第1761話 霊性研究所53~瞑想会5~
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ここは霊性研究所の大広間。
皆、床にシッダアーサナで座り、瞑想を実践しているところだ。
胡坐じゃないのが味噌だね。本格的だろう?
誰に言っている? というところだが、自分で自分に言っている。人は常に自問自答するもの。他人と会話する場合でも、それは変わらない。他人に話をしているようで自分にも話をしている。それゆえ、他人に悪口を言えば、自分に悪口を言っていることになる。
想いが即実現する霊界では原因が生じた瞬間に結果が起きるため、原因=結果となり、因果の法則が作用しなくなってしまうが、実はこの現世でも部分的にそれがあるんだよな。悪口を言った瞬間、一部は即自分に起こり、残りは遅れて自分に返ってくる。
霊界は現世のように因果の法則が作用しないため、現世で作った因果は現世で返す必要がある。これが現世に転生するメカニズムだ。仕事の借りは仕事で返す、なんてセリフを聞いたことがあるが、現世の借りは現世で返す、というのが本当のようだ。
しかし、シッダアーサナはいい。尾骨と両膝の三点がピタッと床に付き、背筋はピシッと伸びている。体の大部分はリラックスしているが、芯はしっかりのアルデンテだ。これぞ、ザ・修行、達人座。
膝の上に乗せた手もチンムドラーを組んでいる。これは親指と人差し指で輪をつくり、他の指は伸ばす形だが、これにも意味があるんだよな。親指はブラフマン(すべて・宇宙・世界・梵)、人差し指はアートマン(自分・真我)であり、それを繋げることで梵我一如を体現する。ヨガの修行者はこれを究極の悟りとしているらしい。
別段、僕は梵我一如の境地を目指すものではないが、実際、やると妙に落ちつくので、テクニック上の手法として取り入れさせてもらっている。ちなみに、中指はサットヴァ、薬指はラジャス、小指はタマスを意味し、ヨガでは世俗的と捉え、意識しないそうな。
中指のサットヴァは幸せ・満足などの性質、薬指のラジャスは感情的・行動的などの性質、小指のタマスはだるい・ねむいなどの性質だ。この中ではサットヴァが上位にくるし、インドの人はこれに重きを置く人が多いが、それでも現世利益のようなものとして捉えているのだろう。現世の幸せや満足ではインドの修行者は満足しない。親指と人差し指は現世を超えた境地を志向するものであり、インドの修行者はそれに同調するため、チンムドラーを組む。
ヒンドゥー教においては、
たとえ王族であっても、第二階級のクシャトリアだ。
最高位は悟りの境地を目指す修行者のバラモンとなる。
僕は前々々世、インドにいたから、このあたりの事情はよく分かる。
普段の瞑想は静寂の中に包まれるが、今回はそうではない。
「オ―――ム!」
講師のアネットが聖音オーム(OM)を唱えると生徒たちがそれに続く。彼女は産後、職場復帰し、精力的に働いてくれているが、決して無理はさせたくない。経営者としてそこは注意しているところだ。男性はとかく女性のことが分らず、産前産後対応が疎かになりがちだが、それでは絶対にいけない。男性だからこそ女性のことを分ろうとしなければならない。
わからないから、わからない。では何の進歩もない。
わからないから、わかろうとする。そこに進歩の糸口がある。
老若男女、強者、弱者、富める人、貧しい人等、この世に様々な人がいるのは、自分と違う立場の人のことを慮り、労り、慰め、優しく接し、協力し、助け、その経験を通じて霊的な成長を図るためだ。他人がいるからこそ自己は成長する。
現在、かの国(前世)は多様性を推し進めているが、多様性そのものは大賛成。だが、それを錦の旗に安い労働力として外国人を大量に受け入れ、長年培ってきた伝統や文化を破壊するのは大反対だ。他者のアイデンティティを尊重するのはいい。だが、それは自己のアイデンティティを確保した上での話だ。自分を護り、自分を助け、その上で他者を護り、他者を助ける。
自分さえ良ければいい、他者はどうなっても構わない、というエゴはダメだが、先ず自分の足場を固め、それから他者の手当をするという自分ファーストは何ら間違ったことではない。これをごっちゃにするから、おかしな話になるが、移民推進派は意図的にごっちゃにし、まるで多様性を絶対善のように主張する。少しでもそれに異を唱えようものなら、排外主義、差別主義、レイシスト、などとレッテルを貼ってくる。冷静に議論したら部が悪いので、大きな声を出した方が勝ちという声闘に走るのが彼らの手口だ。
彼らの価値観は、今だけ金だけ自分だけ、今さえ良ければいい、金さえ手に入ればいい、自分さえ良ければいい、が根本にある。移民を大切にするかのように装っているが、あくまで安い労働力としてであり、使い捨ての駒としか考えていない。国の将来もアウトオブ眼中。伝統や文化も知ったことではない。税や社会保障などの負担は国(国民)に押し付ける腹積もりだ。国民は幸せにならず、移民も幸せにならず、高笑いするのは一部の経営者と彼らの腰巾着たち。
そんなにお金に執着してどうする?
一円たりとも、あの世に持っていけないぞ。
あの世に持っていけるのは魂だけ。
綺麗に磨かれているか、汚れたままか、で大きな差がつく。
「「「オ―――ム!!!」」」
うん、いい響きだ。オーム瞑想を教えて、少し経つが、
いい音が出るようになった。空気が震え、部屋中が微かに振動する。
バイブレーションに包まれて心地いい。
前世において伝統的な物理学では、粒子は空間に存在する「実体」であるのに対し、波は空間を伝わる「現象」であるとしていたが、最新の量子力学では、光や電子などのミクロな存在が、粒子としての性質と波(波動)としての性質の両方を持つことを明らかにしており、究極のミクロの世界において、すべては波(波動)らしい。すべての物質は固有の周波数(波動)を持つが、それは当然のこと。その周波数が物質そのものの根源であるからだ。
「オ―――ム!」
太古のインドから、オームは数あるマントラの中で最もパワフルかつシンプルで、人々に多大な恩恵をもたらすと考えられてきた。オームはA(ア)・U(ウ)・M(ムまたはン)の3つの音から成り、それぞれ過去・現在・未来を表すとも、宇宙の創造・維持・破壊を意味するとも言われている。宇宙の原初の音であり、すべての音の総体であり、またすべての心理的プレッシャーや俗世的な思考をも取り除くとされている。口ではとても説明できない程、高尚で素晴らしい音なのだ。
ヨガの経典ヴェーダは、オーム(OM)と唱えれば、どんな願いでも叶えることができ、何かをする前に唱えれば、どんな行いも浄化できると説き、ヴァガヴァッドギーターでは心が浄化されると説いている。
ヒンドゥー教では「プラナヴァ(Praṇava)」と呼ばれ、「聖音」「原初の音」を意味し、すべての言葉、すべての音の源であり、宇宙創造の瞬間に鳴り響いた最初の振動であると考えられている。サンスクリット語で「ओम्」または「ॐ)」、漢訳仏典では「唵」と表記する。密教の真言はどれも「オン」で始まるが、これは聖音オームのことである。
オームはA・U・Mの3音に分解され、Aは創造神ブラフマーを、Uは維持神ヴィシュヌを、Mは破壊神シヴァを表し、全体として三神一体(トリムールティ)の真理を表すものとして、神秘的に解釈されている。宇宙の始まりであり、宇宙のすべて、それがオームだ。
「「「オ―――ム!!!」」」
僕も生徒たちに混ざって一緒に唱えているが、バイブレーションが全身に響き渡り、パワフルなメソッドであることを実感する。これまで瞑想会では、無念無想のオーソドックスな瞑想、光に包まれ、自ら光になることをイメージする光の瞑想、それと、このオーム瞑想を教えてきたが、前の二つが静の瞑想としたら、オーム瞑想は動の瞑想であろう。
だが、やってみると、静の瞑想と同じく、雑念が払われて無念無想になるし、光のイメージも強化できる。つまり、まったくぶつかることはなく、むしろ補強してくれるのだ。だからこそ、ここに導入した。何事もそうだが、先ず自分が試し、自分が本当に良かったと思うものだけを他人に教える。黄金律は身についているつもりだ。もちろん白銀律もね。この二つを守れば、道を踏み外すことは早々ない。
※補足※
黄金律
自分されて(自分が経験して)、嬉しかったこと、楽しかったこと、
心地良かったことを他人にするという行動原理
白銀律
自分されて(自分が経験して)、嫌だったこと、不愉快だったことを
他人にしないという行動原理
不思議なもので、誰から教わらなくても、この二つができる人は普通に当たり前のようにできる。それ自体凄いことなのだが、そこまで行くのに数え切れない程、転生を繰り返したことだろう。今世、教わって、わかった人もそれだけでは本当にわかったことにはならない。日頃から実践し、意識せずとも素の状態でできるようになるまで自分の中に落とし込むことだ。それでこそ、わかったことになる。ダウンロード(知る)だけではダメだし、インストール(使える)でも不十分、実際に使いこなせて一人前だ。
「「「オ―――ム!!!」」」
この世界では皆、違和感なく、すんなり学んでくれているが、日本ではあるカルト宗教のせいで、ネガティブなイメージが付いてしまい、「オーム」を唱えたら、変な風に思われそうな雰囲気があることだろう。こんな素晴らしい聖なる恩寵ある言葉にまったく罪作りなことをしてくれたものだ。
インドのある研究機関の調査では、オームの詠唱により血圧が下がることを確認しているが、驚くべきはその即効性、10分ぐらいでも、はっきり下がる。血圧が下がったということは、それだけ身体がリラックス状態に導かれたということだ。ストレスが万病の元であるなら、それを打ち消すリラックスは万病に効くということになる。
適度なストレスは成長の糧になるので肯定するが、それでも持続すれば、
やがて適量を超えるので、リラックスの習慣は欠かせない。
オーム詠唱にはその効果がある。
・意識レベルの向上
・感覚の伝達に対して敏感になること
・集中力の向上
・ストレスレベルの低下
・心拍数、血圧の低下
耳から入ってきたバイブレーションが脳神経系統に伝わり、機能改善させることにより、うつ病やてんかんなどの精神的な病気の治療への有効性も期待されるところだ。例のカルト宗教になぜあれだけ信者が集まったか。それは教祖や教団の方向性はともかく、オーム詠唱そのものは本当に効果のあるメソッドだったからだろう。繰り返すがカルト宗教は支持しない。だが、オーム詠唱まで紛い物扱いすべきではない。これはインドを中心に世界中で数多くの人が実践しており、効果をあげているものだ。
オーム瞑想に限らず瞑想はカルマの浄化や解消に間接的に役立つものだ。すべてのカルマは悪想念を発することから発生する。瞑想はそれを一時的にでも絶つものだから、それを瞑想以外の時間でもできるよう習慣化すれば、新たなカルマを生み出さず、過去のカルマの浄化や解消に専念できるようになる。こうなればしめたもの。人として生を受けたからには、人生の半ばぐらいまでに、この段階に達したい。目の前のことだけに追われていたら、いつまで経っても課題を達成することができない。
過去は終わったようで終わっていない。
僕らは過去の積み重ねの上に存在している。
過去の経験を血肉として構成されているのだ。
過去、過去、過去が、今の自分
過去の自分なくして今の自分は存在しない。
今を生きているようでいて、過去も同時に生きている。
過去に向き合ってこそ、今を、そして未来を生きることができる。
過去の記憶や経験値がすべて消えたら、今の自分も未来の自分もない。
そんなこんなで、現在、僕は霊性研究所を運営し、
自らも積極的に活動している。活動内容の詳細はこうだ。
霊性研究所の活動内容
(一)霊、来世の存在等についての広報活動
娯楽番組『霊性の扉』、月二回放送(休日昼)
講義開催、書籍出版等
(二)人材育成
霊能ヒーラーの養成等
(三)霊的研鑽
瞑想の実践(瞑想会)
霊的知識の獲得(読書会)
善念、善言、善業の実践(日常生活)
(一)は僕が、(二)はメルーシャが、(三)はエミリーとアネットが主に受け持っており、広範囲で普及活動を展開している。どんなにいい教えでも、広める努力をしなければ思うように広がらない。いい教えだからといって勝手に広がるということはないからね。悪事千里を走るが、好事門を出でず。良薬は口に苦しで、良いことは簡単に伝わらないものだ。だからこそ地道な活動が欠かせない。
今日は(三)霊的研鑽の瞑想会に参加してるわけだが、アネットが産休を終えて復帰したので、無理のない範囲で仕事をしてもらっている。瞑想指導なら、それにばっちり当てはまるだろう。
「オーム、シャンティ、シャンティ、シャンティ――!」
「「「オーム、シャンティ、シャンティ、シャンティ――!!!」」」
オーム瞑想は最後にこのシャンティマントラでしめる。「シャンティ」はサンスクリット語で、平安、平和、至福、静寂などを意味するが、3回唱えることで、自分自身の平安、周囲の人々の平安、世界全体の平安を願う意味が込められている。小乗、中乗、大乗の広がりだね。小乗があるから中乗があり、中乗があるから大乗を目指せる。
アネットが口を開く。
「それでは、オーム瞑想はここまでにしましょう。
この後、聖王陛下が新しい瞑想についてご指導して下さります」
僕の番が回ってきたな。それでは前に行こう。
オーム瞑想後で、皆、オーラが一段と輝いて見える。
これなら次の瞑想も入りやすい。
「これまで、基本の瞑想、光の瞑想、オーム瞑想を教えてきたが、
今回、新たな瞑想を教えよう。それがこれだ」
パネルを提示する。
□--------
チャクラ瞑想
□--------
基本の瞑想、光の瞑想、オーム瞑想でも十分なぐらいだが、先日、ギルフォード療養所で経穴について講義するうちに、チャクラも気になるようになり、こちらはギルフォード療養所で情報開示しようと思い至った。このチャクラ瞑想も自分がこれまで実践し、その効果を実感しているものだ。
「チャクラはエネルギーが集まる場所で、体に7カ所ある。
先ずはこれについてひとつずつ説明していこう」
チャクラはサンスクリット語で「車輪」を意味する。ヨガやアーユルヴェーダでは、身体には脊髄に沿って尾骨のあたりから首、そして頭のてっぺんまでエネルギーの通り道があると考えられている。そして、その途中に計7カ所、エネルギーの回転する渦があり、それらをチャクラと呼んでいる。
それでは始めよう。パネルを提示する。今回も情報量は多い。
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第一チャクラ(ムーラダーラチャクラ・ルートチャクラ)
色:赤
場所:尾骶骨(会陰)
エネルギー:生命、健康、気、安全、安定のエネルギー
働き:安定感や安心感、食欲や睡眠欲など基本的な本能を司る
他のチャクラ全てに影響を与える
不調がある場合:身体が重く、だるくなり、無気力で不安感がでてくる
関節炎や便秘、膀胱や腸の病気など
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「これは尾骶骨付近にあるチャクラで、ツボでいうと会陰にあたる。微妙な場所にあるが、生命力の根幹に関わるチャクラで、すべてのチャクラの土台となるチャクラでもある。ここが整っていると、生きるエネルギーを感じ、どっしり構える余裕ができ、精神的、経済的自立を感じたり、安定感・根気強さが増す。逆に整っていないと、生命エネルギーが衰え、不安、恐れが大きくなり、活力、肉体的欲求の減退、現実問題への対応能力の低下などが起こりやすくなる」
さて、情報量が多いので、サクサクいくぞ。パネルを提示する。
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第二チャクラ(スワディシュタナチャクラ)
色:オレンジ
場所:丹田(おへその下10cm位)
エネルギー:自立心、情熱、性的、創造性のエネルギー
働き:官能性、忍耐力をつける。創造性を高める
不調がある場合:喜びを感じにくくなる。愛情を表す事が出来にくくなる
尿路感染症や腰痛など
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「このチャクラはおへそから10cmぐらい下にある丹田というツボ付近にある。指だと、おへそから3,4本ぐらい下の位置。瞑想中、腹式呼吸をするが、その際、意識するところだ。ここが整っていると、自己肯定感が高まり、人生を楽しみ喜ぶこと、健康や幸せを感じやすくなる。逆に整っていないと、情緒不安定になり、感情の麻痺、鈍感さ、変化への恐れ、罪悪感を抱きがちになる」
丹田は体の重心であり、自分の肉体の中心的ポジションでもある。
ここは自分という存在に対する感覚、自己肯定感に関係する。
丹田は、下丹田、臍下丹田、関元と呼ばれることがあり、丹田の少し上のツボである気海(おへそから指2ほど下)と合わせ、気海丹田と称される場合もある。チャクラはピンポイントの点ではなく、広がりのある球として捉えるので、丹田も気海も同じように考えていい。
ちなみに上丹田は眉間、中丹田は胸の中央となる。ただ、一般的に上中下を付けず丹田と言えば、下丹田を指す。丹田とは、気の田のことで、気から成る丹を耕す田と云われる。丹とは簡単にいえば薬のこと。僕らは自力で丹を生成できるので、自然本来の道に従えば、外から薬を摂る必要がないということになる。上丹田は知恵(神)を、中丹田は気力(気)を、下丹田は体力(精)を生み出すところと云われている。
今回は初回だから、長々とした説明を控えるが、次回以降、関連情報も徐々に話していこう。今回の分だけでもかなりの情報量だからな。詰め込み過ぎにならないようにしないと。
さて次だ。パネルを提示する。
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第三チャクラ(マニプラチャクラ)
色:黄色
場所:みぞおちとおへその間(中脘)
エネルギー:自信、意志力、自発性、行動力、
感情のコントロールのエネルギー
働き:消化を司る。変化を起こし、夢を実現させる
不調がある場合:消化器系の不全。エネルギーが欠乏する
スタミナがなくなり疲れやすくなる
胸焼けや消化不良など
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「このチャクラはみぞおち(胸骨の下のくぼんだ部分)とおへその間、中脘というツボ付近にあり、丁度、胃の上あたりになる。このチャクラが整っていると、意志力により自己主張でき、責任感や頼りがい、自分の個性や魅力を認められやすくなる。行動力に関わっているチャクラだ。逆に整っていないと、意志力が低く、他人の目線が怖く、失敗が怖い状態となりやすくなる。また、集中力が続きにくく、意欲も湧きにくくなり、行動できなくなる」
前世の日本人はストレスを溜めると、胃にくる人が多かったが、ストレスと関係するのが、この第3チャクラだ。我慢ばかりするとここにくる。ここは胃腸と密接な関係があり、肝臓・脾臓・すい臓などの内臓器官もつかさどっている。
ストレスを抱え込みすぎると、この第3チャクラに息苦しさを感じるようになり、リラックスした呼吸をしたくてもできなくなるんだよな。息が浅くなり、心拍数が増え、脳波も乱れる。日本人は自己主張を抑える人が多く、このチャクラに負荷がかかっている人が多い。そして、胃がシクシク、ムカムカしてくるのだ。それを抑えるため、今やコンビニでも胃腸薬が販売されているが、ドリンクタイプ、細粒・顆粒タイプ、個包装タイプと、商品が豊富であり、それだけ胃に症状を抱える人が多いことが伺い知れる。近年の調査(アンケート調査)によると、日本人の2人に1人が何らかの胃の不調を感じていることが示唆されているとか。
その結果、多くの人が胃がんとなり、日本は胃がん大国と呼ばれる有り様だ。実際、日本人の胃がん発症率は欧米諸国の約5倍と言われており、年間に約4万人が胃がんで亡くなっている。医学的にはピロリ菌感染が主な原因とされているが、ピロリ菌は自然界に普通に存在するものであり、それが胃に入って、やられる胃の方に問題があるというのが僕の考えだ。ピロリ菌を無視するわけではないが、その程度の菌でやられてどうする。胃そのものが弱くなっているから、やられるのだ。ピロリ菌はきっかけに過ぎない。通常の風邪で亡くなる人もいるがそれに近い。
通常の菌は口から入り、胃に侵入できたとしても強烈な胃酸により、ほぼ死滅する。だが、このピロリ菌は胃酸に耐性があり、死滅することなく、胃の粘膜の中で生き抜くのだ。従来、どんな菌であっても、胃酸に耐えられないと考えられていたが、1982年にピロリ菌が発見され、その後、がんだけでなく胃潰瘍や十二指腸潰瘍にも関連することが判明した。
今、日本人がかかっている胃がんの99%はピロリ菌感染によるものとされている。裏を返せば、ピロリ菌未感染であれば胃がんになるリスクは1%ということ。ピロリ菌感染のほとんどは幼少期までに起こる。免疫力のついた成人はほとんど感染しないと言われており、感染した場合は急性胃粘膜病変を起こすことはあるが、一過性感染で終わる可能性が高いとされている。
つまり何が言いたいかというと、ピロリ菌感染を必要以上に恐れる必要はないということだ。日本人のピロリ菌感染率は非常に高く、全体で約6千万人いると推定されている。何のことはない。実に2人に1人がピロリ菌感染者なのだ。胃に不調を感じる人と割合が一致する。
だが、これでも減った方。1990年頃は、40才以上の約80%が感染していたとされている。衛生設備(上下水道など)の普及により、若い世代の感染率は年々低下しているのだ。
それと誤解がないようにしておきたいが、ピロリ菌感染は何も日本に限った話ではない。他の国も同様で、全世界で見ても、2人に1人が感染してると言われている。公衆衛生の遅れた国なら、さらに多いだろう。なのに日本で胃がんが多いのだから、ピロリ菌だけに注目しても問題の解決にならないということになる。
医学の進歩を否定しない。ピロリ菌が気になる人は医学的措置(抗生物質による除菌など)をすればいいだろう。だが同時に、その程度の菌にやられる体にこそ問題があると認識するべきだ。
僕らの体は、絶えず外から細菌やウイルスが侵入しているが、それを排除し、駆除し、時には懐柔することで、体内の平和、シャンティを維持している。シャンティは防衛の上で成り立っているのだ。がん細胞も毎日発生しているが、24時間休みなく常時対応している。常在戦場という言葉があるが体内はまさにそれ。憲法9条至上主義者も己の体内が常在戦場であることを知った方がいい。防衛あっての平和というのが自然の道理だ。防衛が無ければ、平和は一瞬のうちに崩れ去る。
今この瞬間も免疫細胞が体内へ侵入したウイルスや細菌などと戦っている。それなのにピロリ菌程度でまごついてらお笑い草だ。腸内には約100兆個もの菌が存在するのだ。これは人体を構成する細胞数(約37兆個)より、ずっと多い。そう、僕らの体は好むと好まざるとにかかわらず、菌と生活を共にしているのだ。
だから菌を必要以上に恐れず、菌に強い体をつくる。これが本道だ。菌を排除する方向に進むと、体のバランスが崩れたり、かえって体の抵抗力は弱くなる。日本人に胃がんが多いのはそれも関係してるんじゃないだろうか。世界でも類を見ないほど綺麗好きな民族であり、毎日入浴し、部屋の掃除を欠かさない。これ自体は推奨すべきことだが、その反面、必要以上に菌を意識(敵視)するきらいがある。
そのあたりの加減は考えた方がいいのかもしれない。例の感染症の時も大騒ぎしたよね。まぁ、あれは日本人の性格を悪用して、パンデミックを煽り、ワクチンを売り込もうとした勢力が陰で動いたことによるものなんだろうがね。蓋を開けたら、そこまで大騒ぎする程のウィルスではなかった。ピロリ菌だって、一歩間違えれば、あれぐらいの騒動になっていた可能性がある。
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