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おしら様と夏野菜の天ぷら

 薬膳茶寮・花橘に来てから早いものでもう1か月経った。

 店を囲む木々は青々と茂り、日の光が燦々と降り注ぐ。最近は梅雨が近づいてきたからか通り雨が増え、木々も雑草も元気になってきている。おかげで店の裏の畑の草むしりを橘から命じられている。


 今私は花橘に置いてもらっている。その代わりに店の掃除や畑の草むしり、水やりなどを行っていた。実質住み込みのバイトのようなものだ。橘の話を聞く限り、私の記憶が戻るまでは置いておいてくれるらしい。ありがたいやら申し訳ないやらで当初縮こまっていたが、遠慮なく雑用を私に与え続ける橘を見て1か月。置いてもらうのもご飯を作ってもらうのも労働に対する当然の対価だと割り切った。


 今も記憶は戻ってこず、これと言った進展もない。

 けれど初対面の中年男性と小さな座敷童との共同生活は、思ったよりずっと快適だった。


 「ベニちゃんこっち!」


 着物に草履という姿なのに、座敷童の飛梅は何でもないように山の中を駆け抜けていく。一方の私は泥や雑草に足を取られ、彼女のことを見失わないだけで精いっぱいだ。私が背負い籠やハサミを持っていることを差し引いても、これが人と妖の差なのかと思い知る。当初これでもかという悪戯をし、私を驚かせに驚かせた飛梅ももう満足したようで、今ではあれやこれやと、ものを知らない私に教えようと張り切っている。


 「早く! これだよ」

 「待って、飛梅……」


 息も絶え絶えで急な獣道を上ると、いくつもの木が並んでいる場所に出た。好き勝手生えているように見えて、人の手が入っているのがわかる植えられ方だ。一つの木から様々な形の葉が生え、一心に太陽を浴びるためにあまり重ならないように枝葉を伸ばしている。夏を思わせる強い日の光に透ける緑の葉はどこか涼しげに見えた。


 「橘さんが言ってた木ってこの木?」

 「そう! この木の葉っぱを毎年とるの。初夏と、あと雪が解けてすぐくらい」


 どこか誇らしげに私に説明すると小さなハサミを私からとって、するするとその木に登っていった。手慣れた手つきで葉を切り取り、私の背中の籠に入れていく飛梅に倣うように私も葉を切り取っていく。よく見れば木にはところどころ赤い実が鈴生りになっていた。


 「この実はとらないの?」

 「実はまだ、もうちょっと先。必要になったらロゼンがまた私たちに頼むよ」

 「ふうん、食べれる?」

 「食べれるけど赤いときはまだ熟してないよ。食べるとね、舌がしびびびってなる! すっごく酸っぱい! あとね、服に汁が付くと取れなくなる……全然取れなくなる……!」


 酸っぱそうな顔をする飛梅に吹き出す。間違いなく彼女の実体験だろう。

 橘からは背負い籠の3分の1程度の量をとって来るよう言われている。曰く、この時期にも葉を取るけれど、一番の収穫時期は夏から秋にかけて、と。自分が今何を採集しているかすら私は把握していないけれど、飛梅はわかっているようだから問題ないだろう。私は粛々と働くだけだ。

 橘から指示されていた量に達するまでそう時間はかからなかった。おそらくこの木が生えている一帯に来るまでの時間の方が長いだろう。葉が入っているだけなので背負い籠はほとんどからの時と重さは変わらなかった。


 「そろそろ帰ろうか」

 「うん! どうやって食べるんだろう……! 炊き込みご飯かな、おひたしでもおいしい!」


 今にも涎を垂らしそうな顔で籠を覗き込む飛梅を見ると私までワクワクしてきた。まだ生の葉っぱなのに、なぜだかおいしそうに見えてくるから不思議だ。橘の作る料理はおいしい。曰く旬のものを使っているからだと。旬のものを使うのが薬膳の基本だと言っていた。薬膳というものを私はよくわかっていない。現状食べる人の身体に合わせた旬の料理、といった認識だ。


 「実だけじゃなくて葉っぱまで食べられるのってなんだかお得だね」

 「えっとね、葉っぱと実以外にもね、根っこも枝も薬になるの。だから先週はロゼンが枝を刈り取りに来てたよ」


 先週、と言われ店や家の中で増えた枝を頭の中で探すけれど、ごちゃごちゃした店の中には植物の枝らしいものが何種類もあってよくわからなかった。

 店の中の掃除も担当しているが、商品に関してはまるきり触れず、橘任せとなっている。私はただの枝と生薬との見分けもつかないし、橘も勝手に触られたり捨てられたりするよりましだろう。店内に関してはもっぱら商品の置かれていないテーブルや床の掃除に限られる。


 「料理だけじゃなくて薬も扱ってるなんてすごいね」

 「うふふ、そう、ロゼンはすごいの。すごく頑張ってるの。だから私も花橘が繁盛するように応援するの」


 自分が褒められたように喜ぶ飛梅はくるくると木々の中を走り回る。

 ふと、頬に冷たい雫が落ちてきた。それを皮切りにパタパタと雨粒が木々をたたき始める。


 「雨……!」


 慌てて持ってきていたタオルを籠の上に被せる。この葉が濡れて問題のないものなのか湿気ったら使い物になるものなのかわからず、ひとまず濡れないように抱きかかえた。飛梅に声をかけようとするとちょうど大きな葉をいくつも持ってこちらへ戻ってくるところだった。


 「ベニちゃんフキの葉! 使って!」

 「ありがとう、飛梅」


 飛梅は一つで十分だが私が傘に使うには少し小さい。葉を籠の上に被せ中身が濡れないよう蓋にした。


 打ち付ける雨は激しく、木々や草に当たっては地面に転がり落ちる。震える茎越しに雨粒を感じていた。


 花橘まであと10分程度で戻れるというころ、木々の間に何か白いものがあるのを見つけた。

 白いものは雨の中傘も刺さず微動だにしない。距離があってもわかる体の大きさ。小さな小屋くらいありそうなそれは、普通の生き物ではない。うっかり聞こえてしまわないよう声を低くして飛梅に聞く。


 「飛梅、あれは?」

 「あれはフワフワ」

 「ふわふわ?」


 見たままだ。雨に濡れそぼっているが、白い何かは毛皮のようなものだろう。


 「特に名前がないの。何も喋れないし、何もしない。たまに山道を塞いで登山者を困らせる。触るとふわふわしてるの。普段は誰にも見えないけど雨がふると毛がしっとりして見えちゃう」


 怖いものではないよと続ける飛梅にはっとする。私が伊地知によって花橘に連れてこられた後、山道を駆け下りて逃げようとした私の行く手を塞いだものだ。あのときはあたりが暗いから姿も見えないのだと思っていたけれど、どうやら本来は私を含め誰にも見えないものらしい。怖いものでないと言うが、山道で突然立ちふさがる毛深い何かはそれだけで怖いんじゃなかろうか。

 フワフワを通り過ぎてしばらく行くと、また白い何かが木々の間に見えた。


 「あそこにいるのもフワフワ?」

 「……違う。あれはフワフワじゃない。ふわふわしてるけど、違うもの。わからない……」


 白い何かがびしょびしょに濡れながら動くことなく立ち竦んでいた。よくよく見れば顔があり、人型だ。白い毛皮のコートと襟巻きをしているように見えるが、今は梅雨に入りかけた5月。初夏にコートで山の中を歩く人間はいない


 「……あれは、危ないものだと思う?」

 「多分違う、と思う。可哀想」


 雨に打たれているのはフワフワも人型の白コートも同じだが、自分の姿に近い者の方は可哀想だと思うらしい。飛梅はぱっと姿を消して、また大きなフキの葉を一枚持ってきた。

 フキの葉を持って白い濡れそぼったモノに近づく。


 「あのぅ、傘、使いますか?」


 白いものは顔を上げた。思わず息を飲む。白い塊から顔を出したのは雪のような白い肌の少年だった。


 「傘……?」

 「傘、というより葉っぱだけど。雨に濡れると身体が重いでしょう」

 「ああ、ああ……ありがとう」


 会話はできて、攻撃的ではない。葉っぱの傘を受け取ったものの、少年はそこから動こうとしない。なぜここで立ち竦んでいるのか、どこから来たのかどこへ行くのか。ただぼうっと佇んでいた。


 「雨、しばらくやまないよ。おうち帰ったほうがいいよ」


 しばらく観察していた飛梅が少年に言った。話しかけられてようやく足元にもう一人子供がいるということに気づいたのか、少年は真っ黒い目を見開いた。よくよく見れば、少年の目はすべて黒で、白い部分がない。


 「おうち……」

 「おうち、あるでしょ?」

 「ああ、そうだ。家を、家族を探してたんだ」

 「あなたは迷子なの?」


 眉がハの字になり、悲しげに彼は頷いた。


 帰る場所もわからないと言う少年は、きっと雨の中屋根もなく、濡れ続けるのだろう。どうしようか、と飛梅と目を合わせる。せめて雨が上がるまでだけでもいいから屋根を貸してあげたいが、あいにくあてになりそうな花橘は自分も屋根を借りている身。勝手に招いていいものではないだろう。あの強面の主人に迷惑をかけるのはできれば避けたい。


 「花橘に連れて帰ろう」

 「勝手に決めて大丈夫? 橘さんが怒るんじゃ」

 「大丈夫。私が出ていったらお店潰れる。出ていくよって言ったらロゼンは言うこと聞くしかないから」


 脅迫に走る幼女、頼もしい。座敷童である自分の価値をよくわかっている。店主のことは飛梅に任せよう。

 どこか覚束ない足取りの少年の手を引き、私達は花橘へと向かった。

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