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第1794話 霊性研究所58~執着を手放す2~

 続きです。

 講義は続く。さらに論を進めよう。


「執着を手放す、と言ったが、執着と一言でいっても、漠然としてピンと来ないだろう。実際、いろいろあるからな。だから、ここからは個別具体的に捉えていこう。先ず何と言っても手放すべきは、憎しみ、敵意、蔑み、傲慢、嫉妬、怠惰などの悪想念だ。これを()()()()手放していく。他人への憎しみの気持ちが生じたら、その気持ち自体を手放すんだ。悪いことは思考しない、これを一大決心する」


 僕のいう悪想念はネガティブ想念とイコールだが、

 これをするには、そもそも何が、悪想念、ネガティブ想念か

 知る必要がある。一応、例を挙げておこう。


 パネルを提示する。


□------------------------------


 主な悪想念(ネガティブ想念)


◇三毒

 貪(欲望)・瞋(感情暴走)・痴(無知)


◇他者攻撃(他者卑下)

 威圧、嫌悪、憎しみ、恨み、呪い、敵意、害意、殺意、

 騙したい、支配したい、等


◇自己否定(自己卑下)

 自信がない、プレッシャー、自虐、希死念慮(自殺願望)、

 騙されたい、支配されたい、等


◇内部葛藤 ※過度の場合

 不安、焦り、憂鬱、悩み、悲しみ、恐れ、怒り、不信(猜疑心)、

 いら立ち、寂しい、孤独、罪悪感、恥、他人に勝ちたい、溺愛、

 依存したい、怠けたい、不快感、等


◇七つの大罪 

 傲慢、暴食、憤怒、嫉妬、強欲、怠惰、色欲


◇人生の七味 

 うらみ・つらみ・ねたみ・そねみ・いやみ・ひがみ・やっかみ


□------------------------------


 まだ、抜けがあるかもしれないが、だいたい、こんな感じだろう。

 言語化、文章化すると、物事が掴みやすくなる。


「他人なんかどうでもいい、という圧迫するような気持ちは良くないが、同じように、自分なんかどうでもいい、という圧迫されるような気持ちも良くない。おどおどするのも良くないね。これらの想念とは距離を置き、どんどん手放すといい。だが、不安や恐れなどは警戒でもあるから、ある程度はあった方がいい。また、怒りや欲望など完全に無くすのは難しいだろうが、自制を目指すことだ」


 不安や恐れは危機から逃れる自然な反応。 肉体(自律神経)にセットされているものだから、完全に消すことはできないし、また消すべきでもない。これらは生きてる間、弱めておけば、死後、肉体から離れることによって消えるはずだ。何も完璧である必要はない。95点ぐらいを目指せばいい。


「それと、欲望についてさらに分けると、金欲、物欲、食欲、色欲、名誉欲、承認欲、攻撃欲、支配欲などがある。これも程度があって、成功して有名になりたい、ぐらいはいいが、その気持ちが強すぎると、それが執着になる。認められたい、金持ちになりたい、などもそう。これらは努力した末にもらえる付録だから、あまり気にしないことだ」


 執着とはネバネバくっつくことであり、それが無くなれば最善であるが、実際はそうもいかない。だから、生きてる間にそのネバネバ(粘着力)を弱めて、現世から離れることが苦にならない程度にまで、できればいい。「ああ、豚骨ラーメンは美味しかった。でも別に食べなくても、どうってことない」というぐらいにね。この境地を言語化しよう。


 パネルを提示する。


□-------------


 有れば有ったでいいけれど、

 無ければ無いで構わない


□-------------


「これを付録の感覚というが、これを意識すると、

 どんどん執着が取れていく」」


 強制的に無理やり離そうとすると、かえって執着が強くなる場合がある。だから、無理なく少しずつ離れていくのが賢いやり方だ。ロミオとジュリエットだって、まわり中が反対するから、かえって燃え上がってしまった。


「人は願望を持つが、これも強いと執着になる。好き、というのもそう。その思いが強いと、対象に対して執着となる。夢が破れたり、失恋すると、ショックを受けるが、それは執着があったからだ。夢を持つな、恋をするな、とは言わない。すればいい。だが、あまり重くしないこと」


 パネルを提示する。


□-----------------


 夢が叶うなら叶うでいいければ、

 叶わなければ叶わないで構わない。


 恋が成就するなら成就するでいいけれど、

 成就しなければ成就しないで構わない。


□-----------------


「要は結果に左右されない、ということ。

 途中経過こそが本番なのだから、そこで頑張ればそれでいい」


 一言で言えば、結果に執着しないこと。

 アネットが口を開く。


「執着を手放す、より、最初から執着しない、ということですね」


「そうそう、いい点に気付いたね。その通り。一度、執着すると、それを手放す

 のは大変だが、最初から執着しなければ、それがもっともいい」


 ロミオとジュリエットも最初から出会わなければ、ああはならなかった。酒好きの人は酒から、甘い物好きな人は甘いものから離れるのは苦労するが、最初から離れていれば苦労する必要はない。禁煙の苦労も非喫煙者には関係ない。


「ということは、あまりいろいろなものに興味を持たない方がいい、

 ということですか?」


「いや、興味を持つことはいい。問題は距離感だ。関心を持つ。好感を持つのは構わないが、それに意識が向かい過ぎて、それなしではどうしようもない、という様な状態になるな、ということだね」


 対象とする人や物や事象との距離感、これを適切に保つことも修行のうち。


 僕らは修行のために現世に来たが、現世でいろいろ成すべきことをしつつも、

 この現世に囚われてはいけない。ここは一時しかいない仮初の場だ。


「付かず離れず、という感じでしょうか?」


「付いてもいいが、離れることができる状態を確保することだね。ネバっとくっついて離れられなくなるとマズい。執着とは現世のものとネバっとくっつくこと。そうなると、また現世に生まれることになる。また現世に来たいならいいが、卒業したいなら、現世のものと距離を置かないとね。但し極端に走り過ぎ、いきなり、何もない山の中で孤独に暮らすなんてダメだよ。それじゃ修行にならない。いろいろな人や物や出来事と接し、様々な経験をしながら、それらに執着しないことが大事なんだ」


 ネバりけのある世界で、そのネバりに負けないことが修行となる。何もない道を歩くのは簡単だが、スライムのような障害物が膝の高さぐらいまである道を歩くのは大変だろう。ぐにょっとくっつくのをかき分けて前に歩くのは一苦労。でも、それにより足腰(精神)が鍛えられる。


 人生はマラソンに例えられることがあるが、何もなく黙々と走る簡単なマラソンではなく、障害物ありーの、落とし穴ありーの、トラップありーの、予想外の事ありーの難易度の高いマラソンだ。しかも一方向ではなく、途中でいくつも分かれ道があり、中には反対方向の道や迷路まである念の入りよう。ネバネバの道はそのうちのひとつだ。


「それは難しそうですね」


「そうだね。でも、『有れば有ったでいいけれど、無ければ無いで構わない』という気持ちでいれば、自然と距離感が掴めてくる。とにかく特定のものにべったりしないことだ。べったりするから離れるのがきつくなる」


 日本で放送禁止用語になってる言葉に「キ〇ガイ」というのがある。口にすべきでない言葉だが、気が違った(気が狂った)という意味以外にもう一つ意味がある。それはある分野にのめり込み、そればかり取り憑かれたようにやる人や状態のことだ。例えば、その分野が釣りなら、釣りキ〇、囲碁なら、碁キ〇、鉄道なら、鉄キ〇、という具合にね。今だと「オタ」がそれに当たるだろう。


 これを、その分野に優れた良い意味として解釈するケースもあったが、わざわざキ〇やオタという罵倒表現を使うことから、それが危うい状態だということを感覚的に判っているのだろう。ある分野に専念し過ぎると、それは執着となり、そこから一歩も前に勧めなくなってしまう。


 そういった観点から、キ〇でもオタでも、ある分野の才能が優れ、それで無双できることはあまり良いことではない。その才能に溺れ、他のもっと大事なことに目が向かわなくなる。多くの魂はそれを知っているから、過去世特典である才能を封印して、この世に生まれてくる。


 よって、才能がある人を見て、羨ましがる必要も、嫉妬する必要も、まったくないということが言える。それに過去性特典は徳(霊的なプラスポイント)の要素があり、それを使えば高級霊界が遠のいてしまう。才能による100点より、努力による70点の方が価値はある。現世では評価されないかもしれないが、そんなものはどうでもいい。表面しか見ない連中の目など気にする必要はない。それより日々修行して徳を積み、霊性進化を目指すことだ。


 そうそう、元日本人として、日本の精神文化で気になっていることがある。それは、詫び、寂び、に美を感じる感性だ。詫びは侘しい、寂びは寂しい、であり、どちらもネガティブ想念だ。


 侘しいは、力が抜けてしまうような気持ち。失望や失意や不遇で、やりきれなくつらい、頼るものがなく心細いという気持ち。さびれて活気がない、見すぼらしい、みじめな気持ちを意味し、寂しいは、親しい人が居ないなどで、心が満たされず物悲しい、ひっそりとして心細い、という気持ちを意味する。


 この状態に日本人は美を感じるわけだが、う~ん、どうだろう。精神的なキャパを広げる意味で否定はしないが、程々にすべきというのが僕の考えだ。侘しいより、元気で活気があった方がいいし、寂しいより、親しい人に囲まれ、賑やかに過ごした方がいい。


 おそらく、日頃、和の精神により、同調圧力にさらされるため、それを緩和するために生じた思いであろう。かくいう僕も瞑想したり、隠れ世界に行ったりして、自分だけの世界に浸るからな。それは普段の生活から見たら、詫び・寂び、と言えるものだろう。


 但し、この詫び・寂びのような世界にどっぷりハマる気はさらさらない。あくまで一時的なクールダウンに留めている。「侘しいよう、寂しいよう、でも、それがいいだよう」にはなりたくない。日本人は桜の散り際に美を感じるが、この程度ならいいとして、度を超えると、散り際が死に際になり、美しく死ぬことを良いことのように捉えかねないから、そこは要注意だ。物事において有終の美を飾ることは大事だが、美しく死ぬより、無様でも泥をすすってでも生きる方が何万倍も価値がある。破壊願望は志向すべきではない。


 詫び、寂び、なんて、昔の話、今の人は違う。


 という反論が聞こえてきそうだが、果たしてそうだろうか? 現代の日本の音楽シーンでも、若者を中心に「切なさ」や「闇」をテーマにした暗い曲が人気を集めており、検索データで「sad(悲しい)」が上位に入るほどだ。表面的には明るくても根底に影を持つ曲、エネルギッシュだけどダークな曲、繊細でエモーショナルなサウンドが支持を集めている。このエモーショナルというのは、とどのつまりネガティブだ。昭和の演歌もなかなかネガティブだったが、今の音楽も負けてない。不幸をせつせつと歌い上げている。


 単なるハッピーソングではない共感や没入感を求めるリスナーの心理を反映しており、現代の複雑な感情に寄り添う「エモい」曲が流行しているが、その背景として、 現代の若者はSNSなどで孤独や不安を感じやすく、自身の複雑な感情を歌に投影し、共感や癒しを求めているのだろう。悲しさだけでなく、切なさ、不満、怒り、葛藤、メランコリック、といったものにも若者は同調する。


 確かにそういう気持ちの時、そういう歌を聞けば、「自分だけではない、みんな一緒」という連帯感を得て、気が晴れるのだろうが、これについても程々にすべきというのが僕の考えだ。


 中には寄り添いつつ、ミスリードを誘っている歌もあるからね。こんな世の中どうでもいい、不満があるなら、ぶっ壊せ、嫌なら逃げればいい、やりたいことだけすればいい、という内容(欲望肯定・感情のままに生きろ)の歌詞もあったりする。全部ではないが、部分、部分でね。


 失恋ソングなどもそうだが、ネガティブなものばかり聴いていると、知らず知らずのうちに、そういう気質になり、ネガティブが心地よくなっていく。多くの人は低級霊界出身であり、元々、ネガティブ想念の中に浸かっていたからね。だから、それに魅了されるのはよく分かる。お里が懐かしくて仕方ない。


 だが、僕らがここに来たのは、低級霊界に行くためではなく高級霊界に行くためだ。そのためには低級霊界的なものから離れ、高級霊界的なものを志向しなければならない。低級霊界に行きたいのであれば、そもそもここに来る必要はなかった。だけど、多くの人は人生の真の目的を忘れ、お里を心の拠り所にし、そこに戻るための行動をしているんだよな。これは霊性進化の逆行となる。マラソンで言えば、反対方向に進んでいるようなもの。


 他人なんて、どうでもいい。

 他人に悪口を言うと、スカッとする。

 他人を虐めると、気持ちいい。

 他人が困っているのを見ると、ワクワクする。

 

 これらは生きてる間に何が何でも手放すべき悪想念だが、「これは自分の個性であり、直す必要はない」という人は結構いたりする。こういうのをアクが強いというが、アクは文字通り悪であり、個性を伸ばすなら、善の方向でするべきだ。


「口は悪いけど、根はいい」なんて言ったりするが、本当に根のいい人なら悪口なんて言わない。それに根はともかく、口が悪いのは直さなければならない。口が悪いから他人を傷つけ、他人から距離を置かれ、孤独になり、それでネガティブソングを聞いて、「俺は悪くない」と自己弁護してもねぇ。一時、気持ちを楽にするのはいいが、現実逃避は修行放棄となる。


 自分は被害者、悪いのはすべて他人という誤った思いから抜け出して、見たくない自分(加害者である自分)を直視し、その改善をしないと決して前に進むことはできない。可哀そうな自分(被害者の自分・悪くない自分)に酔い、それを心地よく感じているうちは、ずっと可哀そうな状態が続くことになる。


 基本、人は自分のことで手一杯で他人のことまで手が回らない。だから、執着の泥沼にはまった人は、自分がそうなっていることに気付かず、また、誰に教えてくれず、いつまでもそのままということになりがちだ。


 だからこそ、僕のような人間の存在価値があるのだろう。そういう人たちに気付いてもらう、お役目をすることができる。執着の泥沼から抜け出すのは本人しかできないが、それを気付かせるお手伝いぐらいは、僭越ながら僕でもできる。気付きさえすれば、そこから道は拓けていく。


 あと日本では、ひとつの仕事(同じ仕事)を一生通してやることが、一人前であり、美しく、途中で仕事を変えることを半端者のように捉え、美しくないと捉える社会的空気がある。しかし実際は、様々な仕事をした方が経験の密度が濃くなり、成長するのに適している。どんな仕事をしても、ある時点までは右肩上がりに成長するが、途中から緩やかになり、やがて、ほとんど成長しなくなる。個人差はあるが、5~10年もやれば、後はほとんど単調な繰り返しとなるだろう。これでは経験の密度が薄くなる。


 同じ仕事を必要以上に長く続けると、惰性でモチベーションが下がり、なぁなぁで不正の温床となったりするが、それ以外にも、人生の可能性を狭め、仕事へ執着を高めることになる。また、なまじっか仕事ができるようになるため、謙虚さを忘れ、自分より仕事ができない人を見下すようになる。それを避けるためにも、仕事とそれに絡む人間関係を適度な間隔でリセットすることが大事だ。ぬるま湯にずっと浸かっていると碌なことはない。

 最後までお読み頂きまして、誠にありがとうございました。もし拙作を気にいって頂けましたら、いいね、ブックマーク、評価をして頂けると大変有難いです。

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