾に手を貸す? 我ら八岐大蛇の目的が、地球を〝鬼の力〟で満たすことだと、もう知っているのだろう?」
女の影が問うと、男の影は困ったように俯いた。
水面に映る彼の拳は、内心を示すかのように固く固く握られていた。
「マ、マイハニーは、もしもお腹がすいた時、お粥を食べられなかったらどうする?」
「当然、他者から奪うが? 黙っていても運ばれてくるのは、ダーリンのように恵まれた生まれの者だけだろうさ」
迷いのない女の声に、男は困ったように喉を鳴らした。
「こ、これからは、ぼくもそうするよ。でも、どうせならただのお粥じゃなくて、〝肉の入った粥〟が欲しいんだ」
男の言葉は、ここで終わればただの妄言に過ぎなかっただろう。しかし。
「――〝肉入り粥〟をこの手に掴む為だ。キミの悪事にだって手を貸すし、罪のない出雲桃太君だって利用しよう」
雲が月を覆い隠したのは、その瞬間だ。
闇の中で、一組の男女が向かい合う。
「ハハハ。石化させた影響か、随分と歪んだな? 残念だ。妾は汚れも苦労も知らぬ、昔のダーリンが好きだったのに」
「き、キミが変えておいてよく言うよ。ぼ、ぼくは変わるんだ。父、焔が残した冒険者組合は、今や害悪だ。八つの勇者パーティが欲望のままに動くというのなら、互いを喰らい合わせて解体する」
厚い雲の隙間から、一筋の月光が地上に射した。
「そして、ぼくの生命と獅子央の遺産。すべてを投げ打って。
〝出雲桃太君を……冒険者組合のトップに据える〟
彼ならばきっとキミに、〝鬼の力〟に対抗できる」
男が語った未来絵図は、あまりにも荒唐無稽だった。
それでも女は何かを感じ取ったのか、満足そうにカラカラと笑った。
「マイダーリン、素晴らしい離婚宣言をありがとう。心を揺さぶられた記念に、プレゼントを残しておこう」
「ぷ、プレゼントって〝鬼神具〟かい?」
夫の問いに、妻であった女は愉快そうに声を弾ませた。
「いや、最新のダンスゲームだ。ダーリンはゲームが好きだろう。妾と戦う為に学んでおいても損はないぞ」
「や、やってみよう。だ、ダイエットにもなりそうだし」
「腰を痛めないように気をつけろよ。ではさらばだ。我が夫よ」
「さようなら、ぼくの奥さん」
そうして、闇の中で一組の夫婦が終わりを迎えた。
あとがき
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