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鬼女と小金の胡麻団子 4

 花橘に帰ってくるともう日が半分以上沈んでいて、赤い西日が降り注いでいた。甘い香りは花橘の外まで香っていて、自然と足が速くなる。


 「ただいまー! なんかいい匂いする!」

 「おかえり。梓乃も、助かった。菓子はもうできてる」

 「あらぁ、じゃあちょうど良いくらいだったわねぇ」


 出迎えた橘は少し暑そうに団扇を仰いでいて、テーブルの上には大皿と口の空いた紙袋があった。どうやらそれが梓乃の注文した“甘いお菓子”らしい。


 「これなあに?」

 「胡麻団子だ、見たことないか?」

 「ないわぁ。こんなにいっぱい胡麻が付いてるのに甘いのぉ?」


 手のひらサイズの白い胡麻がびっしりとついている。確かに初見ではお菓子の類には見えないかもしれない。


 「中国の菓子だ。カシューナッツや胡桃入りのこし餡を白玉生地で包んで胡麻子をつけて油で揚げた。白胡麻と胡桃は身体を潤し、カシューナッツは疲労や老化防止の効果がある。五味はどれも甘味だ。甘い、が砂糖を大量に使ってるわけではないから、くどくはない」


 滔々と梓乃に説明する橘の声を聞きつつも視線は皿に盛られた胡麻団子にくぎ付けだった。胡麻を纏い揚げられた団子はつやつやと輝いている。つい先ほどおはぎを一つ食べたばかりだが、今はあの胡麻団子が食べたくてしょうがない。記憶を失う前の私は果たしてこんなに食い意地の張っていた人間だったのだろうか。それとも橘の作るおいしいご飯を三食食べているせいでこうなってしまったのか。飛梅も私と似たり寄ったりの顔をしながらも客の手前、大皿に手を伸ばすのは我慢している。

 梓乃が紙袋から一つ胡麻団子を出して齧った。


 「……あらぁ、あらあらあらぁ? 意外とお菓子らしいのね。甘くて香ばしくておいしいわぁ。餡子の中に胡桃とかが入ってるのも食感が楽しいわねえ」


 赤い目が丸くなり、小さな口が細かく咀嚼する。そうしてぱくぱくと持っていた胡麻団子をすっかり食べてしまった。


 「ふふふ、そっちは飛梅ちゃんたちの分ね。私のことは気にしないで食べていいのよぉ?」

 「だってロゼン! 私も食べる! 食べたい!」


 聞くや否や机にとびかかり皿に手を伸ばした飛梅に対して橘がさっと皿を取り上げた。


 「なんでさ!」

 「もう夕飯だ。一つだけにしろ。好き勝手に食べたら夕飯入らなくなるぞ残りは明日食べればいい」

 「うう……見透かされてる」


 勢いが殺され萎れるが一つ胡麻団子を渡されると幸せそうに顔を綻ばせる。手のひらサイズの団子だが、飛梅の手には少し余る。ベニも、と私にも一つ手渡される。一瞬おはぎを一つ食べてしまったことを報告した方がいいのではないかと思ったが、誘惑に負け言わないで置くことにした。もしかしたら私は満腹で夕飯が入らないかもしれない。

 つやつやした胡麻団子はほんのり温かく、齧りつくと小気味良い音を立てて、中の生地がモチモチと口の中を楽しませた。餡子は先ほどおはぎで食べたがナッツが入っているとそれだけで雰囲気が変わる。シンプルなおはぎに対してこの胡麻団子はどこか垢抜けているように思えた。


 「それじゃ、また来るわねえ」


 最初こそ訝しげだったが、梓乃は胡麻団子に大層満足して帰っていった。彼女が置いて行ったお代は客にしては珍しく人の世で流通する硬貨だった。橘曰く、一部の妖たちは拾い集めたり奪ったり働いたりして現金を持っていることがあるとのことだった。

 風呂上り、縁側で涼んでいると明日の仕込みを終えた橘に声をかけられた。


 「何かわかったか?」

 「……いえ、何も。飽海さんから麓の街にあるお店についてとかも聞きましたが何も思い出せませんでしたし、神社の境内の中でいろんな人たちも見ましたが、見覚えのある人とかも特になく……」

 「そうか、まあ焦らなくていい。気長に待っていれば何かわかることもあるだろう」


 近くの草むらで虫たちが絶え間なく鳴いているせいか、沈黙は息苦しくなかった。昼の暑さを微かに残す風が吹く。


 「……梓乃さんは、境内に入れないんですね」

 「ああ、飛梅から詳しく聞いたか」

 「少しだけ」


 芦原神社から出る直前、飛梅は私に教えてくれた。どうして座敷童は境内に入れて、鬼女と送り狼は入れないのかを。


 「梓乃さんと伊地知さんは、いったいどれだけ人を殺したんです」




 「人間を殺した妖は境内には入れないんだ」


 いろんな感情を綯交ぜにした表情で、飛梅は私を見上げた。

 なんとなく忘れていたのだ。飛梅や伊地知、店に来る客たちが優しくて穏やかだから。

 彼らは人を襲う。

 鬼はあらゆる物語の中で人を殺し、モノを奪い、人を食べる。雪女はその吐息で人を凍死させ、土蜘蛛は人を食らう。送り狼は人の帰り道を守るが、転んだりすれば食い殺す。

 私は彼らの一面しか見ていないのだ。



 橘は深くため息をつき目を閉じた。


 「……そりゃあ、数えきれないほどだろうなあ」


 彼らがどれほどの時間を生きてきたか、私は知らない。橘もきっと知らないのだろう。彼らの時は長い。そしてその時代時代によって、価値観や常識も違うだろう。

 数多の人を傷つけてきたとして、それでも今日私を梓乃と神社に向かわせたということは、彼女は危険ではないと橘が判断したからだろう。そして同じように橘は伊地知のことを信頼している。

 きっと彼らはとても強くて、私たちはとても弱い。それでも一緒に暮らすことのできている今は本当に絶妙なバランスで保たれている平穏なのかもしれない。


 「ベニ、怖くはないか」


 静かに起伏なくただ聞かれた。怖くないと言ったら、きっとそれは嘘だろう。私は伊地知にも梓乃にも怯えた。絶対的な力の差の中に、確かに恐怖心があった。彼女たちがただ撫でるだけで、私は簡単に死んでしまう。


 「でも私、二人のことが好きですよ」


 わかりきった質問には答えなかった。恐ろしい、けれどそのうえで私は彼女たちのことが好きだった。人を傷つけるだけじゃない。二人は私に親切にしてくれた。助けてくれた、やさしくしてくれた。それは純然たる事実で、そんな二人が好きだというのも、本当のことだ。


 「……そうか」


 橘は湿った私の頭を撫でると自室へと去っていった。

 一人になった縁側で星の降りだしそうな空を眺めた。私は何も知らない。自分のことも知らなければ、人でない彼らのことも知らない。橘のことも知らなければ一般常識だって足りてない。でも知らないことを誤魔化すべきじゃない。私は私の知らないことと向き合わなければいけない。してもらうばかりで何も返せていない私にできるせめてもの誠実さだ。


 怖いから逃げる、好きだから怖いところからは目を背ける。そういう問題ではないのだ。

 怖いところも好きなところも両方知りたい。知ったうえで、彼女たちと向き合いたい。


 「きっといろんなところにヒントはある」という飽海の言葉を思い出した。知れば知るほど、私は記憶を取り戻すことになる。記憶が戻れば私は花橘から去るだろう。

 終わりある関係だとしても、あのひとたちにとっては長い長い生のうちのほんの瞬きだったとしても、ないがしろにはしたくなかった。

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