第1793話 霊性研究所57~執着を手放す~
人を苦しめ、不幸にしてるものの正体とは?
ここは霊性研究所の地下大会議場。
既に多くの人で席が埋め尽くされており、これから講義をする。
「今回もたくさんいらっしゃいましたね」
「ああ、有難いことだ」
本日の司会兼聞き手は副スタッフ長のアネットだ。僕は演壇中央の講師席に、アネットは少し離れた司会席に既に座っており、開始時刻を待つばかりだが、この時間を利用して、来てくれた人たちと感応し、波長を合わせるようにしている。
上から目線で偉そうに話をしたくない。
同じ目線で相手に寄り添うように話をしたい。
以前より、それが楽になってきた。毎回、少しずつ皆の波長が上がっているのだろう。我が意を得たりと思わず口元が緩んでしまう。波長は感覚的なものだが、善想念が多く、心地いい状態を高いとしている。こういう場に身を置くと、それだけで心身の状態も良くなるだろう。これをさらに高めたものが高級霊界で、生きている間にその境地に達したい。皆で一緒に高みを目指そうじゃないか。
大乗という名の船に乗って……。
これはノアの箱舟のように選ばれた者だけが乗れる閉鎖的なものではない。その気になれば誰でも乗れる開放的なものだ。但し、この船に乗るには、皆に迷惑をかけず、皆と仲良くできることが条件で、悪想念や欲望や執着など余計な荷物を持ち込むことはできない。そのために周波数(精神性)を上げてもらう。
何か慶事があった時、もしくは瞑想時など、一時的に周波数がポンと上がることはあるが、その時間をもっと増やしたい。人は死んでから高級霊界に行くのではなく、生きている間に行く。生きている間に行けなければ、死んでから行くことはできない。生きている間に到達した周波数がそのまま死後の周波数としてスライドされるのだ。
中南米のパナマ運河の最高地点(ガトゥン湖)は海抜26mで、この高低差を上り下りするために水門が使われている。これは前後を水門で仕切って区画にし、次の高い区画に上がるため、今いる区画に水を足し、次の区画と同じ水位になってから、進行方向の水門を開くというものだ。ポイントは今いる区画にいる間で次に進む区画の高さ(水位)にすること。これと同じように、僕らも今いる世界で周波数を上げないと、高い周波数の世界の門は開かない。門を開きたければ、今いる世界で周波数を上げるしかない。
善人は善霊に、悪人は悪霊に、そのまま移行する。
単に死ぬだけで人は仏(善霊)にはなれない。
立派な戒名を付けようが豪華な墓を建てようが関係ない。
自分の周波数(精神性)を上げることができるのは自分だけ。他力本願的に誰かがパワーを送って上がるとか、そういうことは一切ない。神様や天使のような存在が現世に下りてきて、エレベーターに乗るように上げてくれれば楽だろうが、そういうこともない。自力で一段一段上がるしかない。
物語や絵画では、天から光を降り注ぎ、上がる場面が描写されたりするが、あれは上げてもらったわけではなく、その人物に上がるだけの周波数があったから、その周波数に見合う世界に移行したというのが正しい解釈だ。
アネットがここにいるということは……。
やはりカルエスもいた。最前列に座っている。
たまに視線を合わせているな。ふふ、本当に仲のいい夫婦だ。
「聖王陛下、開始時刻になりました」
会場の方も準備が整ったようだな。
「じゃあ始めようか」
僕の言葉を受け、エミリーが会場に冒頭の挨拶をし、講義が始まる。
「聖王陛下、本日のテーマは何でしょうか?」
「本日のテーマは“執着を手放す“だ」
これは継続的に考察しているテーマだが、先日、城で料理をした後、頭の中を整理し、話すことを決めた。美食は執着につながるが、これは何も美食に限った話じゃないからね。前回、「現世は修行場」というテーマで話をしたが、この続編的意味もある。
修行には、いろいろ覚えること、吸収することがあり、足すイメージがあるが、それだけでは実はダメ。そこから余計なものを引いていく必要がある。それが「執着を手放す」だ。足すと引く、どちらも必要。
「執着ですか? 何かを欲する気持ちですね」
「そうそう、欲しくて欲しくて、たまらない、それがないと
落ち着かない、という気持ちだ」
それでは始めよう。
「執着は誰にでも大なり小なりあるものだが、実は生きる上で、これがかなり厄介だ。どうしても手に入れたい何かがあるために、それ以外のものがすべて満たされたとしても、その何かが手に入らないと、人は悶々と内面で苦しむ」
パネルを提示する。
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執着 人が苦しむ根本的な原因
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「執着とは、それが手に入らないと幸せにはなれない、それを手に入れられない自分は駄目なんだという思い込みでもある。この執着を手放さない限り、幸せを感じることは難しい。欲しい欲しいと思えば思うほど、人はどんどん苦しくなる。仮に希望のものが手に入っても、執着の強い人はそれで満足しない。あれも欲しい、これも欲しいと、もっとエスカレートする」
「それは苦しそうな状態ですね」
「うむ、そうだね。外側に目を向け、外側のものを追い続けている間、この状態はずっと続く。酷くなると、まわりのものをすべて欲しがるようになるだろう。でも、こういう人は仮にそれを手に入れても満足することはない。また別のところへ行き、別のものを欲しいと思うようになる」
前世の覇権主義国の為政者や民主主義国の裏の支配者である金融資本家などが最たる例だ。彼らは貪欲で、欲しい欲しい、世界中を自分のものにしたい、という思いに取り憑かれており、既に手にしている莫大な富に飽きたらず、他人の富まで奪うことばかり考えている。本当に浅ましいこと、この上えない。まるで餓鬼道からそのまま来たようだ。
経済学者ケネス・ボールディングは「カウボーイ型経済」と「宇宙船型経済」という言葉を用い、経済モデルを対比したことで知られている。カウボーイ型経済は資源を無限とみなし、大量生産・大量消費を追求する拡張主義的経済(成長経済・GDP重視)を言い、宇宙船型経済は資源を有限とみなし、その範囲内で生産も消費も抑える現状維持的経済(定常経済・真の豊かさを重視)を言うが、普通に考えて、僕らの住む星の資源は有限なのだから、最終的に「宇宙船型経済」に行き着くだろう。また、そうでなければならない。「カウボーイ型経済」は執着に突き進む経済であり、「宇宙船型経済」を執着を抑える経済であろう。もちろん僕は後者を志向する。
また、カウボーイ型経済は強者を志向し、インディアンのような弱者を虐げる性質がある。拡大するということは新たな領域を飲み込むということであり、それは搾取や支配を意味するものだ。拡大は弱者の犠牲の上に成り立っている。これは致命的な問題であろう。
見境なくどんどん広がる経済は歪としか言いようがない。それを「成長」と呼ぶのは悪い冗談だ。GDPは、人が住まない建物、人が通らない道路、できてすぐ壊れるような橋、人を殺す兵器などを造っても上昇するし、極端な話、どこかに穴を掘って、穴を埋め、また穴を掘ってを繰り返しても上昇する。経済政策を失敗して、不動産などの物価が上がっても、クレジットで浪費しまくっても上昇するのだから笑ってしまう。物質至上主義の愚かさの極みだね。執着は抑えない限り、新たな執着を生み、まるでウィルスのように無限に増殖しようとする。これは霊性進化の妨げとなるものだ。
現在、日本経済はGDPの成長が鈍化しているが、これは決して悪いことではない。成長経済から定常経済に移行しているのだ。GDPの見せかけの豊かさより、真の豊かさを追求する段階に入っている。
パネルを提示する。
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「外側」のものを手に入れても、
満足できるのはひと時だけ。
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「外側というのは、この現世、物質世界のことを指すが、そこに目を向け、そこにある何かを欲しいと思っているうちは、求めるものが変わり続けるだけで、永遠にこの苦しみから逃れることはできない。手に入れようと思えば、手に入らないと苦しくなり、手に入っても、別のものが欲しくなり、また苦しくなる。結局、手に入ろうが入るまいが苦しみが続くだけだ」
「そこから逃れるには、どうしたら宜しいのでしょうか?」
「手に入れたい、欲しい、と思うから、苦しみが生まれる。だから、最初から、手に入れたい、欲しい、と思わなければいい。そして、これがないと幸せになれない、という思い込みを捨て、これがなくても幸せ、今のままで既に幸せだということに気付くことだ」
パネルを提示する。
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幸せに前提条件をつけない。無条件で幸せ
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「人はその気になれば、今すぐにでも幸せになれるのに、何だかんだと条件を付け、自ら幸せから遠ざかろうとする。ほとんどの人がこれを無意識でやっている。だから、幸せに前提条件を付けず、そのまま幸せになればいい。それには、無いものに目を向けるのではなく、有るものに目を向けること。無いものに目を向けて不満を言うのではなく、有るものに目を向けて感謝する」
パネルを提示する。
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知足安分
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「足るを知り、分を安んずる。欲張らず、身の丈に合った生活で
心穏やかに過ごすことが大切だ」
老子は「足るを知る者は富む」「止まるを知れば殆うからず」と言い、満足を知る者は豊かであり、限度を知る者は危険がないと説いている。仏教でも「小欲知足」として、欲望を抑え、足るを知ることを説き、精神的な豊かさを重視しているが、これこそ真理であろう。
単なる我慢や節約ではなく、今ある状況の中に喜びや幸福を積極的に見出し、感謝する心を持つことこそ、万人が目指すべき方向だ。 人は物に価値を見出し、物による豊かさを追求してきたが、これは成長の途中段階に過ぎず、そこで終わりではない。次は精神的な豊かさを追求する段階だ。だが、物にこだわり、物に縛られてしまうと、次の段階になかなか進むことができない。
現世に生きる間、一定の物は必要だが、生きるのに必要な分だけあれば十分だ。それ以上、手を広げ、獲得しても意味がなく、むしろ次の段階に行く足かせにしかならない。現世感覚に毒されると、お金などの物をたくさん持ちたいと願い、それを勝ち組のよう崇めるが、それは執着となり、周波数を下げることになる。周波数が下がった状態では高級霊界の門は開かれない。つまり霊的には負け組ということになる。
僕は勝ち負けという言葉があまり好きではないが、その方が分かりやすいので、ここではあえてそう表現させてもらう。戦うという意味ではなく、人道から天道に通じる正しい道を進んでいるか否かだ。
永劫の時を生きる魂から見れば、現世にいる時間はほんのひと時だ。そのひと時に囚われ、そこでしか通用しない虚飾の勝利者になって浮かれても虚しいだけ。人生の正道を歩み、真の勝利者を目指さないと。
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