第1819話 行動経済学4
続きです。
カインへの教示は続く。
彼はギルフォード商会の後継者であり、
しっかり経済を教え込んでいかないとな。
但し、理屈ベースの金儲けだけの経済学ではダメ。前の世界でも従来の経済学は役に立たなくなっている。そこで目を付けたのが行動経済学だ。これは人の心に焦点を当て、感情的な行動についても分析している。さて、続きをやろう。
「次は現状維持バイアスだ。これは『現在受け取れる利益を優先したい』と考える現在志向バイアスに対し、『現在所有している利益・メリットを失いたくない』と考えることだ。例えば、現在の職場に不満を抱えていても、転職して今の給与水準や福利厚生が失われないか不安に感じてその場で働き続けることが挙げられる。商売だと『無料お試しキャンペーン』とかだな。一度試した顧客が現状維持バイアスにかかり、継続利用することを狙った手法だ」
「現状維持バイアスですか、これも商売に使えそうですね」
「そうだな。無料ならお客さんも『試してみよう』となるし、試してそれに慣れれば、その状態を維持したくなるから、購入してもらいやすくなる。ただ、先程も言ったように悪用は厳禁だからな」
悪用とは自分の儲けを優先し、相手の不利益を考えないこと。
その様な商売は商会の基本理念に反する。
「承知しました。おじい様」
彼なら大丈夫だろうが、念押しは欠かさない。「だろう。だろう。大丈夫だろう」も一種の認知バイアスだからな。一度、二度、三度、大丈夫だからといって四度目も大丈夫とは限らない。「ここまでやればもう安心、後は何もしなくていい」というのもそう。理屈で考えればそんなことはないのに、そう思いたいという願望により、そうだと思い込んでしまう。
霊界なら、そう思えば、その通りになるが、ここは現世、思っただけではその通りにならない。思ったようにしたいなら、そうなるよう行動しなければならない。認知バイアスが起こる根本原因がここにある。霊的な存在が物質界で行動してるという奇妙な状態にあるんだから、そりゃ認知に歪みぐらい生じる。
「さて、最後はバンドワゴン効果だ。これは多数の人の発言や態度に自分の行動が左右されてしまうことだ。群衆行動や同調行動と表現することもある。例えば、『売上◯本突破』と表示された商品が良いものだろうと判断してしまうことが挙げられる。人の他人の意見に流されやすいからな」
前世なら「フォロワー50万人のインフルエンサーのお薦め」
なんてキャッチコピーもそうだよな。
「ここまで行動経済学の事例を挙げてきたが、これは認知バイアスと密接に
関係している。だから、認知バイアスについても挙げておこう」
これも広い意味で行動経済学に含まれる。
行動経済学は心理学を含み、心理学の研究テーマに認知バイアスがある。
パネルを提示する。
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認知バイアス(認知の歪み)の主な種類
・確証バイアス
・ハロー効果(後光効果)
・サンクコスト効果(埋没費用効果)
・バンドワゴン効果
・自己奉仕バイアス
・後知恵バイアス(知っていたバイアス)
・行為者・観察者バイアス
・内集団バイアス
・ダニング・クルーガー効果
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「ハロー効果、サンクコスト効果、バンドワゴン効果は既に触れたので、それ以外について説明しよう。先ず、確証バイアスだが、これは自分の意見に合う情報ばかり集め、合わない情報を無視する。というものだ。友達や仲間の意見ばかり聞いて、それが全体の意見だと思ってしまうことだな。他には、好きな相手の良い面しか見えなくなり、欠点が見えなくなるとか、新事業の成功を信じるあまり、リスク情報に目を向けず、成功を裏付けるデータばかりを集める。とかもそう」
前世のSNSで、自分の意見と近い情報ばかりを追いかけ、世の中全体の意見がそうなんだと思い込んでしまう「エコーチェンバー現象」もこれに該当する。
「広い視野を持て、ということですね」
「その通り。賛成意見だけでなく反対意見にも耳を傾けることだ。賛成意見は耳当たりがいいので、人はそればかり聞こうとするが、それだと気持ちはいいが、学びも成長もない。耳に痛くても反対意見を聞かないとな」
良薬は口に苦し、自分の至らない点を他人から指摘されると嫌なものだが、それこそが直すべき改善点となる場合が多い。たとえ悪意を持って指摘されたとしても、その通りであるなら、悪意と切り離して受け取るべきだ。
「嫌な人、憎らしい人でも、いいことを言う時はある。その場合は難しく考えず、言った内容を吸収すればいい。発言者が気に食わないからといって、言ったことをすべてシャットアウトするようでは、学びと成長の機会を狭めることになる」
坊主憎くても、袈裟まで憎まない。さて、次にいこう。
「それから自己奉仕バイアスだが、これは、成功は自分の能力、失敗は他人や環境のせいにするというものだ。プロジェクトが成功したら自分の手腕、失敗したら部下のミスにする。なんてのがそう」
「それは自己中ですね」
「そう、自己中だね。明らかに自分のミスでも他人のせいにしようとする人というのが、この世にはいる。しかも割と多くね。そういう人は自分のことを自己中だとは思っていない。そこに認知の歪みが生じるんだ」
歪んでる本人は自分の歪みが判らない。日本では思いっきり左寄りの議員が、真ん中の立ち位置であるかのように振る舞うケースがあるが、自分の偏りに気付いてないのが笑えてしまう。こういう人から見れば、本来の中道が右寄りに見えるんだろう。政治に限らないが、人は誰しも自分を中心に考えたがる性質がある。
「それから後知恵バイアス(知っていたバイアス)だな。これは後から結果を知ると『やっぱりそうなると思っていた』と感じることだ。結果を知ることで記憶が歪み、結果論的な思考に陥りやすくなり、物事の本質やプロセスを見誤らせ、公正な判断を妨げる原因となることがある」
「なんか、嫌な感じですね」
「そうだな。事前に上司に経過をきちんと報告していたのに、悪い結果が出たあとで『なぜそうしたんだ!』と後出しじゃんけんのように叱責されたら、誰だって嫌だろうが、そういう上司は後知恵バイアスにかかっている可能性がある」
一種の記憶の改ざんだな。
「なぜ、そのようなことが起きるのでしょうか?」
「自分を大きく見せたい、もしくは自分の落ち度を隠したい、
という邪な気持ちがあるからだろう」
これも他人事ではなく、誰しも大なり小なりあるものだ。
「次に行為者・観察者バイアスだが、これは、自分の行動は状況のせい、他人の行動は性格のせいにする。というもの。自分が遅刻したのは電車が遅れたからだが、他人が遅刻したのはだらしないからという風にね」
「それも酷いですね」
「ああ、酷いね。でも、現実世界ではこういう人が実際にいる」
韓国に「ネロナブル(내로남불)」という言葉がある。これは「自分がすればロマンス、他人がすれば不倫」という意味から、日本では「自ロ他不」と訳されることがあるが、自分に甘く、他人に厳しい人は、この世には結構いる。周波数の低い人の大きな特徴なんだよな。
パネルを提示する。
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他人に優しく、自分に厳しく
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「こうありたいものだな」
「はい、おじい様」
周波数を上げるにはこれ。他人に厳しく、自分に優しく、は論外だが、他人に優しい人は自分に優しく(甘く)、自分に厳しい人は他人にも厳しくなるケースが多いから、そこそこ難しい。
「次に内集団バイアスだが、これは自分の属する集団(内集団)を贔屓し、他集団(外集団)を排除する。というもの。同じ部署の意見は聞くが、他部署の意見は聞かない、とかね」
要は井の中の蛙だ。
「セクショナリズムですね」
「そうそう。だから、それを防ぐため、商会では人事異動をよくするんだ」
経済学で考えれば、人事異動せず、ずっと同じ部署で働いてもらった方が職能の蓄積により、職務能力が上がり、生産性も上がるということになるんだろうが、行動経済学で考えれば、必ずしもそうはならない。人は生身の感情ある生き物であり、同じ仕事をずっと繰り返したら、やがて飽きがきて、モチベーションが下がるからね。人の本性である魂は多くの経験を欲しており、経営者はそれに応える必要がある。
「最後はダニング=クルーガー効果だが、これは能力の低い人が
自分の能力を過大評価し、能力の高い人が過小評価するということだ」
「あぁ……ありそうですね」
「ふふ、感覚でわかるだろ」
能力の低い人は、まわりが見えず、他人の話を聞かないため、自分の客観的状況が判らず、過大評価し、能力の高い人はまわりをよく見て、他人の話をもよく聞くため、自分の客観的状況が判り、過大評価しない。むしろ謙虚なので過小評価するぐらいだ。前の世界には国別の幸福度ランキングなるものがあったが、ダニング=クルーガー効果を知れば、あれが当てにならないことが分かる。
「自分は幸せだ」と本気で思える人は幸せだが、「自分は幸せだ」とわざわざ他人に主張する人は本当にそうなのか疑ってしまう。幸せかどうかはあくまで心の中の問題だ。他人に主張し、他人に判断してもらうものではない。ましてやランキングなど笑止千万。
2025年の幸福度ランキングにおいて、日本は147か国中55位、10点満点中6.147というスコアだったが、これはG7最低であるだけでなく、台湾(27位)、シンガポール(34位)、ベトナム(46位)などよりも低い。日本は経済大国であり、もっと高くてもいい気がするが、自己主張を控える謙虚な日本人らしいといえば、その通りでもある。
「もうかりまった?」
「ぼちぼちでんなぁ」(心の声:もうかっとりますぅ)
のやり取りにあるように、日本人は成功しても、それをあまり表に出さない。幸せもそうだろう。わざわざ人に言わない。 そこには「幸せをひけらかして他人から嫉妬されたくない」という処世術もあるのだろう。僕もそうなので、この気持ちはよく分かる。
「認知バイアスが起きる理由は何でしょうか?」
「認知バイアスが起きる理由は、情報処理の効率化だな。こういうとそれっぽく聞こえるが、要は途中で思考を放棄して、安易な答えに飛びつくこと。それと、自己肯定感の維持、自分を良く見せたい、失敗から目を逸らしたいという心理だな」
「対策はありますか?」
「対策か、『本当にそうか?』『自分はなぜそう感じるのか?』」と自問する。
複数の情報源を確認し、客観的なデータを見るようにする。だな」
今回、カインに行動経済学について教えたのは、経済を通して心理を知り、また心理を通して経済を知り、理論と感情の両立を心がけてもらいたいと考えたからだ。また心理を学べば、悪の手口を知るようになり、それへの対処にもなる。
そう言えば、アドラー心理学に、幸せの三原則というのがあった。
・自己受容 ありのままの自分を受け入れる
・他者信頼 他者を無条件に信頼する
・他者貢献 誰かの役に立っていると感じる
これら3つを実践することで、人は孤立感から解放され、「私はここにいて良い」「私は役に立っている」という感覚(共同体感覚)を得られ、幸福感につながるとアドラー心理学は説いている。昔の僕なら、「いいこと言うなぁ」と思い、そのまま吸収したかもしれないが、今の僕は違う。しっかり咀嚼する。
先ず「ありのままの自分を受入れる」だが、これが「欠点も短所もそのままでいい」という意味なら、そこは甘受できない。人は自信を持つべきだが、「自分はこのままでいい。自分はすべて正しい」と思うなら、そこで成長が止まってしまう。
それと「他者を無条件に信頼する」だが、これはアカンだろう。ノーチェックで他者を信頼するなんて、あり得ない。ここは現世、それこそ魑魅魍魎のような人もうようよいるんだからさ。最後の他者貢献はいい。これはその通り。ということで、まとめると全体的に良い事を言っているが、自己受容と他者信頼は高級霊界向けの概念だろう。現世では過剰善になりそうだ。
あと、アドラー心理学で気になったのは、「褒めてはいけない」ということ。褒める行為が評価者(褒める側)と被評価者(褒められる側)という上下関係(縦の関係)を生み、相手の自主性や内発的な動機を奪い、評価に依存させるからだとか。褒められるために行動するようになり、「褒められなかったらやらない」という状態に陥ったり、不満や不安を感じるようになるリスクがあるとのこと。
う~ん、どうだろう。確かにそういうリスクがない訳ではないが、だからといって、褒めることそのものを否定するのは極端だと思う。他者から高く期待されると学習成績がアップしたり仕事の成果が上がったりする心理現象をピグマリオン効果というが、褒めて伸ばすのは教育の基本だし、対人関係を円滑にする上で、褒めることは欠かせない。過度は良くないが、それは何であってもそう。適度なら問題ない。
アドラーは上下関係を生む「褒める」を否定したが、その代わり、対等な立場で感謝や喜びを伝える「勇気づけ」を重視した。これにより本人の自律性と貢献感を高めることを目指したんだよな。
アドラーによると、「凄い」「流石だ」という言葉は能力のある人がない人へ下す評価となり、支配や操作のツールになるが、実はこれ、身近にもある。亭主関白気取りの夫をうまくおだてて、しっかり仕事をさせ、裏でコントロールする妻とか、気位の高い人を褒めちぎって、目的の行動をさせるとかね。豚もおだてりゃ木に登るという奴だ。
アドラーはそれを嫌い、「褒める」のではなく、「勇気づけ」を重視したが、具体的には貢献感(自分は役に立っている)を高めるため、「助かった」「ありがとう」と伝えること。結果ではなく過程を見ること。感情の共有を推奨した。
結果ではなく過程を見る方法として、「100点取ったね」ではなく「毎日コツコツ勉強したね」と努力を認めることが挙げられる。「よくやった」という上から目線ではなく「頑張ったね」という対等目線がポイントだ。
感情の共有をする方法として、 「すごいね」の代わりに「それを見て、お母さんは嬉しい」のように、自分の素直な気持ち(アイ・メッセージ)を伝えることが挙げられる。簡単そうで意外に難しいかも。少し訓練が必要かな。
この通り、アドラーは褒める教育を否定したが、同時に叱る教育も否定した。褒めるのが良くないのだから、叱るなんて猶更ということなんだろう。アドラーは「叱る」行為の正体を恐怖による支配とみなした。これで一時的に上から抑えこんでも、かえって逆効果になることが多いんだと。
アドラーは言う。
「子どもを叱る必要はない。ただ、論理的な結末を体験させればいい」と。
例えば、おもちゃの片づけをしない子供に対し、頭ごなしに「片付けろ!」と叱るのではなく、「どうして片付けをしてくれないのかな?」と質問し、子供が「だって、まだ遊びたいんだもん」と答えたら、「そっか、まだ遊びたかったんだね。じゃあ、あと5分遊んだら一緒に片付けようか」と提案するとか。そうすると素直な子供は応じてくれるという。
まぁ、これは確かにそうだな。特に僕の子供たちは素直だったから、ほとんど叱ったことがない。当時、アドラー本を読んでいたわけではないが、その通りのことをしてた。だけどあれだ。例外というか、そうでないケースも多いだろう。
叱らないで済めばそれに越したことはないが、そうせざるを得ない場合もある。それに僕の言う「叱る」はアドラーの言う「恐怖による支配」とは一線を画する。あくまで愛による叱りだ。愛の反対は無関心、どうでも良い存在なら叱るどころか、見向きもしない。
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