第1796話 霊性研究所60~執着を手放す4~
続きです。
「霊性研究所では現在、会員を募集しています。会員になって頂くと、瞑想会、読書会などに参加でき、より深く霊性について知ることができるようになります。内容について少し説明すると――」
質問タイムの最中だが、
アネットが会場に向けて、研究所の紹介(宣伝)を始めたので、
この間を利用して、しばし思考遊戯しよう。
先程、質問に答える形で「すべての経験に無駄はない」と言ったが、これに関連して、ある話を思い出した。これは前世で声優を目指した人の体験談だが、その人は学校卒業後、声優を目指して、ある養成所に入ったそうな。2年間通い、いろいろ教わったが、卒業しても声優の仕事を紹介してもらえず、結局、お金と時間と労力の無駄に終わってしまったという。
こう言っては何だが、声優を目指すこと自体、どうかとは思う部分がある。
というのも、なることが、とんでもなく難しいからだ。
それは声優になれる確率を知れば容易に想像がつく。
志望者約30万人に対し、デビューできるのが約1万人とされ、約3%程度と非常に低いと言われている。仮にデビューできたとしても、ほとんどが名無しのちょい役で、きちんとした役を取れる確率はさらに低く、継続的に仕事をもらえ、声優だけで生活できる確率ともなると、0.03%(1万人に3人)に下がるらしい。そこまで行けた人はいいだろうが、それはほんの一握り。ほとんどの人はデビューさえできず、スタートラインにすら立てないのが声優という職業だ。
「なりたいという人はほぼなれないです」
これはとあるプロ声優の弁だが、まさにこの通り。
だから、養成所に2年間通っても、ほとんどの人はプロになれない。それでも夢を諦めきれず、さらに他の養成所に通ったりするが、長く学んだからといって、プロになれる保証はどこにもなく、途中で現実を思い知らされ、声優の道を断念して他の道に進むのが大多数のコースだ。
声優だけで生活できる確率は0.03%(1万人に3人)、これがどれだけ低いかと言えば、高校球児がプロ野球の選手になる確率より低い。高校球児約15万人から毎年100人程度とされ、約0.06%と言われている。
ちなみに東大に合格する確率は、大学受験者全体を約65万人、合格者を約3千人として、約0.46%だ。専業で食える声優になるよりも、プロ野球選手になるよりも、確率的にはずっと簡単だ。
そんな世情がある中、養成所の最後の授業の時に、講師が「すべての経験に無駄はない」と言ったそうだが、2年間通ったのにデビューできなかった生徒にどう響いたか。「うん、そうだ、すべての経験に無駄はない。この2年間は無駄ではなかった」と素直に思うなら、ある意味幸せだが、少々おめでたい。僕がその立場なら、イラっとして「お前が言うな」と思うだろう。講師の言う言葉は確かにその通りだが、それを「無駄にさせた側の人」が言うべきではない。
どこの養成所も「声優になれる」を謳い文句に若者を惹きつけるが、現実を隠して甘い言葉で誘うという反道徳的なことをしておいて、最後に道徳的なことを、いけしゃあしゃあ、と言う二面性(使い分け)がね。経験足らずの若者の無知に付け込んで、夢を餌にお金を搾り取り、最後に「経験が積めて良かっただろ」はない。こういうのを「やりがい搾取」という。
例えるなら、詐欺師が騙された人に向かって「騙された経験は役に立つ」と言うようなもの。または、恋愛で振った人が振られた人に向かって「振られることはいい経験だ」と言うようなもの。そんなことを言われたら「お前にだけは言われたくない」と思うだろう。
何が言いたいかというと、どんなに良い言葉であっても、それを言う人間にそれを言う資格が無ければ、相手に響くことは決してない。ということだ。だから、僕もその資格を持てるよう日々精進したい。この話を他山の石とし、「お前が言うな」とは思われないようにしないとな。世の中、こういう「おまいう案件」が多い。悪いことばかりする人が平気で人に「悪いことをするな」と講釈を垂れる。
さて、アネットの話が終わった。質問タイムを再開しよう。
「執着を手放す、いい方法はありますか?」
早速、来たな。いい方法か……。
「そう意識して生活すれば自然とそうなっていくが、より早くするなら瞑想がお勧めだ。瞑想は無念夢想により、心の平安を求めるものだが、それはそのまま執着を手放すこととイコールになる。瞑想すると気持ちいいだろ。それは執着を手放しているからだ。物事に執着すると、それがイメージに浮かんでくるが、瞑想でそのイメージから離れるコツを掴むんだ。瞑想は執着を手放す思考訓練となる」
僕自身もそうだが、普段あれこれ考えている人は頭が思考でいっぱいになるので、定期的に瞑想し、頭の中をクリアにした方がいい。人によってはその手段が、滝に打たれたり、旅行に行ったり、趣味や遊びに没頭したり、飲酒だったり、様々だが、もっとも安上がりで効果的なのが瞑想だ。
「それと断捨離がいい」
パネルを提示する。
□-------------
断 不要なものを断つ
捨 不要なものを捨てる
離 ものの執着から離れる
□-------------
「断は今あるものだけでなく、これから入ってくる不要なものも断つことで、捨は手元にあるものの中から、必要・不要を判断し、不要なものを手放すこと。離はものに縛られず、心身ともに自由になることだ。分かりやすい例で言うと、部屋の掃除や整理整頓だな。これは人間関係にも、生き方にも応用できる」
「? 先ほど無駄なものはないとおっしゃいましたよね?」
おっ、ツッコミが入った。言葉尻か、でも、それでいい。
僕の話をよく聞いている証拠だ。
「それは人生の経験についての究極的な話だ。それに、役に立つ程度の差というものがある。例えば教師からも反面教師からも学ぶことはできるが、同じ学ぶなら、やはり教師の方がいい。その場合は反面教師を断捨離する。親友と悪友がいたら悪友を断捨離するよね。すべてのものから学ぶことはできるが、そうは言っても、人生は限られた時間しかない。であれば、できるだけ為になるものを選び、害になるものを遠ざけるべきだ。痛みからも学べるが、そうせずとも学べるなら、わざわざ自分から痛い思いをする必要はない。遠回りするのが必ずしも悪いことでないが、自分からわざわざ意味もなく遠回りするも変だろう。いつも近道しろとまでは言わないが、わざわざ遠回りする必要はない」
学校は学ぶところであり、卒業を目指すところだ。人生という学校もそう。卒業を目指す。だから、わざと単位を落として落第し、いつまでも留年を繰り返して卒業しないというのは、正道を外れていることになる。輪廻転生を繰り返すから、それが当たり前にようになってしまっているが、輪廻転生はそれ自体が目的ではない。そこから抜け出すことが本当の目的だ。
と言っても、実際、その時点で、近道と遠回りの区別は付くものではない。分かるのはたいてい後になってからだ。声優の養成所にしても、後から遠回り(というか外れ道)だったと気付くが、その時点では、そこが近道だと思ってしまう。
若い時の苦労は買ってもせよ、であり、失敗から学ぶことは多いので、その経験が無駄になることはないが、それにしても、若い時の2年間は貴重であり、どうせ使うなら、進学や国家資格取得など、もっと現実的で為になることに使うべきだ。それに気付くために2年間使ったと言えばそれまでだが、現世視点で見れば割に合わない。
0.03%(1万人に3人)……ほとんど博打だ。
いや、博打でも、こんなレートじゃ、誰も乗らない。
賭け金はほぼ没収と同じだ。
実際、声優の養成所に入っても、一か月もしないうちに、辞める人は結構いる。勘の鋭い人は「これじゃ声優になれない」「自分の進む道はこれじゃない」と早々に気付くものだ。一方、声優の養成所の方は先に入学金や授業料を受け取っているので、早く辞めれば、その分丸儲けで、痛くも痒くもない。というか、金だけ払って、どんどん辞めてくれ、というのが本音だろう。
また、声優の養成所のシステムは、やりがい搾取に関連して「卵食い」の面があり、悪質だ。卵食いとは、夢を目指し、まだ生まれてない(デビューしてない)人をターゲットに、夢を散らつかせて、商売にする手法のこと。歌手や芸能人やモデルになれる等と言って、高い授業料を取る商売が昔からあったが、それによく似ている。というか同じだ。
また運よく(とは言い難いが)デビューできても、今度は「ひよこ食い」が待っている。卵の時と同様、力不足を理由にレッスン料を取り、割に合わない仕事ばかりさせる。例えば芸能プロダクションばかり儲かる案件とかね。5千円の報酬を受け取っても、往復の交通費や食費は自腹で、手元に残るのはほんのわずか。そこからレッスン料を引かれたら赤字で、他でアルバイトをしなければ、とてもじゃないが、やっていけない。そんな生活を数年すれば、ほとんどの人は目が覚める。
ただ、霊的視点に立てば、割に合わないこと、見返りのないこと、損をすること、は決して悪いことではない。カルマを解消し、思い上がりや浮ついた気持ち、自分の愚かさ、自分の至らなさを自覚させ、成長に導いてくれる。成功して天狗になるより、はるかにいい。辛い経験は魂を鍛えてくれる。
若い頃は、夢や可能性を信じ、失敗を恐れず、果敢に挑戦することはいい。ただ、それを食い物にしようとする悪い人たちがいることも頭の片隅に置いてもらえればと思う。純粋な志を持つ若者が食い物にされるのは見るに忍び難い。
それと、夢に水を差すようで悪いが、現実は知っておいた方がいい。今や日本は世界に関たるアニメ大国で、声優人気は天井知らずの状態だ。多くの若者が目指すし、その中には外国人もいる。競争率が激しく、その中で選ばれるのは並大抵のことではない。遊び半分や軽い気持ちなら、早晩、痛い目に遭うだろう。
「それと、ミニマリズムだな。これは必要最小限しか、ものを持たないという考え方だが、断捨離と同じく、ものを持たないようにすると、空間だけでなく頭の中もすっきりしてくる。別に無理やり捨てなくてもいい。身の回りのものを倉庫などにしまい、視界から消すと自然にものへの執着が減っていく」
外国の首脳が皇居を訪問し、天皇陛下と会談する際に使われる部屋は簡素で何もなく。外国から驚かれている。外国の権力者なら、その権勢を示すため、豪華な装いをするが、それがまったくないからな。あれこそ、断捨離やミニマリズムを具現化した部屋だ。
あと、これも言っておこう。
「執着を手放すには、完璧主義を手放すことだ。絶対こうしなければいけない。こうすべきだ。ああすべきだ。と強く思えば、その思いが執着になる。この世ですべきことはあるが、やはり程度というものがある。真剣に取り組むのがいいが、深刻になってはいけない。バランス感覚が大事だ」
「ねばならない」で生きると息苦しくなってくる。僕の言う「すべき」はこれとは違う。あくまで「そうした方がいい」という提案であり、相手に強要するものではない。共感する人だけが実行してくれればいい。大乗(全救済)を理想とするが、現世では中乗(部分救済)を落としどころとしている。
現代宇宙論によると、宇宙は無限に広がっているという考えが有力だが、これを持って「宇宙を無限」としたら早計だ。無限に「広がっている」のであり、その実、無限ではない。そもそも無限なら広がる必要はないだろう。つまり、この宇宙は「すべて」ではなく、あくまで「宇宙の中」ということになる。「宇宙の中」が「すべて」と言う論もあるだろうが、中があると言うことは外があることを意味し、中だけで「すべて」というのは違う気がする。
僕の中乗も宇宙のように広がることをイメージしているが、広がり続けるということは、それ自体、すべてでないことを示しており、ひょっとして大乗なるものは存在しない概念なのかもしれない。どこかの限定した範囲(世界)なら、あり得るかもしれないが、たぶんそうだろう。「すべて」は無理、人の思考が及ばない。(魂意識になれば違うかもしれないが……)
次の質問者が手を挙げる。
「最初に手放すべき感情は何でしょうか?」
「他人に対する攻撃性だね。これはストレートに業を積む。
その中でも特に手放すべきは、他人に対する怒り、激しい憎悪だな」
これを手放せば、他の悪想念も手放しやすくなる。
怒りは第二次感情と言われ、何もないところから生まれるものではなく、第一次感情と言われる不安や寂しさや悲しさなどが溢れた時に起こるもの。根っこに別の感情がある。だから、怒っている人に対応するには、その裏に潜んだ第一次感情に寄り添うことが欠かせない。同様に、自分が怒りを感じている時は、その怒りの根っこにどういう感情があるのかを探ると冷静になりやすい。
怒りは悪想念の発露、放出であり、例えるなら、内部にマグマを溜めた火山が噴火するようなものだ。だから、何もなく、いきなり噴火することはない。その前段階として、内部に悪想念のマグマをぐつぐつと溜め込んでいく。外からだと、いきなりキレるように見えるが、実際はそうじゃない。それまでの蓄積がある。
普段、大人しい人ほど、怒ると怖いのはこれがあるからだ。溜め込んだ悪想念を爆発させる。だからと言って、しょっちゅう怒るのもどうかと思う。「ストレスを発散させろ」と言ったりするが、溜めて発散するという精神構造に問題がある。溜めなければ発散する必要はない。
「ヘイトを溜めて、ヘイトを発散」というのは多くの人が陥りがちな落とし穴だ。ヘイトを溜めて、内部にイライラを溜め、それを発散することで快感を得る。この快感に溺れると、その前段階である。ヘイトを溜めることを望んでやるようになるだろう。溜めたヘイトが大きいほど、発散する際の快感が大きくなるからね。物語の随所に、やられてやりかえす、復讐要素が多く散りばめられているのも、それを好む人が多いからだ。
これは悪口を言われて、悪口を言い返す、のとまったく同じ。悪口を言われれば言われるほど、言い返した際の快感が大きくなるので、やがて悪口そのものを楽しむようになる。この状況は低級霊界にいる時と何ら変わらない。現世にいながら、低級霊界の住人となってしまっている。
よく「あの人は住む世界が違う」と言ったりするが、これは本当のこと。いくら物理的な距離が近かくても、精神的な距離はそれをずっと上回る。俗にいう「近くて遠い人」だ。近くても別世界にいるような人はそこかしこにいる。霊界なら周波数の違いにより、会うことすらできない人が、肉体を持つ現世だから会えているに過ぎない。
頭の中で知識として、ヘイトや悪口が良くないことだと知っている人がほとんどだと思いたいが、いくら知識で知っていても、ヘイトや悪口を心地よく思う感覚があれば、実際の行動はその感覚に従ってしまう。「わかっちゃいるけどやめられない」という有名なフレーズがあるが、僕からすれば「頭だけでわかった(つもりになっている)ことは、本当には、わかっていない。だから、やめられない」だな。
最後までお読み頂きまして、誠にありがとうございました。もし拙作を気にいって頂けましたら、いいね、ブックマーク、評価をして頂けると大変有難いです。
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