第1814話 付加価値2
続きです。
付加価値を絶対視せず、付加価値の低い仕事を大切にするべきというのが僕の考えだ。付加価値の低い仕事は稼ぎこそ少ないが、他人や社会の役に立ち、善性が高い傾向がある。これこそが本当の「傍楽」だ。
利他の要素が多い分、利己の要素が少なく、経済上の利益すなわち付加価値が少ないが、それ以上にずっと大切なものが、この世にはある。付加価値に目を奪われれば、その大切なものが目に入らなくなってしまう。それは人の霊性進化を妨げることになる。
他人を使って上前をはね、間に入ってマージンを取り、右から左につないで手数料を取り、お金を貸して利ザヤを得るような商売は付加価値こそ高いが、それは他人の労働成果を奪って成しえたもの。善性が高いとはとても思えない。
他力本願ではダメ、自力作善でないと。何かに依存したり、チューチューする生き方は間違っている。因果の法則は自業自得であり、すべて自己責任の上に成り立っている。誰かにすがって、それが消えることはない。霊性進化の要諦は自立であり自律だ。他者と仲良くし協調することは大事だが、他者を利用して踏み台にし、他者から奪うことはすべきではない。
また才能があって高収入を稼げる高付加価値の仕事に就いたとしても、自分一人の力ということは決してない。例えば、プロ野球で秀でた才能があっても、他の人もみんな同じ才能がれば、その能力は特別なものではなくなり、高付加価値でなくなる。プロバスケット選手で、物凄いダンクシュートを決める才能があっても、それは他の人ができないからだ。他の人が皆、それをできたら、やはり高付加価値ではなくなる。高付加価値は低付加価値があるから存在するのだ。
高い才能の人は低い才能の人を見下しがちだが、自分がその立場でいられるのは低い才能の人たちがいるお陰。低い才能で甘んじてくれている人たちがいるお陰だ。であれば、感謝こそすれ、見下すなどあってはならない。低い才能の人たちも過去世特典を使えば、高い才能を持つことができたが、霊性の高さから、現世で修行する際、才能の高さは障害になると判断し、自ら封印したのだ。現世では才能の低い人が才能の高い人に敬意を払うケースが多いが、霊的には逆が正解だ。
この世で脚光を浴び、目立つことができるのは目立たず縁の下で支えてくれる人のお陰。政治家は秘書や後援会に助けられ、芸能人はマネージャーやファンに助けられ、漫画家はアシスタントや読者に助けられ、医者は看護師に助けられ、営業職は事務職に助けられ、通行人は道路工事の作業をしてくれる人に助けられ、ホワイトカラーはブルーカラーに助けられている。そういう人を下に見て「自分は高付加価値の仕事をするから偉い。低付加価値の仕事をする者どもよ、自分を敬え」なんて思ったら、まわりが見えていない愚か者だ。こういうのを無明という。
でも、低付加価値の仕事なんて誰でもできるんじゃない?
出たね。自己ツッコミ。
ちっちっ、そう思ったら、浅はかだ。例えば、
大企業のトップが末端の仕事をできるだろうか?
派手な舞台で活躍する芸能人が清掃の仕事をできるだろうか?
他人を顎で使っていた人が、使われる側の仕事をできるだろうか?
綺麗で楽な仕事をしていた人が汚れるきつい仕事をできるだろうか?
大物政治家が介護の仕事をできるだろうか?
はっきり言おう。誰でも簡単にできる仕事なんてものは存在しない。どの仕事も相応の難しさがある。それを知らず、高付加価値の仕事で成功したからといって、いい気になり、低付加価値の仕事をなめてかかれば痛い目に遭うだろう。職業に貴賤はなく、大臣ができるからといって農作業ができるとは限らない。役人が書いた答弁書を読むだけの大臣の仕事なら、農業の方がずっと難しいのではない。
飲食店で、お客さんに喜んでもらえるよう、安いメニューを提供すると付加価値は低くなり、店の儲けのため、高いメニューを提供すると付加価値は高くなる。また、接客業で一件一件、笑顔で丁寧に対応すると付加価値は低くなり、機械的に最低限の対応で済ませば付加価値は高くなる。
あくまで付加価値という経済的基準ではそうだが、多くのお客さんにとって本当に価値があるのは、付加価値の低い仕事であろう。利他を重視すれば付加価値は低くなり、利己を重視すれば付加価値は高くなるのだから当然の話だ。付加価値を求める行為は突き詰めれば、自分の儲けを最優先とする利己主義である。
GDPは国内で生み出された付加価値の総額を示すものであり、そのGDPでアメリカは世界一の国だ。だから、数字上、アメリカが世界で一番、豊かな国とされている。確かにアメリカには世界の名だたる大企業が多く、富裕層も多いが、その反面、アメリカは貧富の格差が激しく、上位1%の富裕層がアメリカ全体の資産の約36%を所有している状態だ。よって、貧困層が多く、ホームレスがあちこちにいる。夜の街は危な過ぎて、女性の一人歩きはできないほどだ。
アメリカは資本主義を代表する国であり、高付加価値への志向が強いが、その結果、少数の勝ち組と多数の負け組という歪な社会構造の国となってしまった。アメリカの為政者からすると、それが普通なのかもしれないが、この様な社会は目指したくない。
最新情報によると、現在、日本はアメリカ、中国、ドイツ、インドに次いで、5番目のGDPの国らしいが、上位のどの国も、失業、移民、民族対立、経済格差、治安の問題がクローズアップされており、うまくいってるとは思わない。インドに抜かれても、特段ショックということはない。はっきり言って、GDPなんて、どうでもいい指標だ。そんなまやかしのものではなく、本当の豊かさを求めないと。
それは、インフレや失業や移民などの不安にさらされず、経済格差や治安の問題がなく、皆が平穏無事に暮らせる世の中だ。夜でも女性が一人で歩け、昼間なら子供も一人で歩け、落とし物をしたら警察に届けられる。皆が道徳を守り、礼節を大切にする。物質的豊かさより精神的豊かさを重視する社会を目指すべきだ。
さてと、一呼吸。
ここまで、付加価値のマイナス面を論じてきたが、もちろんプラス面もある。それは、他人から奪ったような価値ではなく、自ら価値を上げた場合だ。例えば、企業などの生産者が生産活動によって価値を高めること。原材料や燃料をもとに加工して製品を作るのが典型だが、日本はこれで国を発展させてきた。いわゆる加工貿易だ。
元々の原材料や燃料は価値が低く、それを加工という労務により、価値を高めたわけだが、これなら問題ない。木材を仕入れて彫刻するのもそう。彫刻の作業が価値を高めた。一口に「付加価値を高める」と言っても、利益至上主義で他者から利益を奪うようなものは良くない。やるなら自分の手で利益を生むようなものでないとね。
そして、その価値判断はあくまで他者に委ねる。「価値がある」「価値を高めた」と自分で思っても、本当にそうなのか決めるのは他者次第だ。日本は加工貿易で世界中の国々に輸出したが、それができたのは価値あるものとして受け入れてもらえたから。
何が言いたいかというと、どんなにいいものであっても、それに価値があると判断されなければ、価値を持つことはないということだ。いいものを作れば自動的に価値が生み出されるわけでは決してない。「あなたの作ったものに価値がある。だから、その値段で買おう」そう言ってくれる人のお陰で日本は経済発展してきた。
メイドインジャパンは高品質なんだから、売れるのは当然じゃない?
それは日本製品が世界中で売られ、その品質の高さが知られるようになってからの話。つまり信用を築きあげた現在の話だ。戦後、間もない頃の日本にはそれがなかった。ましてや西欧諸国による日本悪玉論が吹き荒れた時代、世界で勝負するには完全に逆風だった。
メイドインジャパン? 誰が買うか、そんなもの!
当時、そう吐き捨てられるほど、世界の日本に対する風当たりは強く、日本人というだけで商取引を断られた。だが、そんな時代でも日本人と手を組み、日本人のつくった商品を世界中に売りさばいてくれる人たちがいた。そう、ユダヤ人だ。あまり知られていないが、戦後、彼らが日本製品を世界中に売りまくってくれたお陰で、今日の繁栄の土台が築かれたのだ。
繰り返すが、いくらいいものをつくっても、売れなければ価値を持たない。価値を持たせてくれたのは買ってくれた人だが、そうさせたのは売った人でもある。職人の日本人と商人のユダヤ人が手を組んだからこそ、日本は驚異的に発展することができた。
1945年に戦争が終わり、日本は焼け野原となったが、それからわずか19年後の1964年(19月10日)に東京オリンピックを開催して世界中の人々をお迎えできる程になり、しかも同年(10月1日)、それに間に合わせるように新幹線も開通した。さらに1968年、戦後23年にして、アメリカに次ぐGDP世界第二位の国へと躍進したのだ。
これは人類史上でも類を見ない程の経済発展だ。ドイツも経済発展したが、日本と違い、ドイツは軍事拠点しか空爆されておらず、通常の製造ラインはほとんど温存できたから、戦後すぐに発展したのは当たり前。そのドイツをも日本は何もない状態から追い抜いたのだ。
これらは日本人の血と汗と涙の結晶の成果であることは疑いようもない事実であるが、その裏で日本製品の価値を認めてくれた人たち、その良さを広げてくれた人たちがいることを忘れてはいけない。口下手で寡黙な日本人の代わりに日本商品の良さを雄弁に世界中に語ってくれたのがユダヤ人だ。
もちろんユダヤ人だって利益を追求してのことだろう。彼らはその卓越した情報網から、日本人の手先の器用さ、緻密さ、繊細さ、ものづくりにかける情熱を知っていた。それと、戦前1ドル2円、大戦末期1ドル4円25銭だった為替レートが、戦後、GHQの政策により、1ドル360円という、とんでもない円安に設定されたことにより、日本製品の輸出競争力に超絶のバフがかかった。「これならいくらでも売れる」とユダヤ人は考えたのだろう。実際、日本製品は海外でバカ売れし、市場を瞬く間に席巻することとなった。
利に聡いユダヤ人だから、相性のいい日本人と組んだのは合理的ではある。だが、それだけで手を組むだろうか? ユダヤ人は迫害された長い歴史があり、基本、同族以外とは手を組まない。それなのに異民族である日本人と手を組んだ。しかも日本は少し前までドイツと同盟していた国だ。普通なら、そんな国の人と簡単に手を組めるものではない。だが、それは表面上のこと。歴史を深掘りすれば、日本とユダヤの違う関係が見えてくる。
そのいい例が「河豚計画」だ。これは戦前、日本の影響下にあった満州にユダヤ人を大量に受け入れ、ユダヤ人の自治区を作るという壮大な計画だ。当時、ユダヤ人はヨーロッパで迫害を受けており、とりわけドイツでは市民権を否定され公職から追放されるなど深刻な状況下にあったため、救済色が非常に強かった。
もちろん日本も善意だけで、このような計画を立てたわけではなく、ユダヤ人の資金と技術をあてにしたのは明らかだ。結局、この計画が実現することはなかったが、当時、日本人とユダヤ人が平和裏に話し合い、ユダヤ人の国造りを共に考えた意義は大きいだろう。親身になってくれた日本人にユダヤ人は親近感を抱いたはずだ。世界中でどこもユダヤ人救済に手を挙げる国はなかったのに、唯一、日本が手を挙げたのだから。
それと一人の陸軍中将の功績が大きい。リトアニアの日本国総領事館に赴任していた杉原千畝がナチス・ドイツの迫害から逃れてきた多くのユダヤ難民を救出した逸話は「東洋のシンドラー」として国内外に広く知られるようになったが、実はもう一人「東洋のシンドラー」と呼んでいい人物がいる。
それは樋口季一郎陸軍中将だ。杉原千畝が救ったとされるユダヤ人の数は6千人とされるが、それを優に上回る2万人のユダヤ人を樋口中将が救ったと言われている。樋口中将は満州国ハルビン特務機関長だった1938年3月、迫害を逃れ、ソ連を通過してソ連・満州国境オトポール(現ザバイカリスク)で立ち往生していたユダヤ人難民に食料や燃料を配給し、満州国の通過を認めさせたのだ。
ユダヤ人難民は、ドイツ国籍であれば上海へのトランジットが可能だったが、満州国外交部がドイツと日本に忖度して通過させなかったという。樋口中将は「日本はドイツの属国ではなく、満州国もまた日本の属国ではない」と日本政府と軍部を説き伏せ、上海までの脱出ルートを開いたのだ。
当時、日独防共協定を結んでいたドイツはユダヤ人救済を抗議してきたが、上司だった関東軍の東条英機参謀長は「当然なる人道上の配慮によって行った」と一蹴した。東条英機は「ヒトラーのお先棒を担いで弱いものいじめすることは正しいと思われますか」と主張した樋口を不問に付し、日本政府は軍事同盟を結んだナチスの人種思想に同調しなかったのだ。
ヒトラーは筋金入りの人種差別主義者であり、人種を、文化創造型、文化保持・模倣型、文化破壊型の三つに区分した。文化創造型はドイツ人を含むゲルマン民族を指し、自らの頭脳で世界文明の創造ができるので、もっとも尊いとし、その他の多くの民族は文化保持・模倣型であり、ゲルマン民族が創造したものに頼るしかないので二流の存在とした。そして、もっとも劣るのはユダヤ人を指す文化破壊型であり、世の中を乱すだけなので、存在自体が許されないとした。
いやはや酷い思想だね。狭視野による思い込みでレッテル張りしてるだけ。ちなみにヒトラーはロシア人もユダヤ人並みに嫌っていて戦場でたくさん殺しまくった。白旗を挙げても捕虜にせず、戦車の前に並べて轢き殺したという話もある。
つまり、ヒトラーから見て、日本人はドイツ人に劣る、文化保持・模倣型の民族であり、それを前面に出せば手を組むことが難しくなってしまうが、それを解決する手段として日本人を「名誉アーリア人」として扱ったんだよな。腹の中では見下していたが、軍事上の理由で体裁を整えたと。う~ん、何だかねぇ。
戦争もそうだが、ヒトラー率いるナチスドイツと手を組んだのは愚かの極みとしか言いようがない。一応、同盟となっているが、日本とドイツはあまりにも距離が離れており、戦略上、同盟が機能したことはほとんどない。そもそも一緒に戦っていないし、主に別の敵と戦ったわけだし、目指すものも違ったし、組んだメリットが皆無に等しい。それどころか、日本のアジアにおける正当な自衛戦争が、ナチスの侵略戦争と一緒くたにされたイメージダウンのデメリットの方がはるかに大きい。日本はアジアから侵略者を追い出すための戦い、ナチスは自ら侵略するための戦い、まったく意味が違う。
一説によると、アメリカの対日参戦を促したのはイギリスと言われている。大戦終盤、イギリスはドイツの空爆に苦しめられ、あと少しで陥落の状況、アメリカの協力を欲したが、当時のアメリカ国民は参戦反対が大多数でそうはいかなかった。ドイツもそれは知っていたので、参戦の大義をつくらせないため、アメリカの船は絶対に攻撃しなかった。
そこでイギリスの考えた策が、日本がアメリカに攻撃すること。これができれば、アメリカの世論がひっくり返り、それにより、日本の同盟国であるドイツにアメリカが攻撃する大義ができると目論んだ。
なので、もし日本がドイツと同盟を組んでいなければ、別々の戦いになるので、アメリカのドイツ参戦はできず、イギリスはどうしようもなかった。つまりアメリカの参戦はなく、歴史が大きく変わった可能性がある。
それにしてもドイツと手を組んだのは悪手中の悪手だった。もし、それがなければ、河豚計画が実行されて満州にユダヤ人の自治区ができ、日本人とユダヤ人の協力関係が盤石なものとなった可能性がある。そうなればリットン調査団も来ず、国際連盟脱退もなく、日米開戦も起きず、歴史は大きく様変わりしたかもしれない。
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