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宵の狸とパンケーキ 5

 よく晴れて風の少ない午後、山の麓近くの大銀杏の下に化け狸の宵満月はいた。満面の笑みで私向かって両手を振る。


 「べにちゃん! 今日はよろしくね! もう私今日が楽しみすぎて全然眠れなかった!」

 「私も楽しみにしてたよ、よろしく。……ところで信楽さんの許可はとれたの?」


 笑顔のまま目だけ明後日の方向へと逸らされる。予想通り過ぎて苦笑しか出てこない。


 「まあ想定の範囲内だけど。怒られても私は巻き込まないで。一人で怒られて。信楽さん怖いし」

 「いいの! 私だってもう一人前の狸! 街に行ったことないなんてほかの狸に知られたら笑いものよ! これは遊びじゃない、社会勉強。立派な狸になるための、ね!」

 「そういうことにしとこうか……。ネジレメとナガレメの姿が見えないけど、二人とも今日はいないの?」

 「撒いてきた! だから早く出発しよう。今頃二人は必死に私のこと探してるはずだから」


 思わず二人の胃痛を思って目頭を押さえた。どこまでも振り回されて可哀想に。信楽にどやされ宵満月に文句を言われ。私たちが街へ行くことは橘に話してしまったので彼は知っている。どうか二人が早めに橘に宵満月の行き先を聞いてくれると良い。


 「じゃあまず着替えるわ。ベニちゃんちょっとその場でクルっと回ってみてもらっていい?」

 「え、いいけど……」


 宵満月に言われるまま、その場でくるくると回って見せる。制服のプリーツスカートがふわふわと揺れた。


 「……うん、うん! わかった良いわ! 見ててよ」


 満足げに頷くと宵満月はその場で高く高く飛んだ。思わず見上げると日の光に目がくらむ。その光と舞い散る黄金の銀杏に包まれ、彼女が着地するころには私とそっくりなセーラー服を着ていた。


 「どう見て? 可愛いでしょう? ベニちゃんの洋服をそのまま真似たの。これで私もどこからどう見ても麗しの女学生だわ!」


 頭に銀杏の葉を乗せたまま宵満月は楽し気にスカートの端を躍らせた。

 鉄紺のセーラー服の襟には細い白のライン、胸元には蘇芳色のシンプルなリボン。プリーツスカートも私の着ているまま、ではなく私のスカート丈より数センチ短く膝が出ている。おそらく再現性より宵満月の美意識を優先したらしい。生徒指導に定規で膝を叩かれそうな長さだ。


 「完璧だね。流石化け狸……!」

 「んふふふ、そりゃあ変化は私たち狸の専売特許だもの。狐七化け、狸は八化けっていうでしょう?」


 鼻高々な彼女だがお世辞でもなんでもなくため息が出てしまう出来栄えだ。これから街へ出ていくとして、彼女を見た人々のうち彼女が人間ではないと疑う者がいったいどれだけいようか。尻尾と耳は無論なく、どこからどう見ても完璧な女子高生だ。


 「いいな、ワクワクしちゃう! 楽しくてしょうがないわ!」


 そう言うや否や宵満月は私の手を取って斜面を走り出した。


 「ちょ、待って宵満月……!」

 「大丈夫、転んだりしないわ! ベニちゃんが転びそうになっても私が支えるから!」


 走りにくいはずの茶色のローファーは木の根も落ち葉もものともせず、軽やかに山道をかけていく。


 「もう一分一秒だって我慢できないわ! この喜びもうれしさも我慢なんかしたくないの。この先は私の夢の世界! きっととても楽しいわ! それにあなたと一緒ならきっと怖くなんてない!」


 背後へ流れていく黄金の銀杏、赤々とした紅葉、深い緑の常緑樹。色鮮やかな景色にまるで色とりどりな川を流されているような気分に陥った。つないだ温かい手から、彼女の感情が伝わってくる。勢いよく駆け下りていく恐怖以外の思いで、胸が高鳴った。ここから先は私が知っているはずで知らない世界があるのだ。

 彼女に手を引かれ、私たちはまるで飛ぶように山を駆け下りていった。


 木々を抜け、畑を脇に見て、気が付けば私たちは住宅街を走っていた。見覚えのある街並み。けれどそれは私が暮らしていたから知っているわけではなく、初めて花橘に来た日、伊地知に乗せられたバイクから見た光景だからだ。改めて日の明るいうちに住宅街を見ても何も思い出すものもピンとくるものもなかった。私が住んでいた場所はこの山付近の住宅街ではないようだ。


 「おお……! ベニちゃん、人の街だ、すごいね! 家がこんなにたくさんある!それもほとんど隙間がない!」

 興奮した面持ちであちこちを眺めまわす宵満月にはたと気づく。もう人の街から離れて久しく、記憶もないが、それでも私はこの街並みを珍しいとも何とも思わなかった。何も覚えてなくても、私が暮らしていた世界はここなのだろう。


 「ベニちゃん! 地面が、地面が固い! 土の匂いがしない、不思議……!」

 「アスファルトだよ、宵満月。……地面を嗅ごうとしない! 車道にしゃがまない、危ないよ!」


 つい先ほどその変化の出来栄えに感心していたというのに、興味深げにアスファルトを触りだす宵満月の腕をひっぱり道路の端へ連れていく。これでも人に紛れるどころか補導されかねない。ふんふんと鼻を鳴らす彼女の鼻を摘まんだ。


 「いい? 面白そうでもなんでもすぐに飛びつかないこと! いくら上手に化けてても不審な行動してたらすぐにばれちゃうから。少なくともここは変わったものないからすました顔してて」

 「だって!」

 「街へ出たら変わったお店とかもあるから驚いた顔してても変じゃないからそこまでは大人しくしてて!」


 幸い昼間の住宅街でほとんど人が歩いていない。余計私たちは浮いているだろうが、人の目はない。


 「う、うん」


 今度は私が宵満月の手を引いていく。興奮冷めあらぬ様子できょろきょろと視線を飛ばすけれど、山を駆け下りていた時よりも足取りは重い。慣れぬようにローファーが固い地面を叩く。一方の私のローファーは軽かった。まるでアスファルトを歩くのが当然であるように、なんの違和感もしがらみもないと言わんばかりに。

 その事実に安心すると同時に、ひどく寂しく思えた。


 「……ねえベニちゃん、ここで生きてた頃のこと、思い出したの?」


 彼女がそう口を開いたのは駅ビルが見え始めたころだった。


 「なんか迷ってる風でもないし、多分今“えき”に向かってるんだよね?」


 すぐ脇を通り抜ける車に身体を揺らす宵満月の手を握り直し、答える。


 「まだ、何も」


 驚くほど、何も思い出していない。きっと私はここまでの道のりを、以前にも歩いたことがある。それでも何も思い出せなかった。街並みに、仄かな懐かしさを抱いても、直接的な思い出や記憶にはつながらなかった。


 「私は駅にいたところを伊地知さんに拾われたの。それで花橘まで来た。今私たちが辿ってる道は伊地知さんのバイクで走ったところなんだ」


 闇を引き裂くように、私の未練も何もこの街に残していくようにバイクは夜の街を走り抜けた。あれから約半年。辛うじて私はこの道を覚えていた。昼と夜では様相は違えど変わった街灯の形、路面電車の線路を覚えてる。


 「まだ思い出してない、思い出せない」

 「そっか……」

 「でも今日はそれでいいよ」


 宵満月が丸い目をさらに丸くする。足取りは軽く、引っ張るようにレンガ模様の歩道を進む。


 「今日私がここにいるのは記憶を戻すためじゃない。月祭りで出すデザートのヒントを集めるため。それから宵満月のお守りをすること」

 「お守りって……」

 「だから私の記憶を気にしなくていいよ。今日の私たちは楽しみに来たんだ。そうでしょれるなら、それまでは満喫してたいと思わない?」


 今日はそれでいい。宵満月と遊びに出かけた。進歩がなくても、それが楽しかったという事実だけでは足りないだろうか。

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