第1813話 付加価値
経済関連が続きます。関連回 第1784話 財政健全化3
孫たちへの講義と、その親たち(僕の子供たち)との世間話を終え、
ひとり執務室のロッキングチェアに揺られ、くつろいでいる。
皆、少し見ぬ間に、しっかり成長してるよな。ふふ。
子供と孫の成長ほど嬉しいことはない。充実した時間だった。
将来の国政を担う孫たちに物価安定の重要性を説き、そのための指標として消費者物価指数の概要を説明したが、既に各国でシステムを構築しているので、要所さえ押さえてくれれば運用はそう難しくないだろう。
僕はこの世界が善くなるよう、各方面に仕掛けや仕組みを作ってきた。小物や悪党風情なら自分が儲かるよう仕掛けや仕組みを作るんだろうが、そんな浅はかさで愚かなことはしない。それに僕は僕がいなくなった後のことまで考えている。世の中を良くする仕掛けや仕組みが構築されていれば、僕がいなくなった後でも大丈夫だからね。(と言っても、まだまだ活躍するつもり)
人は生きている間だけ、善行・悪行するのではない。死後、残したものにより、それが続くのだ。善い仕掛けや仕組みを残せば、死後も善行することができ、悪い仕掛けや仕組みを残せば、死後も悪行することになる。
モーツァルトは生前の不遇から一転、死後、史上最高峰の天才へと評価が急上昇したが、それにより、ベートーヴェンやショパンなど後世の音楽家、さらには文学・芸術分野にも多大な影響を与え続け、今なお善行を行っている。ここまで行くのは並大抵のことではないが、凡人であってもせめて『飛ぶ鳥跡を濁さず』の境地を目指してもらいたい。
死ねば終わり、後のことはどうなろうと知ったことではない。という性根では、死後、他人に迷惑をかけ、悪行となるだろう。善行による徳と悪行による業は時空を超えて追いかけてくることを霊的真理として覚えておいた方がいい。
死ねば終わりではない。
良い種を蒔けば、良い花を咲かせ、
悪い種を蒔けば、悪い花を咲かせる。
罪を償わないまま、今の人生を逃げ切っても、
次の人生で罪を償うことになる。
悪人はこの世で、やりたい放題、自分勝手をして、
他人に迷惑をかけまくり、そのまま人生の逃げ切りをはかるが、
そうは問屋が卸さない。
平和の時代、経済が大切であり、前の世界の経済関連情報のうち、この世界で「役立つだろうもの」を厳選して広めてきたが、逆に「害になりそうなもの」は弾いてきた。経済で言えば「信用創造」だね。これは良くない。それに関連して、紙幣、株、証券、証書、債券など、誰かが「これに価値がある」とする紙類の発行もしてこなかったし、させてこなかった。前世のような影の支配者を生み出さない為にね。やるなら影の奉仕者になってもらいたい。
市場取引できるのは、あくまでモノとサービスとし、実体を伴いないものは認めない。だから、この世界は実体経済オンリーであり、虚構経済は存在しない。これを防衛ラインとし、今後も守り続けたい。
もちろん、これについても、永遠に僕がやるわけにはいかないので、各方面で守り手を作り、僕が手を離してもシステムが維持されるよう動いているところだ。一人だとこうはいかないが、皆と一緒だから、これができる。
信用創造以外で弾いたのは「付加価値」だ。これは価値を付加、つまり高めることで、一般的に良いイメージを持たれがちだが、経済学で指す価値とは金額的価値であり、要は安いモノを高くすることに他ならない。この点に僕は危ういものを感じるのだ。価値という言葉自体にも危ういものがあるが、付加価値となると、その怪しさが二乗になる。
GDP(国内総生産)という指標があり、
『GDP=民間消費+投資+政府支出+(輸出―輸入)』
で算出されるが、これは支出面(需要面)から見た算式である。
実はGDPを算出するには、もうひとつ算式がある。
『GDP=生産額(売上)-生産過程でかかった費用(原価)』
だね。これは生産面(供給面)から見た算式であり、
国内で生み出された付加価値の総額を示すものだ。
上の算式によるGDPは実体経済を示すものとして怪しいところがあるが、であれば、下の算式によるGDPも怪しいところがあると考え、それで付加価値について調べ、その考えを確かなものとした。
付加価値なるものは怪しい。
ということで、その根拠について論じよう。
経済学では付加価値が高いことを良しとするが、
一般的に付加価値が高いとされる仕事は何だろうか?
・銀行、保険、証券、不動産、コンサルタント、ネットビジネス
・エンジニア、研究開発、専門職、クリエイティブ職
・正社員
・経営者、重役
・一流
このあたりが挙げられる。
対して、付加価値の低いとされる仕事は
・単純作業、定型的な業務
・飲食サービス業、育児、介護、清掃、運送、農業
・アルバイト
・末端、下請け
・三流
などが挙げられる。一目見て分かるだろうが、付加価値の高い仕事は、仕事の割に高収入であり、付加価値の低い仕事は仕事の割に低収入という傾向がある。そして、付加価値の高い仕事は付加価値の低い仕事をしてくれる人がいるから成り立っており、もっとはっきり言えば、付加価値の高い仕事は付加価値の低い仕事から価値を奪うことによって、その価値の高さを保っている面が多分にある。俗にいう勝ち組は負け組がいるから成立する概念だ。僕個人は仕事に勝ち負けはないと思っているが、方便として分かりやすく言うとね。
介護の仕事は一人一人親身に対応するため、一人あたりの稼ぎが少なく付加価値が低くなるが、ネットビジネスのように労せず数多くの取引ができれば、一人あたりの稼ぎが多くなり、付加価値は高くなる。
自分一人でする仕事は付加価値が低く、他人をたくさん雇い、彼らの上前をはねる仕事は付加価値が高くなる。また、接客対応やアフターサービスをしっかりする仕事は手間と経費がかさむため、付加価値が低くなり、それを省く仕事は付加価値が高くなる。それに、田んぼでお米を作っても付加価値は低くなるが、それを仕入れて、中間マージンを取るだけの仕事は付加価値が高くなる。
一年通して汗水たらして作業した人より、
数日、ちょこっと作業した人の方が稼げる
という冷徹な現実がそこかしこにある。
ここから言えることは、付加価値の低い仕事は社会を支える大切な仕事であり、それを無くして、すべての分野で高付加価値を目指すというのは間違っているということだ。どこぞのコンサルタントが訳知り顔で「仕事の高付加価値化」を宣ったりするが、皆が皆、それを目指したら、世の中が大変なことになる。コンサルタントは高付加価値の仕事だから、ポジショントークなのが見え見えだが、もっと広い視野で物事を語らないと。
皆が高付加価値を目指せば、誰も彼も自分で動かず、他人を動かし、他人の上前をはねることばかり考えるようになりかねない。労働の対価として人はお金を得るが、楽して稼げば、その分、誰かの労働成果を奪う。それは「傍楽(傍を楽にする)」にならず、他人を叩くこと、「傍苦(傍を苦しめる)」になるだろう。
すべからく労働は悪行(傍苦)ではなく善行(傍楽)にするべきだ。
僕らは悪人ではなく善人になるために、この世に生まれてきた。
それができなければ、この世に生まれた意味が薄れてしまう。
2024年の日本の時間あたりの労働生産性はOECD加盟38か国中、28位であり、G7では最下位だが、あまり気にする必要はない。高齢化の影響もあるが、もともと日本人は丁寧に仕事をし、しなくてもいい様な仕事も、いい意味でかなりしている。日本の企業は「お客様相談室」を設置するなど、顧客対応に力を入れているが、海外の企業は経費の無断とみなし、無いところが大多数。売った後は知らない。知らないことは自分で調べろ。それが海外の企業の標準だ。メールで問い合わせしたって放置されるだけ。
こういう所を切り捨てれば日本も付加価値は上がるだろうが、それでいいのだろうか? 僕はそれが決して良いことだとは思わない。直接的な儲けにならなくても、懇切丁寧な対応により、経済学の付加価値(お金)には表れない価値(信用)が生まれるはずだ。目に見える金銭的数字だけを追えば道を誤るに違いない。
日本は日本の道を歩めばいい。欧米の長所を採用しつつも、
日本の長所を守るべきだ。先人はこれを和魂洋才と呼んだ。
一方、介護や農業などの仕事は人手不足と低収入で厳しいのは現実なので、これについては国が保護するべきだ。2007年に日本は超高齢社会(65才以上の高齢者人口が総人口の21%を超える社会)に突入しており、また、基幹的農業従事者の平均年齢は約70才であり、介護も農業も人材の育成と補充が急がれる。待ったなしの状況だ。
個々の事業者、民間任せでは限界があるので、国が積極的に介入し、現業の公務員もしくは、それに類似した形態で雇ってもいいかもしれない。公務員はホワイトカラー(非現業)のイメージが強いが、本来、こういう分野(現業)にこそ向いている。儲けにならず、儲けるべきでもなく、民間がやりたがらず、国民に必要な分野にね。水道、ゴミ収集、救急、消防、警察、自衛隊なども実はそう。これらは国民本位であるべきであり、金儲けとは一線を画さなければならない。損得勘定、経済合理性だけで運用されたら、国民はたまったものではない。
日本は無料で救急車が来るが、アメリカはそうではなく有料だ。処置内容や距離にもよるが、救命士なしで約8万円から、救命士同乗で14から18万円ぐらい、さらに1kmあたり1000円程度加算され、酸素投与で約8000円などがかかる場合があり、とにかく、金、金、金だ。金が無ければ、救急車は来ないし、来ても金がないと分かると、目の前に瀕死の患者がいても、そのまま乗せずに帰ってしまう。いくら世界一のGDPであっても、こういう国は目指すべきではない。
今後、AIやロボット化が進んでも、数合わせのリストラに走らず、人と人が接する仕事は残すべきと考える。国全体で見れば雇用政策となるし、個人で見れば人としての成長の機会を守ることになる。これはプライスレスだ。
付加価値だけを追求するなら、工場のロボット化をどんどん推し進め、人を要らなくすればいい。やがて大工場でも片手で数えられるぐらいの人数で運用できるようになるだろう。100人必要だった工場が3人で済むようになれば、確かに付加価値は上がり、GDPも上がる。
だが、そんな世の中で本当にいいのだろうか? 日本のある大手自動車メーカーは電気自動車ではなく、ハイブリットや水素自動車にこだわっているが、それは電気自動車だと内燃機関が要らないため、技術も人も要らず、多くの人員をリストラすることが分かっているからだ。
雇用を守るため、内燃機関を要するハイブリットや水素自動車を選ぶ姿勢に好感を持つ。それに、この選択は感情論や道徳だけではなく理論的にも正しい。電気自動車が普及したのは環境に優しいという理由からだったが、実はまったくそうでないことが明るみになっているからね。
電気を使って走るところだけを見れば、電気自動車はCO2を出さず、エコに見える。だが、その電気はどこから来たか? それは発電所からであり、発電の多くは火力発電なのだから、そこでCO2を出している。それに加え、電気自動車はエネルギー効率が悪い。化石燃料を使って発電し、それを送電して家庭に送り、その電気を使うなら、最初から化石燃料を使って走った方がエネルギーのロスがずっと少ない。つまり、エネルギーのロスが多い分、電気自動車は環境に優しくない、ということだ。
それに加え電気自動車で使われるバッテリーに大きな問題がある。使用中どんどん劣化するし、暑さにも寒さに湿気にも弱い。また、放熱がうまくいかず、世界中で発火事故が相次いでいる。バッテリーを作る過程で自然環境を壊し、バッテリーを処分する過程でも自然環境を壊す。これのいったいどこがエコだ。
そもそもCO2にしたって、空気中に0.04%しかなく、これが本当に温暖化の原因になっているのか、かなり疑わしい。確かに地球は徐々に温暖化しているが、これはCO2のせいではなく、もともとあった自然界の周期から来るものだと推察する。というのも、人類が誕生するはるか以前から地球は温暖化と寒冷化(氷河期)を繰り返してきた。江戸時代にも小氷河期があったんだし、それが反転して、現在、温かくなってもまったくおかしくない。地球は固定されたものではなく常に動いているのだ。万物は流転する。
工場に話を戻すと、ある程度の効率化はやむを得ないとして、無人かごく少数の工場を目指すなら、賛同しかねる。確かにそうなれば、人件費がかからず、守銭奴的な経営者はウハウハだろう。付加価値もGDPも上がる。だが、失業者が増えることになり、社会の為にならない。
国がもっともすべき経済政策は物価の安定だが、
それと同じぐらい大事なのが失業者を無くすことだ。
失業者が増えれば治安が悪化し、悪人がのさばる世の中になる。
アメリカは日本よりGDPも労働生産性も高いが失業率も高く、簡単にレイオフされる。能力を発揮できなければ、明日から来なくていいの社会だ。インフレも凄いし、治安もかなり悪い。警察だって呼んでもすぐ来ないから、自分で銃を持って自衛する必要がある。国民目線で見た場合、どちらの国の方が良いかは一目瞭然だ。
付加価値とは経営者にとって価値があるかどうかを示すもの。その価値とは、いくら稼ぐかだ。経営者から見れば、文句を言わず、365日24時間、働き続け、休みも給料も権利も要求しない労働者がもっとも付加価値があるということになる。そんな要望に応えられる存在はAIや機械だけだ。
付加価値を追求する先には、AIや機械が幅を利かし、
人が要らず、人が活躍せず、人が成長しない、薄ら寒い社会が待つだろう。
そんな社会はごめんこうむる。
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