第1815話 付加価値3
価値とはいったい何で、誰が決めるものでしょうか。
1位 ルクセンブルグ
2位 アイルランド
3位 スイス
4位 シンガポール
5位 アイスランド
6位 ノルウェー
7位 アメリカ
8位 マカオ
9位 デンマーク
10位 カタール
ずらずらっと出てきたねぇ。これは何の順位だろうか?
答えは一人あたりのGDPランキング(2025年)だ。数字だけで見ると、ここに挙がっている国の人々が平均して稼ぎが大きく、高付加価値の仕事をしてるということになる。国全体のGDPで見ると、日本は、アメリカ、中国、ドイツ、インドに次いで5番目になるが、一人あたりのGDPだと38位となり、この差から日本の一人あたりのGDPの低さを問題視する意見がある。
だが、僕はGDPの根拠となっている付加価値に疑問を呈しており、この数字に思い煩う必要はないと考える。それに一人あたりGDPの高い国はアメリカを除いて、人口の少ない小国ばかりで、ここに数字を増やすマジックがあることを知っているからだ。
人口が少ない国は自国民だけで経済が回らないため、周辺国からの移民に頼るようになる。そして、その移民たちに肉体労働主体の付加価値の低い仕事をさせるのだ。彼らも人数にカウントすれば、一人あたりGDPは低くなるはずだが、自国民でないという理由でカウントしないケースが多く、数字が水増しされている。移民大国のアメリカも同じ状況だ。実態と数字がかけ離れている。
高付加価値の仕事をする自国民の数字を計上し、
低付加価値の仕事をする出稼ぎ移民の数字を計上しなければ、
そりゃGDPの数字が上がる。
しかし、外国人に低付加価値の仕事をさせて、
自国のGDPの数字を上げて何の意味がある?
自慢したいのか? 張りぼての数字で自慢されてもねぇ。
いかにもグローバリストがやりそうなこと。
※補足※
グローバリストとは、地球全体を一つの共同体と捉え、経済・政治・文化などの国境を越えた一体化(グローバリズム)を積極的に推進する人を指し、自由貿易や国際協調、人の移動の自由などを重視する傾向があります。彼らは国際分業による経済効率の向上や相互理解の深化を目指しますが、一方で国内産業や雇用への影響、富の偏在、文化や伝統の軽視といった批判も受けます。
また、きちんと出稼ぎ移民分をカウントしたとしても、元からいる自国民ではなく、外国人が豊かになって、それで本当に国が発展したと言えるのだろうか? 多くのヨーロッパ諸国は移民でGDPは増えたが、元からいる自国民は仕事を失い、税と社会保険料の負担が増え、治安が崩壊し、疲弊しきっている。
何が言いたいかというと、あまりこの種の数字に振り回されない方がいいということだ。それにGDPの高い国は金融業をしてることが多く、これは他国からの利ザヤで稼いでいることを意味する。GDPの高さは利己的な要素があるということだ。他国から奪うことで自国の経済を発展させる。
振り返れば、日本が戦後がむしゃらに頑張り、GDP世界第二位になったのだって他国の犠牲の上に成り立っている。特に欧米は日本の輸出攻勢にさらされ、競争相手である企業は軒並みダメージを受けたんだよな。首切りや倒産も相次いだ。
日本の高度経済成長は輸出によるものだが、それを可能にしたのが、1ドル360円という驚異の円安だ。この時代の日本は超絶のバフがかかった無敵の勇者状態であり、欧米の風刺画では、日本からの輸出品が爆弾となって落ちてくる様子が描かれている。
あの時代の欧米人の気持ちを想像すると、「日本は戦争で負けたが経済で復活し、経済で我々を報復している」とでも思ったことだろう。多くの日本人にそんなつもりはなく、ただただ生きるために黙々と頑張っただけだが、欧米人の反感や嫉妬を買うことになった。
1971年のニクソンショックにより、為替の固定相場制が崩れ、変動相場制に移行することにより、1ドル360円というバフは消えてしまうが、その後も日本は製品のさらなる高品質化に注力し、円が高くなっても一定の競争力を維持し続けた。
話を戻そう。
農業や介護やモノづくりなどの仕事は世の中にとって欠くべからざる重要なものだが、稼げないため付加価値が低く、一方、金融や証券や保険などの仕事は世の中になくても何とかなるのに、稼げるため付加価値が高い。職業の重要性と付加価値の高さは一致しないのだ。
GAFAはネット上のフォーマットを利用してもらうことで莫大な利益を得ているが、自ら何か生み出すことはない。他人の商売の褌を利用しているだけだ。クレジットカード会社もそう。会員であるお客さんが店でカードを利用する際、代金の数%を手数料でせしめている。こちらも自分では何も生み出していない。
クレジットカードの手数料はこんな感じ。
・大手チェーン(コンビニ、家電量販店など)1~2%程度
・デパート・百貨店 2~3%程度
・中小規模の小売店・専門店・飲食店 3~5%程度
・サービス業・デジタルコンテンツ 7~10%程度
店舗規模が大きく取引量が多いほど手数料率が低く、
個人経営店やリスクが高い業種(サービス業など)は高くなる傾向があるが、
ほとんど何もしないで、こんな手数料が取れるなんて、ぼろい商売だ。
店からすれば、お客さんがカードを利用する度に数%の利益を抜かれることになるが、その数%の利益を出すために店は様々な工夫や努力を重ねているのに、カード会社は何もせず易々と利益を得るのだから面白くないだろう。実質、中抜きのようなもの。
彼らが稼げるのは、いわゆる「稼ぐ仕組み」を構築したからだが、稼ぐ仕組みとは一体何だろう? それは他人の稼ぎをかすめること。合法的に奪うことだ。だから多くの場合、稼ぐ仕組みとやらはろくなものではない。
コンサルタントも付加価値の高い仕事と言われるが、実際にしてることは、顧客に合ったビジネスプランを提示し、その際、企業を紹介して、その企業からキックバックをもらうことだ。コンサルタントは中立公平的な視点を装うが、実際は意中の企業を紹介するための論法を頭の中で組み立ており、中立公平とは言い難い。
建築コンサルタントなら建築業者を紹介し、環境コンサルタントなら太陽光パネル業者を紹介し、医療コンサルタントなら高額診療の病院を紹介する。とかね。はっきり言って知的専門家を装った中抜き商売だ。
コンサルタントと聞くと、特定の仕事のように思わるかもしれないが、高付加価値的職業には大なり小なり、この要素がある。営業に買うべきか否か聞けば、買うべきと答え、医者に薬を飲むべきか否か聞けば、飲むべきと答え、税理士に税務相談すれば、毎年きちんと申告すべきと答え、自分を顧問にするようもちかけてくる。要は彼らの儲けパターンにはめられるということだ。中立公平を装うがあくまで自分の利益が最優先。
会社の中で要領のいい人は、手間がかからず儲けの多い仕事をして付加価値を上げ、そうでない人は、手間がかかり儲けの少ない仕事をして付加価値を下げる。こうした状況で、皆が皆、付加価値を上げようとしたらどうなるだろうか? おそらくその組織は利己主義が蔓延し回らくなるだろう。仕事は、自分さえ利益を出せばいい、というものではない。付加価値の低い仕事をしながら、付加価値の高い仕事を獲得する。最初から利益至上主義でガツガツこられたら、誰だって距離を置く。
ある営業マンは大口契約を獲得するために、顧客の家の前の掃除をし、ある研究者はアイデアを思いつくため、愚にも付かない行動をしたりする。高付加価値を生み出すためには低付加価値の作業がかかせない。高付加価値だけで世の中は成立しないのだ。
GDP・付加価値・労働生産性が高い → 利己的・他者から奪う
GDP・付加価値・労働生産性が低い → 利他的・他者に与える
例外はあるが、この傾向がある。
損して得とれ、という言葉があるが、得ばかり求めると損することになる。
「皆で高付加価値の仕事をしよう」と言うのは「皆で金儲けを最優先にしよう」と言ってるのと同じであり、拝金主義に通じるものだ。僕はこれに反対であり、だからこそ、これをこの世界に導入しなかった。真面目にコツコツ仕事をする人が搾取され、マネーゲームのような仕事をする人がいい思いをするような世の中にはしたくない。
そうそう、付加価値は経済的利益、儲けであり、それは他人が決めるものだと論じたが、その一方で、自分にとって本当に大事なものは自分が決めるべきだ。例えば、ある人が素晴らしいと評され、多くの人がそう思ったとしても、自分の中で、その人が素晴らしいかどうか決めるのは自分自身だ。他人の意見は参考にはなるが、文字通りあくまで参考、最終決定権者は自分だ。
だから、他人から自分が尊く思われても、その善想念は有難く頂戴するとして、本当に自分が尊い存在かどうかは自分が決めることになる。だが、どうだろう。自分で自分が尊いと決められるだろうか? 霊性の低い人ならいざ知らず、霊性の高い人はできないはずだ。
つまり、自分は尊い、ということは自分も他人も決められない。というか決めるべきではない。であるがゆえに、謙虚という概念があるのだろう。他者から尊敬されるような行動をし、尊敬されるのはいいが、尊敬はあくまで付録だから、尊敬を目的化しない。
但し、人から尊敬されること自体は良いことなので、その想いは有難く享受する。だが、それで「自分は尊い」と天狗になったら傲慢の悪想念が芽生え、他者からの尊敬の善想念を打ち消してしまう。褒め殺しという言葉があるが、尊敬や称賛などの善想念が傲慢などの悪想念を生みだす原因となる場合があるから要注意だ。それを防ぐには謙虚と感謝が欠かせない。
この二つが精神性を高める上で非常に大事なのは言うまでもないが、簡単に学べるようでいて、意外にそうでもない部分がある。例えば、ある人から「もっと謙虚にしろ」と言われたら、どう思うだろうか? 反射的に「そういうあなたこそ謙虚にしたら」と反感を持つ人が多いはずだ。
人は謙虚な人からは謙虚を学べるが、そうでない人からは素直に謙虚を学べないという性質がある。自分より精神性の高い(と自分が判断する)人からなら学べるが、そうでない人からは容易に学べない。簡単に言えば「おまいう」だね。だが、ここでひとつ問題が出てくる。本当に謙虚な人は謙虚であるゆえに、他人に対し謙虚を求めるようなことは言わないのだ。
もっと言えば、本当に精神性の高い人は、精神性が高いがゆえに、他人の精神について、あれこれ上から目線で言わない。修行が進めば自分の精神性が高いとすら思わなくなるだろう。泰然自若の心境となり、すべての状況が気にならなくなる。ちょっと修行をした程度で、自分は高みに達したとうぬぼれるようでは、まだまだ修行が足りない。
『賢者が愚者から学ぶことのほうが、愚者が賢者から学ぶことよりも多い』
これはモンテーニュの『随想録』の言葉だが、知性や精神性の高低にかかわらず、あらゆる人から学べる人が理想ということなんだろう。もし、上位の人からしか学べないとなると、どんどん先細りし、やがて誰からも学べなくなってしまう。
だから、自分より口の悪い人から「悪口をやめろ」と言われても、傲慢な人から「謙虚にしろ」と言われても、性格の悪い人から「性格を良くしろ」と言われても、そこで怒ったり、言い返すのではなく、正味自分の為になる内容であれば、誰が言っても受け入れられる度量を持ちたいものだ。
言ってることはその通りだが、
気に食わない人物の口から出た言葉だから、受け入れられない。
というのでは度量が小さい。それはそれ、これはこれだ。
罪を憎んで人を憎まず、と一緒。善言を聞く際は人を選ばず、だ。
但し、『何を言うかより、誰が言うか』という処世術の通り、多くの人は誰が言うかを気にし、自分が認めた人物の話しか聞かないのもよく分かっている。だから僕は、多くの人が話を聞きたいと思うだろう人物像を作り上げている。そして話を聞きに来てくれたら理想の方向に誘導する。
自分の理想(誰からも話を聞く)があるからといって、最初からそれを人々に強制することはしない。先ず相手の考え(特定の人からしか話を聞きたくない)に合わせ、それから自分の理想を述べていく。そして、述べた後もそれを人々に強制することはしない。あくまで「そういう生き方がお勧めですよ」というスタンスだ。
最後に付加価値について話を戻すと、付加価値は商取引で決まるものであり、いわば外側の物質的価値だ。だから、そればかり注目すると、外側の世界中心となり、内側の世界すなわち精神世界の事柄が疎かになってしまう。
本当に価値あるものは外側ではなく内側に存在する。形として残らず、捉えづらいため、無価値のように思われがちだが、とんでもない。それは世界中の金銀財宝すべてより、はるかに価値がある。
勉強、仕事、恋愛、結婚、出産、子育てなどの経験をし、
家族、友人、仲間など人と出会い、交流を通して、学び、成長を得る。
これらは経済的な価値で推し量ることは決してできないのだ。
最後までお読み頂きまして、誠にありがとうございました。もし拙作を気にいって頂けましたら、いいね、ブックマーク、評価をして頂けると大変有難いです。
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