第1776話 教育番組~付録3~
続きです。
番組の収録を終え、館内の喫茶店に皆と一緒に入った。ここは内務省の建物内になるが、娯楽広報部、連邦放送局、放送学園のある階であり、外部の人(関係者)の出入りも多く、打合せ場所として重宝している。同じ階にあり、芸能人の利用も多い。受信機で観た顔があちこちにいる。
と、思ったら、僕も見られてるな。はは。
僕も番組によく出演するし、一応、業界関係者だもんな。
さ~て、お茶でもしばこう。仕事を終えて、ハイ、サヨナラは僕流ではない。
今回は招待客を呼んだので、彼らをもてなす意味もある。
「さぁ、座った、座った。何でも好きなものを頼んでくれ」
「「「は~い」」」
女性陣が明るく返事をする。
僕も含め男性陣もいるが、こういう場はやはり女性だよな。
テーブルを囲むのは、僕、ギロン王子の他、ゲスト席に呼んだ面々で、
ギルフォード商会から、ミローネ、メラル、バーモ
ギルフォード療養所から、ローレル、ブレンダ
ギルフォード財団から、ルルア、ガルシア
霊性研究所から、エミリー、アネット
と、そこそこの人数になった。人数は全部で11…じゃなかった。
飛び入りでもう一人。僕がよく知る人物が来ている。
「お元気そうで何よりです」
「君こそ、それにしても、いつも悪いね」
「いえ、これぐらいお安い御用です」
そう、連邦放送局の長、サラだ。彼女も忙しいはずだが、僕が来たので、わざわざ顔を出してくれた。親友兼お得意先のミローネも来てるしね。連邦放送局の最大のスポンサーはギルフォード商会だ。
正直な話、今のギルフォード商会は宣伝せずとも知名度は十二分にあり、多額の資金を投じてスポンサーになる必要はないのだが、連邦通信局は僕の意向を受け、世の中に善い情報を発信してくれているので、商業的な目的ではなく、社会貢献的な目的でスポンサーを続けている。ギルフォード商会も富裕層であり、得た利益を貯めこむことなく、積極的に世の中に還元しているのだ。
スポンサーとは本来かくあるべきだろう。いつまでも金、金、金の我利我利亡者ではダメ、そこから脱皮し、社会貢献を目指すべきだ。自分たちがここまで大きくなれたのは皆のお陰であり、であればこそ、皆に感謝し、お返ししなければ、恩知らずとなる。大きく成長した組織ほど、その恩が大きいのだから、大きなお返しをしなければならない。大きくなったからといって偉そうにふんぞり返ったら、罰が当たる。
努力すれば人はある程度出世し、社会的地位を得るものだが、そこで傲慢になるか謙虚になるかで大きな差がつく。精神性の低い小物ほど、ちょっと上になっただけで、まるで大きな組織のボスになったかのように偉そうに振舞う。
本来、番組を制作するには、いろいろな会議を経て、それなりに時間を要するものだが、僕の場合は特別扱いということで、サラの判断で優先的に制作してもらえる。前もって僕用に枠を空けてくれているんだろうが有難いことだ。
「義父上の番組は視聴率が高いですから、こちらとしても有難い限りです」
おっ、先に言われた。彼女はアレク(僕の次男)の妻であり、
僕の義理の娘にあたるが、実の娘のようであり、互いに気心は知れている。
「それはこちらも同じだよ。ありがとうね、サラ」
いつものことではあるが、それでも感謝の言葉は忘れない。
「ありがとう」を「あたりまえ」にしたらいけないからな。
さて、雁首揃えて集まったからといって、特段何かするということはない。皆でまったりひと時を共に過ごせればいい。こういう時間を無駄だと思う人がいるかもしれないが、僕はそうは思わない。仕事モードだけの付き合いは空々しいものだ。わずかな時間でも、そこから離れた時間を共有すれば付き合いに深みが増す。
それに、仕事を終えた瞬間、すぐその場を去るということは仕事以外では付き合いしたくないという露骨な意思表示に見えなくもない。本人にその気がなくても、潜在意識で思っていれば何気ない行動に出るものだ。
何か用事があるなら別だが、そうでないのに仕事が終わった瞬間に去るということは、仕事中、既に去ることを考えており、もっと言えば仕事中に仕事のことを考えていないことになる。それは勤務先に対しても職場の同僚に対しても失礼だ。
昔、「5時から男」なんて言葉が前世で流行ったが、裏返せば、5時前は本番ではなく、薄い付き合いということを宣言したようなものだ。5時からの付き合いは確かに大事だが、それは5時“前“の付き合いがあった上での話。
さて、参加者は僕の知人ばかりなので、一々僕が何かを言わずとも、皆、場の空気を読んで、話したり、ぼうっとしたりして、思い思いに時間を過ごしている。僕は皆の話をBGMにしながら、このまま思考遊戯を続けようかな。
そう言えば、ガルシアとはあまり話したことがなかった。いや、仕事中はもちろんあるが、考えたら、それ以外はほとんどなかったよな。シルエスとルルアが気に入っており、仕事がうまく回っていれば問題ないものでね。
現在、ギルフォード財団の理事長は僕、副理事長はルルアだが、ほとんど、ルルアに運営を任せている。財団の運営資金は僕が拠出しており、金儲けを考える必要がないので、その点はかなり楽だろう。大変なのは善なる心で善なる行動を続けることだが、それに適う人、それにやりがいを持てる人を選んでいるので、その点も問題ない。ガルシアもその時に採用している。
当初、事務局長は副理事長のルルアが兼任していたが、人も増え、体制の見直しの一環で分けることにし、そのタイミングで、シルエスから推薦の声があったので、ガルシアを事務局長にした。これまで何の問題もなく進んでいるが、せっかくの機会だ。ちょっと話をしてみよう。それが頭の隅にあって、僕はガルシアの隣に座っている。ガルシアの反対隣はルルアだ。
番組の収録の後だから、話題はこれでいいな。
「ガルシア君、先程の話を聞いて、どうだったかい?」
「はい、大変ためになりました」
無難な答えだが、当然それで終わらせない。
「何か意見とか質問はあるかな?」
「そうですね、財団は慈善活動をしていますが、これもそれが本番で、
そのことで何かを得るのは付録ということになるんですか?」
「そうだね。慈善活動は主に陽徳になるから、人々の称賛、感謝、尊敬、信用などを得ることになるが、それも付録ということになる。活動のきっかけや、やり始めの頃は、それが目当てでも構わないが、活動を続けるうちに、活動そのものが楽しくなり、その結果、得られるものがどうでもよくなってくる。それが付録の感覚というものだ」
「そこまで行けるんでしょうか?」
「行けるか行けないかと言えば行けるが、すぐ行けるかどうかは
個人差が大きい」
僕らの本性は永劫の時を持つ魂であり、魂の感覚に従えば、できるか、できないか、という質問は愚問となる。魂が想像できることは必ずできる。ただ現実的には現世において肉体の枷に嵌められているので、タイムラグがあり、早いか遅いかという違いが生じる。遅ければ来世以降ということもあるだろう。
昔、人類は、速く移動したい、空を飛びたい、宇宙に行ってみたい、などとは思ったはずだが、その後、実現させている。今、したいと思っていることも将来、実現できるだろう。
「すぐ行けるようになる方法はあるんでしょうか?」
「それはそうなりたいと強く思うことだ。そして、そうであるように振舞う。
フリをするという奴だな。だが、フリをするうちに次第に本物に近づいていく」
「フリ、ということは真似ですか? 真似でもよろしいのですか?」
「良いことならどんどん真似ればいい。学ぶことは真似ることから始まる。善もそう。見返りを一切求めない陰徳、真善は難しいが、それに近い善、これを僕は善に似た行為、似善と呼んでいるが、これなら行いやすい。とにかく最初は真似ることだ。真似ているうちに、いずれ本物になる」
僕らは現世に肉体を持って生まれたが、肉体があることにより形から入ることができる。例えば感謝の気持ちがなくても、口で「ありがとう」と言うことができ、尊敬してなくても、頭を下げることができ、嫌な相手だと思っていても、愛想よく振舞うことができる。いきなり心を変えるのは難しいし、ほぼ不可能だが、形ならすぐ変えることができる。そして、その形を繰り返すことにより、心も変えることができるのだ。
霊界は心(魂)しかないので、これができない。憎いと思えば、いつまでも憎い状態が続く。高級霊界なら、愛や感謝といった善想念が続くのでいいが、低級霊界では憎しみや不満といった悪想念が続くので、そこから抜け出すには、形から入れる現世は都合がいい。
「徳も付録ということですか?」
「そう。徳も付録。善行をすると徳を積むが、実際のところ、徳を積んだかどうかは目に見えないから、本当に積んだのかどうか、気になる人は多いだろう。でも、付録ならどうだい? 前より気にならなくなるはずだ。そして、何らかの見返りを期待せず、ただただ善行に打ち込むことがもっとも理想的な善のあり方なんだ」
逆説的だが、徳を積もうと思って、徳を積むより、そう思わないで、徳を積んだ方が、結果的により多くの徳を積める。ノーベル賞のような賞を獲ろうと意識して頑張るより、余計なことを考えず、ひたすら真摯に打ち込んだ方がいいのと同じ。
善行は「自分は善いことをしてるんだ」という意識が強い状態で行っているうちは、まだまだ修行が足りない。修行が進めば、気張らなくても自然体でできるようになる。
見返りがあるから善を成そうというのは真なる善ではない。だが、そうしないと、最初のとっかかりとして、誰も善を成さなくなるので、導入において、見返りを求める善を許容することにしている。とにかく、きっかけはどうあれ、先ずは実際に善を成すことが大事だ。
先ずは、隗より始める。形から始める。真似から始める。
そして、善をしさえすれば、次第に内面の善性が強まり、自らの意思で積極的に善を成そうとするようになるだろう。そうなればしめたものだが、人生のどの時点でその心境に立てるかだ。早ければ早いにこしたことはないが、遅くとも人生の真ん中ぐらいの時期までにはそうなって欲しいもの。というのも、その心境に立てたらゴールということではなく、そこから善行を積み重ねることが肝心だからだ。
人生を終える間際で、その心境に立てても、善行を積めず、また来世、リセットしてからのリスタートになるから、遠回りになってしまう。遠回りが一概に悪いとは思わないが、来世、また、その心境に立てる保証はないからね。
普通は階段を上がるように、一段一段、上にいくものだが、何かのきっかけで下にいくこともある。だから上昇気流に乗った時、一気に上がった方がいい場合もある。そういうタイミングは人生でそうそう多くはない。
「父上、商売で得るお金も付録ということでしたが、
本当でしょうか? 信用はその感覚でいましたが」
ミローネが声をかけてきた。商売はお金を稼ぐことが目的だが、そのお金が付録と言われ、少し釈然としない気持ちがあるのだろう。だが――
「言うまでもなく僕らの目指す商売は善行とイコールだから、これこそが本番だ。そして、それによって得られるお金は付録に過ぎない。世間では、お金を得ることが本番で、商売の方が付録のように捉える向きもあるが、それだけでは長続きしない。繰り返すが大事なのは余計なことを考えずに誠実に商売をすること。そうすれば黙っていても、お金はついてくる」
商売が本番であり、お金は付録、これが実体経済の基本だ。もし、商売が付録、お金が本業となったら、前世のお金がお金を生む虚構経済のようになるだろう。この世界では、虚構経済はないので有り得ないことだけどね。
「お金に執着しないということですね」
好ましくないお金の用い方、それは浪費と退蔵だ。
形は違うが双方ともお金の執着から来ている。
「そういうこと。それと不思議なもので、お金は執着すればするほど、実際は手に入らなくなる。お金は貯めこむものではなく、社会の中で還流させるものだ」
よくある願望実現法で、いい結果をイメージするというのがあるが、これを用い、自分が金持ちになったイメージをすれば金持ちになれるだろうか? 霊界ならイメージが即実現するから、そうだろうが、ここは現世、そう簡単にはいかない。行動しなければ実現しないだろう。
金持ちになるには、人様のためにいい仕事をすることに尽きる。人様のお役に立つから、そのお礼としてお金を手にすることができるのだ。お金はお礼が形になったもの。だから、お礼されるようなことをしないで、お金を追いかけても詮無きことだ。ただ、お礼の感じ方は人それぞれなので、手に入るお金は多寡があるし、ない場合もあるだろう。でも、それは付録なのだから気にすることはない。付録を気にする暇があったら、本業に集中するべき。
ルルアが口を開く。
「付録のお話、ためになりました。付録についていろいろありましたが、
逆に付録ではないものはありますか?」
おお、いい質問だな。付録ではないものか。これもいろいろあるが……。
「それは、付録に見えて付録でないもの、ということだね?」
「はい、そうです」
「それなら、ひとつ挙げよう。それは人生の後半だ。特に引退後は余生などと言ったりするが、とんでもない。人生の後半、引退後こそ、人生の本番だ。多くの人は、のんびり怠惰に過ごせばいい、と考えがちだが、この時期こそ、業を解消し、徳を積み、精神的に大いに成長しやすい期間だ。肉体は20才ぐらいまでしか成長しないが、精神は一生成長することができる。特にこの時期は今までの知識と経験を活かせるから、かなり有利だ」
古代中国の思想では人生を四季にたとえ、五行説による色がそれぞれ与えられ、玄冬、青春、朱夏、白秋と呼んでいた。それによると人生は冬から始まり、まず生まれてから幼少期は未来の見えない暗闇の中にある。そんな幼少期に相当する季節は冬であり、それを表す色は原初の混沌の色、すなわち玄だ。玄冬の時期を過ぎると大地に埋もれていた種子が芽を出し、山野が青々と茂る春を迎える。これが青春だ。この青春の時期を過ごす人を青年という。
そして青年が中年になると夏という人生の盛りを迎える。燃える太陽のイメージからか色は朱が与えられている。中年期を過ぎると人生は秋、色は白が与えられ、高齢期は白秋とされる。そう、高齢期は実りの秋であり、人生の収穫期でもある。白秋こそ人生の黄金期だ。
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