第1875話 教育番組~仕事論10~
関連回 第1521話 コモンスキル4
善とは、そうあるべき状態のことであり、
悪とは、そうあるべきでない状態のことである。
これにより世界の秩序、調和、安定が保たれる。
よって、善も悪もない、と考えるのは、
どうしてもいい、どうでもいい、どうにでもなれ、と考えるのと同じであり、
それは世界を無秩序、無調和、不安定へ陥らせるだろう。
善は少々堅苦しいが、先の道が明るい。
悪は自由気ままだが、先の道が真っ暗。
混沌とし、無法者が好き勝手、野放図に荒れ狂う世紀末のような殺伐とした世界を僕は望まない。多くの良識ある人たちもきっとそうだろう。であれば、光を強め、世界の闇を晴らしていこう。世界を善くすることは僕ら一人一人の役目だ。
正義のヒーローや救世主など、他の誰かに任せ、我関せずではいけない。一人一人がやれること、やるべきことをやれば、世界はきっと今以上に善くなる。
皆で一緒にライトワーカーになろう。
ウルトマランが地球に来ると、ウルトマランだけが正義のヒーローとして扱われるが、ウルトラマンの故郷の星(M78星雲・光の国)では、皆が皆、ウルトラマンだ。お父さんもお母さんも、お兄さんもお姉さんも、隣のおじさんやおばさんもウルトラマン。悪事をする人がいないため、警察組織がないという。他の星の治安を守るため、宇宙警備隊はあるけどね。
ふふ、いいね、光の国……。
シュワッチ! の掛け声が耳に残る。
そんなことを考えながら、後方の見学席に視線を移すと、
ミローネとサラの姿が目に入る。二人も来てくれたか。
じゃあ、もう少し続けよう。
番組の収録は終わり、招待した労働推奨課の諸君で質問会という形で交流しているところだが、今回の番組のテーマであった「仕事論」は噛めば噛むほど、いろいろ味が出てくるので、ネタが尽きることはない。さて、行くか。
「人生は修行であり、仕事はその要素が強い。これについて異論はない
と思うが、修行をする上で何がもっとも大切だと思う?」
仕事は修行そのもの。だから仕事を辞めて部屋や山中に引き籠るのは修行放棄に他ならない。修行と称して出家して、どこかの施設で瞑想やお祈りばかりして過ごすのもそう。やりようによっては逆効果になりかねない。過去に世間を騒がせた教団もあったしな。そんな場所に行く必要はない。今いる場所(俗世)こそが最適な修行場だ。置かれた場所で花を咲かす。小聖は山で悟り、大聖は街で悟る。
これまでの話の流れから、イメージは掴めてると思うが、
言語化するとなると少々難しいか、それならヒントを出そう。
「それはコモンスキルのひとつだ」
ここで数人の手が挙がり、
タクムスがそのうちの一人を指名して答えさせる。
「忍耐力です」
「おお、正解だ」
苦、ストレス、修行などのワードが続けば、ピンとくるよな。コモンスキルは特定個人しか使えないユニークスキルと違い、誰でもその素養があり、かつ伸ばすことができるスキルだ。
誰でも伸ばせるから大したことがないスキルのように思われがちだが、そんなことはまったくない。ユニークスキルは枝葉末節のスキルであり、コモンスキルは根幹大元のスキルだ。生きる上で、ユニークスキルは便利ではあるが無くても困らない。だが、コモンスキルが無いと生きること自体が困難を伴うことになる。
現在、コモンスキルとして、『優しさ』『空気を読む』『人の話をよく聞く』『人間観察眼』『コミュニケーション』『相手の立場に立つ』『根回し』『威圧』『スルー』『チェック』『自己客観視』『自問自答』『内なる神様』『イメージ』『クリエイト』『善悪の判断』『プラス思考』『縁結び』『リラックス』『努力』『忍耐力』『器の大きさ』『謙虚』『感謝』『幸せ』『周波数上げ』と26個挙げているが、どれも生きる上で欠かせないものばかりだ。
今回、『話半分で聞く』を思いついたが、文脈から外れ、このワード単独で用いると、いい加減な印象を与えかねないから、『バランス感覚』に改めよう。これまで中庸の大切さについて説いてきたしな。何事もそうだが、極端に走ると物事はうまくいかない。それは歴史が証明済み。これを加えて27個になった。
「どうして忍耐力が大切かと言うと、これまで説明した通り、仕事をはじめ、どんな事でも最初は慣れないこと、辛いことが多いからね。これを乗り越えるのに忍耐力が必要不可欠なんだ。もちろん努力も必要だが、その努力も忍耐力があってこそできるもの」
次の質問者が手を挙げる。
「忍耐は良いことなのでしょうか?」
シンプルだが、いい質問だ。
「人の根幹を支える資質であり、重要なのは間違いないが、良いものかと問われると、中身次第ということになる。方向が合っていれば良いし、そうでなければ良くない。また方向が合っていても、人にはキャパシティーがあるから程々でないとね。『バランス感覚』が問われる」
早速、『バランス感覚』を使わせてもらった。これまでも使ってきたが、
コモンスキルとして意識して使ったのは初めて。
「耐え過ぎは良くないということですか?」
「そう、あくまでキャパの範囲で耐える」
ならぬ堪忍しない堪忍、パネルを提示する。
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人生は修行の場だが、我慢大会の場ではない
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「これは仕事や家庭でも同じ。修行のため適度な困難は許容すべきだが、だからと言って困難を自ら引き寄せて、それに耐えられることに血道を上げてはいけない。修行と我慢は似てるようで微妙に違うからね。修行は困難をプラスに捉え、悪想念を出さないのに対し、我慢は困難をマイナスに捉え、悪想念を出す。だから、修行すれば精神性が上がり、我慢すれば精神性が下がる傾向がある。例えば、悪事を働いて、ある人物が更生施設に入ったとしょう。更生施設の中は行動が制限されるが、それを我慢と捉えれば、不満がどんどん増し、自分を高める修行と捉えれば、平穏に過ごすことができる」
タクムスが口を開く。
「我慢ではなく修行ですか……混同してる人は多そうですね」
「うむ、修行イコール我慢ではないし、仕事イコール我慢でもない。そもそも僕の言う忍耐力は我慢とは違うからね。困難を受けて、やられっぱなしの耐える力というのではなく、困難を乗り越える力、ものともしない力だ」
さらに補足しよう。
「忍耐力が上がることにより、苦やストレスやハラスメントなどの耐性が付き、何ともなくなってくる。つまり我慢しなくて済むということだ。我慢して悪想念を出してる状態というのは、忍耐力を上げるプロセスとしてはあるが、その状態がずっと続くのは好ましくない。もしずっと続くなら、方向性に問題があるか、キャパを越えているかだ。例えば嘘を吐いて信用を失い、人がどんどん離れるという困難に遭っているとしよう。でも、その困難を無視し、行動を改めないと、さらに大きな困難を招くことになる。この場合の困難は『その方向は間違っている』というサインだ。こういう場合は我慢しても意味がない。我慢をするなら意味があるものでないとね」
過食の人は太り、やがて肥満症で苦しむことになるだろう。だが、その苦しさは、過食を止めろというサインだ。それを修行(前向きなもの)として扱うべきではない。
我慢のための我慢はしない。修行のための修行はしない。
これはあくまで目的に対しての手段・方法であるべきだからな。
目的は精神性(霊性)を上げること。
魂レベルの向上とも言うが、その一点に尽きる。
山の麓は広大でも山の頂は人ひとり立つのがやっとの狭さ。
ただ、そこへ至る道は無数にあり、迷ったり、右往左往したり、逆方向に行ったり、ぐるぐる同じところを回る人はたくさんいる。中には道を歩くこと自体を目的と勘違いしてる人もいるだろう。いやね、人生の経験に無駄はなく、過程が大事というのはそうなんだけど、いくらそうであっても、目指すものが解らければ、歩く意味が薄れてしまう。そんな状態では気付きや学びを得ることが難しい。
わけが解らず、ただ闇雲に歩くのと、
わけが解って、目標に向かって歩くとでは全然違う。
この件に絡み、整理しよう。人の段階として。
第一段階は、
人生の何たるかに関心がなく、ただ生きてるだけの人、
こういう人は生きる理由を問われると、
「生きるのに理由はない」「生きるために生きている」
「考えても意味がない」「死んだら終わり」
などと答えるだろう。結構多いのではないだろうか。
「細けぇこたぁいいんだよ!」「そんなの関係ねぇ!」
とかも、これと似たものだな。
思考放棄してる時点で人というより動物のような生き方だ。
第二段階は、
人生の何たるかに関心を持ち、それを考えながら生きる人、
こういう人は生きる理由を問われると、
「それを見つけるために生きている」
「解らないけど関心がある」
「難しい問題だね……」
などと答えるだろう。ここでようやく人のレベルだ。
第三段階は、
人生の目標を見つけ、そのために生きる人、
こういう人は生きる理由を問われると、
「〇〇するために生きている」
と答えるだろう。
だが、これは多くの場合、現世での成功を意味し、
それをいくらしても、満たされないことにやがて気付く。
現世でどんなに大成功を収め、巨万の富を得て、
地位や名誉をいただき、多くの人から称賛されても、
自分が真に求めるのは「こんな一時のものではない」となる。
そして、第四段階で、ついに本当の目標を見つける。
それは現世を越え、永遠に保持できるもの。
そう、精神性(霊性)を上げること、魂レベルの向上だ。
ただ、これを単に知識として知っても、本当の意味で解ったことにはならない。それだと頭の中にデータとして入力されただけだ。健康情報を知るだけで健康になることはできないのと一緒。それを実践し、その経験をその身に刻むことにより、初めて理解することができる。魂レベルの向上もそう。それを目標にしつつ、そのための行動を体を使って具体的にする。それが仕事であり、善行だ。
段階が上がっても、実は外面の行動はそんなに変わらない。高みに行く為には、何か特殊な修行が必要と思われがちだが、そんなことはまったくない。変えるべきは内面であり心の状態だ。
これまで心の作用により、対象とするもの(心以外のもの)を変えてきたが、意外に心そのものはそんなに変わらなかった。外面で強者にこびへつらい、回りがそうするから、それに合わせることはさんざんしてきたが、それは変わったふりに過ぎない。長い物には巻かれただけ。
立身出世を果たし、社会的ステイタスを手に入れ、
高級住宅街に住み、綺麗な衣装を身にまとい、
欲しいものが何でも手に入っても、それらはあくまで外面のこと。
それで心が豊かになったとはまったくならない。
現世において心は誰も見ることはできない。だから、外面を取り繕えば、変わったふりをすることができる。たとえ内面でどす黒い想念を抱えていても、外面では何事もないかのように上品に振る舞える。だが、それでは精神性を上げることなど夢のまた夢だ。
自分の心に真正面から向き合う。綺麗なところだけでなく、汚いところもね。きつい作業だが、それなくして先に進むことはできない。自分の心を汚したのは自分であり、その汚れを綺麗にできるのも自分だけだ。
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