第1828話 人生学校ゲーム
関連回
第1137話 日用品課
第1138話 日用品課2
第1140話 ギルフォード財閥2
第1521話 コモンスキル4
ここはとある庶民の家。
その一室(子供部屋)で10才ぐらいの子供たちが集まり、
仲睦まじく輪になってトランプ遊びに興じているところ。
皆、数枚のカードを表紙が他の子供に見えないように手に持っている。
「今度は僕の番か、どれを引こうかな」
番が回ってきた子供が隣の子供が掲げるカードの背表紙を見ながら、
どれにしようか迷う。どうやらババ抜きのようだ。
「早く引きなよ」
カードを引かれる側の子供が急かす。だが引く側の子供は慎重な様子。
「ちょっと待って。何か嫌な予感がする。ひょっとしてババを持ってない?」
カマをかけ、ジト目で尋ねる。
「えっ、ないよ」
訊ねられた子供が目をぱちくりさせ、少し動揺する。
「ほんと~~?」
「ほんと、ほんと、安心して引きなって」
「じゃあ……」
恐る恐る一枚のカードを引くと――
「わっ!?」
と声が出る。ババを引いたのか?
「えっ、ババ、引いたの?」
と他の子供が訊ねる。
「さぁ、どうでしょう? 今度は君が引く番だよ」
ババ抜きは番が来たら、隣の人のカードを引き、同じ数字のカードが2枚セットになれば、それを場に捨て、それを繰り返して早くカードが無くなれば勝ちというシンプルなルールだ。一枚ババ(ジョーカー)が含まれており、それを最後まで持っていると負けとなる。ババは誰かが必ず持っているため、毎回、引くとそれが出てくる可能性があり、そのスリルを味わうのがこのゲームの醍醐味だ。
その際、持っているのに持っていないフリをしたり、持っていないのに持っているフリをしたり、駆け引きを通じてコミュニケーションを楽しむことできる。また、相手が何を考えているのか読む訓練にもなることから、コモンスキル『空気を読む』『人間観察眼』『コミュニケーション』を鍛えるのに適している。
トランプはギルフォード商会の人気商品のひとつであり、安価で老若男女問わず、気軽に楽しめることから、広く普及している。子供にも人気の娯楽商品だ。例のごとく、この世界に最初に導入したのは聖王陛下であり、前の世界のものをそのまま持ち込んだのはここだけの秘密。
ちなみに前の世界でこの遊びを「トランプ」と呼んでいるのは日本だけであり、海外では「プレイング・カード」と呼ばれている。「トランプ」の英語本来の意味は「切り札、勝利、奥の手、素晴らしい人、好漢」等だが、日本では「切り札」の意味が転じて、カード遊びを指すようになった。
つまり日本の「トランプ」は和製英語であり、純粋な英語ではない。現在、アメリカで同名の大統領が就任しているが、「カード遊びの名前」と思っている日本人が多いことだろう。だが、英語では「素晴らしい人、好漢」の意味があり、それを知れば違った印象を抱くのではないだろうか。日本で使われる英語のほとんどは和製化されており、海外の事例にそのまま当てはめて使うと誤解を招きかねないので要注意だ。
トランプに限らず、ギルフォード商会は娯楽商品に力を入れており、その種類は多い。リバーシに始まり、チェス、囲碁、将棋、すごろく、メンコ、ビー玉、コマ、竹馬、竹とんぼ、けん玉、ヨーヨー、お人形、ぬいぐるみ、ままごとセット等、様々な商品が出回っている。
「わっ、引いちゃった~」
「言っちゃダメだよ」
「あっ、今のは嘘ぴょーん」
「「「ははははは」」」
子供たちの笑い声が部屋中に広がる。
これらの娯楽商品は日々の生活を楽しく豊かにしてくれるものだ。
現代日本のような最新ゲーム機はないが、アナログなゲームだからこそ、生身の感覚を味わい、人本来の能力を刺激し、高めることができる。家で一人、モニターに向かって対戦ゲームをしても、攻撃心が増すばかりで、人として大切なことを学ぶことができないのではないだろうか。
――
――――
~アレス視点~
ここはギルフォード商会本館の会議室。
今日は商品開発の打合せで来ている。
同席は連邦本部長のメラルと日用品課長のリルカだ。
商いは飽きないであり、お客さんに飽きられないようにする工夫が必要だが、そのひとつの方法が商品開発だ。どの商品も開発に余念がないが、特に日用品は品数が多く、力を入れている。僕もアイデアを出すのは大好きなので、気が向いたり、呼ばれた時に参加させてもらっているが、これは頭の体操になっていいんだよな。
柔軟な発想をし、新しいアイデアを生み出すのは若い人で、年を取ると、そうではなくなるとよく言われるが、これは単なる思い込みであり、実際はそんなことはない。前世のノーベル賞など見れば分かるが、実際に新しいアイデアを出すのは、年を取った経験者の方が多い。作詞、作曲もそうだし、小説や漫画やアニメなどもそう。内容が若い人向けであっても、アイデアを出している人は年配の人が多い。
新しいアイデアといっても、それを思いつくには知識と経験が必要だ。何もないところからポンと生まれることはない。この件で知識と経験のある年配は若者より有利なのだ。それなのに「年を取ったから、新しいアイデアを出せない」と思うのは自分を卑下している。そう思うから、そうなってしまうのだ。
年寄りとは自分を年寄りだと思う人のこと。
そう思わなければ、一生、若いままでいられる。
「自分は凄い人間だ」「自分は他人より偉い」と思う傲慢は善くないが、実は同じぐらい善くないのが、「自分はダメな人間だ」「何をやっても失敗するに決まっている」と思う自己否定・自己卑下・自虐だ。精神性を高めるには、傲慢ではなく謙虚を、自虐ではなく自信を志向するべき。
そうそう、この件で注意すべきことがあった。それは“卑下慢“だ。卑下慢とは、表面上は謙遜して自分を卑下しているようで、心の中では「これほど低姿勢な私は素晴らしい」「そんな風に自分を下げられる私こそが偉い」と自惚れている(慢心)状態のこと。仏教における「七慢」の一つとされ、劣等感から生まれる厄介な自己愛や自惚れの心として戒められている。
ちなみに七慢の内容はこう。
慢 自分より劣っている人に対して優越感を持つ。
過慢 自分と同等の人に対して「自分の方が勝っている」と思い、
自分より勝っている人には「自分と同じだ」と思うこと。
慢過慢 自分より勝っている人に対して「自分の方がさらに勝っている」
と思い込む。
我慢 私という自我に執着し、他を見下して高ぶる心。
増上慢 悟っていないのに悟った、または未熟なのに修行を積んだと
思い込むこと。
卑下慢 自分よりはるかに勝っている人に対して「少ししか劣っていない」
と思うこと。
邪慢 悪行をしておきながら正しいことをしたと思い込み、
徳がないのに徳があると思い込むこと。
現代用語で我慢は忍耐を意味し、ポジティブに使われることが多いが、元の意味は煩悩なんだよな。これら七慢はどれも解消すべきものだが、特に厄介なのが卑下慢だ。表面上、謙虚を装っているので、相手だけでなく、当の本人も慢心に気付かないケースが多い。
自分は本来レベル10の能力なのに、レベル100の他者を指して「自分はあの人より少し劣っている程度だ」と言って、実際より自己を高く評価、アピールする煩悩だ。表面上は謙虚。だからこそ判りづらい。
何か成果を出し、人から褒められた際、「いえいえ私なんて大したことないですよ」と謙虚に振る舞うことはあるものだが、その際、心の中で「謙虚な自分は偉い。もっと褒めて」と思えば卑下慢となる。心理学的に分析すると、劣等感の強い人が、逆説的に「これだけ自分を下げる私は特別だ」と思い、そこに自己価値を見出そうとする心理が働いている可能性がある。自らの非を認める姿勢は良いことだが、そこに「謙虚である私」への自惚れが隠れていないか注意が必要だ。
卑下慢は表面上、謙虚だが、中身はそうでないので、他人から指摘を受けても、笑顔でハイハイ聞くことはあっても、それを受け入れ、実行することはない。そういう意味では面従腹背に近いだろう。だが、この卑下慢、特定の誰かの煩悩ということでは決してなく、誰でも彼でも大かれ少なかれある。例えば「自分は大したことないですよ」と言って、相手がそれを肯定して「本当に大したことないですね」と返されれば、ムッと来るだろう。不幸自慢する人もそう。表面上、不幸で可哀そうな自分を装っているが、その実、他人から同情され、評価されることを願う。
特に日本人の場合、お涙頂戴の話が好きだし、謙虚に振る舞うことにより、自分を良く見せ、他人からの評価を上げたいという人が多く、卑下慢に囚われている人が多いと推察する。傲慢より謙虚がいいが、その謙虚が卑下慢になっていないか、自問するべきだ。これがあると折角の謙虚が台無しになってしまう。
ただ、そうは言っても、最初から、精神的見返り(同情や称賛や感謝など)を一切期待せずに善行(謙虚)することは難しい。だから、現実的には卑下慢をある程度肯定しながら善行するといいだろう。そして善行しながら、少しずつ卑下慢を減らしていけばいい。
「総帥、本日は何かご提案がございますか?」
メラルから声がかかる。
ここまで思考遊戯しつつ、二人の話を聞いていたが、ここからは僕の番だ。
頭のチャンネルを切り替えよう。少し前から温めてきた案件がある。
「先ずはこれを見てくれ」
サンプルを収納から取り出す。
見た目はボード状で、そこに様々なデザインがされている。
カラフルで中央にルーレットが付いている。
「「まぁ!?」」
ふふ、二人とも少し驚いたな。
「これは何ですか?」
「これはゲームだ」
「「ゲーム!?」」
「名称は“人生学校ゲーム“だ」
これまで様々なゲームを紹介してきたが、そのほとんどが前の世界にあったものをそのまま持ってきた。リバーシ、トランプ、チェス、囲碁、将棋など、既に完成の域にあったから、手を加えてこなかった。これまではね。
リルカが口を開く。
「スタートからゴールまでの経路があって、すごろくみたいですね」
「察しがいいね。そう、すごろくの一種だ。但し、もっと複雑だけどな」
これは前の世界にあった、とある有名なボードゲームを参考にして僕流にアレンジしたものだ。あのゲームは、ルーレットを回して車コマを進め、イベントマスに従いながら、就職・結婚・家購入などの人生の出来事を経て、ゴール時に最も総資産が多い人が勝ちとなるルールだった。子供の頃、友達の家で遊んだが、人生の波乱万丈を疑似体験し、妙に盛り上がったのを覚えている。おもちゃのドル紙幣のデザインが本物っぽくて恰好良かった。
「どんなルールなんですか?」
「普通のすごろくはゴールに早くたどり着けば勝ちになるが、
これはそうじゃない。ゴール時に最もポイントを積んだ人が勝ちになる」
「ポイントですか?」
「そう、ポイント、この後、詳しく話すが、徳ポイントと業ポイントがある」
前の世界にあったゲームはお金が多いと勝ちだったが、僕のゲームはそれを全面的に改めた。元々あのゲームはアメリカ発祥で、資本主義の総本山アメリカらしく、金儲けを尊び、最終的に億万長者を目指すことを人生の目標としていた。子供の頃は特に違和感を持たなかったが、今は違う。たとえゲームであっても、金儲け至上主義はよろしくない。
あのゲームは「人生の目標=億万長者になること」だったが、子供の頃、それをやると、潜在意識に刷り込まれ、そうなってしまう恐れがあるからな。それは明らかに人生のミスリードだ。人生の目標は金持ちになることではない。断言する。
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