第1789話 聖王料理
八千文字達成。関連回 第373話 ダルト王国視察2
題名は「アレス・クッキング」にしようか迷いましたが、こちらにしました。
ここは城の調理場。普段、料理人たちが腕を振るい、皆の料理を作る場所だが、気の向いた時に、この場所を借り、僕が腕を振るうことが恒例となっている。自分で言うのも何だが、エプロン姿も様になってるんじゃないかな。髪の毛が落ちないようバンダナキャップも装着。うん、決まってる。料理人アレスだ。ふふふ。
「陛下、ご準備が整いました」
料理長が材料を倉庫から出し、テーブルに用意してくれた。大根、かぼちゃ、人参、ごぼう、他の食材は……うんうん、みんな揃っている。少し前にマクベ町からの納税で野菜がどっさり入っていたから、何か作りたいと目論んでいたんだ。
「ありがとう、料理長」
これから僕が料理を作るわけだが、
流石に一人で全部は大変なので、料理長に手伝ってもらう。
「あなた、お料理、期待してますよ」
「主は料理が得意だからな」
「アレス様、頑張って下さい」
ギャラリーのメリッサ、テネシア、イレーネから
声援を受けてしまった。はは、こりゃ、手抜きできないな。
元から手抜きするつもりはないが、しっかり気合を入れよう。
「ありがとう、みんな」
ミアが立ち上がろうとしてる。
「陛下、お手伝いしなくて宜しいのですか?」
「大丈夫、座ってて。君たちに僕の手作りを味わってもらいたいんだ」
ミアは薬草を使った料理が得意で、四人の中で唯一、手の込んだ料理ができるが、彼女に手伝ってもらうと、他の3人の顔が立たなくなってしまうので空気を読ませてもらう。こうなればああなる。ああなればこうなる。というシュミレーションはすぐさま思い浮かぶものでね。夫婦間の諍いになりそうなことは小さなことでも避ける。君子危うきに近寄らず、だ。
僕とミアが並んで作業しだしたら、他の3人が面白くないに決まっている。いや、僕らもいい年した大人だから、その程度で大騒ぎすることはないが、人の心は想像以上に繊細なもの。少しでも不快な気分をもよおしそうな事案は前もって避けるべき。僕とミアだけだったら手伝ってもらうけどね。
世の中には親しくなると、それに甘えて相手への配慮を疎かにし、その言い訳として「親しいからこそ、素のままで接しているんだ」などと言う人がいる。そういう人に言いたいのは「親しき中にも礼儀あり」だ。親しくなったら、無礼・無配慮でいい、という精神構造が僕には分からない。おそらく釣った魚に餌をやらないタイプだろうが、それでは良好な人間関係を長期的に維持するのは難しいだろう。
親しくなった途端、口の利き方がぞんざいになったり、嘘を吐いたり、約束を破ったりもそう。相手からすると、豹変したように見え、信頼関係は瞬く間に崩壊するだろう。夫婦に限らないが、人間関係が長く続かない理由の大半がこれだ。
性格の不一致? いやいや、別人格なんだから、性格が一致しないのは当たり前。互いに合わせる努力が必要だ。それをしないで性格の不一致を理由に別れたら、今後もずっと誰とも合うことはないだろう。
現世は修行場であり、舞台でもある。善い人を演じ、善い人になりきり、本当に善い人になるための場だ。途中で善い人であることをやめるべからず。それは修行放棄となる。僕らがここに来たのは善い人になるためだ。これに例外はない。
とと、持論はここまで。作業に集中しないとな。
妃たちは調理台付近と程よい距離にあるテーブル席に座り、僕と対面で話せる状態にある。この構図はトークを交えた料理番組っぽい感じ。作りながら容易にコミュニケーションが取れる。
前世の建築構造に対面キッチンというのがあったが、あれは実にいい。家族の団らんが広がる。この普及に日本では、ある女性建築家が大きく貢献したが、女性視点なればこそだ。ギルフォード商会の住宅部門でも、対面キッチンを積極的に採用している。
対面キッチンの利点は家族の団らんに加え、料理をつくる人の苦労を可視化でき、感謝の気持ちを持ちやすいことだ。それに開放型なので気軽に手伝いやすい。料理をつくる人と、つくってもらう人の境界がないのはいいことだ。城では大人数のため、流石にそれはできないが、こうして、たまに調理場に入り、対面でつくらせてもらっている。
「それでは陛下、何から始めましょうか」
「じゃあ、お米を炊いてくれるかい」
「かしこまりました」
料理長が調理アイテムのコンロに火を着ける。上にはあらかじめ用意した土鍋があり、この中にお米が入っている。我が家は玄米を食べているが、これは精米より水が浸透しにくいので、着火前に30分ほど水に漬けておくのがポイントだ。こうすれば中まで火が通り、ふっくら炊き上がる。パスタと違い、お米のアルデンテは好みじゃないもので、じっくり炊く。
メニューはいくつかあるが、もっとも時間がかかるのがご飯。
それを炊く間に、同時並行で他の料理をつくる。先ずは――
「料理長、かぼちゃを切ってくれるかな。
硬いから気を付けてくれよ」
「かぼちゃですね。かしこました」
かぼちゃを切るのは大変だが、手伝いがいると楽。しかもプロ中のプロだ。彼は以前王宮の料理人として働いていたが、メリッサが引き抜いた経緯がある。彼に限らず、メリッサが王宮から連れてきたり、後から引き抜いた人材は多い。もちろん無理やりということはなく、あくまで本人の意思を確認してね。
今日のメニューは、
・ごはん
・かぼちゃのスープ
・里芋の煮っころがし
・ひじきの納豆がらめ
・海苔と大根のサラダ
・大根、にんじん、ごぼうのきんぴら
・こんにゃくステーキ
で、お品書きは四人に伝えている。何ができるか教えないで作るのも、サプライズ感があってアリではあるが、僕としてはそれより料理名と材料を覚えてもらいたいので、最初に提示することにしている。
サクッ
料理長が綺麗にかぼちゃを切る。切れ味がいいね。流石、プロは違う。かぼちゃは硬く、うまく切るにはコツがいるからな。この間を利用して僕は大根の皮むきをしよう。おお、白くて新鮮な大根だ。形もいい。こりゃ、バンテ町長が僕に忖度して、いいものを選んでくれたな。そこまでしなくていいのに。
スルスル
薄く帯状に剥いていく。大根はやはり桂剥きに限る。これが薄ければ薄い程、熟練ということになるが、この皮はちゃんと料理に使うので、そこまで気合を入れて薄くする必要はない。プロはそれこそ紙のように薄く剥き、反対側が透けて見えるぐらいだが、僕はプロじゃないんでそこまではしない。
「陛下、かぼちゃを切り終えました」
「おお、早いね。ぶつ切りも完了か、じゃあ、
鍋に入れて茹でてくれるかい」
「加えるのは水だけで宜しいですか?」
「うん、とりあえずはね。その作業が終わったら、
今度は里芋の皮むきをしてくれ」
里芋は土がついてるので、それをタワシでよく落とし、それから皮を薄く剥いていく。こちらは大根と違い、形がごつごつしてるので、皮むきしづらいが、料理長なら大丈夫だろう。
料理人の道は厳しく、新人の頃は皿洗いばかりさせられ、包丁を持てるようになるまでしばらくかかる。そして、包丁を持てるようになって最初にするのが、この皮むきだ。手間がかかり、根気のいる作業だが、これを通じて調理の基礎を修得していく。先苦後楽の先苦だね。
さて、この間、僕は人参を切っていこう。きんぴらだから細切りしないとな。
「陛下、里芋の皮を剥きました」
「早いね。じゃあ、それも煮込んで頂戴」
「こちらも水だけで?」
「いや、そちらは、醤油、みりん、酒で味を付けて煮込んでくれ」
本来のレシピはこれに砂糖も使うが、うちはノンシュガーだから使わない。使わなくても野菜本来の甘味で十分だ。ちなみに、みりんは、もち米・米こうじ・焼酎で作っており、前世で言うところの「本みりん」だ。醸造アルコール・糖類・添加物を使った「みりん風調味料」ではない。
この世界はノー添加物。人工的な味に頼らず、自然本来の味にこだわる。これは僕がこの世界に来る前からそうだが、この方針は今後も維持させてもらう。もし僕が思慮の足りない浅はかな転生者だったら、添加物を使ったかもしれないが、そんなことをしていたら、皆の健康を害し、大きな業を積んでいた。つくづく無知は罪だと思う。
前世の日本料理は健康食だが、唯一気になったのは調味料に砂糖を使うケースが多いこと。たくあん等もそうだが、それに慣れると味覚がそうなってしまうので、ここでは改めている。健康には自然本来の甘味を感じる舌が大切だ。砂糖がないと甘く感じないとしたら、それは味覚障害によるものだ。ここではバナナチップもさつまいもチップも現物のみ。砂糖は一切使わない。
人の舌は、甘味、塩味、酸味、苦味、旨味の五味を感じるようにできているが、このうち甘味を感じる場所は舌先にあるので、微妙な甘みを感じるには舌先で味わうようにしたらいいい。ろくに噛まず、すぐ飲み込むのは健康に良くないが、それは甘味を感じにくい食べ方でもあり、食の満足度を下げてしまう。
ちなみに辛味は味覚ではなく、痛覚・温度覚となる。トウガラシのカプサイシンなどが舌の受容体を刺激し、「痛い」「熱い」という信号を脳に送ることにより、それを「辛い」と感じる仕組みだ。つまり、辛味は舌にとっても脳にとってもあまり良いものではなく、極力避けた方がいい、ということになる。
ごく少量ならいいが、大量に使うと、舌と脳がパニックを起こし、味覚障害を引き起こす恐れがある。また辛味により、脳が痛みを感じると、それを緩和するため、脳内でβ-エンドルフィンが分泌され、その快感に病みつきになったりするんだよな。スパイシーなものばかり好んで食べる人は中毒になっている可能性がある。
前世にあった柿ピーなんかもそう。あれを常食してるならヤバい。こう言っては何だが、カレーもキムチも美味しいから食べているのではなく、中毒になって食べさせられている面が多分にある。霊主体従ではなく体主霊従だね。トウガラシなどの辛味食材は日常に潜むソフトドラッグだ。毎日、うどんやそばを食べる人も、実はトウガラシによる快感を求めてなのかもしれない。たまに少量ならいいが、毎日大量に摂っているなら改めた方がいい。
さて、他に時間がかかりそうなのは、こんにゃくだな。ステーキにするから、格子状に切り込みを入れて、だし汁に漬け込んでおこう。だし汁はニンニク醤油だ。こうしておけば味が染み込んで旨くなる。こんにゃくは作るのに時間も手間もかかるので、この世界に導入するか迷ったが、好物のおでんに欠かせない具材であり、腸内環境を整える作用に優れているため、導入を決定した。料理次第で肉っぽい触感になるので、肉の代替品にもなるしな。
「陛下、こちらはいかがいたしましょう?」
「ああ、ごぼうか、それはよく洗ってから、包丁で細かく削るように切ってくれ」
きんぴらの人参とごぼうは皮つきのまま使う。皮にも栄養が豊富にあるからな。
そう思いながら、作業していたら、テネシアが声をかけてきた。
「主は皮つきで料理するのが好きだよな」
よく観察している。
「ああ、皮には食物繊維やポリフェノールが多く含まれているからな。食物繊維は腸内を掃除してくれ、善玉菌の餌になる。ポリフェノールは野菜全体に含まれているが、特に皮に多い。これは抗酸化作用があって、アンチエイジングになるんだ」
さらっと専門用語を使ったが、このぐらいの言葉は日常的に使用してるし、
説明済みなので、テネシアもふんふんと言った感じで聞いてくれている。
「皮も役に立つんだな」
「そう、皮も役に立つ。なんで皮に抗酸化物質が多いかというと、皮が一番外側で酸素に触れるからだ。酸化すると腐敗するから、そうならないよう抗酸化するというわけさ」
こういう話が難なくできるのは、皆に科学や人体や健康の知識があるからだ。知識を広めておいて本当に良かった。前世の知識をこの世界に広めるなんて無理だろう。なんて気持ちは僕には一切なかった。知識はどこの世界でも通用する。大元はみんな一緒。
エリートと呼ばれる人は知識を自分たちだけ独占し、それで一般の人と差別化を図り、自分は特別な存在だと思いたがるが、実際は誰でも知識を得て、その程度のレベルに達することはできる。独占された知識を解放すればいいだけだ。だが、そうするとエリートのエリートたる所以を失ってしまうので、彼らはそれを恐れ、知識の隠匿に精を出す。これにより、歴史では過去、愚民化政策が行われてきたが、こんな非人道的なことはない。僕はそれに真っ向から反対し、賢民化政策を行ってきた。人は教育を受けて、はじめて人になる。
イレーネが口を開く
「でも、皮はあまり美味しくないですよね」
「うん、それはそうなんだけど、なぜだと思う?」
「それは……食べられないようにするためですか?」
「そうそう。美味しいと動物に食べられてしまう。だから植物は表面の皮を美味しくないようにしたんだ。まぁそれでも食べられるものはこうして食べるわけだけどね」
人が食べる植物はほとんどが品種改良されており、人にとって食べやすくなっている。原種は皮どころか実も食べられないものが多いんだよな。僕がこの世界にもたらした植物はもちろん品種改良したもの。
品種改良とは人にとって都合のいい種同士を交配させ、その種の特徴を引き立たせること。人にとっての都合とは、より美味しく、より美味しく、より病気に強く、より環境変化に強く、より収穫量が多く、などになるが、これは交配育種法と呼ばれ、太古の昔からやってきた。寒さに弱い美味しいリンゴと、寒さに強いリンゴをかけ合わせて両方の性質を持つ品種を作るとかね。
あと突然変異もあった。例えば、原種の野生キャベツ は自家不和合性により、突然変異が起きやすい性質があるが、突然変異で玉状になるものが現れ、それを人が品種改良して今のキャベツとなった。原種のキャベツは葉を巻かず玉にならない。また野生キャベツのうち、突然変異で花の蕾が大きいものが生まれ、それを品種改良してブロッコリーができた。ケールも突然変異で生まれたが、あれは比較的原種に近いとされ、苦いものの栄養価が高い。
パネルを提示する。
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身土不二 地産地消 一物全体食
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「身土不二は、人と土すなわち環境は一体で、人の命と健康は食べもので支えられ、食べものは土(環境)が育てているという考え方だ。たとえば、暑いところでは水分を補給してくれる作物が育ち、寒いところでは体を温めてくれる作物が育つ。自然はうまくできているんだよ」
捉えようによっては人に都合がいいようにね。だからといって、それを当たり前だと思い、自然は人に合わせるべき、というのは違う。むしろ人が自然に合わせるべきだ。品種改良したのは人が生きるため、やむを得ないことだったが、本来は人が自然に合わせるのが筋であろう。
それと、品種改良も程々に、というのが僕の考えだ。例えば、人は野生の酸っぱいベリーから、甘いぶどうを品種改良でつくったが、もっと甘く、もっと甘く、の食欲に走り、どんどん糖度が高くなっていった。さらに品種改良だけでは飽き足らず、生育途中の芽を摘み、残った芽に栄養(糖)が集中するようにしたんだよな。はっきり言って、やり過ぎじゃないだろうか。
養殖のマグロを育てる際、脂身であるトロを多くするため、カロリー過多な餌を与えるらしいが、あれはマグロの体に負担をかけている。もっと生き物に寄り添ってもらいたいものだ。商売を優先したい気持ちは分からないでもないが、そればかりだと、いずれしっぺ返しを食らうだろう。世の中はそうできている。
「地産地消はそれを受け、できるだけ自分が住んでいる土地の近くで採れた作物を食べようという考え方だ。そして一物全体食は命あるものを尊重し、できるだけ無駄にせず、丸ごと食べるという考え方だ。皮もそうだし、種もそう。先ほど取ったかぼちゃの種も炒めて食べたら美味しく食べられる」
かぼちゃの種は炒めてよく食べているが、
これも栄養が豊富だからな。捨てるなんてもったいない。
かぼちゃの種は、ミネラル(亜鉛、マグネシウム、鉄)、ビタミンE、食物繊維、たんぱく質、不飽和脂肪酸、リグナン(植物性エストロゲン)などが豊富で、強力な抗酸化作用(アンチエイジング、美肌)、免疫力向上、生活習慣病予防(血行促進、コレステロール値改善)、ホルモンバランス調整、腸内環境改善、骨の健康維持など、男女問わず嬉しい効果が期待できるスーパーフードだ。軽くローストして皮ごと食べるのがお勧め。味付けは一切不要。
戦時中、日本は深刻な食糧難に直面し、米の代用食としてカボチャの栽培が政府によって強く奨励された。特に保存が効きやすく、栽培しやすい日本カボチャ(備前黒皮かぼちゃなど)が中心で、各家庭で種が配られ、実だけでなく葉や茎まで食べられ、命をつなぐ食料として人々の空腹を満たす重要な役割を果たした。ただ、当時の人は種を食べなかった。蒔くために必要だったからね。
そのかぼちゃの種を食べられるんだから、考えたら贅沢な話だ。こんなスーパーフードを捨てるなんて、それこそもったいない。日本では、食べられる量だけ出して、それを全部食べるのが普通だが、この普通は日本の普通であり、必ずしも世界ではそうとも限らない。例えばある国では、テーブルいっぱいに大皿から溢れるぐらいの料理を出すのが普通で、食べきれない程の料理でもてなすのがあるべき状態なのだとか。そして食べる方も無理して全部食べず、残すのがマナーなのだとか。全部食べたら、これぐらいの量じゃ満足しない、という風にとられるらしい。
だから、その国の人が日本に来て、料理を提供されると、こんな少ない量で馬鹿にしてるのかと思うらしい。流石に今は文化交流により、そのギャップは減っているだろうが、どう考えても、食べられる量だけ出し、出されたものを全部食べる方が合理的だと思う。その方がエコだし、命を無駄にしなくて済む。作り過ぎと食べ残しは人のエゴによるものだ。命を粗末にしたら罰が当たる。
僕はこの世界で5Rを推奨している。
Reduce(リデュース)ごみの発生抑制
Reuse(リユース)繰り返し大切に使う
Recycle(リサイクル)再利用する
Refuse(リフューズ)ごみになるものを断る
Respect(リスペクト)命や地球資源への尊敬
前世で環境保護団体などが普及してるものだが、これはまったくもってその通りであり、これを徹底すれば、ごみは最小限で済むようになる。この世界はごみ収集を行っていないので衛生を保つためにも欠かせない。
大量製造・大量消費・大量廃棄がない、この世界では、そこまで大変ではなかったが、もし僕が前世で一消費者としていたなら、Refuse(リフューズ)ごみになるものを断る、は特に意識しただろう。これはそもそもごみを出さないため、優先度の高い行動で、具体的には、マイバッグでレジ袋を断る、過剰な包装を断る、コンビニで箸やフォークはもらわない。不要なチラシや景品を受け取らないなど、発生源でゴミをシャットアウトすることだ。使うのではなく、最初から使わない。
だから、この考えに従えば、たくさん料理を出す人に対しては、あらかじめ自分はそんなに食べないことを伝え、料理を少なく作ってもらうのが正解ということになる。
「これだけで十分です」「これだけあれば満足です」
皆がこの意識を持ち、それを表明できれば、確実にごみは少なくなる。相手の顔を立て、要らない物を受け取り、相手のいないところでこっそり捨てる、なんてことはするべきではない。こう言っては何だが、相手の確認も取らず、押し付けようとする方が悪いのだ。こういう人物は相手が受け取れば、それで自分は善いことをしたと勘違いするので、それを正す意味でも、きちんと言った方がいい。それが相手の為にもなる。それをしないで陰で嘲るなら自分の成長の機会も逸するだろう。
人と人はぶつかりあい、汚れを落とし、磨き合うもの。
料理の芋洗いと同じだな。芋がひとつだけじゃ、そうはいかない。
たくさんの芋を水がめに入れ、ごろごろと転がしながらよく洗う。
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