死んだ男
男は暗闇で目を覚ました。
その男はおせじにもイケメンとは言えない顔ながら愛嬌のある顔立ちだった。
体型は小柄で小太り、齢は六十を少し越えていた。
頭にはハンチングをかぶり、少しサイズの大きな半袖のアロハを着て、ベージュ色で膝丈の綿の半ズボンを履いていた。
靴下も靴も履いていない。
仰向けに横になっていた男は、ゆっくりと上半身を起こした。
周囲を見渡しても何も見えない。
自分は目を閉じているのかと思い、数度深く瞬きをした。
しかしそこは依然として真っ暗だった。
目を閉じているよりも開いた方が深い闇が広がっているかのような気さえした。
果てしなくどこまでも暗い。
男は距離感を失い、しばらく呆然とした。
そして、少し思い出し、理解した。
自分は死んだのだ、と。
「おーい、誰かー。誰かいませんかー?」
男は怯えながら言った。
声は全く反響しない。
どこまでも続く暗闇のように見えたその場所は、目の前に漆黒の壁があるかのように男の声を遮った。
誰の返事もない。
そういえば空気に温度を感じない。
寒くもなく暑くもない。
男は強い不安に襲われた。
もしかしたら、これからずっとここに居続ける事になるかもしれない。
わけもなく、ただそんな気がした。
静かだった。
静かすぎた。
男はお笑い芸人だった。
昔、手違いでとある撮影スタジオに自分一人が取り残された事があった。
客はおろかスタッフもいないスタジオは暗く静かだった。
男はその時のスタジオを思い出した。
しかし今いる場所はそれよりもうんと暗く、静かだ。
誰もいなくても、スタジオには物がある。
スタッフが心を込めて作った大きなセットや小道具だ。
あるいはカメラや機材がある。
そこには人間の込めた念いがあり、息吹がある。
見えなくても、聞こえなくても、それらには確かな存在感がある。
その存在感は例え手に触れなくても感じる事が出来る。
ここには何もない。
何も感じない。
ただ、暗闇と静寂だけがある。
否、暗闇と静寂だけしかない。
そこに、自分がいる。
「ちょっとー。もしもーし。誰かー」
心細さを紛らわせるために男はまた声を出した。
男は出来るだけ大きな声をだそうとしたが、震える小さな声しか出なかった。
男は死んだ事を後悔した。
どうしてこうなったのだろう。
男は途方に暮れ、半べそをかいた。
ふいに、スポットライトが彼を照らした。
急に頭上から強い光を浴びせられた男は驚き、眩しくて顔をゆがめた。
手のひらで光を遮ると反射的に男は
「眩しいよ!」
と言った。
彼の得意とした芸風の怒鳴り声だった。
思わず出た自分のいつもの大声に、彼は少し安堵した。
すると、声がした。
「眩しいよ!、じゃねえよおめえ」
聞き覚えのある、懐かしくて、温かい声だった。