第1778話 大蔵大臣
2001年(平成13年)1月6日、行政改革の一環として中央省庁が再編され、旧大蔵省が財務省になり、そのトップは財務大臣となっていますが、それ以前は、大蔵大臣でした。昭和世代はこちらの方が馴染みがあるのではないでしょうか。某会計ソフトは今もこの呼び名が使用されていますが、違和感がありません。
「【取出し】!」
ここは城の食料倉庫の中、いわば蔵だね。ひんやりする。
メリッサが先ほど収納した食料を取り出し、一発で綺麗に決まる。
「おお、決まったね」
「私もやるでしょ」
「うん、やるね」
スキルが綺麗に決まり、少々ドヤッて微笑むメリッサが可愛い。男は度胸、女は愛嬌という言葉があるが、いくつになっても女性特有の可愛らしさを忘れないメリッサは素敵だと思う。これはテネシア、イレーネ、ミアにも言えることだが、可愛らしい女性は本当にいいものだ。実に愛らしい。
取り出す場所を前もって正確にイメージし、種類ごとに分別できているのはスキルの練度が増した証拠。小麦は小麦のところ、お米はお米のところにきちんと積み上がっている。これなら手直しする必要がない。もしこれらの作業を実際に手でやったら、それなりの時間を要するだろうが、一瞬だもんな。普段、スキルを自重してるせいもあるが、目の当たりにすると、その力に圧倒される。
初めの頃は一旦一カ所に出し、そこから【収納】【取出し】を繰り返して
種類ごとに分別したが、一回で済むのは素晴らしい。
「ずいぶん上達したね。【収納】の達人じゃないか」
「ふふ、あなたの教え方がうまいからですよ」
魔法スキルについては、テネシア、イレーネ、ミアの陰に隠れがちなメリッサだが、パワーはともかく、テクニックは中々のものであり、特に【収納】はかなりのもの。メリッサは衣装や家財などをたくさん持っているので、それらの整理整頓に【収納】をちょくちょく使ってきたからな。メリッサから見れば【収納】は持ち運びできるタンスやクローゼットのようなもので相性が抜群なんだろう。
収納についてはまだ僕もよく分からないところはあるが、はっきりしてるのは、こことは別の空間であり、レベル10の自己収納以外は時間停止状態ということ。だから、収納空間にモノをしまえば、いつまでもその状態が保たれるということだ。腐ることも劣化することもない。熱いスープは熱いまま、氷は凍ったまま、湿ったタオルは湿ったまま、という具合。
ちなみに僕の収納には日常生活で使うありとあらゆる物が入っている。『鉛筆からロケットまで』は日本の総合商社が扱う商品の幅広さを表現する例えだが、まさにそんな感じ。実際、ギルフォード商会が扱っている商品はすべて収納している。自分で言うのもなんだが、歩く商品カタログだね。現物の。
「じゃあ、倉庫から出ようか」
倉庫から出たら、これをしておかないとな。
パチッ
入口の扉の横にあるボタンを押すと倉庫の中の荷物が消える。
「収納に入りましたね」
「そうだね」
この倉庫は【収納】スキルが付与されており、スキルを発動させると、倉庫内の荷物が収納空間に移動する。だから、ここに入れれば、食料はいつまでも保存することができる。先ほどまでいたギルフォード農場の倉庫も実はそう。一度入れれば、いつまでも腐らない。
但し、モノを出し入れする際、スキルをオフにする必要があるので、その間、わずかに劣化が進行する。それを軽減するため、極力、短時間で作業し、空調アイテムを作動させ、気温を10℃に下げている。本当はもっと下げた方がいいんだろうが、そうすると作業の際、寒過ぎるので、この温度設定にした。これぐらいの温度なら厚手の服を着れば済む。
細菌の多くは10℃以下で増殖を遅延させることが判っている。これは前世にあった家庭用冷蔵庫の温度の目安でもあるが、ただ、10℃以下でも増殖が遅延するだけで停止するわけではない。停止させるには-15℃以下にする必要がある。これは家庭用冷凍庫内の温度の目安だ。
細菌は寒さに強く、-15℃以下でも停止するだけで死滅するわけではない。ほとんどの細菌は冷凍状態で一時的に活動を停止しても、常温に戻せば当たり前にように活動を再開する。分子や原子の運動が理論上完全に停止するとされる絶対零度(摂氏-273.15℃)でも、仮死状態で生存し続けるんだから、その生命力は凄まじいものがある。
「絶対零度」と言えば、昔、あるアニメ映画で、超能力を使う主人公たちが力を集結し、悪のラスボスを倒す際に使った最終奥義の技の名前だが、現実ではその温度でも細菌を死滅させることはできない。事実は小説より奇なり、とはよく言ったものだ。地球を滅ぼそうとする想像上の巨悪より、現実的に僕らの身近にいる目に見えない細菌の方が生命力はあるとはね。
超能力者「絶対零度!」
細菌「ははは、そんなもの利かないよ」
てなもんだ。
ただ、絶対零度とされる-273.15℃はあくまで理論上の最低温度であり、現実的には到達不可能とされている。なぜ不可能かと言えば、熱力学第三法則(ネルンストの定理)により、ある物質の温度を下げるには、その温度以下の冷媒が必要であり、絶対零度より低い温度の冷媒はこの世に存在しないからだ。
これは普通に考えたら、そうだよな。50℃に上げるには、50℃より温度の高い熱源が必要だし、0℃に下げるには、0℃より温度の低い冷媒が必要だ。熱エネルギーは高い方から低い方へ移動し、それにより、高かったものは低く、低かったものは高くなる。あるものを絶対零度にするには、絶対零度より低い温度のものが必要だが、それはこの世に存在しない。
また量子力学では粒子は完全に静止できないことになっており、エネルギーがゼロ(絶対零度)では位置と運動量が同時に確定できず、わずかなエネルギー(ゼロ点エネルギー)による振動が残ってしまうため、厳密な意味での停止は不可能ということだ。量子力学の世界において極小の粒子は物であると同時に波でもある。波は動きがあるからこそ波であり、それが止まることは有り得ないとされている。
ただそれでも、絶対零度に近づくことは可能であり、その極限に近い状態でも細菌は生存を維持できるのは凄いことだ。おそらく、この星アストリアもそうだろうが、かつての地球のように、細菌は全球凍結期や氷河期を生き延び、細胞内の氷晶形成を防ぐ耐凍性メカニズムを構築したんだろう。とにかく細菌は寒さに強く、寒さで滅ぼすことはできない、とんでもない生物だ。
そんな細菌も熱には弱い。ほとんどの細菌は中心部温度75℃以上で1分間以上の加熱により死滅する。ただ中には、熱に強い菌も存在するんだよな。それは食中毒の原因となるセレウス菌、ウェルシュ菌、ボツリヌス菌だ。芽胞の状態だと耐熱性があり、100℃で4時間でも死滅しない。これがあるから食べ物は加熱後であっても、すぐ食べなければならないということになる。温度が下がり発芽したら、一気に増殖するからね。
「メリッサ、食料管理、よろしく頼むね」
「先に入れた分から、先に使えばいいのよね?」
「そう、古い分からどんどん使っていく。といっても、
毎回、古いのもあれだろうから、適度に新しいのも混ぜてね」
「旬のものですね」
「そうそう、春には春の、秋には秋のものが食べたくなるからね」
収納に入れてるから、新しいのも古いのも左程差はないが、まぁ気分的なものだね。採れ立てを食べたい時はあるし。実際の作業は使用人が行うが、僕が直接、使用人に言うことはしない。我が家の“大蔵大臣“であるメリッサの顔を立てさせてもらう。今は財務大臣に改称したが、大蔵大臣の方がずっと重みがある。昔の聖徳太子の一万円札のようにね。
あれは本当に有難みがあった。あまりに有難みがあって、みんな大事に貯めこむので、それじゃ景気に良くないと国が危惧し、もっと軽くて使いやすい人物に変えたんじゃないかと邪推するぐらいにね。今の渋沢栄一(三代目)も、前の福沢諭吉(二代目)も素晴らしい人物だが、聖徳太子(初代)には敵わない。
聖徳太子は日本初の女性天皇である推古天皇を摂政として補佐し、冠位十二階、十七条憲法の制定、遣隋使の派遣などを通して、天皇を中心とする国家体制の確立と仏教の振興に尽力し、法隆寺などの建立も行った。現在、法隆寺は世界最古の木造建築物とされている。姫路城とともに日本で最初に世界遺産に登録されたことから分かる通り、日本に数ある歴史遺産の中でも別格中の別格だ。
柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺、う~ん、情景が浮かんでくる。
聖徳太子と言えば、小野妹子を使いに、隋の皇帝、煬帝に送った国書が有名だ。当時の隋は東アジアの超大国で、日本との国力の差は比べるまでもなかったが、それでも、太子はまったく怯むことはなかった。
「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」と堂々と書いたのだ。これを見て煬帝は激怒し、外交大臣の鴻艫卿に「蛮夷の書なり、無礼なる者あり、復た以て聞する勿れ」と吐き捨てたそうな。
煬帝の立場になれば、激怒するのももっともな話。当時、世界に冠たる大帝国の皇帝に向かって、東の弱小国のどこの馬の骨とも分からない人物が対等に物申してきたのだ。しかも隋の皇帝にしか許されていない「天子」という称号を使い、さらに、煬帝を「日没する処の天子」としたのが逆鱗に触れた。当時の隋は領土こそ広かったが、すでに下り坂の落ち目であり、そこをズバリ指摘したのだ。
今から約1400年も前に、大国に臆することなく、堂々と対等に渡り合ったのが聖徳太子だ。相手が激怒しようが平然と言うべきことは言う。この国書は、日本は隋の下に位置するものではなく、対等な位置にあるという前提で書かれていた。
だが、あくまで内容は友好親善であり、怒りで一時は国書を退けようとした煬帝だったが、高句麗遠征を控えており、日本との関係を重視したため、最終的に国書を受け取った。 翌年、煬帝は裴世清を日本に派遣して返書(国書)を届けさせ、日本側も四天王寺や法興寺、飛鳥の宮殿で盛大に歓迎し、文化交流が本格化した。
聖徳太子は当時の国際状況をよく理解し、隋が日本に敵対できないのを分った上で、件の国書を書いたのだ。友好親善を求めるが、決して卑屈に頭を下げることはしない。
聖徳太子の深謀遠慮により、日本は朝貢外交することなく、大国と対等に渡り合ったが、 これが功を奏し、以降、モンゴルの時を除き、大陸側から日本に服従を迫るような動きが出ることはなかった。多くのアジアの国々は大国に朝貢外交したが、日本は自主独立外交を貫くことができ、その礎を築いたのが聖徳太子だ。
天の配剤か、現在、聖徳太子ゆかりの奈良県出身の首相が太子同様、東アジアの大国を激怒させているが、よくぞ言ったという気しかしない。台湾有事は日本有事、まったくもってその通り。激怒したからなんだ? 道理を通し言うべきことを言うのが外交だ。そこで折れたら、道理が崩れ、悪想念を振りまいた者勝ちの野蛮な世界になってしまう。
日本は公式に台湾を大国の領土と認めておらず、言いたいことは理解したと言っているに過ぎない。その上で、台湾を攻撃されたら、日本のシーレーンに影響が生じるから、日本にとって他人事ではなく、自分事だと言ったのだ。これのどこが間違っている。大国の主張する「内政に関する露骨な干渉」はそっくりそのまま自分がしてることだ。よく臆面もなく言える。
歴代の多くの日本の首相は雁首そろえて大国の顔色をうかがい、まるで臣下のごとく振舞い、言うべきことを言わなかったが本当に情けない。それがどれだけ国益を棄損させてきたことか。日本はサイレントインベイジョンにあい、このままだと属国になる手前までいっていた。
そういう意味では今度の首相は救世主だ。
いろいろ難しい状況だと思うが、この世界から応援したい。
昭和の日本では、家計を預かる奥さんのことを大蔵大臣と呼ぶことがあったが、昔は給与の現金手渡しで、それを受け取った夫が給与明細と一緒にそのまま妻に渡すことが多かったんだよな。それを預かった妻はその範囲で家計をやりくりし、ちゃんと家計簿をつけ、せっせと貯金もした。この当時、女性は専業主婦が多く、家計管理は妻の大切な仕事とされていたが、大蔵大臣という呼び名はその妻に対する敬意と感謝の表れであろう。「かみさん」もそう。神様から来ている。
夫が稼いだお金の全額を妻に渡し、夫が個人的に必要な分は妻から小遣いとしてもらう、という慣行は今でも一部続いているだろうが、実はこれ、日本独自のものであり、個人主義の強い欧米では、あり得ないこと。向こうの考えでは妻であっても他人であり、他人に自分の稼いだお金を全額ポンと渡すなんて絶対しない。だから、向こうではお金の使い方の主導権を巡って、夫婦間のバトルが日常茶飯事であり、ギスギスする。離婚率が高い原因のひとつにこれがあるのかもしれない。
だから、向こうの女性は自分の財布を持ちたいという気持ちが強くなり、それで働きに出る人が増えたが、その面だけ切り取り、「欧米は女性の社会進出が進んでいる。だから日本も見習え」という論調には同意しかねる。欧米は男性主導の家計であり、それに不満を持った女性が外に働きに出ざるを得なかった面が多分にある。女性主導の家計だった日本では、その必要がなかったということだ。働きたくて働くのと、働かざるを得なくて働くのは、似てるようで全然違う。
そもそも「社会進出」の「社会」には家庭も含まれる。
専業主婦のどこが悪い? 外で働く方が偉いのか?
そんなことはない。どこで働こうが、人の役に立てるなら、それで十分。
地位やら肩書やらお金やらは付録と同じ。
夫がお金を全額、妻に渡す行為は、夫が妻に全幅の信頼を寄せるから出来ることであり、僕も行政庁から振り込まれる領主としての俸給は、古き昭和の良き時代に倣い、全額メリッサに渡している。僕は各方面でいろいろ活動をしているが、基本お金は受け取っておらず、唯一受け取っているのが、この領主の俸給だ。これをもらわないと城の維持管理に支障をきたすので、これだけはね。それに一切お金を受け取らないというのも、やり過ぎだと思うし。
あと、本の売上などの利益は、教育省、ギルフォード商会、霊性研究所、ギルフォード財団、教会などに入るようにしており、受け取っていない。本を書くこと自体が楽しく、それだけで満足だ。お金は完全に付録であり、皆のために使ってもらえれば、それで結構。
起きて半畳、寝て一畳、天下取っても二合半。
自分とまわりの人たちが生活するに困らないぐらいのお金があればいい。
知足安分の生活は心地いい。ごはんは粗食、服も簡素なものを心がけている。
領(法人)と領主(個人)を区分し、領の財政は行政長官のリミアに、領主(城)の財政は妃のメリッサに任せているが、もちろん任せっぱなしということはなく、定期的にチェックさせてもらっている。どんなに信用してる人であっても、これはパスしない。
理由は両方とも僕だけのお金ではなく、多くの人に関わるお金だからだ。僕がいいと思っても、声なき声を聞く耳を持たないとね。ノーチェックは怠惰やミスにつながるし、チェックした上でこそ、信用は築かれる。
こんなやり取りがあったとしよう。
「チェックさせてくれないか」
「えっ、チェック? 自分を信用してないんですか?」
「信用したいから、チェックしたいんだ」
「いやいや、チェックするということは信用してないからでしょ」
「じゃあ、ノーチェックで信用しろと?」
「信用ってそういうものでしょ?」
「いや、違う、それはただの妄信だ。根拠なく信じるのはおかしい」
どちらの言い分に筋が通っていると感じるかは個人差があるだろうが、大方は僕と同じく、要チェック派だろう。確かにチェックは不信の気持ち(悪想念)が前提にがあるが、これを乗り越えてこそ、信用を築くことができる。一時、悪想念になるが、その後、善想念に転換する。最初から最後まで善想念は理想だが、現実の世の中そうはいかない。人に間違いは付きものだしね。
それに僕のチェックは信じたい気持ち(善想念)が乗っているので、ほとんどニュートラル状態だ。同じチェックでも、相手の粗を探し、相手を責めることを考えてするのと、相手の至らない点をカバーし、相手を助けることを考えてするのとでは大きな差がある。
二人とも、貸借対照表や損益計算書など、僕の教えに従い、金勘定をしっかりやってくれている。本当に有難いことだ。金勘定は本当に大事。これに関連した講義を、また孫たちにしようかな。ちょっとネタを整理しておこう。
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