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鬼女と小金の胡麻団子 2

 赤い目が細められ、大きな手が私の頭を撫でる。さっきのように無理やり触るといった風ではなく、ごくごく控えめに。


 「にしても炉善くんったらこんなに可愛い娘どこで攫ってきたの? うらやましい」

 「人聞きの悪いこと言うな、攫ってねえよ。こいつは記憶喪失でな。帰る場所もなにもわからねえから、思い出すまでうちで面倒見てんだ」

 「……なるほどお。それは大変だったわね。帰る場所も何もわからないなんて不安でしょう? 怖いでしょう?」

 「ええ、最初は不安でした。けれど橘さんはよくしてくださいますし、飛梅も仲良くしてくれます。花橘に置いてもらえていろんなことを知ることもできていますし、今はとても幸せです」


 改めて言うとなんだかとても気恥ずかしい気がしたが、梓乃の言う風な不安は、今はまるでなかった。ここでの暮らしにも慣れ、多種多様な客に接するのにも余裕が出てきている。当初のように腰を抜かしかける、なんてみっともない事態には陥っていない。花橘には不安も危険もない。


 「そう……でも何かあったらいつでも言ってちょうだい。わたし、なんだってするわ。ベニちゃんの力になるからねぇ」


 再び撫でようとするその手を橘が叩き落とす。


 「それで、今日はどうした。何が入用だ?」

 「そうそう、今日は生薬とかじゃなくて持って帰れるお菓子をお願いしたいの」

 「菓子?」

 「そう、自分でも料理はするんだけど、やっぱりお菓子とかってぷろが作った方がおいしいじゃなぁい?」

 「……どんなんがいい?」

 「そうねえ……さっぱりしてるものより、子供が好きそうなあまぁいお菓子がいいわ」


 甘いもの。ふと思い返すと橘の作る薬膳はいつも普通の食事だ。そもそも薬膳にお菓子というジャンル自体あるのか私にはわからない。ただここに来る常連らしい客たちは花橘を普通の食事処のように扱っている。生薬や漢方薬を取り扱ってなければ薬膳とは気が付けないだろう。


 「わかった。だが今から作ることになるから時間がかかる」

 「2,3時間程度なら問題ないわぁ」

 「それだけ待つのも暇だろ。暇つぶしがてらこいつらと芦原神社まで行ってきてくれ」

 「芦原神社?」


 わずかに梓乃の表情が曇った。


 「ああ、芦原神社は今夏祭りの準備中なんだ。毎年花橘から差し入れを入れてる。今年の分をベニたちに持っていかせようって話をしてたとこだ」

 「……送っては行けるけど、私が行けるのは境内の外までよぉ?」

 「そこまででいい。ベニはそっちまで行くのが初めてだから迷子にならないように見てやってほしいだけだ」

 「お、お手数おかけします」


 芦原神社、というのがさっき橘の言っていた、山の谷間にある神社なのだろう。ふとここにきて数か月、初めてこの山から離れることに気が付いた。バイクに乗った伊地知に連れられてから、この山の麓へ行くことはなかった。橘から多少のお使いは頼まれるものの、麓の街への買い出し等はすべて橘が行っている。この山での暮らしが嫌というわけでは決してないが、久々に山から下りられることにワクワクしていた。それに神社の宮司ということは、きっと相手は人間。花橘に来てから橘以外の生きた人間とは一度も話をしていないのだ。


 「どなたに荷物を渡せばいいですか?」

 「芦原神社の宮司、飽海っていう男だ。神社にいる誰でもいい、声をかけろ。花橘の遣いって言えばわかる。なんせ毎年のことだからな」


 飽海、珍しい名前だ。聞いたことがない。芦原神社にしても、私が地元民であれば何か覚えていてもおかしいが神社の名前も宮司さんの名前もあいにくと耳馴染みはなかった。


 「行ってきます。ここから出た方が何か思い出せるかもしれませんし、他の人と話して何かヒントになるかもしれません」

 「ああ、飛梅も行ってやれ。小遣いはないが帰ってきたらお菓子は食わせてやる」

 「しょうがないなあもう。お祭りのときはちょうだいね!」


 駄々をこねていた飛梅がようやく折れて、人間、座敷童、鬼女の三人で芦原神社へと向かうこととなった。



 「それにしても飛梅ちゃんも久しぶりねぇ。少し大きくなった?」

 「気のせいだよ。私はなんにも変わんないもん」


 私が重箱の入った風呂敷を持ち、梓乃が瓶の入った風呂敷を下げている。客であるはずの彼女に一番重いものを持たせるのは気が引けるが「いいのよお、こういうのは大人に任せておけば」と言って私のもつ重箱まで持とうとしていた。かろうじて重箱だけ死守した。彼女の背は高いが手足は細く、白い指先も白魚のようで、到底重いものなど持てそうにない。けれど彼女は嫋やかな女性ではなく鬼女。鬼だ。見た目と実力は全く異なる。妖とはそういうものだとは学んでいる。


 「梓乃さんは花橘の常連さんなんですか?」

 「ええそうよお。先代の時からあそこにはよく行ってねえ。わたし、冷え性だからあそこでよく手足の温まるお茶出してもらったり、冷え性に効く食材について教えてもらってたのぉ」


 冷え性と聞いて何となくイメージと合うな、と一人納得する。冷え性の女性は少なくないが、冷え性の鬼というとどこか不思議だ。人でなくても、彼は彼らで生きていると感じさせる。

 梓乃さんが先導し日陰の多いところを歩いてくれているおかげで、夏の日差しがそう辛くない。じゃわじゃわと全方位から聞こえてくる蝉の声はどこか懐かしさを感じさせた。


 「春ごろから体調が悪くてあんまり来てなかったけど、ベニちゃんみたいなかわいい子がいるならもう毎日でも通っちゃうわぁ」

 「私も梓乃さんみたいにお話しできる方が来てくれると嬉しいです。体調の方は大丈夫なんですか?」

 「ええ、一時期夢見がひどくて落ち着かなかったけど、今はもう元気よぉ。心配してくれてうれしいわぁ」


 夢見が悪い、不安定になるといった症状は確か私が花橘に来た初日、紙の面をつけた神様のお嫁さんと同じだ。あの夜アマサキ様に橘が渡した薬や説明した食材は何だっただろうか。なんとか事例までは思い出せても、肝心の処方を覚えていない。初めて見る神様に気もそぞろだったのを差し引いても情けない。


 「……すみません、症状を聞いてもどんなものを食べたほうが良いとかアドバイスできなくて」

 「良いのよぉ、そういうのは炉善くんの仕事。あなたには話を聞いてもらえるだけで十分よぉ。っていうよりあなたみたいなかわいい子と話しているだけで心も身体も元気になるわぁ」


 今の梓乃は顔色の悪さ等は見られない。それも素人判断でしかないが、何かあれば花橘に帰ってから橘に相談しよう。また大きな手が私に伸ばされて、この人は人の頭を撫でるのが好きなのだな、と思う。


 「シノ、ベニちゃんのおさわり禁止! さっきからベニちゃんのこと触りすぎだよ」

 「えーだめなの? こんなに可愛いのに撫でちゃダメなの? 噛んだり食べたりしないわよぉ」

 「それでも! ロゼンからベニちゃんの護衛を任されてるの。ベニちゃんが誰にでも身体を触らせるようになったら困るでしょ」

 「ああん、それは困るわ。危険なものもいっぱいいるのに誰にでも身体を許すのはいけないわ」

 「とんでもなく語弊のある言い方よしてくれません?」


 まるで私が貞操観念がばがばな変態かなにかのようではないか。

 ただあえて飛梅に触らせないよう言いつけているということは、梓乃が私とべたべたすることをよしとしなかったということだろう。


 梓乃は今のところ何の害もない。穏やかに話し、こちらを気遣い、子供を愛でる。そんな妖だ。けれど彼女は鬼である。人を襲い、人を食うと言われる鬼だ。最低限の警戒は必要だということだろう。

 ふと風が強く吹き始めていることに気が付いた。木々の間を抜ける風に髪がもてあそばれる。


 「なんだかここ、風が強いですね」

 「そうよぉ、ここが私の住んでる風越峠。いつも風が吹いてるの。よくわからないけど、そういう土地なのかしら」


 夏の暑さを攫うように涼しい風が吹いてくる。今の今までそう風などなかったのに、ここ一帯になってなぜか風が吹き出してくる。じんわりと身体を濡らしていた汗が乾き一瞬身震いをした。


 「ここの峠を下っていくと炉善くんの言っていた神社のある谷に行けるわ。木で隠れてしまっているから、もっと近づかないと社は見えないけどねぇ」


 ここの風越峠からはまだ何も見えないが、谷の方が少しだけ開けているのはわかった。おそらくそこに芦原神社があるのだろう。

 腰の高さまで伸びた草と葉の茂る木の間をかき分け山を下っていく。時折傾きかける重箱の風呂敷を何度も抱えなおした。


 「あの、さっき橘さんと話してましたけど、梓乃さんは神社の境内の中には入れないんですか?」


 遠くに鳥居が見えたころ、橘が私を送っていくよう彼女に頼んだとき、そんなようなことを言っていたのを思い出した。


 「ええ、私は鬼女。鬼女の梓乃。罪深い鬼よ。だから私は神サマのいるところへは入れないのぉ」


 罪深い鬼。彼女がそう言ったとき、表現しがたい悪寒が走った。彼女は変わらず慈愛に満ちた笑顔を浮かべているその違和感が恐ろしかった。


 「……妖とかは神社に入れないってこと? 飛梅も?」

 「ううん、私は神社入れるよ。私自身、妖だけど福の神の一種だし。家を出ていくときは疫病神だけどね」


 いつかに橘に聞いた説明を記憶から引っ張り出す。座敷童はよく働く家に住み着き、住んでいる間は家を栄えさせる。そのかわり、座敷童の出て行った家はあっという間に没落するという。たとえるなら時限爆弾に近い。家にいる間はいいが、いつ出ていかれるのかと家人はひやひやすることだろう。


 「私は入れないのよぉ。少なくとも鬼の類は大抵入れないんじゃないかしらん。それと多分送り狼……伊地知も入れないでしょうねぇ」

 「伊地知さんも?」


 黒いライダースーツの彼女は鬼ではないはずだ。人に害為すタイプではないし、どちらかと言えば彼女は一人の帰り道を守ってくれている。


 「ふふふ、ベニちゃん。あなたはまだ勉強することがたくさんあるわ。あなたが見てきたものだけじゃなくて、他の者から見た姿のことも知った方がいいわよぉ」


 とん、と背中を押されてつんのめる。振り向いて何事かと梓乃に聞こうとして、もうすぐそばに朱色の鳥居があることに気が付いた。


 「それじゃあベニちゃん、飛梅ちゃん、後で迎えに行くからしっかりお使いしてくるのよぉ」

 「あ、ちょ、梓乃さん!」


 風越峠での突風のように風が吹いたと思うとそこにすでに梓乃の姿はなく、瓶の入った風呂敷が地面に置かれているだけだった。

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