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鬼女と小金の胡麻団子 7

 日の落ちかけた山の中を早足で登っていく。前を行く橘が持参していた懐中電灯をつけた。遠くから聞こえる祭囃子を背に私たちは二人で悠希を探していた。


 飽海はまだ祭りの仕事があり、神社を離れることはできない。泣きじゃくっていた瑠奈も私たちについていこうとしたが橘が待っていろと命じた。今は飛梅がお守りをしながら社務所の中で待っているはずだ。この薄暗い山の中を普通の小学生を連れて登るのは難しい。

 当初こそ瑠奈という縁がなければ見つけることは難しいと話していたが、橘はもう必要ないと話していた。それはもう何が悠希を攫ったのか見当がついていて、場所についてもあたりがあるということだ。

 そして私はこの山道がどこへ続くか知っていた。


 「橘さん、悠希くんは」

 「まだ生きてる、とは思う。殺すにはまだ早いはずだ。そこまでの限界は来ていない」


 険しい顔で答える橘に唇を噛んだ。それは悠希が殺されている可能性がゼロではないことを示唆している。

 なぜ攫い、そして殺してしまうのか、私には想像もつかない。だんだんと風が強く吹いてきた。昼の暑さを残す、どろりとした風だった。


 「どうして、梓乃さんは悠希くんを連れて行ってしまったんですか」


 喉がひどく乾いた。


 梓乃は花橘に来ても買うものはいつも生薬や不眠を解消する薬膳だった。甘いもの、という嗜好品じみた注文をしたことはなかった。おそらく、前日攫ってきた悠希のためにお菓子を必要としていたのだろう。梓乃に、悠希を傷つける意思はなかった。それこそ、可愛がるつもりで。


 「あまり、勝手に客のルーツについて話すのは好きじゃない、が」


 そう一言置いて橘は振り返ることなく話し出した。


 「梓乃という鬼女は元を辿れば古く長い妖だ。ほんの数年前から、それこそ江戸、平安にまで遡るかもしれん。お前は梓乃とかかわって奴をどう感じた?」


 梓乃を見た時の感覚、第一印象は柔らかな美しい女性。近づいて私に触れたときは命そのものが脅かされないという根源的な恐怖。そして話しているとどうしてかみるみる恐怖は萎んでいき、まるで怖くなくなってしまった。それこそ、梓乃という鬼女が殺人を犯していたと聞いてからも。


 「優しくて、慈しんでくれそうな、雰囲気です。なんて言えば良いんでしょうか、柔らかくて、温かいような」


 漠然とした印象だ。けれど私にとって梓乃は恐ろしく、同時に慈愛に溢れたものだった。


 「ああ、それでいい。鬼女梓乃の本質は慈愛だ。子供を愛し、弱いものを慈しみ守ろうとする」

 「ならどうして、彼女は人を殺してしまったんですか。慈悲深く優しいなら、どうして」

 「本質は慈愛だ。だがそれだけじゃない。正の感情だけでは人も妖も存在しえない。それに付随する負の感情もある。そして本質さえも環境によっては反転する」

 「反転……?」


 慈愛の逆なら憎悪や嫌悪というものだろうか。彼女からは微塵もそんな印象は読み取れなかった。ただどうしてか、あの梓乃から憎悪を向けられたなら生きてはいけない気がした。


 「風越峠に住む鬼女、梓乃。その正体は『罪を犯した母親の成れの果て』だ。母親たちの集合体と言ってもいい」

 「しゅ、集合体……!?」


 あまりの衝撃思わず足を止めてしまった。

 あの鬼女が母親の集合体と言われてもまったくぴんと来ない。梓乃は一人だ。一つの人格として私たちは会話をしていた。これといった違和感もなく、ちぐはぐな印象もない。

 山を登り始めて橘は初めて私の方を振り向いた。


 「あの鬼女は一人で成っているわけじゃない。たくさんの母親たちの思念で、執念で、憎悪で、後悔でできている。元は梓乃という人間で、一人の母親だった。だが呪い、恨むことで他のものの恨み辛みを呼び、鬼女になり果てた。地獄で罪を償うこともできず、ただこの峠であり続けるだけの存在になった。それが梓乃だ」


 はっとした。梓乃は優しく無条件で慈しんでくれる。けれど彼女は鬼なのだ。鬼になってしまったのだ。


 「梓乃さんが悠希くんを攫ったのは、慈愛から? 悠希くん瑠奈ちゃんからいらないと言われて可哀想だから、攫ったんですか」

 「たぶんな。一番の理由はそれだろう。鬼女は子供を憐れんだ。子供は家族から逃げ出したかった。たまたま願いが重なったんだろう」


 きっとそれは運悪く。


 「さっき、橘さん『殺すにはまだ早い』って言いましたよね。……憐れんで攫って、それなのに、梓乃さんは殺してしまうんですか」

 「本質は母親の慈愛だ。だが母親を鬼たらしめたのは、憎悪だ。どうしてか、愛と憎しみは同居しうる。……ついたぞ」


 ひときわ強い風が付いた。ここまで登ってきた私たちを吹き飛ばそうとするように。誰が近づくのも拒むように。峠の壁には大きな洞穴が開いていた。


 「あらぁ、あらあらあらあらぁ? どうしたの急に、ベニちゃんと炉善くん。遊びに来るなんて聞いてないわぁ。お部屋の片付けもできてなくて恥ずかしい……」


 洞穴に橘が入ろうとすると、梓乃はあっさりと出てきて私たちを迎えた。

 その顔は二日前にあった時のまま、優し気で慈愛に満ちている。とくに私に対する視線には喜色さえ浮かんでいた。

 鬼のような恐ろしい顔じゃない。人攫いをしたという後ろめたさや罪悪感を抱いている顔じゃない。梓乃は本当にごくごく自然に私たちを迎え入れた。以前と変わらないこと、それが逆に異様だった。


 「梓乃、さん」

 「なあにベニちゃん。ちょっとお茶入れるから待っててね」

 「お茶は結構です。……私たち、人を探してるんです」


 赤い目は相変わらず穏やかで、むしろお茶を断られたことに寂しささえ感じているようだった。


 「だぁれ? ベニちゃんのお友達? それとも何か変わったお客さん?」

 「……今日、お店に来たお客さんの、弟です。まだ小学生で、身体の小さい、子供です」


 嫌な汗が流れ、舌が痺れる。どの言葉がいつ梓乃の地雷を踏みぬくかがわからない。


 「うーん、知らないわねえ」


 彼女が鬼となった母親なら、拾った子供を手放すことは決してない。平然としらを切られたじろぐ私から今度は橘が言葉を継いだ。


 「梓乃、この前の胡麻団子どうだった? 子供が好きそうな甘い菓子にしたが、喜んだか?」

 「ええ! 本当にその節はありがとう。うちの子もとっても喜んで食べてたわぁ。また今度何かお願いするわね。それから私でも作れそうなお菓子を教えてくれると嬉しいわぁ」


 あ、という感嘆は声にならず私はただ口を開けていた。もう彼女にとって悠希は双子の姉のいる小学生の男の子ではなく、自分の子供として認識しているのだ。もはや自己暗示のようにそう信じ切っている。だからこそ罪悪感などない。自分の子供を手元に置いていてることの何が悪い、と。すでに自分の子供なのだから、と。梓乃は自分の子供として悠希を慈しんでいるのだ。


 これを鬼と呼ぶのだろうか。壊れてしまったこの母親を。


 「お前の子供がいるとは知らなかったが、いつからいるんだ?」

 「ええ、ほんの最近よ。だからかしら、仲良くなるのにもう少しだけ時間がかかりそうなの。でも少しずつ歩み寄っていけるなら、その時間も愛おしいわぁ。きっとすべてが大切な時間になるから」

 「どこで拾ったんだ?」

 「ここの近くよ。可哀想に、家族に捨てられていたの。まだまだ小さいのに、家族からいらないって言われてしまった可哀想な子。だから私が拾ったの。私なら決して捨てたりしないわぁ。ふふふ、大事に、大事に、愛情注いで育てるの」


 楽しそうに、嬉しそうに梓乃は笑う。幸い私たちに対する拒否感はない。おそらく彼女の言葉を否定しない限りは、地雷を踏むことはないのだろう。


 「あの、私たちがその子に会うことはできますか? 今日もお菓子少しだけど持ってきてるんです。甘くて柔らかくて、食べやすいお菓子が」


 バクバクと心臓が音を立てる。私たちに子供が奪われるかもしれないと思っていれば決して私たちには見せないだろう。少しずつ距離を詰めて、せめて悠希の無事の確認をしたかった。


 「馬拉糕っていう蒸し菓子です。ふかふかしてて、甘くて、子供ならきっと好きだと思うんです。今日橘さんが作ってくれて、ここに来る前にもみんなで食べてたんです。きっと喜びますよ」


 引き攣りそうになりながらできるだけ友好的に見える笑顔を浮かべる。飽海に持ってきた手土産の残りを一緒に持ってきてよかった。口実としては十分のはずだ。


 「ええ……でももうあの子は寝てしまっているのよぉ。子供ってやっぱりいっぱい寝るのねえ」

 「じゃあ寝顔だけでも見れませんか? 小さな子の寝顔ってすっごく可愛いですよね」

 「ふふ、ええそうね。いつまで見ても飽きないわぁ。ええ、寝顔だけならいいわ。ベニちゃん、炉善くん、静かに来てねぇ。あの子が起きてしまわないように」


 わが子を褒められ機嫌をよくした梓乃はあっさりと私たちを洞穴の奥へと促した。橘と目配せをする。これが唯一にして最大のチャンスだ。ここですごすごと帰ってしまえばいよいよ悠希を取り戻す機会はなくなる。橘が身を屈めて耳打ちする。


 「危険だと思ったらすぐに逃げろ。後ろを振り向くな。何とか境内まで逃げきれ」

 「了解しました。橘さんもですよ」


 正直鬼女の身体能力がわからない。けれど家の中の妖である座敷童の身体能力は人間をはるかに凌駕している。山に住む鬼女であればなおさらだろう。走って逃げたとして、逃げきれるものなのか。

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