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宵の狸とパンケーキ 6

 「お、おおおおお……!」


 駅ビルと駅を中心に広がる街並みに宵満月が名状し難い雄たけびを上げた。平日の昼間ということで出歩いている人々もそう多くはないが、それでも宵満月に訝し気な視線をやるものがちらほらといた。つい他人のふりをしたくなるがあまりにも可哀想なので踏みとどまる。


 「たっかい……おっきい……! なんかすごいきらきらしてる……!」

 「一応東雲谷町では一番栄えてるところだからね。まあ栄えてるのって本当に駅近だけだけど」


 東雲谷町は決して大きな街でも都会でもない。駅周辺は確かに大きなビルもあるが少し離れれば畑が多いし、私たちのいる山も見える。けれどそんなことは宵満月には些細なことだろう。初めて見る人間の街並み。憧れてやまない都会なのだ。

 大きな目を輝かせながら足取り軽やかに街並みを見て回る。


 「人間ってすごいね……! こんなに大きな家を作ったりできるんだ……! それも全部木じゃない。石でできてるのかな? こんなに大きな石を切り出して山から運んでくるのも大変なのに、くりぬいて家にするなんて!」

 「……そうだね」


 宵満月が言っている家とはビルのことだろうが、盛大に勘違いしている。けれどその間違いを訂正できるほど私は現代建築に造詣が深くない。私が適当な説明をするよりか、彼女のその感性のまま受け止めている方が幾分良いだろう。知らなくても問題はないし、知るならば私が教える以外の正しい知識を身に着けてほしい。


 「それで、宵満月。今日は何を見たい?」

 「えっとね、洋服が見たい! それと何かおいしい甘いものを食べたいな! あと人間がいっぱいいるのを見たい。ベニちゃんは? お祭りのメニュー考えるんだよね?」

 「そうだね、私は適当に店頭とか見られれば十分かな。あとは宵満月と食べたいものを探すだけで十分だよ」


 レンガ柄の歩道を歩く私たちの隣を客の疎らな路面電車が通りすぎていった。



 洋服を見たい、おいしいものを食べたい、という宵満月の要望から駅ビルへ行ったのは間違いではないらしかった。改札から直通の駅ビルには洋服のフロアやレストランのフロアなど一通り目当ての者は揃っていた。


 「素敵な服がいっぱいあるわ! 見放題ね!」


 アパレル店をはしごしながら試着室から出てきた宵満月は満足げに笑った。今彼女が来ているのは新作らしいロングスカートとTシャツだ。普段の着物とは違いカジュアルでかわいらしいが、これで山に入るというならきっと止めるだろう。少なくとも山に入るのにふわふわしたロングスカートは向かない。木の枝に引っ掛けたら破れてしまいそうだ。そこまで考えて詮無いことだと気づく。そもそも山の中をしっかりした和服や振袖で走り回っているのだからそんな心配はいらない。どういう原理で汚さないでいられるのか私にはわからないが、彼女は化け狸。前提条件が違う。


 「似合ってるね。それ買ってく?」

 「ううーん、ちょっと買うのは難しいわ。予算に限界があるし。お金は甘いものに使うことにする。服は、服は私がここでしっかり覚えていけば自分で作れるし。ベニちゃんの制服みたいに真似して化ければ原価ゼロよ! いっぱい覚えて帰るわ……!」

 「便利だねー」


 気合を入れて鏡の前でくるくると回りしっかり着ている服を観察する宵満月に遠い目をした。現代で言うと試着した服を着てSNSにアップしたりデザインをそっくりそのまま使うのはデジタル万引きになったり著作権に触れたりで非合法なことにあたりかねない。けれどそこは狸。化け狸であるから許してあげてほしい。彼女は特技を活かしているだけなのだ。


 店員が話しかけてこず遠巻きに見ているのをいいことに宵満月は次から次へと服を試着していく。おそらく女子高生の二人組は冷やかしだと思われているのだろう。ほぼほぼその通りなのだが。


 「ふわふわした小麦色のスカート、雪色の背中の出たシャツ、大きなつばの麦わら帽子、深い泉色のサンダル、どれも素敵ね! 完璧よ! 人間の服って本当に素敵ね。鮮やかで華やかで、自由よ。好きなものを好きなように着る。すごく楽しいわ! 私がこんな格好してるって、山のみんなにばれたら怒られちゃう」


 くすくすと楽しそうに笑う。


 「自由、そうか、ここって自由なんだ」

 「そうよ! だれも文句言ったり強制したりしない。好きなものを好きって言える街は、自由の街よ!」


 化け狸は頬を染めてそう言った。

 人間の街に、生活に憧れたこの彼女は、いわゆるお嬢様だ。地位ある化け狸、信楽狸の大事な大事な一人娘。山から下りるのを禁じられ、どこに行くにも信楽狸の目の届く範囲で、あるいは部下をつけられる。

 食べることに不自由することも、着るものに、住む場所に不自由することはなかっただろう。け何もかも用意され、その範囲での自由を許される。だがその自由は彼女には狭すぎる自由だった。


 「今日はじゃあ、私もあなたも自由なんだね」


 宵満月は目を瞬かせると、それからにこりと笑って見せた。

 今彼女と過ごす時間は、きっと私にとって特別な時間じゃない。友達と駅へ行って遊ぶことも、好きな服を買って着ることも、特別なことじゃない。記憶はないけれどそれは至極日常だって、私の身体が言っている。自由という言葉は甘美でどこまでも行きたくなるような爽快感がある。私は、今二人で過ごすこの時間を、これを自由と呼ぶものかわからないでいた。


 「それにしても、ここって人間しかいないのね。ほかの生き物が何もいないわ」

 「建物内には基本的に人間以外の動物はいないよ。盲導犬とか、ケージに入ったペットくらいだと思う。街に放し飼いで狸とか狐とかいたら通報されるよ。警察が来て捕獲ってルートだと思う」

 「ふうん、変わってるわね。いろんな生き物がいた方が楽しいのに」


 理解できない、という風に言う宵満月に苦笑いする。まさかそんな感想が出てくるとは思わなかった。街から離れれば野良猫やネズミ、狸もいるが市街地に動物は普通いない。人が動物たちと共生していたのは、それこそ江戸時代とか、それくらい昔のことではないだろうか。


 「小綺麗に、快適な街づくりをするには人間以外の生き物がいると難しいからね。言葉が通じない統制できない、文化が違いすぎれば小綺麗さと快適さは達成されないから」

 「……みんなは人間は他の動物たちが嫌いだから排除するって言ってたけど、そういう訳じゃないの?」


 秋色のワンピースを着たマネキンを前に宵満月はポツリと言った


 「そういう訳じゃないよ。小綺麗な街づくりに野生動物はそぐわない。でも自然との共生をテーマとした田舎の街なら野生動物は害をなさない限り迎合される。ただ畑とか荒らされちゃうと人間は動物たちに抵抗するしかないから。そこまで行くと好きか嫌いかじゃなくて、害があるかないかの話になってくる」

 「まあそこまで言われちゃうとね、お互い生きるか死ぬかの話になってくるわ。山に食べ物がないから人里まで降りてくるんだろうし。でも山の食べ物が少ない原因の一端は人間にもあるわけだし……そもそも山の長狸が食料を確保してやれない甲斐性のなさもいけないわ」


 うんうんという唸り声を聞きながらレストランや食品のフロアへとエスカレーターで降りる。和食、洋食、カフェと揃っているから月祭りのメニューの参考になるものもあるだろう。なによりこういったレストランは入り口にメニューが置いてあるからありがたい。


 「物珍しさならやっぱり洋食かな……和風のお菓子だと作る技術が間に合わなさそう。洋食のデザートとかお菓子ならある程度誤魔化しが……」

 「ベニちゃんこれなに? おいしそう! ぽふぽふしてそう。果物乗ってる!」


 三段重ねのパンケーキを指さす宵満月に説明をしてやる。メニューを見ていると彼女がどんどん私に質問する。そこでようやく知っているお菓子でも作り方や原材料を知らないものが多いことに気が付いた。


 「おいしそうだけど、量産にはあんまり向かないかもだなあ……作り方もある程度はわかるけど、お客さんに出せるレベルまで行けるかどうか」

 「作れる作れる! ベニちゃんいっぱい花橘で働いて練習してるんでしょう? ならできるよ!」

 「本音は?」

 「友達という立場であわよくば味見とか試作品とか食べたい」

 「正直で大変よろしい」


  パンケーキはおそらく作れる。作れるが私からすると面白みがないというか、宴会の終わりに出すだろうデザートにしては重すぎないだろうか。私からすればパンケーキは一食分に値する。もっとも、どれだけの狸が、動物たちが来るのかわからないし、ああいった動物や妖たちがどれほど食べるかも計り知れない。パンケーキは候補には入れておくことにした。どう薬膳風にするかは橘と相談すればいい。


 「この茶色いのは何? え、飲めるのこれ? 飲み物?」

 「それはチョコレートドリンク。茶色いのはチョコレート。市販で売ってるのは基本固形のチョコだけど、ここではチョコレートドリンクとして出してるみたい」

 「ふうん、おいしいの?」

 「チョコは好きな人多いよ。それにこれ、結構良いチョコレートのブランドとのコラボ商品だからおいしさは間違いないと思う」


 何の気なしに話してふと気が付く。


 街のことは覚えていないのに、このチョコレートドリンクのコラボブランドが高級ブランドとして知られていることを覚えていた。何を覚えていて、何を忘れているのか、不思議な心地で馬のロゴマークを見ていた。

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