第1775話 教育番組~付録2~
続きです。
収録は続く。さて、少しずつまとめに入るか。
「人は目標を持ち、いろいろ苦労するが、結果がどうであろうと、その過程にこそ大きな意味がある。いい結果を出せば、人からお金をもらったり、褒められたり、感謝されたり、ご褒美がもらえる場合があるが、それらはすべて付録と思えばいい。そうすれば執着が減り、人生が楽なる」
楽が有るか無いか分からないのに、有ると勝手に思うから、無いと反射的に苦を感じるという構造がある。現実的に苦は起きてないにもかかわらず。苦の多くは人が勝手に作り出すのだ。まるで自ら苦しみたいかのように。
五体満足で我が子が産まれてきただけでも有難いのに、近所の子が我が子より成績優秀と聞くと、我が子の不甲斐なさを嘆いたり、仕事があるだけでも有難いのに、知人が自分より稼いでるのを知って、自分の不遇に文句を言ったり、日々、食事ができるだけでも有難いのに、金持ちが豪華な食事をしてるのを見て、腹立たしく思ったり、苦(悪想念)の大部分は他人の楽が自分にないことによって起こる。他人の楽が自分に無いのはおかしいと勝手に思うから生じるものだ。
それにより今すでに得ている楽(善想念)を無かったかのように忘れてしまう。簡単に言えば、自ら楽を手放し、自ら苦を掴んでるということだ。これではどんな状況になろうと幸せになることはできない。だって自ら不幸の道を選んでいるのだから。
苦や不幸がない状況で、自ら苦や不幸を作り出すのはやめにしよう。悲劇のヒロインは、可哀そうな自分に酔いしれて歪んだ快感を得るが、自ら苦や不幸をつくりだす人はそれと大差ない。
パネルを提示する。
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過程 本番
結果 付録
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「人生を苦しくするのは、勝たなければ、いい結果を出さなければ、いい点を取らなければ、これをしなければ、これを手に入れなければ、とネバネバの執着をするからだ。目標を持つのはいい。それ自体は否定しない。ただ、その結果は付録ぐらいに考えておいた方がいい。一生懸命に頑張った、歯を食いしばって努力した、それで十分。その後の他人による評価はどうでもいいとまでは言わないが、いや、言ってもいいか、とにかく、あまり気にする必要はない。良い評価なら嬉しいだろうが、それはあくまで付録。それに執着すべきではない」
勝とうとして負けても、いい結果を出そうとして、いい結果を出させなくても、いい点を取ろうとして、いい点を取れなくても、あまり、もしくは、まったく気にする必要はない。過程こそが本番であり、結果はあくまで付録だ。
我が子が一生懸命努力し、その結果、テストでいい点を取れなくても、かけっこでビリになっても、叱ることなく褒めてあげる。人はテストや運動会の当日を本番だと捉えるが僕は違う。それまでの努力や練習の日々こそが本番だ。当日の結果はあくまで付録に過ぎない。
『練習を本番のようにやり、本番を練習のようにやる』
は教育やスポーツの現場で、先生やコーチがよく口にする言葉だが、
本当にこの通り。
運動会と言えば、攻撃的な獣性や相手を敵視するナショナリズムを煽る、前世のオリンピックのような大会は好きではないが、それでもパラリンピックには好感を持つ。オリンピックなど止めて、こちらを本番にしてもいいぐらいだ。結果うんぬんより障害を乗り越えようとする姿に感銘を受ける。
身体的に恵まれた人が恵まれた環境でトレーニングすれば、いい結果を出すのは当たり前。そこに心を動かすようなものはない。中にはそうでない環境から努力してる人もいるだろうが、残念ながら、そういう人はオリンピックの晴れの舞台に立つことはほとんどないからね。
「誠実に商売をすれば、お金が手に入るが、これも商売が本番であり、お金は付録だ。付録だから手に入らない場合もあるが、付録だから気にすることはない。付録だから、そういうこともある。勉強でも仕事でも人間関係でも何にでもこれは当てはまる。手に入るものはみんな付録だ」
パネルを提示する。
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ギブ(与える) 本番
テイク(受け取る) 付録
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「この世はギブ&テイクで成り立っているが、これにこだわると息苦しくなってくる。そこから解放される方法がこれだ。ギブは無理のない範囲で積極的にすればいい。対してテイクにはこだわらないこと、付録として捉え、あまり関心を持たないことだ。自分がこれだけしたんだから、他人は自分に対して相応の報いをするべきだ。他人が得ているのに自分は得ていないのはおかしいと思うから人生は苦しくなる」
ギブ(与える)<テイク(受け取る)にこだわると下に落ちる。
ギブ(与える)=テイク(受け取る)にこだわると上に行けない。
ギブ(与える)>テイク(受け取る)でいいと思えれば上に行ける。
前世にはノーベル賞という賞があったが、あれは特定の分野で人類に貢献したとノーベル財団が認めた人がもらえるものであり、それを獲ること自体を目的とするのは、いかがなものかと思う。真に人類に貢献した人がもらうべきであり、また、もらえないからといって、してきたことの価値がなくなるわけではない。
というより、してきたことは賞を獲ろうが獲るまいが色褪せることはない。たとえ誰からも称賛を受けなくても、してきたことはしっかり魂の経験値になる。おそらく多くのノーベル賞の授賞者は受賞そのものを目的に活動しておらず、付録としてもらったような感覚だろう。
「えっ、自分がノーベル賞!? ほんと!?」
という感じだろう。国民栄誉賞だろうが、文化勲章だろうが、その道で頑張り続けた結果。本人の様子から察するに意図せず受賞してるところが多分にあり、賞のことを考えて行動してきたわけではないと見ている。つまり、これらの賞は頑張った人がたまたま付録としてもらったようなもの。もっとはっきり言えば、賞など眼中になく、ひたすらその道を頑張った人だからこそ賞を貰えたのだ。
賞を獲りたい人が賞を獲るのではなく、
ひたすら人類に貢献した人が賞を獲る。
脇目も振らず、その道を邁進した人が賞を獲る。
以前、マザー・テレサがノーベル平和賞を受賞した時、賞金を全額、慈善団体に寄付したが、実はこれ、マザー・テレサだけではない。多くの授賞者が研究機関や教育機関などに多額の寄付しているのだ。自分のことは二の次、三の次、科学の発展や後進の育成のために使う人が多く、流石、賞を獲る人は凄いことをさらっとやってのける。
受賞は確かに素晴らしい。だが、世の中には賞をもらわずとも、それに匹敵するか、それ以上のことをしてる人は数多いるはずだ。そして、そういう人たちは別に受賞できなくても悔しがらないだろう。それは賞を付録のようなものだと感覚的に分かっているからだ。
世のため人のために行動してきたのであれば、それでもう十分であり、その結果、賞を獲ろうが獲るまいが些細なこと。精神性の高い人ほど、それをよく解っている。逆に精神性の低い人ほど賞に固執し、「賞を獲る俺、偉いだろ」アピールをしたがるのだ。皆に失笑されているのも知らずにね。
自分の進む道に迷いが無ければ、紆余曲折しようとも、ひたすら突き進むのみであり、それに対し他者がどうこう言うことは付録のようなもの。それが有ろうが無かろうが、するべきことは何も変わらない。
利他の精神は大事だが、さりとて、他人の評価に振り回される人生であってはならない。何をするにしても、他人の評価、他人の目ばかり気にして行動していたら、自分の軸がなくなり、風見鶏のようなブレブレの人生、他人任せの薄っぺらい人生となってしまう。
他人の話を聞くのはいい。いろいろ参考にするといいだろう。
だが、最終的に自分の人生は自分が決める。他人が決めることではない。
付録と言えば、アイドルと握手できる権利(握手券)を手に入れるため、熱狂的なファンがCDを何枚も買ったという話が前世であった。いわゆる推し活という奴なんだろうが、あるケースでは、CDを買えば、必ず握手券が付いているわけではなく、何枚かに一枚ランダムに入っていて、握手券を手に入れるため、何枚もCDを購入する必要があり、問題になったことがあった。同じCDをたくさん持っていても意味がなく大量廃棄するケースもあったとか。う~ん、資源の無駄だ。
あと、外れはないけど、CD一枚で10秒しか話せないケースでは、千枚買ったファンもいたとか。仮にCD一枚三千円だと、千枚で300万円だ。こういうファンが本当にいたらしい。付録が本体と価値が逆転するわけだが、歪んだファン心理を思わせる。本人は純粋な「つもり」なんだろうが。
推し活はファンとしてアイドルを支える行為であり、その性質上、利他行(善行)に見えなくもないし、実際そういう面もあるにはあるんだろうが、直感的にどうも不健全な感じがしてならない。例えるなら、男性客がキャバ嬢に貢ぐのと似ていて、精神性を高めるどころか、低める行為になりそうな気がする。
応援すること自体はいいが、問題はどんな活動を応援するかだ。
そのアイドルやキャバ嬢が良心的で健全ならいいが、そうでないとね……。
どちらも男性をいい気分にさせ、その対価としてお金をもらっていると言えるが、いい気分にさせる労力と対価が合っているか、というのがある。破綻するほど貢がせるのは流石にやり過ぎだろう。アイドルやキャバ嬢の言い分は「無理に貢ぐ方が悪い」なんだろうが、そうさせているのは誰なのか。
他には付録付きお菓子なんてものあった。子供の頃、手にしたのを覚えている。何が入っていたかは忘れたが、今見たらつまらない物だろう。だが当時、ワクワク感があったのだけは覚えている。子供心で付録に特別なものを感じたのだろう。
だが、当たり前のことだが、メーカーは付録分も計算して商品を製造しているので、別に得をしたわけでも何でもない。子供だましという言葉があるが、まさにそれ。だが、気を付けないと、アイドルの握手券のように大人も普通に引っかかる。
どうも人という生き物は、おまけに弱い。詐欺的商売に、おまけ商法というのがあるぐらいだからな。抱き合わせ商法、景品商法、プレゼント商法なども似たようなもの。
精神性の高い人は、肝心なもの(本質)に目が向くが、精神性の低い人は、どうでもいいもの(付録)に目が向く。付録ビジネスが流行るのは後者の人が多いということだろう。ある意味、消費者が馬鹿にされているということであり、その手に乗らない賢さが必要であろう。
騙す人がいるから騙される人がいる。
と同時に、騙される人がいるから騙す人がいる、とも言える。
魚心あれば水心、騙されないようにすれば、騙すという悪行を減らす
ことができる。他人に対し「騙すな」と言う前に自分ですべきことはある。
騙す人=加害者、騙される人=被害者、という等式は成立するが、騙される人が騙す人を作り出している部分は多分にあり、しかも騙される人が騙す人の養分になっていることから、結果的に加害協力となっている面がある。だいたい騙される人は何か美味しい話につられてのケースだったり、普通に考えて有り得ない話を十分考えず乗ってしまったり、本人の落ち度が多い。
皆が騙されないようになれば、それだけで世の中はだいぶ善くなる。
それには、人に優しく、悪に厳しく、だ。
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