シャットダウン
水に沈めてやりたい衝動を自制して、何とか対岸に着いたものの、パワードスーツを脱ぐと肌着までぐしょ濡れだった。肌にはり付いて非常に気持ちが悪い。
パワードスーツはラプエルに収納し直すと水没しかねないのでその場に放置。
体温が奪われ切ってしまう前にさっさと着替えたいところだが、当然、着替えなんて気の利いたものは持っているはずもなく。
何にせよ、このままでは必然的に風邪を引くので、上半身だけでも服を脱ぐ。ジャケットを絞るのには若干抵抗があったが、背に腹は代えられない。
それから火を起こそうとライターを取り出し、早く温まりたい一心でカチカチとフリントを鳴らすが、手が悴んでいるためか湿気ているのか、一向に火が灯らない。
「当機の機能であれば子供でも安全に点火することが可能ですよ」
「……お前ずっとライターと張り合ってんな?」
それでいいのかよ、と文句を付けながらも渋々ライターをポケットに戻すと、俺はラプエルの着火装置を使用し、手近にあった落ち葉と木の枝に火を点けた。
火はぱちぱちと音を立てて燃え上がり、冷え切った身体を温めてくれる。
それに、焚火の側に服を広げておけばいずれ乾くだろう。
このまま疲弊し切った身体を休ませてやりたかったが、近くにある枝葉だけではすぐに燃料が尽きてしまう。ゆっくりするためにも一時間は保つ量の可燃物が欲しかった。
「ラプエル、効率よく薪を集める機能とか付いてないのか?」
ダメもとで訊いてみる。
「前方、木と茂みの間の道を二百メートル進んだ先に大量の薪があります」
あるのかよ。いや、ただ単に高倍率カメラで辺りを探索したのか?
とりあえず最低限身体が温まったところで、ラプエルが示してくれた方角を見やる。
二百メートルなら走ればすぐに着く距離だろう。ラプエルを背負っていくまでもない。なんだかんだそこそこ重いし、何かあったらすぐに戻ればいいだけだし。
そもそもパワードスーツ抜きのラプエルじゃ、またあの狼みたいな魔物に襲われたところで、どうしようもなくゲームオーバーだ。なら少しでも身軽な方がいいだろう。
「……ついでに周囲に危険な魔物とかがいないか分かるか?」
「少なくとも、半径五百メートル圏内には存在しません」
「なるほどな」
これで一応は周囲の安全も確保できた。
体表面のあったかさが掻き消える前に戻りたいな、なんてことを思いながら、俺は疲れた身体に鞭打って走り出す。背後からラプエルが不満そうな機械音を発しているのが追いかけるように聞こえてきたが、聞こえない振りをしてやり過ごした。
「な……」
ラプエルの言う通り何事もなく薪を集め終えた俺は、焚火まで戻って来て愕然とした。
両手に抱えられた薪がどさりと落ちる。
焚火の反射で分かりにくいが、さっきまで点いていたはずのラプエルの光が消えていた。
「ラプエル?」
さっき川を横断した時に水がどこかに入り込んでいた? いや、放置している間に何かあったのか? なんて思考を逸らせながら、急ぎ機体の側まで駆け寄る。
それから機体をじっくりと観察し、心配が杞憂に終わったことに安堵した。
「なんだ……バッテリー切れか」
ピコピコと赤いランプが点滅して、機体上部モニタにバッテリー切れの表示が出ている。
俺はラプエルを横倒しにして、太陽光パネルを炎に近付ける。こうしておけば明日には起動できるくらいには回復しているだろう。
ついでにパワードスーツも仕舞い直しておいた。さすがに速乾なだけはある。
「あー……、ようやく休めるな……っと!」
ぐっと伸びをして、寂しさを紛らわすように少し大きめの声で独り言を呟く。
そういえば、案件終わり際の職場でも同じようなことをしていた気がする。要領が悪いと言われればそれまでだが、サビ残をする奴がいないと回らないのも社会の側面だ。
思い返すと仮眠室が恋しくなってくるが、とはいえやっと寝る準備ができる。
火が消えてしまわないよう十分に薪をくべ、ラプエルの付属品の一つであるシュラフを取り出す。普段は折り畳み傘ほどのサイズ感だが、広げると伸縮自在に身体にフィットし、防水、防火、防腐、そして勿論防寒対策もバッチリの優れモノだ。
更には初回特典版として、今なら野生動物から見つからないための迷彩、防臭効果まで付いている。効果のほどは全く分からないし、そもそもさっき遭遇したような魔物相手に対応してるのかも知らないが、少なくとも俺を若干なり安心させてくれる効果はあった。どうせ睡眠は取らないとふらふらで逃げられないのだから、割り切るしかない。
因みに寝袋はラプエルの付属品の中で二番目に制作陣の力が入った製品である。一番は──今のところ使う機会に恵まれていないが、あれもきっとこれから役に立つことだろう。まずはラプエル本体の充電を回復させなければ使いたくとも使えない。
俺は仰向けの体勢で寝袋に入り込むと、月どころか星一つない空を仰ぐ。
木々の枝葉の間から見える夜空は、吸い込まれそうなほど暗い。
(分かってたことだけど、本当に異世界なんだな、ここ……)
日本の田舎じゃどこにいたって聞こえてくる虫の声も聞こえない。
そんな風に今更ながら感傷に浸っていると、いつの間にか睡魔が忍び寄ってきており、俺は糸が切れたように眠って、次に意識が覚醒した時には朝日が昇っていた。
獣除けの意味合いもあった火が消えていたことにぞっとしたが、どうやら無事に一夜をやり過ごせたらしい。……毎日これだと精神が持たなそうだが。
「というか、火が消えてるってことは……」
眠たい目を擦りながら寝袋から這い出ると、ラプエルの電池残量を確認する。
モニタ左上、切れかけの電池マークと共に表示されていた値は〈5%〉。
これでは起動してもすぐにまたシャットダウンしてしまうだろう。
「しばらくラプエルなしってことか……」
どうやら俺は、早くも生命線を失った状態で異世界を生き抜かなくてはならないらしい。どこか他人事のようにそんなことを考えて、ややあって。
「……それって結構マズくね?」
俺は早速、頭を抱えることになった。