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蓬団子と生者の巡礼 7

 昼前、一人で花橘に帰ってくると店の前に真っ黒いバイクが置かれているのが見えた。



 「ただいま帰りました。伊地知さん、来てるんですか?」



 扉を開けると一足先に帰っていた飛梅、伊地知、橘、それから縛兎がいた。



 「ベニちゃん久しぶりねー! バタバタしちゃってあんまり会えなかったけど、ちょっと急ね。こんなに早くいなくなっちゃうならもっと頻繁にここに来ればよかったわ」

 「す、すいません、急で」

 「まあ急って言っても記憶が戻ったからだもんね。とりあえず、おめでとう」



 駆け寄って抱きしめ私を撫で繰り回す伊地知にされるがままとなる。最初会った時はあんなにも怖かったのに、今は撫でる手も心地いい。

 橘から話は聞いているだろうに、彼女は怒ってもいなければ私を責め立てるような様子もなかった。



 「……ベニ、制限時間は今日の深夜だ。それ以上は待てない」

 「今日の、深夜」



 何の制限時間か、だなんて聞くまでもない。



 「お前がここにいられる時間だ。それまでに決めろ。深夜までに、身体に戻るか、それとも俺と一緒に地獄へ行くか」



 橘の言葉を継いだ縛兎の言葉に違和感を覚える。

 死ぬ、とは違うのか。扱いとしては普通に死人ではなく、幽霊のように彷徨っているところを獄卒の縛兎に連行される形になるのだろうか。



 「縛兎さんと地獄へ行ったら、どうなるんですか?」

 「どこかで保護されてるお前の身体は完全に機能停止する。地獄へ着いたら順番に十王より裁定を受ける。お前はまだ大して生きていないから、さしたる罪を犯してないから、そのまま地獄へ落ちることはないだろう。大なり小なりの罪と善行を数え、行き先は決まる」



 地獄。

 以前から縛兎から何となく話は聞いている。けれど実際自分が死者としてそこにいるのはあまり想像がつかなかった。

 死んで、行く場所。そんな曖昧なものじゃなくて、明確に存在する場所であり、すべての生き物が通るシステムの場。



 「浄土へ行くか、転生するか、地獄に落ちるか。それはまだわからない。俺はお前の善行も悪行も知らない」


 悪行と善行、その言葉に鳩尾のあたりが重たくなった。

 その二つを天秤にかけたら、きっと悪行の方に傾くだろう。私の為した善行など数えられる程度であり、私の為した悪行は探せば探すだけあふれ出てくるだろう。地獄で炎の責め苦を受けるところを想像して嫌な汗が出た。



 「桜良紅於、地獄へ来ないか?」

 「え、」



 私の葛藤をすべて薙ぎ払うように縛兎は私に提案した。まるでこの後一緒に買い出しに行かないか、とでも言うような口調で耳を疑うが、その顔はまっすぐと私を見据えていた。

 けれど耳を疑っていたのは私だけではなく、花橘にいる全員だった。



 「お前は善き人間だ。何ら関りのない動物を、身を挺して守り、会ったこともない他者に心を傾けることができる。なあ、これから苦しみながら数十年を人の世をただ生きるよりも、地獄へ来た方がきっと楽しい」



 一人残らず絶句しているのをいいことに縛兎は淡々と話を進めていく。縛兎の私に対する身の丈に合わない評価に戦々恐々とする。



 「おい何言ってんだ縛兎!」

 「そ、そもそもバクトって人間嫌いだよね? なんでベニちゃんを、」



 いち早く現実に戻ってきた橘が食って掛かる。飛梅も戸惑いながら、けれど私を庇うように縛兎と私の間に立った。



 「確かに俺は地獄へ来るまで、人を恨んで人の世界を恨んできた。だが地獄へ来てからはいろんなものと出会い、たくさんの者を見てきた。生きる価値のない塵芥もいれば、生きながらにして大悟する者もいる」



 簡単な事情は聞いていた。縛兎は元は現世で生きる兎だった。人間に飼われる希少な兎。そして人間にひどい目に遭わされた、と。その恨みから、今地獄で亡者を苛んでいる。



 「……地獄で過ごす方のはいいぞ。穏やかで、緩やかだ。完全なる別れは基本的にはない。定命の苦しみはなくなる。俺のようになれば、あの世とこの世の行き来もできる」



 掴みかかった橘を鬱陶しそうに一瞥くれただけで、縛兎はまた私に語り掛けた。

 決めるのは私自身だというように。



 「死のその先は決して暗いものじゃない。終わりはなく、別れもない。最低限の制約さえ守っていれば自由に生活することができる。花橘へ来ることも、死んだ者と会うことも、ここで出会った者たちと別れないで済む」



 それは蜜のような甘言だった。

 縛兎のように過ごせるなら、死後も花橘のみんなと会うことができる。生きた人間から姿を見られることもない。私にとっては恐ろしくなるほどメリットしかない。



 「……こいつに人間を裁く手伝いができると思うか?子供だぞ」

 「何も働き口や存在意義は死者の呵責だけではないぞ、橘。あちらにはあちらの社会がある。それに子供であるというのは理由にならん。それを言うなら俺は兎だぞ?」



 不機嫌を前面に押し出した橘も縛兎にとってはどこ吹く風、顔色一つ変えない。むしろなぜ橘がこんな剣幕なのかすら理解していないように見える。当然、なのだろう。今を生きる人間と、かつて人間を恨み死んだ兎なのだ。価値観が同じなはずがない。


 けれどここにきて選択肢は大きく変容した。一つは私の身体へ戻り、高校生として再びものと生活を送ること。そしてこのまま身体に戻らず、死ぬこと。これまでは私の身体が死亡し、私も消滅すると思っていたが、死後は地獄へ行き、罪を数え罪人なら呵責を、善人なら次の道を選ぶこととなり、しかも場合によっては縛兎のようにあの世とこの世をおよそ自由に行き来ができる。ここで出会ったみんなと別れずに済む。それはとても魅力的な提案だった。



 「うーん、炉善は反対するけど、縛兎の言葉も間違ってはないよ。それは一つの選択肢だと思う」



 さっぱりと笑って伊地知は私を抱き寄せた。草や土の匂いが鼻先を掠める。



 「私は死んだよ。殺された。でもその死の先は決して暗いものじゃない。人を害し、食べる妖になっても、私は私。手に持っていたもの、記憶以外全部取り落としちゃったけど、妖になってから得た縁や知識はすごく大きいわ。死んだ私は、とても楽しく日々を過ごしてるもの」

 「伊地知! お前のケースは特殊だろ」

 「そんなに怒らないでよ。まあなんにせよ、まだ時間はある」



 視線の先の掛け時計は午後4時を示していた。期限である深夜まではあと8時間ある。私はそれを短いとも長いとも感じなかった。もう私の答えは決まったようなものだったから。



 「ぎりぎりまで、ベニちゃんには考える権利がある。でもどちらを選んでもここでの生活は最後。横着しないで、最後の時間まで悩めばいい」



 さあ! と私の返事も橘の苦言もすべて吹き飛ばすように伊地知は手を叩いた。



 「なんにせよ、まだ最後の挨拶ができてない。さあ、最後のあいさつに行こうか、ベニちゃん

 「芦原神社の、飽海さんのところですね」



 私が花橘に来て出会った人たちのところへ、団子を持って挨拶に行っている。夏祭り以降、度々足を運んでいる飽海のところだけまだあいさつに行っていない。



 「そう! 炉善、このお団子芦原神社あてだよね。私がベニちゃん連れて行ってくるよ」



 いつものようにはきはきと力強く伊地知は笑い、机の上の風呂敷を手に取った。甘党の飽海がきっと、一番この蓬団子を楽しみにしているだろう。



 「私だけあんまりベニちゃんと話できてないのずるくない? ここへ連れてきたのは私なのに。私だってベニちゃんと最後の話がしたいよー」

 「あの、私ちゃんと飽海さんに渡してくるし、挨拶もしてきますから。大丈夫ですよ」



 すぐにでも店を出ていきそうなのに、橘が返事もせず難しい顔をしているのは、伊地知が私を送ったとしても、境内の中まで同行することができないからだろう。諦めるように橘はため息を吐いた。



 「……わかった。神社まで送ってやれ。縛兎は二人が帰ってくるまでここにいろ」

 「はは、真面目だな。帰れとは言わないのか」



 橘は返事をしなかった。


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