判決を言い渡す
閻魔大王は男を睨みつけて言った。
「人間よ。貴様の所業、軽からず。貴様の死に様はそれまでの功徳を差し引いても余りある許し難き悪行なり。よって貴様を地獄へ…」
「お待ちください!」
閻魔大王の裁きに、師匠が口を挟んだ。
「天使よ。貴様、天使の分際でこの閻魔の判決の口を挟むとは何事か」
「ははあっ!恐れ多い事でございます!しかし、今ひとつ、今一つだけ申し上げたい事がございます!」
師匠は平伏しながらありったけの大声で言った。
「天使よ。閻魔に口を挟むなど言語道断である。が、天使の存在を尊重し、口を開く事を許す。だが」
と閻魔は言った。
「もし戯言であれば、それは許し難き蛮行ぞ。そのような不届き者は未来永劫灼熱地獄に落ちてしかるべし。その覚悟を持ち心して申せ」
閻魔の迫力に押されながら、師匠は腹を括って言った。
「ははあ。ありがとうございます。この人間にはもうひとつ考慮していただき事柄がございます」
「なんだ」
「ははあ。それは、私目にございます」
「貴様?」
「左様にございます。私目はこの人間を地獄行きから救うために、これを差し出します」
そいういうと師匠は、ちょんまげにかかった天使の輪を外した。
円形の蛍光灯のように光るそれを自分の前に置くと、師匠は左手で背中の右の翼を握った。
そしてそのまま手を下に下げた。
羽はまるで紙のようにびりびりと音を立てて根本からちぎれた。
師匠はそのもぎ取った翼を輪っかの横に置くと、今度は左の翼も同様に引きちぎった。
こうして師匠の前に、ひとつの光る輪っかとふたつの翼が並べられた。
「私は前世の因果で天使にしていただきました。そうなったのは多くの人々のおかげです。そして、その中の一人はこの人間です。この人間は私にたくさんの喜びを与えてくれました。私の天使としての力を、どうかこの人間を地獄行きから救うために使わせてください」
「天使である事をやめてでも、この人間を救いたい。そう申すのだな」
「ははあ。その通りでございます」
「よかろう。ただし」
閻魔大王は二人を睨んだ。
「だからとて、判決がどう変わるか、あるいは変わらぬかは貴様らの思いが及ぶところではない。これから言い渡す判決に再び口を挟めば、酌量の余地なく両名共に即地獄行きと心得よ」
二人は深々と頭を下げた。
「判決を言い渡す」
閻魔大王は男を見た。
「人間よ」
男はごくりと息を飲んだ。
「貴様の所業、天使の輪と翼を持って相殺する。貴様の地獄行きを取りやめとし、輪廻の中に戻す」
地獄行きがなくなったと言われ、男の顔が明るくなった。
男は師匠を見た。
師匠も男をちらりと見て微笑んだ。
しかし、師匠は自分に対する裁きがまだなので、その表情は緊張していた。
「天使よ」
閻魔大王は天使を見た。
「天使は輪と翼を失い、輪廻からの解脱の道を失った。再び輪廻の中へ差し戻す」
成仏し輪廻から脱し天界へ進むはずだった師匠も、地獄へ落ちるはずだった男も、再び輪廻の中に取り込まれた。
閻魔大王が言い終わるとそこはまた、何もない真っ暗な闇になった。
そこにはもう閻魔も二人もいなかった。
彼らが何に生まれ変わったのか、それは閻魔大王の知るところではない。
彼ら自身もそれを知らない。
もちろん我々も知らない。
ただわかる事は、魔に差された一人の男を一人の天使が救ったという事だ。
二人が消え去る前に師匠は男を見ながらしてやったりの笑顔を見せた。
涙を浮かべる男が師匠を見つめると、師匠は拳を握りしめて右腕をくいくいと動かした。
そしてその拳はコップを握る形に変わった。