第1824話 放送局員の心構え3
関連回 第1806話 財政健全化16
「皆さん、何か質問はありますか?」
サラが皆に声をかける。説明が一通り終わったので、ここからは質問タイムだ。
「では、そちらの方どうぞ」
早速、数人の手が挙がり、そのうちの一人をサラが指名する。
「あの、善を広げる放送ということでしたが、暗いニュースが
出た場合はどうしたらいいのでしょうか?」
新人さんのようだな。先輩や上司でも答えられる内容だが、
僕に来た質問は僕が答える。それが誠実というものだ。
「暗いというと、事件、事故、災害などかな?」
「はい、その通りです」
ふむふむ……。
「であれば、事実に基づいて淡々と沿って報じればいい。但し、一家惨殺のような
猟奇的事件があった場合は、オブラートに包む必要があるけどね」
「オブラート……ですか?」
オブラートは粉状の薬を包んで飲みやすくする補助剤だが、この世界で僕が普及させた。これで苦い薬も難なく飲める。オブラートとカプセルは既に一般でもよく知られているものだ。
「そう、オブラート、事実だからといって何でもかんでもそのまま報じればいい、というものではない。嘘はダメだが、馬鹿正直に全部の情報をべろっとそのまま出す必要はないということだ。被害者の家族もいるわけだからね」
正直はいい。だが、それで他人を傷つけていいことにはならない。どこかの世界には加害者の情報を伏せ、被害者の情報を駄々洩れさせた放送局があったが、この世界ではどちら側の情報も基本的に伏せる。個人情報を出せば加害者は更生の妨げになるし、被害者は傷つくからね。道徳向上政策の甲斐あって、今のご時世、その手の重犯罪はほとんど起きなくなっているが、もし起きたら、そのように運用する方針となっている。
次の質問者が口を開く。
「暗いニュースは善想念を意識しなくていい、ということですか?」
いい質問だ。
「事件や事故など暗い内容のニュースをにこにこ明るく報じたら変だろう? だからそれはしない。かといって暗い内容だから暗く報じろ、というのも違う。暗い内容のニュースであれば、関係者に配慮し、真摯に誠実に報じるんだ。その想いが善想念となる」
にこにこ明るくすることだけが善ではない。
そう考える人がたまにいるが、それは善の多様性を理解していない。
「なるほど、明るく報じればいい、という訳ではないんですね」
「その通り。不幸なニュースで明るく報じたら、関係者への無配慮となり、冷たさの悪想念となるだろう。最初に説明したように善想念は様々あるから、よく覚えておくといい。明るく笑うのは良いことだが、TPOがあるからな」
ひわかの健康法(光・笑い・感謝)にもある通り、基本的に明るい笑いはいいものだが、それでも、笑いそのものが相応しくない場面というのがある。それに、冷たい笑い、蔑む笑い、馬鹿にする笑い、皮肉る笑い、攻撃的な笑い、などは、そもそも笑いとして好ましくないからな。邪心なく真から笑うのは、人によってはそこそこ難しい。
「だから、暗い内容のニュースであっても、善想念を広げることができる。というより、むしろ暗い内容だからこそ、善想念を出して緩和しないとね。葬式でも真摯な気持ちでお見送りすれば、故人も参列者も慰められる」
前世のお笑い番組では、人をいじったり、人の不幸をネタにして笑う場面が多かったが、ああいうのは宜しくない。芸人はまわりを明るくしてるつもりなのかもしれないが、実際はまわりを暗くする。あれは笑いを絶対善のように勘違いし、笑い以外の善をよく知らないから起こることだ。善のメニューは笑いや明るさだけではない。
善には、素直さ、謙虚さ、明るさ、優しさ、克己心、向上心、愛、感謝、安らぎ、喜び、楽しさ、幸せ、許し、など実に多くのメニューがあり、生きてる間にそれらを総合的に学ぶ必要がある。だから、どれかひとつだけではバランスを欠くことになる。笑いさえあればいい、愛さえあればいい、感謝さえあればいい、優しささえあればいい、という単純なものではない。これは指導者がよくやりがちなミステイクだ。「根性だ」「気合いだ」とばかり言う監督やコーチもそう。それだと人格が偏ってしまう。
愛さえあれば何とかなる? 気合さえあれば何とかなる?
いや、ならない、ならない。
僕は「優しさ」を尊び、優しい人を「優者」と呼び、就職の際、特別枠で優先採用するようにしてきたが、優しければ万事OKだとは思っていない。そこから他の善性も学んでもらう。「優しい」だけじゃ、いずれ成長限界がきちゃうからね。
連邦放送局を含め、どこの放送局も国が運営しており、国営ということになる。国営にしたのは僕が連邦放送局を立ち上げた時、国王だったので自然とそうなったのだが、後から振り返っても、結果オーライで良かった。国政を預かる立場として国政の足を引っ張るような放送をされたら、たまったものじゃないからね。
日本の放送局は政府のやる事なす事反対ばかりしていたから、それが頭にあった。いや別に反対するな。と言ってるわけではない。何か反対があれば、直接言ってもらえれば、それで済むからな。それをわざわざ放送する必要はない。
処世術に、褒める時は人前で、叱ったり、注意する時は人前を避ける。というのがあるが、僕に何か言いたいことがあるなら、僕に直接言ってもらいたい。それが僕と違う考えであっても、聞く度量が僕にはあるつもりだ。
日本ではマスコミが情報伝達を通じて社会や政治に大きな影響力を持ったため、立法・行政・司法の三権に次いで、第四の権力と呼ばれることがあった。でも、この世界ではそうならないよう国営とした。国営であれば、組織上、国王の下であり、国王を脅かす存在とはならない。
国営放送だが、前の世界の民間放送のように民間事業者から広告料を取り、CMを流している。こうすると国の負担が減るし、民間事業者は広告が打てるし、視聴者は情報を得ることができるので、皆にメリットがある。
日本には公共放送と民間放送があるが、日本の公共放送は国営放送ではない。公共放送は受信料を主な財源とすることで、政府や特定の企業から独立し、不偏不党で公正な番組を放送し、民間放送はCMの広告料で運営され、視聴率が重要視されている。
民間放送は広告料を払ってくれるスポンサーの意向に沿う必要があり、番組内容も当然、それを忖度したものとなる。だから、実質的に不偏不党ということはない。度々、世間から偏向報道の指摘を受けているが、民間放送はそういう性質が元々ある。まぁ、所詮、民間の営利企業だからな。だから観る側はそれをしっかり頭に入れておくべきだ。そうでないと変な方向にミスリードされてしまう。
彼らは売れてないものを売れてるように報じ、
流行ってないものを流行っているように報じる。
やらせ、捏造は彼らの十八番だ。
街頭インタビューはサクラを使ったり、
自分たちにとって都合のいい意見だけを取り出しているから信憑性が薄く、
アンケート調査も対象はお仲間が中心だから、バイアスがかかっている。
タダほど高いものはないというが、
無料で民間放送を観て、民間放送の意向(欲望の助長など)に誘導されたら、
あれこれ不要なものまで買いたくなり、結果、高くつく。
衝動買いする人がいたら、それを諫めるのが道徳的というものだが、
テレビはそんなのお構いなし。むしろ衝動買いに走らせる。
これは反道徳的と言えるだろう。
一方、公共放送は不偏不党を掲げ、視聴者から受信料を徴収しているのだから、民間放送以上に偏向報道は許されるものではない。これは民間放送にも言える話だが、偏向報道は放送法違反であり、それを続けるなら、国からの指導が必要であろう。それを聞かなければ免許取り消しだ。
彼らは「知る権利」を主張し、規制に反対の立場だが、であれば、放送法を順守するべきだ。今の放送はとてもじゃないが、中立公平とは言えず、偏り、捻じ曲げ、が酷過ぎる。どうでもいいことばかり放送し、肝心なことは放送しない。
オールドメディアと呼ばれて久しいが、劣化がどんどん進んでいる。今、テレビの情報を鵜呑みにして信じているのは高齢者ぐらいだろう。ネットに触れる機会の多い若者や中間世代はテレビを観なくなっているし、観ても鵜呑みにせず、ネットでファクトチェックをする。
オールドメディアの人は「ネットはデマが多い」と言うが、それを言ったら、テレビや新聞も似たようなもの。問題がないことを問題があるように報じ、問題があることを問題がないように報じ、視聴者や購読者をオールドメディアにとって都合のいい考えに導こうとする。元々そうだったが、中立でも公平でもない。昔はもうちょっとうまく正体を隠していたが、最近は影響力が落ちて焦っているのか、正体を隠さなくなった。
僕は日本の財政健全化策のひとつとして売国勢力の排除を挙げているが、オールドメディアにこの勢力が多く、日本を良くするなら、ここに大鉈を振るう必要があるだろう。外国資本の規制や中立公平な放送内容を定めた放送法の厳格な運用は当然のことだが、それに加え、電波オークションをさっさと導入するべきだ。
これは放送可能な周波数帯の利用権をオークション方式で国が民間に配分するもので、電波利用の経済的価値を明確にし、最も効率的・効果的に活用できる事業者に配分するという狙いがあるが、国の収入源になるし、競争原理が働くので放送の活性化(他との差別化など)につながるメリットがある。
だが、これに既存のテレビ局が横並びに反対している。彼らは長年、周波数を独占し、それを既得権として好き放題に電波を垂れ流してきたからね。だが、もうそれは許される状況ではない。
既に、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、韓国など多くの国が導入しており、気付いたら、OECD諸国の中で、電波周波数のオークションを導入していないのは、日本だけとなってしまった。周波数オークションの導入は、国庫の財政再建へも大きく貢献する。欧米では、90年代から周波数オークションが実施されており、ITバブルの時代、落札価格が数兆円となった事例もある。日本でも周波数オークションの導入を早期に実現するべきだ。
日本の民放地上波テレビ局は、キー局、準キー局、ローカル局、独立局と合わせて127局あり、これに公共放送(全国1放送)を加えたものが、主な地上波放送事業者となる。これだけ聞くと、数が多く見えるが、民放地上波テレビ局はキー局5社が全国ネットワークで展開してるものであり、突き詰めれば、たった5社(公共放送を加えて6社)が電波を抑えているのだ。これは世界基準で見たら、異常な程、数が少ない。
例えば、アメリカでは、フルサービス(フルパワー)の地上波放送局だけでも1700局以上(商業局1373局、教育局383局)あり、これにケーブルや衛星、専門チャンネルが加わると膨大な数にのぼる。
イギリスでは、主要テレビ局は5局だが、地上波デジタルでは70以上のチャンネルが存在し、無料視聴が可能。韓国では、主要テレビ局は3つで、これに教育放送を加えて、4局が地上放送局として機能しているが、ケーブル・衛星・有料チャンネルを含めると300以上のチャンネルが存在する。
日本以外の先進国では、視聴者は多種多様なチャンネルから
自分に合ったチャンネルを選べる環境が構築されている。
だから、日本のように偏向報道したり、視聴者を馬鹿にするような番組を流したら、視聴者に飽きられ、他の番組に移られてしまう。そうなると存続に関わってくるので、どこの放送事業者も内容の充実・改善に力を入れている。いい意味で競争原理が働いているのだ。
競うことは適度であれば、決して悪いことではない。これにより切磋琢磨し、向上心を高めることができる。逆に悪い意味での平等は、横並びの談合体質を生み、怠惰を誘う。
日本のテレビ局は上から目線で偉そうに「民主化」を口にするが、自分たちは既得権にしがみつき、その様はまるで北朝鮮のごとき、社会主義・権威主義・独善主義の権化。それを打破すべく、電波オークションの導入により、放送の民主化をするべきだ。ぜひとも視聴者(国民)目線で視聴者(国民)のためになる番組を提供できる放送事業者に参入してもらいたい。
今の放送事業者は既得権のぬるま湯に浸かり、公器としての責任をないがしろにし、日本を間違った方向に導こうとする害が大きくなってしまった。彼らは自分たちに都合の悪い情報は絶対に報道しない。
OECD諸国で電波オークションが導入されていないのは日本だけ。
OECD諸国でスパイ防止法が制定されていないのは日本だけ。
OECD諸国で自国の国旗損壊罪が制定されていないのは日本だけ。
OECD諸国(成文憲法のある国)で憲法が改正されていないのは日本だけ。
日本の放送業界が民主化されることを切に願う。もはや一部の人が既得権を独占し、エリート風を吹かせて殿上人のように振舞える時代ではなくなった。駄々をこね、この流れに抗えば、ネットやSNSに淘汰されることになるだろう。既にネットやSNSでは誰もが自由に情報を発信し、それを世界中の人が観ることができるのだ。間にオールドメディアを入れる必要はない。この流れは今後も加速する。
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