第1810話 物価安定主義4
関連回 第1020話 住宅流通課3~商会の基本理念~
孫たちへの講義は続く。テーマは物価についてだが、
物価と言えば、これだな。パネルを提示する。
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需要 消費者が「買いたい」と思う量
供給 生産者が「売りたい」と思う量
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「需要と供給、この二つのバランスで商品の価格が決まる。価格が上がると需要は減り、需要が減ると供給しても売れないから価格が下がる。価格が下がると需要は増え、需要が増えると供給しても品薄になるから価格が上がる。つまり、商品の価格は上がり下がりはあるが、上がり続けることも下がり続けることもないということだ。どこかでの時点で必ず反転し、波のように上下に振れ続ける」
経済学の父とも言われるアダム・スミスはその著書『国富論』で『見えざる手』と表現したが、これが価格メカニズムを通じて市場を自然に調整し、社会の繁栄をもたらすと説いたんだよな。
パン屋は自分の利益のためにパンを焼くが、その結果として人々はパンを手に入れられる。これが社会全体の利益(パンの供給)につながるということでもあるが、価格が決まる自動調整作用を重視し、政府が市場に介入せず、自由な競争(自由貿易など)を保障することで見えざる手が最大限に機能すると主張した。僕も大枠ではこの考えに賛同する。取引は基本的に自由であるべきだ。
リベルトが手を挙げる。
「あの、これだと、価格が変動しますよね。
安定しないように思われますが」
「確かに短期的に見ると上げ下げが生じるが、振れ幅が小さく、かつ、波の中間点を結んだ線がおおむね水平なら問題ない。3・5・3・5と動くなら、平均して4で推移してるということになる。季節ものの野菜なんかはそうだよな。魚もたくさん獲れた時とそうでない時で変動する。だが、上がりっぱなし、下がりっぱなしはないだろ。変動しつつも、平均すれば一定の水準を保っている」
ギルフォード商会はじめ今や多くの店は定価販売をしているが、いくら定価であっても売れなければ値下げせざるを得なくなる。極力そうならないよう販売しているが、生鮮食品などは日持ちしないので売り切るために値下げすることはままある。つまりギルフォード商会であっても市場原理には逆らえないということだ。
商品には絶対的な自身がある。
だが、最終的にそれを買うか否かはお客さんが決める。
その状態を僕はまったく苦々しく思わず、微笑ましいとすら思っている。
店に売る自由があるように、お客さんにも買う自由がある。
「ということは、モノの価格は市場で決まるから、国は価格決定
に関与できないということですね」
「そうそう、基本的にはそうだ。国が一方的に価格を決めるなんてこと
はできないし、仮にしても絶対にうまくいかないからね」
これについては、かつてのソ連が反面教師となる。あの国は市場原理や自由貿易を否定し、モノの価格を国家による計画・統制によって決定したが、まったくうまくいかなかった。経済の専門家でなくても、普通に考えて分かるだろうに。だが盛大な社会実験をしてくれたお陰で、後世の人は無謀な賭けをしなくて済む。
だが、もう答えが出ているにもかかわらず、前世では未だに統制経済をしようとする動きがある。その最たる例が中国だろう。あの国は自由貿易を約束してWTOに加盟したが、実際は自由貿易ができておらず、共産党の息のかかった企業だけが有利になる仕組みを構築した。10億人を超える市場を餌に外国企業を呼び込んだが、外国企業が現地に投資する際、中国企業と合弁し、株式を49%までしか持てない制約を課した。
これにより、進出した企業は経営決定権を中国企業に握られ、しかも中国企業はほとんど何もしてないのに、利益の半分以上をかっさらったんだよな。おまけに中国で稼いだお金は海外への持ち出しを厳しく制限され、現地で商売を続けるには何かと賄賂を支払わないといけない。さらに最近は人件費が高騰し、市場そのものも魅力が薄れているため、撤退する企業が増えているが、撤退しようとする企業にも容赦なく嫌がらせをする。
羊頭狗肉とはまさにあの国を表した言葉。看板は自由経済を謳っているが、実際は自由経済でも何でもない。共産党による統制経済だ。甘言に騙されて進出した企業は、お金を吸い取られ、技術を吸い取られ、いいことは何もない。すべて搾り取られてすっからかんだ。
だが、そんな悪行が長続きする訳がない。既にバブルが崩壊し、経済が下り坂になったが、今後はさらに加速度的に落ち込んでいくだろう。金の切れ目が縁の切れ目、金の縁しか広げてこなかった国の末路がどうなるか。これもひとつの壮大な社会実験だ。現在進行形で国が滅びる過程なんて、そうそう見れるものじゃない。
但し、ざまあみろ、いい気味だ、滅びろ、等の余計な悪想念は決して抱かない。粛々淡々と事実として眺める。春に花が咲き、夏に葉が生い茂り、秋に葉が落ち、冬に枯れ枝になるように、自然の移ろいのようにね。悪想念を抱きそうな状況で抱かないことが修行となる。
ところが、世の中には、目を閉じ、耳を塞ぎ、外界の情報を遮断して心の安寧を保てば、それで修行をしたと勘違いする人が多い。穴倉に閉じ困り、じっとしていても精神的に成長することはほとんどないのにね。お釈迦様も悟りを開くまでは俗世を離れ、独りで瞑想ばかりする日々を送っていたが、悟りを開いた後は俗世に入り、積極的に衆生と関わった。
オリンピックを目指すような一流のマラソンランナーは高地で低酸素という負荷をかけてトレーニングするが、僕らも現世において俗という付加をかけてトレーニングしている。トレーニングとは行動することだ。それなのに俗から逃げ、何も行動せず怠惰を貪っていたら、トレーニングにならない。
「なので、国は基本的に市場に介入するべきではない。ないが時として、買い占めて暴利を貪ろうとする悪徳商人が出ないとも限らないから、そのチェックが必要だ」
マーク(二十四才)が手を挙げる。
「冒険者ギルドは獣肉を冒険者から買い付け、肉屋に卸していますが、
あれはいいのですか?」
おっ冒険者ギルドの話が出てきたぞ。マークとレクサーは、イースハラン王国のアマルナ王女と組んで身分を隠して、月二回ぐらい冒険者をしてるからな。パーティー名は『不殺生』で獣の討伐はしないが、気になっていたみたいだな。
「冒険者ギルドは昔から獣肉を扱っていたという
歴史的経緯があるからな」
昔から冒険者ギルドは存在し、冒険者に討伐依頼をしていたが、引き取った魔獣や獣を捨てることはせず、解体して素材として利用してきた。その中には食べられるものもあり、それを食肉店に卸すことにより、利益を得てきたのだ。
この世界に前世のような大規模畜産業者はおらず、元々、肉の供給量は前世と比較して多くなかったが、それでも肉を食べる習慣があり、それを担ってきたのが冒険者ギルドだ。だから、僕が獣肉の規制をかけた時、もっとも抵抗してきたのが冒険者ギルドで、そことの話し合いの末、今のやり方に落ち着いた。規制はするが禁止にはしていない。
「ですが、獣肉は品薄で高いですよね」
「それはいいんだ。そうなるようにしてるから。知っての通り、今はどこの国も菜食の国宣言してるから、獣肉の取り扱いは減っている。だから品薄で高くなっているが、そうなることで獣肉から魚肉に移行するよう仕向けているんだ」
「ということは、世の中的には、高くてもいい、というものがある
ということですか?」
「そういうこと。生活必需品、使用頻度の高いモノは価格を抑える必要があるが、そうでないモノは高くても構わない。嗜好性の高いモノ、無くても生活に困らないモノだな」
「そうすると、同じ肉でも、獣の肉は嗜好品で、魚の肉は食品という
扱いですか?」
「そう。魚肉があれば、獣肉など有っても無くても構わないからな」
そもそも人が同じ哺乳動物である獣を食べること自体が間違っている。人も哺乳動物であり、いわば共食いだ。人に近い生き物を殺せば殺人に近くなる。これは霊的にも肉体的にも害を及ぼす。
人の歯は全部で32本あり、そのうち、噛み切る前歯(門歯)は8本で25%、食いちぎる犬歯は4本で12.5%、すり潰す臼歯は20本で全体の62.5%となる。つまり、ごはんや野菜など、すり潰す機能が求められる物を多く食べるよう遺伝子に組み込まれているのだ。
歯の種類の割合から、穀物62.5%、野菜25%、肉12.5%の比率で食べればいい、ということになる。穀物も菜食だから、それを加算すると、菜食87.5%、肉食12.5%の比率が適正ということだ。肉は食べ物全体の1割ぐらいでいい。その肉も鳥獣類ではなく魚介類で十分だ。
ギルフォード商会はじめ多くの商会は生活関連商品の庶民が入手しやすい価格に抑え、利益も抑えるが、実はそれだけではなく、そうでない商品は価格を上げ、利益を上げている。菜食中心こそが正しい食のあり方だ。
「生活必需品は一般庶民向けに安めに売り、
嗜好品や贅沢品は富裕層向けに高く売る。ということだ」
レクサー(二十四才)が手を挙げる。
「それは逆差別にはなりませんか?」
そういう指摘はたまにあるが、そこもきちんと考えている。
「いや、ならない。富裕層だって安い価格で生活必需品を買えるからね。彼らは自分の意思で高い商品を買っているんだ。そして、そうしてくれることにより、商会は利益を得て、それを一般庶民に低価格商品の販売という形で還元することができる。富裕層が高い商品を買うことは間接的に一般庶民を助けていることになるんだ」
富裕層にお金を使うように説いているのは、これがあるからだ。彼らが高いモノを買えば、世の中にお金が回る。これは善行と言っていい。高いモノしか売らない店では効果が低くなるが、ギルフォード商会のように両方の商品を売っている店なら効果が高くなる。
高いモノを買ってくれる人がいるお陰で、安いモノを売ることができる。これは一種の富の再分配だが、初期の段階からこうなる仕組みを構築してきた。こうすれば、国の負担が大幅に減る。国と商会と両方とも運営していたから持てた視点だ。
商会の基本理念に
『ギルフォード商会は、お客様を大切に、取引先を大切に、
仲間を大切に、家族を大切に、地域社会を大切に、王国を大切に、
そして、すべての人々を大切にする。』
というのがあり、今は組織が大きくなったので、「商会」を「財閥」に振り替えているが、利他の精神や公益性は商会の根幹となるものだ。自分さえ儲かればいいという考えはまったくない。我良し(自分さえ良ければいい)ではなく、皆良し(皆と一緒に栄える)でないとね。
前世では国(政府)に富の再分配を任せる傾向が強く、それゆえ、所得税やら消費税やら、年金やら社会保険やらが、政策に組み込まれたが、この世界ではそこまでしない。国(政府)任せにせず、各自がそれぞれするように仕向けてきた。
例えば、ギルフォード商会のように、富裕層に高いモノを売って庶民に安いモノを売るのもそうだが、富裕層が庶民を雇って彼らに賃金を支払ったり、庶民が高い店を避け、安い店で買うことも再分配につながる。また、真面目に商売してるのに売上が伸びない店で買い物したり、真面目に仕事をするのに仕事がない人に仕事を与えることなども再分配につながる。もちろん純粋な寄付や援助もね。
富の再分配は国(政府)だけがすることではなく皆がすべきことだ。皆がしなければ、その分、国がすることになるが、それは決して好ましいことではない。集めて配る行為は莫大なコストがかかり、関連事業者との癒着や中抜きの温床となる。
この世界に所得税や相続税はないが、無理やり国から富を取られて民に配られるより、自発的にモノを買うなり、寄付をするなどして、富の再分配をするように仕向けている。どちらも同じ再分配だが、前者は「富を取られた」という悪想念を生み、後者は「人の役に立つ」という善想念を生む。
それに、一生懸命働いて、お金を貯めたのに、問答無用で国に取られたら、働く気が失せるだろう。格差が広がることは制限すべきだが、格差そのものはあっていい。正当に頑張った人が富を持ち、そうでない人が富を持てないのは当然のことだからな。
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