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第1738話 大法院

 関連回

 第592話 司法官テセルス2

 第781話 聖王VS元司教2~聖王審問会~

 第1465話 王政民主主義

 第1540話 ギルフォード財団10~他団体~

 第1641話 王政民主主義2

 今日は連邦司法局の本部に来ている。またの名を大法院というが、

 審問の場でもあり、これを強調する際はこちらを使う場合もある。


 連邦司法局の本部 大法院 

 連邦司法局の支部 小法院 


 という使い分けだが、この世界は人でも通り名(二つ名)がよく使用される

 ので、大法院、小法院は通り名とも言えるだろう。


 正式名称は固くて長く、通り名は柔らかくて短い傾向があり、一般人が気楽に使いやすい。実は日本でも通り名はあちこちで使われている。例えばNHKもそう。正式名称は特殊法人日本放送協会だ。その他、JR、JA、JAXAとかね。元々、交番は警察の派出所を意味する通り名だったが、あまりにも一般化してしまったため、今ではこれが正式名称となった。


 ただ、この通り名だが、日本ではこれを外国人や帰化人が悪用(犯罪の追及逃れ)する例が散見されることから悪いイメージもある。何通りもの名前を使い分け、悪事の限りを尽くす輩もいた。このことから日本の場合は犯罪防止の観点から規制すべきだと思うが、この世界では、愛称の延長のようなもので、親しみを高め、良いイメージの方が強い。僕の「聖王」だって元々、通り名だが、今ではそれが本名のようになった。


 人は生まれた時、親から名前を付けられるので、「本名」は本人の意思によるものではない。であればこそ、自分の気に入った「通り名」を持つことは許容されてもいいような気がする。但し、二つも三つも持ち、ころころ変わると、日本のようになりかねないので、持つなら一つ、それを変えないことだ。


 本を書く際、作家は通り名としてペンネームを使うことが多いが、僕は逆に本名を使っている。アレス・ギルフォード・ロナンダルとね。それを見て初めて、僕の本名、とりわけ、ファーストネームを知る人は多いようだ。「聖王」は人から呼ばれる名前であり、僕自身がそう呼ぶこと、そう呼ばせることはない。


「それでは、〇〇さん、報告をお願いします」

「はい、それでは報告致します。先月は~~」


 長官を務めるテセルスが議長を務め、各班の長に報告を求める。現在、司法官が集まり、定例会を開催しているが、ここもギルフォード商会を倣い、スクリーンを設置して、各地の支部でも観れるようにした。司法官の数もだいぶ増えてきたし、一斉にここに集まるのもマズいと思ってね。急ぎの仕事や振替休日があるなら、そちらを優先すればいい。会議の様子は録画するので後からでも観れる。


 ただ、こちらとしても、フェイス・トゥ・フェイスを重視してるから、毎回は無理にしても、せめて二、三回に一回の割合でも、来て欲しいとは思う。遠隔会議は楽だし便利だが、それだけに偏らないよう、それとなく言っている。いくら支部の仕事が忙しいとはいえね。それを調整するのも仕事のうちだ。


 本部の仕事は、


・審問 ・広報活動 ・組織運営 ・試験関連 ・連邦法の作成


 となるが、審問については、お陰様で支部がしっかりやってくれているので、まったく忙しくない。通常の案件は支部、大型の案件は本部という区分けだが、大型というのは世の中を騒がすぐらい大きな案件ということであり、現在、そういうことは滅多に起きないため、開店休業に近い状況だ。でも、これは喜ばしいこと。それだけ世の中が平和ということだ。


 ちなみに日本の司法制度は、地方裁判所、高等裁判所、最高裁判所の三審制となっているが、よくよく考えたら意味不明だ。せっかく判決が出ても、控訴、上告すれば、判決をご破算にして、やり直しができる。何これ? ガラガラポン? これが何年も裁判に時間がかかる元凶だ。一審で無罪となっても、二審で有罪となり、三審で、また無罪となる、なんてこともある。何これ?


 裁判は時間と経費と労力を使うため、これじゃ二の足、三の足を踏む。

 まるで被害を受けた人に「泣き寝入りしろ」と言わんばかりの制度だ。


 だが、この世界の司法制度は違う。小法院、大法院とあるが、別に二審制ということはなく、どちらかで結審すれば、それでお終い。ガラガラポンという酔狂なことはしない。今、ゲームで決着が付いたのに、なぜ、それをご破算にする。だったら最初から一発で決着が付くゲームを用意しろ。日本ならそれが最高裁判所にあたるが、ならば、すべての裁判所を最高裁判所にすればいい。実に簡単な話。


 三審制の心は一審、二審では心もとないということであり、すなわち、それは一審、二審では間違うことがあると、自白してるのと同じである。つまり裁判所が自ら、裁判は間違うことがあるので、やり直しをすると言ってるようなものだ。だが、そのやり直しが本当にやり直しになっているのか疑問が残る。


 一審で間違うなら、二審でも間違うし、三審でも間違うだろう。全部やることは基本的に同じなんだから。それとも何か、最高裁判所の裁判官なら絶対に間違わないとでも言うつもりか。それは論理的に整合性が取れない。ただただ、グダグダで時間がかかるだけの制度にしか見えない。


 最高裁判所の長官は内閣の使命に基づき、天皇が任命し、最高裁判所判事(長官を除く14名)は、内閣が任命し、天皇が認証する。司法の独立というが笑わせる。そのメンバー全員、内閣が選んだ人達だ。つまり全員政府寄り。だから国を相手に裁判を起こしても、先ず勝てる見込みはない。何だかんだと理屈を付けて、国が責任を負わないようになっている。アメリカのように二大政党制なら、政権が変わることにより、メンバーの入れ替えがあるだろうが、日本は同じ政権(政党)が続いているので、メンバーが固定化してしまっている。


 ただ、これについては悪いことばかりではない。最近(というか昔から?)、地方裁判所に左派系の裁判官が入り込み、偏った判決を下す事例が目につくからな。少し前だが、北海道に当時の首相が選挙の応援で演説をしてる最中に、ヤジで妨害する輩がいたため、警察が排除したところ、表現の自由を侵害されたとしてヤジった人物が裁判を起こし、裁判所がヤジを正当な行為として認めたのだ。


 このとち狂った判決のせいで警察の取り締まりが及び腰となり、以後、選挙妨害するヤジが増えてしまった。これにより、どれだけ社会が混乱したことか。その影響は今なお続いている。


 普通に考えて、他人を罵倒し、他人の迷惑となるヤジはダメだろう。こんなことは子供でも分かる。表現の自由の範疇を逸脱している。こんなことがまかり通れば、誰に対しても悪口をいいまくり、言葉で人を傷つけていい社会となってしまう。それはまさに低級霊界の様相そのものだ。


 話をもどそう。本部の仕事だったな。


 広報活動は司法官と連邦司法局の説明とPRを各地でするものだが、これはテセルスがあちこち駆け回り、かなりの成果を上げることができた。今や司法官と連邦司法局のことを知らない人はいないだろう。


 おっ、テセルスがこっちをチラッと見てきた。

 ふふ、僕の念が伝わったかな。しっかりやれよ。


 以前なら、民事や、言った言わないの案件が衛兵所へ持ち込まれても、対処困難だったが、司法官なら、それが難なくできる。平時の今、刑事案件より民事案件の方が多く、司法官は引っ張りだこの存在となっている。


 組織運営は、主に人事・総務・経理だが、ここもご多分に漏れず、情報管理アイテムを駆使しているのでスムーズだ。今日の定例会だって、各地から転移扉で来てもらい、来れなくてもスクリーンで観れる。


 試験関連は、司法官試験に関連する業務。当初から、連邦アカデミーの司法官コースを運営しているが、志望者の育成から関わっており、最近はかなりの人気職となっている。これも皆の地道な努力の積み重ねによるものだ。こちらは主に副司法長官のカイズが担当している。


 司法官は覚えることが多いが、単に頭がいいだけで成れるものではなく、司法官の適性がないと成ることは難しい。司法官の適性とは善性が高いこと。不正に絶対に手を染めない強い心があることだ。もちろんどこかの国の裁判官のように右(政府寄り)や左(反政府寄り)に思想が偏っていては困る。あの国は裁判官が右や左に偏っているから、何回も裁判を繰り返し、判決が右往左往する。


 あの国では、2009年に政権交代したが、その政権が良くなかった。8月に選挙で大勝し、9月に内閣を発足したが、11月に司法修習生の選考要項から国籍条項を撤廃するという売国行為をしれっとやってのけた。後援である在日外国人団体の要望を受けてのことだろう。ずっとそれを嘆願していたからな。


 これ以降、外国籍の弁護士が増加し、司法制度に大きな歪みが生じている。彼らは日の丸と君が代が大嫌いであり、日本の国をまったく愛していない。というか反日教育により日本を憎んでいる。こんな連中に超重要国家資格を与えていいのだろうか? 〇〇〇〇に刃物じゃないか。速やかに国籍条項の復活を切に願う。これ以上、日本の国を土足で踏みにじるような行為をさせてはならない。


 刑法92条では、外国に対して侮辱を加える目的で、その国の国旗その他の国章を損壊、除去、汚損することによって成立する犯罪を定めているが、実は日本の国旗はこれに含まれておらず、現行の法規では、公衆の面前で日の丸を破ったり汚しても罪に問われることはない。日本の国なのに、外国の旗は大切に扱わなければならず、日本の旗はぞんざいに扱ってもいい、という奇妙な状態となっている。


 この法律は明治40年に制定されたが、おそらく当時の日本人は自分より他人という利他の精神が強く、性善説的な思考で設けたのだろう。当時、日本人で日の丸を侮辱するような人はいなかった。日本の国で日本の旗を侮辱するなと定める必要がなかったのだ。そんなのは常識だったからね。


 だが、時代は変わり、日本にも外国人が増え、中には日本が嫌いな癖に日本に巣食い、責任を果たさず、甘い蜜だけ吸おうという不逞な輩が蔓延ってきた。日本が本当に好きで、日本人と仲良くし、日本のために尽くすならいいが、そうでない外国人は入れるべきではない。日の丸・君が代に敬意を払えない外国人はその時点でお断りするべきだ。日本人だって外国へ行けば、その国から同様の態度を求められる。


 話を戻そう。


 善性はこの世に生きるすべての人にとって必要なものだが、特に、教会の牧師、学校の教員、組織のリーダー、公職に就く者などはより必要と言える。彼らは他者に影響を与える立場にあるからね。そして、これに司法官も含まれる。審問は人の一生を左右するケースが多々あり、その重責に見合った人格が必要だ。


 最後に連邦法の作成だが、これは現在、進行中の案件だ。これについては各国の内政が絡むため、随時、各国と連携しながら、慎重に進めてきた。僕が原案を作成し、それに各国の要望を加え、修正しながらね。


 時間がかかっているものの、中には既に実行済みのものもある。例えば、ホワイト労働基準とか、死刑の事実上の廃止とかね。貴族制度の形骸化も着実に進んでいる。唯一、時間がかかっているのは王政民主主義だな。どの国も民を大切にする点は一致しているが、民に主権を与え、王がそれに従うようなイメージに抵抗があるようだ。従うと言えば、そうなるのかもしれないが、いわゆる主従関係とは違うんだよな。王権民授により、民からまつりごとの委託を受けて、王政を担うんだが、そのあたりの微妙なニュアンスを伝えることはなかなか難しい。


~ある日の連邦会議~


「民主? でも国は王が主体となって動かしますよね?」


「それはそうなんだが、王がそれをできるのは、民あってのこと、

 つまり民主なんだ」


「確かに民あってのことですが、それは王にも言えますよね?」

 王がしっかりしているから、民が平和に暮らせる」


「いや、そうなんだが、王がそうできるのは民の信託があってだね」


「民の信託があるから、王が主体じゃないんですか? 

 実際、そのように動いてますよね」


「だから、それができるのが民の信託があってだね……」


 という、まるで、卵が先か、鶏が先か、のような議論になっている。民主の「主」に「主人」のようなニュアンスを感じ、それが引っかかるのだろう。彼らから見れば、民の為に政治をすること、つまり実質的な民主主義は同意するが、それはあくまで自分が主体という意識があるのだろう。つまり王主、君主だね。そのこだわりが強い。


 選挙制度イコール民主主義ではない、と考えているが、世襲制は選挙というプロセスを経過していないから、いまいち自分たちの権限が民から委ねられたものという感覚が薄いのだろう。そう考えると、あの選挙という制度も意味があったということだな。納得材料として。ただ、納得するだけして、実際に民主主義になってなければ意味がない。


 僕と違い、他の国の王族は生まれが王族だから、そこに大きな価値を見出す。別にそれは悪いことではないが、やはり、どこかで民より自分たちの方が上という意識があるのだろう。かく言う僕だって、それがまったく無いと言えば噓になる。だからこそ、彼らの気持ちが分かるが、だからこそ、それを戒める意味で、法に盛り込みたい、というのもある。このあたりはうまく調整しないとな。


 徳川吉宗は大奥をリストラする際、大奥の最高権力者の虎の尾を踏むことなく、上手にやってのけた。口で言うのは簡単だが、自分でそれと似たようなことをして、その大変さを痛感している。もう何年もかかっているが、各国の王族も僕と同じく、民の幸せを一番に考えているので、まとまる日も近いだろう。

 最後までお読み頂きまして、誠にありがとうございました。もし拙作を気にいって頂けましたら、いいね、ブックマーク、評価をして頂けると大変有難いです。

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