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第1773話 ご都合主義

 この世界は私たちにとって都合よくできていると感じたことはありませんか。

「ふふふ」


 いつものよう御用聞きで城に回ってきたミローネと談笑してるところだが、

 何やら意味深に含み笑いしてるじゃないか。


 彼女は普段から笑顔を心がけているが、この感じはそれと違う。

 何か意図があるのは明白だ。そういう時は――


「何かあったのかい?」


 と訊くのが僕流。ボールを投げてきたんだからちゃんと返す。こういうのをスルーするのが大人の対応と勘違いする人がいるが、それは違う。スルーは自分に対し攻撃的で悪意がある場合に使うものであり、そうでない場合に使うものではない。


 悪口や悪い態度をスルーするなら、それは護身になるから業を積むことはないだろうが、そうでない普通の言葉や態度をスルーしたら、人を無視した、軽んじた、ということで業を積むことになるだろう。一回だけでは小さな業だが、毎回これをやると大きな業となりかねない。人を無視して面白がるのは避けるべきことだ。


「先日、マークとカインがヨウス領へ行った際に、街で偶然、

 おじい様、おばあ様と会ったそうなんです」


「義父上、義母上と?」


 普段、街から離れた保養施設にいる二人だから、ひょっとして……。


「はい、ボランティアでクリーン活動をされていたそうで、

 マークとカインの二人も飛び入りで手伝ったんですよ」


 以前、義父上、義母上に【不老】を施す際、利他行を条件としたが、その一環でボランティア活動を始めたと聞いている。活動団体はギルフォード財団で、僕が紹介した。


「ほぅ、それは善いことをしたね」

「はい、それで善行に関心を持ってくれたようなんです」

「それなら、猶更いいね。善きかな、善きかな」


 孫の成長を聞き、いい気分になる。これは他人事ではなく自分事だ。

 自分のことのように嬉しい。


 学校の道徳の授業などにより、子供の頃から皆、善行するよう教わっているが、あくまでお勧めであり強制ではない。善は強制されてするものではないからね。


 善は自らの意思でするもの。だから同じ時期に同じように教わっても、自らの主体的な意思で善を成そうとする時期になるのは個人差がかなり大きい。すぐできる人もいれば、すぐできない人もいるし、何なら一生できない人もいる。来世、さ来世という人もたくさんいるだろう。


 形の上で善(らしきこと)をする人はいる。

 だが、他人から言われず、自発的に善をするのはそこそこ難しいことだ。


 どうして善をすべきなのか? それは善がすべきことだからだ。

 循環論法であり、論理の飛躍となるが、実際、この世のことわりを超えている。

 善はすべきである。これは理屈うんぬんの話ではない。


 ただ、これだけだと納得しない人も多いだろうから、物事の道理が解らない子供には「両親や先生が喜ぶから」などと説明し、物事の道理が解る大人には、業の解消、徳積み、霊性進化、精神的成長のためと説明する。実際、その面があるが、本質的にはそうじゃない。


 真なる善は一切の見返りを求めず、

 ただただ、その行為をすること自体が嬉しく、喜びとなるものだ。

 何かのためということはない。


 ただ、その境地まで辿り着けるのは簡単ではなく、

 だから「〇〇のため」を方便とし、

 どんな形であれ一歩でも前に進むのだ。


 他人への気遣い、配慮、想いやり、優しさ等、子供のうちからできる人もいれば、いい大人、老人になってもできない人はごろごろいる。彼らだって学校で習ったはずだから、知識としての「善行」は頭の中に入っているだろう。だが、それで、知ってるつもり、わかったつもり、できたつもり、やったつもりになっているのかもしれない。


 だが、その「つもり」と、実際に行動したのとでは天と地ほどの差がある。本に書いてある善はただの二次元情報であり、それを知っても二次元で理解したに過ぎない。現世は三次元であり、そこで行動してこそ三次元で理解したことになる。二次元レベルの善では三次元レベルの善としてカウントされることはない。


 世の中、知ってるつもり、わかったつもり、できたつもり、やったつもり、の「つもり君」が多いんだよな。なぜこうなるかと言うと、勝手に自分の記憶を自分に都合よく改変するからだ。善行するのは大変だが、自分の中でやったことにしてしまえば、実際にやらなくて済む。(←いや、ならないんだけどね)でも当然、それでやったことになるはずがなく、後々、苦労したり痛い目に遭うことになる。


 自分に都合よく物事を考える、というのはいわゆる「ご都合主義」に当たるが、実はこれ、他人事ではなく、大なり小なり誰にでもある。もちろん僕にもね。主に心理学的防衛機能としてだが、つらい現実から一時的に目をそらし、自分を守るための心理的な逃避や防衛のメカニズムとして、「異世界」のような理想的な設定を好む場合がある。これは自己決定理論で語られる「有能感」「関係性」「自律性」が満たされる安全な空間として機能するんだよな。


 平たくいえば、自分の頭の中に自分の理想とする世界を創り出し、そこに浸るということだ。こうすれば、現世の憂い、辛さ、苦しさから一時的に逃げることができる。僕だって頭の中で理想社会を創り出し、その状態を是としているが、これも捉えようによって一種のご都合主義であろう。だから、ご都合主義そのものは否定しない。むしろ、それで幸せになれるなら積極的に活用したいぐらいだ。


 もちろん頭の中だけで満足せず、現実の世の中にも反映できるよう実践する必要はある。そうでないとそれこそ、頭でっかちの「つもり君」になりかねない。「行動したつもり」と「実際に行動した」では決定的な違いがある。過去の偉人や賢人の本を読んだだけで、自分が偉人や賢人になることはない。重要なのは、そこからどう行動するかだ。


 ブッダやマザー・テレサの教えに感銘し、立派な人だと浸るだけではダメ。

 次は自分がブッダやマザー・テレサのようになる番だ。


 アドラー心理学の「目的論」では、人は「何らかの目的を達成するために、今の状況を作り出している」と考える。例えば、恋愛を避けたいという目的を達成するために、無意識に恋愛できないような状況や感情を作り出すことがある。一見すると「ご都合主義」に見える行動も、本人の内的な目的によって説明できるのだ。


 ものを売りたいと思う人は目の前に買いたい人が現れ、

 人助けしたいと思う人は目の前に助けを求める人が現れ、

 人を騙したいと思う人は目の前に騙されたいと思う人が現る。

 まるで磁石のS極とN極のようにこれらは引かれ合うのだ。


 事故に遭う人もたまたま偶然そうなったように見えて、そうではない。

 自分の中に事故を引き寄せる要因があったから、それが表象化した。


 人は憎い相手を敵として認定するが、逆に、敵認定することにより、無理にでも憎しむ要素を見つけ出し、敵認定したことを合理化しようとすることがある。で実際、後者のケースが大半だ。特段、何かされたわけでもないのに、生まれた国やら出身地やら、立場の違いやら何やらで敵認定し、勝手に憎むケースは多いんだよな。相手が何者か何を考えているのかも知らないまま。


 こういうケースで怖いのは当の本人が気付いていない点。心理的防御機策として、自分に都合よく解釈し、勝手に敵をつくり、勝手に憎むという愚かさ。ただ、それも完全に自己責任だ。本人がそれを心地いい状態と認識し、そう思おうとしてるわけだからね。知らず知らずのうちに防御が攻撃に反転している。


「ご都合主義」は、自己防衛、目的達成の手段、現実逃避などの心理的なメカニズムを理解した上で、自分と他人を不幸にするものではなく、幸せにするために使うべきものだ。世界は自分に都合よくできている面があるが、だからと言って、自己中心で何をしてもいいという訳ではない。また、すべきことは歴然としてあり、それを手前勝手に、しなくていい、にすることはできない。


「ご都合主義」のもっとも良い使い方は「プラス思考」であろう。何が起きても自分にとって良いことだと思えば、現実的に物事は良い方向に動き出す。どんな道具も使い方次第で良くも悪くもなる。


 さて、『高速思考』による思考遊戯はここまで。

 いろいろ思考しているが、時間はさほど経っていない。

 ミローネの話を聞こう。


「マークとカインが徳積みに関心を持ってくれて嬉しいですわ」


 ミローネが上機嫌に言う。

 親にとって子供の成長は何より嬉しいもんな。

 その気持ちは僕にもよく分かる。


「ギルフォード商会は陽徳に力を入れてますから、

 それにも適います」


 陽徳か……。


 陽徳とは、金銭など物質的な見返りを求めず、称賛、感謝、尊敬、信用など精神的な見返りを求める善行のこと。マークとカインの善行もそれにあたる。今こうして、僕とミローネが称賛してるわけだしね。


 ミローネは商会の会長でありながら、社会貢献本部の長でもあり、日々、陽徳を実践しているが、子供達にもそうして欲しいという思いがあるのだろう。マークにもカインにも、善行の何たるか、陰徳、陽徳の何たるかを教えてきたが、「つもり君」から脱皮しつつあるなら、祖父として、これ以上嬉しいことはない。


 善いことをしてるつもりと、善いことをしてる、は雲泥の差だ。これがそのまま、つもりの善人と本当の善人を分かつことになる。「つもり」の厄介なところは当の本人は「つもり」と思っていない点だ。自分の中で都合よく解釈し、善いことをしてないのに善いことをした。悪いことをしたのに悪いことをしてない、と本気で思うところだ。


「何も悪いことはしていない」そう思うから悪人は悪いことをし続ける。さらには何も善いことをしてないのに「善いことをした」と思うから始末が悪い。


 第三者視点で見れば、喜劇のようだが、もし、これが自分のことだったら悲劇以外の何物でもない。喜劇王のチャップリンは『人生は近くで見ると悲劇だが遠くから見れば喜劇である』と言ったが、まさにこれが当てはまる。


 ご都合主義の悪い例は、主張や言動に一貫性がなく、その時々の都合や成り行きで態度を変えることだろう。こういう人は意見をころころ変え、平気で約束を破り、相手が困っても知らんふり。そのくせ、自分が困った時だけ擦り寄ってくる。基本的に自己中心であり、他人の気持ちや迷惑を考えず、自分の得だけを優先する。こういうご都合主義はまったく共感しない。


 前世の天文学者フレッド・ホイルは地球に生命が誕生する確率を10の4万乗分の1と推定したが、この数字はあえて言うなら、ガラクタの山に風が吹いて、その風で戦闘機が出来上がるような確率だ。プールにバラバラにした自転車の部品を投げ入れ、その後、プールをかき回し、元の自転車になるようなものと言ってもいいだろう。とにかく有り得ない確率ということだ。サイコロを振って、5万回続けて、同じ目が出る確率でもあるが、そんなこと、現実の世界で起こりうるだろうか? 数字上ゼロではないが、ほとんどゼロのようなもの。


 イカサマでもしない限り、サイコロを振って、10回連続、

 同じ目は出ないだろう。それが5万回連続だ。ありえない。ありえない。


 さらに、そこから生命が進化して人類が誕生し、その人類が命を代々つなぎ、自分が誕生することまで考慮したら、さらにその確率の数字は小さくなるだろう。盲亀浮木もうきふぼくの教えの通り、僕らは「有る」ことが「難しい」存在であり、この状況は「有難い」ことだ。


 偶然にしては出来過ぎており、余りにも人類に都合がいい。まるで何者かが、この世界を人類のために設計したかのようだ。それを直感した人が古代にもいた。ギリシャの天文学者クラウディオス・プトレマイオスだ。彼は地球が宇宙の中心だとする天動説を主張したが、星の軌道について地動説で否定されつつも、地球が特別な星だという考えは実はあながち間違っていなかったのかもしれない。


 地球がもう少し太陽に近ければ灼熱の地獄と化し、もう少し太陽から遠ければ極寒の地獄と化した。地球がもっと大きければ重力で体が押しつぶされ、もっと小さければ重力が働かず、大気と水を維持できなかった。


 地球から、ひとつ太陽に近い金星の地表温度は約460℃で、ひとつ太陽から遠い火星の地表温度は約-60℃だが、どちらも生命は確認されていない。それもそうだろう。この温度では水は液体として存在できず、生命を構成するタンパク質なども分子を維持したり、機能させることはできないからね。


 月の直径は地球の約4分の1だが、地球に対し不自然なほど大きく、こんな大きな比率を持つ惑星は地球以外、太陽系にはない。だが大きな衛星があることにより、地球の自転軸のブレが小さくすみ、安定しているのだ。もし月がなければ、地球の軸はブレブレとなり、赤道付近が突然南極になるなど大変なことになっただろう。地球上で自然災害が頻発し、生命誕生どころではなかったはずだ。


 物質の構成要素に中性子があるが、この中性子の質量が今より700分の1でも大きければ、太陽は存在していない。太陽がなければ地球に光と熱が届かないので生命は誕生しなかった。宇宙には様々な物理法則があるが、そのひとつでも今と違えば、生命は誕生しなかったと言われている。


 このように宇宙があまりにも生命に都合が良すぎるため、ファインチューニング説という考えが信憑性を帯びている。これは宇宙の物理定数が生命に適した値に奇跡的に調整されているという説であり、調整者の存在を浮かび上がらせる。こんな奇跡的なことができる存在は何者だろうか? 物理を突き詰めれば突き詰めるほど、物理の先にある超越者の存在を思い浮かべざるを得ない。


 シマウマ、キリン、ライオン、カバ、虎、孔雀、アヒルなど、地球上には数えきれないほど多種多様な生き物が存在するが、これらのデザインを見るにつけ、偶然そうなったとはとても思えない。自然とこうなった? いやいや、有り得ない。人間にしてもそう。原子の海の単細胞(?)から、誰の手も借りず自然と進化するものだろうか。何者かがそうなるよう設計したと考える方が自然であり合理的だ。


 この世界は何者かの都合によって創れたのだろう。その存在を僕は神と呼ぶ。

 最後までお読み頂きまして、誠にありがとうございました。もし拙作を気にいって頂けましたら、いいね、ブックマーク、評価をして頂けると大変有難いです。

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