第1823話 放送局員の心構え2
関連回 第1578話 道徳審査委員会4、第1579話 道徳審査委員会5
「放送局員は善なる心構えを持って、善なる番組を作り、
視聴者を善なる方向に導く責務がある」
前の世界の放送局でこう言ったらポカーン状態だろうが、ここでは皆、真剣に聞いてくれている。うん、いいね。でも、それはそうだ。というのも、放送局の募集要項にも同じ様な事が書いてあり、それに賛同できる人のみ採用しているからね。
前の世界の放送局なら、親のコネがあったから、金が稼げるから、他人に自慢できるから、恰好良さそうだから、異性にモテそうだから、という、しょうもない理由で入った人が多そうだが、この世界の放送局は浮ついたところはまったくなく、正真正銘、世の中を善くすることを考えて、この職に就く者がほとんどだ。
前の世界では、神社の神主、お寺の住職、教会の牧師など、宗教関係の職に就く人を聖職者と呼ぶことがあったが、戦前はこれに加えて、学校の教師も聖職者と呼ばれた。戦前において教師は宗教的な牧師のように捉えられ、教育は「神から与えられた使命」で、自己犠牲的に取り組むべきという考え方がなされ、明治期の「小学教師心得」や森有礼の教育方針によって明確化されたんだよな。だから、戦前の教師は精神性のレベルが総じて高かった。
ところが、戦後、教師の立ち位置は、GHQ監督下で制定された教育基本法に基づき「全体の奉仕者」という位置づけに変化。労働者論が台頭し、日教組が倫理綱領で労働者性を主張。これにより教師は聖職者から単なる労働者へと格下げされてしまったのだ。同時期に天皇人間宣言がなされたが、これも現人神から人間への格下げ。GHQは民主化政策の名の下、日本の伝統や文化や価値観を壊すことに躍起になった。
だから、今時の教師は昔と比べ、精神性のレベルが低い。サラリーマン感覚で教育をし、子供を立派な大人に育てるという気概も責任感も希薄だ。そういう教師の指導を受ければ、子供だって、おかしくなる。中には、これでは良くないと考え、現場で必死に取り組む教師もいるだろうが、このあたりは現場の努力だけで何とかなるものではなく、政治がメスを入れるべきだろう。
未だに自虐史観を子供たちに植え付けようとし、日本悪玉論を叫び、日の丸、君が代を毛嫌いする連中はさっさと排除するべきだ。こういう連中は教育現場に置くべきではない。はっきり言って、日本からも出ていってもらいたいぐらいだ。
学校の教師をはじめ、人を教え導く立場にある人は、すべからく聖職者であるべきだ。だから、教会の牧師や学校の教師に限らず、国王、領主、町村長、役人、経営者、放送局員、ヒーラー、司法官なども聖職者としての意識を持ってもらいたい。これらの人が道徳的に優れた人なら、世の中が善くなり、そうでなければ、世の中が悪くなる。
僕は世の中を善くする仕組みとして聖職者を増やすことに注力した。僕は皆が善人になることを目指しているので、究極的には、皆、聖職者になってもらいたい。GHQの定めた「労働者」は資本家の対抗者であり、階級闘争という毒成分を含んだもの。これにより日本社会を分断へと誘い、弱体化を図った。またこの「労働者」は社会主義的色合いが濃く、自分の権利を声高に主張する。利他ではなく利己を志向するのだ。
僕の理想とする「労働者」はこれとはまったく違う。傍を楽にすることを心がけ、皆の役に立つこと、皆が幸せになることを望む人たちだ。利己より利他。賃金分しか働かない、最低限のことしかしない、自分の範疇外のことは知ったことではない、お金のためだけに働いている、という西洋的「労働者」とは一線を画する。
その昔、「日本人は働くために生きている。欧米人は生きるために働いている」とジョークのように言い、欧米人が日本の労働文化を蔑んだことがあったが、僕から言わせれば違う。「日本人は皆の為に働いている。欧米人は自分の為に働いている」だ。日本人は利他、欧米人は利己を志向したのが実態。今は日本も欧米の影響を受け、欧米流の考え方をする人が増えてしまったが、日本人の長所はぜひとも残してもらいたい。
日本の首相は働く宣言をし、それに対し、マスコミが「労働者の権利ガー」と喚いていたが、馬鹿も休み休みに言え、先ず基本事項として、首相は労働基準法で定める「労働者」ではない。よって、労働者の権利も云々も関係ない。一日何時間働こうが構わない立場の人だ。
それに、首相は国民にそうするよう言ったわけではなく、自分がそうすると言っただけだ。まったく問題ない。むしろ国民のために、命を削って働いてくれるのだから、褒めたたえ、感謝すべきだろう。僕から言わせれば、政治家は単なる労働者ではなく、利他の精神にあふれた聖職者であるべきだ。自分の権利ばかり振りかざす利己主義者は政治家にふさわしくない。
話を続けよう。放送倫理と言ったら、この話題をしないとな。
「ところで君たちは道徳審査委員会というのを知っているかな?」
すると、サラが続く。
「知ってますよね。皆さん」
これに皆、小さく頷く。一応、訊いてみたけど、
放送局に勤めていて知らないってことはないよな。
「放送番組は道徳審査委員会のチェックを受けた上で放送されています。
現在、その道徳審査委員会の会長であらせられるのが聖王陛下なんですよ」
自慢話みたいになるので、僕が会長であることまで話すつもりはなかったが、まぁいいか、秘密事項でもないし。しかし、サラもさらっと話すなぁ。サラだけに。
僕は道徳審査委員会の会長だが、今はほとんどの業務を委員に任せている。ただ、番組のチェックをすると同時に、放送局員のチェックも重要と考え、採用や研修にも関わっている。僕自身は放送局に籍を置いてないので、あくまで外部からのサポートになるが、それは建前上で、実際は、がっつり内部まで深く関わっているんだよな。陰の奉仕者になりたくて。はは。
話を続けよう。
「道徳審査委員会の基準により、作品は次の通り、分類される」
パネルを提示する。
□------------------
有益作品 益がある 害がほぼない
一般作品 害が少ない(許容範囲)
有害作品 害が多い
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「このうち放送されるのは、有益作品か一般作品となる。
有害作品とされたものは放送されない」
前世の放送番組でも、問題があると、
お蔵入りとなることがあったが、それに少し似ているかもな。
基準は違うだろうが。
「有益と有害については、こう」
パネルを提示する。
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有益 道徳的 (精神性向上)
有害 反道徳的(精神性低下)
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「有益作品については、先程、善想念の例を示したから、分かりやすいと思うが、
有害作品の例はこうなる」
パネルを提示する。
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有害作品の特徴
エロ、グロ、暴力、嘘、いじめ、争い、不快、不気味など
反道徳・反社会な内容を助長・賛美・肯定するような内容
また、食欲・色欲・金欲などの欲望を過度に刺激する内容
努力しなくていい、何もしなくていい、怠惰を助長する内容
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「世界を善くすることが放送の目的なのに、こんな内容を流してしまったら、
それに反してしまう。これらは避けるように」
前の世界の放送はネガティブなことばかり流したが、
この世界の放送はポジティブなことを流す。
サラが手を挙げる。
「益も害も無い番組は放送できますか?」
参加者たち向けの質問だな。
「益が有るに越したことはないが、無くても放送そのものはできる。現実問題、毎回、毎度、善の要素を入れるのは難しいからね。例えばニュースは起きたことを事実に沿って報じる必要があるが、中には事故や事件など、暗い話題もあるだろう。それなのに、無理やり明るくしたら不自然だ。その場合は淡々と報じればいい」
「ニュース番組はそうですよね」
「うむ。教育番組は教育自体が為になるから、有益番組となり、ニュース番組は
事実を正確に伝えることが重要だから、一般番組となりやすい」
いわゆる中立という奴だな。ニュースはこの世で起きた事象を報じるが、
この世で起きるのは善だけとは限らない。当然、悪もある。
「娯楽番組はいかがでしょうか?」
「娯楽番組は有益番組が多いが、中には益と害がミックスされた一般作品もある。害のすべてがNGということではなく、益でそれをカバーできるなら、OKになることがある。悪事だけならNGだが、その後、更生するならOKとかね」
「そのあたりの線引きは難しいですね」
「そうだね。だから、道徳審査委員会がチェックするんだ。
難しくても、やっているうちに段々線引きできるようになってくる」
道徳審査委員会がチェックするのは、放送番組だけでなく、劇場の舞台、書籍も含まれる。この三つが大衆に影響を与える媒体だ。ちなみに放送と劇場では、有害作品を発表することは禁止だが、書籍では、一定の条件の下、認められている。その理由は、前者は主に視覚情報なので刺激が強く、規制を強くする必要があると判断したからだ。
対して、書籍は主に文字情報なので、刺激が弱く、規制を緩めた。殴る蹴るの暴力シーンを映像で見るのと、文字で読むのとではまったく印象が変わってくるからね。ただ、書籍でも、イラストなどは視覚で訴えてくるので、これについては、放送、劇場と同じ規制とした。露骨なエロや暴力などの表現などはカットするよう規制が入る。
最後にこれを挙げておこう。パネルを提示する。
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面白い作品より、為になる作品を
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「いくら面白い作品でも、人の欲望を刺激し、射幸心を駆り立て、興奮させるような作品は要らない。それより本当に為になる作品作りを心がけよう。面白くて為になるなら一番だが、この両立は難しい。であれば、面白さより為になる方を優先しよう。良薬口に苦し、為になる作品は取っつき辛さがあるが、慣れてくると、次第にそれが面白くなってくる」
面白い作品は視聴者が求める作品ということになるが、それを追求すると、欲望を満たす作品となり、精神性を下げることになってしまう。どこかの世界の書籍や映像の作品はエロや暴力や復讐のオンパレードだが、こんなのを見続けたら、幼児化、白痴化するだろう。それだと愚民化政策と同じになってしまう。
小中学生が見るような作品を30代、40代の大人になっても見るということは、その間、精神がほとんど成長しなかった可能性がある。いくら知識や経験を積んでも、中身の幼児性がそのままだと、歪な大人になってしまう。
だから、取っつきづらくても、為になる作品を見るべきだ。精神を成長させるには、その取っつきづらさを乗り越える必要がある。昔の人は、夏目漱石、太宰治、芥川龍之介、川端康成、谷崎潤一郎などの文学、ソクラテス、プラトン、アリストテレス、デカルト、カント、ヘーゲル、ニーチェなどの哲学を読み耽ったが、それにより、内面の深いところを探究し、自らの至らなさに真摯に向き合い、もがき苦しみながらも精神性を高めたのだ。
精神性を高める過程は修行であり、やり始めは面白くないだろう。だが、それを続けるうちに、その面白さに徐々に目覚め、やがて、これ以上、面白いことはないという境地に達することができる。その時、「面白い」と「為になる」が一致するのだ。「したいこと」と「すべきこと」もそう。「すべきこと」をしてるうちに、やがて、それが「したいこと」になる。
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