第1876話 教育番組~仕事論11~
続きです。
心魂磨き……。
人は生涯かけて、これに取り組むべきである。
これをせずに他の何をやろうというのか。
立身出世? 金儲け? 成功? 勝利?
それらを否定しないが、それらとは比較するのもおこがましい程、
遥かに遥かに大事なのが心魂磨きだ。
じゃあ、それだけにかかりきりで、他のことは何もできないの?
そうじゃない。これまで通りでいいし、むしろ、日常生活の中でしか実践することはできない。滝に打たれる必要も、火の輪くぐりをする必要も、千日回峰行のような荒行をする必要もない。今いる場所で普段通りの生活を平穏に送りながら、心、言葉、行動を善くしていくのだ。
もちろん、仕事も家事も育児も勉強なども普通に行えばいい。趣味に興じたり、遊ぶのも構わない。その中ですべきことをすればいい。心魂磨きは、いつでも、どこでもできる。一服してる時も、小さい子供を寝かしつける時も、ウォーキングしてる時もね。何なら人と口論してる時やピンチの時だって可能。
日常こそが修行の本番だ。
特殊な環境で長時間の瞑想や祈りをするなどして変性意識状態となり、それで悟った気になってはいけない。平穏かつ冷静な状態で日々、少しずつ気付きを得、その積み重ねが悟りとなる。何かのエネルギーが電流のように駆け巡るとか、天から光が降り注ぐとか、何かしらの奇跡体験を期待する人がいたりするが、そんなものは期待しない方がいい。
修行(心魂磨き)や善(利他行)は自ら成さねばならず、正義のヒーローや救世主に任せるものではない。もちろん神様にもだ。誰かに頼んで、心魂磨きをしてくれ、世の中を善くしてくれ、と言っても聞いてもらえることはない。現実の世界では正義のヒーローも救世主も神様も現れることはないのだ。他力本願ではダメ。
現世利益を叶えるため神様に祈るのはやめた方がいい。現世に関することは神様の範疇外だ。神様は現世に干渉することはしない。それでも、お金が欲しい、商売を繁盛させたい、と願えば叶うことがある。だが、それは神様に通じたからではなく、それ以外の存在に通じたからかもしれない。
それ以外の存在はたいていの場合、低級霊であり、縁ができると彼らのいる世界へ引き込まれることになる。神様に祈ったつもりでも、低俗な願いは低次元の存在にしか届かない。下手な考え休むに似たり、と言うが、悪い考え、欲に満ちた考えはしない方がいい。それだけで心魂が汚れ、運勢は悪くなる。
さて、質問会に戻ろう。
「仕事について忍耐力でアプローチする方法について話をしたが、
実はもうひとつある。それは仕事を好きになることだ」
パネルを提示する。
□----------------------
人生に成功する秘訣は、
自分が好む仕事をすることではなく、
自分のやっている仕事を好きになることである
□----------------------
これはゲーテの言葉だが、仕事について核心を突いており、引用させてもらう。彼はドイツの詩人であり作家だが、弁護士、自然科学者、博学者、政治家などの顔もあり、実に多彩。いろいろ示唆に富んだ言葉を残しているんだよな。
「仕事が好きになれば、ストレスや苦が軽減され、我慢や忍耐をしなくて済むようになる。好きになるにはどうしたらいいか? それには仕事を好きになろうと思うことだ」
質問者が手を挙げる。
「好きでない仕事であっても好きになれるものでしょうか?」
「どんな仕事であっても興味を引くところはあるものだ。それを見つけ、そこから面白さを見出していく。仕事のやりがいだね。これがあれば仕事が好きになっていく。『好き』は上から降ってこない。『好き』になる努力をして『好き』になるんだ」
「? でも中には労せず好きな仕事をしてる人もいますよね?」
「そういう人もいるにはいるが、ごく少数で例外と言っていいだろう。ほとんどの人は『好き』になる努力をした上で『好き』になっている。それに『好き』で仕事をしてるように見える人だって、人知れず、そうなるよう努力しているものだ。まぁ、これは恋愛と一緒だね。相手を『好き』になる努力をしないと長続きしない。一目惚れというのもあるが、それだけに頼ったら、恋愛関係は長く続かない。自分が相手を『好き』になるのも、相手に自分を『好き』になってもらうのも努力が必要だ」
パネルを提示する。
□---------------
好きになることも
好きになってもらうことも
修行のうち
□---------------
「要は自主性が大事だということ。自分で動き、自分で築き上げたものだけが残る。そうでないものは吹けば飛ぶ砂のようなもの。それと、労せず初めから好きな場合だが、それも過去世で好きになる努力をしてきたから、そうなっている可能性がある。普通に考えてごらん。まったく何もないのに好きということは有りえない。物事には必ず因果がある」
パネルを提示する。
□--------------
原因 好きになる努力をする
結果 好きになる
□--------------
「一目惚れも過去世からの因果かもしれない。なぜか好きなもの、なぜか嫌い
なものってあるよね。僕らは想像以上に過去世の影響を受けているんだ」
なぜか好きなもの、なぜか嫌いなもの
なぜか得意なこと、なぜか苦手なこと
現世だけだと「なぜか」だが、
過去世を通してみれば「ああ、なるほど」となるんじゃないかな。
死後、魂意識に戻った時、答え合わせするんだろう。
次の質問者が手を挙げる。
「最初から好きな仕事をした方が楽そうですが、お話を聞く限り、
そうでない方がいい、ということなんでしょうか?」
いい着眼点だ。
「現世は修行の場だから、その観点で言うなら、好きでない仕事を選び、
好きになるよう努力した方がいい、ということになる」
「……ひょっとしたら、仕事以外もそうなんですか?」
「察しがいいね。その通りだ。人でも趣味でも仕事でも、好きなもの以外
を対象とし、好きになるよう努力した方が修行効果が高くなる」
パネルを提示する。
□---------------------
A 嫌いなものを好きと思う
B 好きでも嫌いでもないものを好きと思う
C 好きなものを好きと思う
□---------------------
「これは修行の難易度だ。好き嫌いをはっきりさせ、好きなものだけを相手にするCはもっとも易しい。だが、これだとほとんど修行にならない。Bは好きでないものを好きと思う難しさが加わり、標準的な修行となる。そして、嫌いなものを好きになるAはもっとも難しい修行だ」
さて、ここから。
「よって、好き嫌いを強く主張し、好きなものだけ選ぶAは精神的に未熟な状態だ。例えるなら、「これをしたい、あれはしたくない」と駄々をこねる子供のようなもの。それに対し、Bは半熟、Cは成熟した状態だ。まぁ、Aの全部好きというのは中々難しいことだが、Bぐらいは目指したいね。全部を好きになれなくても、嫌いなものがない状態でもいい。好きになるより、嫌いにならない方が易しいからね」
パネルを提示する。
□----------------
・なるべく多くのものを好きになる
・嫌いなものをなくす
□----------------
「『嫌い』は悪想念であり、生きてる間、これを可能な限りなくしていく。一方『好き』は善想念であり、『嫌い』でなくなったものに対し、『好き』になるよう努力する。これも精神修行のひとつだ」
なぜ野球をするのか? 野球が好きだから。
なぜバレーボールをするのか? バレーボールが好きだから。
なぜ勉強するのか? 勉強が好きだから。
なぜ絵を描くのか? 絵を描くことが好きだから。
かように『好き』を行動原理の中心に定めている人は多い。だが、好きなものに対し、なぜ好きなのか理由を訊くと答えられないことが往々にしてある。中には「好きに理由などない」と答える人もいるだろう。だが、答えはある。過去世を含め、これまで好きになる努力をしてきたからだ。
なぜ生きるのか? 生きることが好きだから。
生きるのが嫌いなら、この世に生まれていない。
人生の途中で生きるのが嫌になっている人は
好きになる努力が不足している可能性がある。
好きになっても好きであり続けるには努力が必要だ。
好きなことをすることは過去世で行ったことの続きを意味し、経験の蓄積を利用できるので他人より短期間でうまくなり、成果を出しやすくなるだろう。好きこそものの上手なれ、だ。
好きなことをする方が成功しやすい。好きなことはイコール得意分野であることが多いからね。この世で成功したいなら、好きなこと、得意なことをすればいい。それは否定しない。そういう生き方もあるし、むしろ、それが普通。
だが、目指す成功が、私利私欲、現世利益であるなら考えもの。『好き』が欲望の肥大になってしまう。『好き』は所有・欲望・執着という悪想念に転換しやすいのだ。また数多ある分野のうち、好きな分野、得意な分野ばかりしていたら、経験が偏ってしまう。魂は全方位の経験を求めているから、それに応えないと。それに、努力せず、すぐ結果が出る体験は害がある。自分の才能に自惚れ、他人を見下すようになりやすい。それよりも、苦手な分野、不得意な分野に挑戦し、一から謙虚に学ぶ方がはるかに為になる。
転生回数の少ない魂はイージーモードを求めるため、得意分野ばかり選ぶが、それを続けると、才能に溺れ、傲慢になりやすくなるから、やがて、ハードモード・不得意分野を選び、謙虚を学ぶようになっていく。魂が様々な経験を求める理由がここにある。前回と違う経験なら、学び直しであり、謙虚にならざるを得ない。また、そうすることにより様々な人と接することができるので学びが多様化する。
現世基準だと、ひとつの会社でずっと重役を務める人が高評価となり、いくつもの会社を渡り歩き、ずっと平社員の人が低評価となるだろう。だが霊的基準だと、この評価は正反対になる。また現世では、成功し、まわりに尊大な態度を取ることを目指す人がいたりするが、これも霊的に見たら、まったくいいことではない。
『私たちは成功するためにここにいるのではありません。
誠実であるためにここにいるのです。』
マザー・テレサ
ほんと、誠実でないとな。いつでもこれが試されている。最近というか、以前からだが、サッカーの国際試合における日本人のある行動が世界中から称賛を受けている。それは試合後の掃除だ。選手とファンがそれぞれ居た場所を後片づけし、清掃するのだが、日本人にとって当たり前の行動が世界では驚かれている。
なぜ驚かれるのか? 他の国では、それは清掃員がすることであり、自分たちがすることでないと思われているからだ。その根底には「自分は手を汚したくない」「自分さえ良ければいい」という思いが透けて見える。
だが、日本人は幼少の頃から、「身の回りのことは自分でする」「他人に迷惑をかけてはいけない」と教わり、それを実践してきた。日本にいると当たり前のことだが、世界的に見れば、かなりのことらしい。「まるで聖職者のようだ」と評する人もいた。
あるサッカーの試合で日本が負けたが、
日本人が会場を綺麗にしたのを見て、対戦国の人が言った。
「我々は試合で勝ったが、人としての振る舞いで負けた」
日本人は勝ち負けで掃除してるわけではないが、会場を汚したままで、負けたような気分になるなら、改善の見込みがある。その感覚を日本では「恥」というが、ぜひ世界に広がってほしいものだ。
最後までお読み頂きまして、誠にありがとうございました。もし拙作を気にいって頂けましたら、いいね、ブックマーク、評価をして頂けると大変有難いです。
書籍化作品へのアクセスは下記のリンクをご利用下さい。




