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第1736話 霊性研究所52~内輪話3~

 八千文字を超えました。


 関連回

 第1012話 善行推奨

 第1013話 善行推奨2

 第1144話 善行の引継ぎ~父から息子へ~

 第1222話 ギース聖王国~善行の基本戦略~

 第1424話 過剰善

 第1554話 霊性研究所29~内輪話~

 第1591話 ギルフォード財団16~善行の勧め~

 第1592話 ギルフォード財団17~善行の勧め2~

 第1593話 ギルフォード財団18~善行の勧め3~

 第1594話 ギルフォード財団19~善行の勧め4~

 第1636話 霊性研究所40~内輪話2~

 第1642話 善人政治

「今回は質問会が盛り上がりましたね」

「勉強になりました」


 講義終了後、いつものようにスタッフ達の語らいを聞きながら、お茶会を開き、まったり過ごしている。一仕事終えた後の一服は実にいいものだ。


 先苦後楽というが、これは先の苦と後の楽が別物で分かれているわけでなく、

 先の苦が後で楽になるということだ。つまり最終的には全部楽になる。


 今回は会場が王都のシルフィード会館だったが、既に霊性研究所に戻っている。

 ここも王都だから、飛行船に乗れば、あっという間。


 この場にはスタッフ長のエミリー他、霊性研究所のスタッフが全員揃っている。普段、隣の王立療養所にいるメルーシャも顔を出しており、産休中のアネットもカルエスと駆けつけてくれた。


「アネット君、体調は大丈夫かい?」

「はい、大丈夫です」


 会う度に無理をしないよう言っているが、容態が落ち着いているようで何より。かなりお腹が大きくなっており、もうそろそろという感じだな。夫のカルエスもかいがいしく付き添い、二人の愛のオーラが強まっている。うん、これでこそ夫婦。【念視】を使わずとも伝わってくる。


「お茶とお菓子が美味しいですね」

「この栗は絶品ですよ」


 スタッフたちの語らいが聞こえてくる。今回のお茶はカモミールティー、お茶請けは蒸し栗だ。皮をむきやすいよう十字の切り込みを入れている。カモミールティーは普段からよく飲むお茶だが、ノンカフェインのハーブティーで、リラックス効果が高く、ストレスや不安を和らげ、心と体をリラックスさせてくれる。


 この効果がメンタルに不調を抱える人に向いており、メンタル改善プログラムにも導入させてもらっている。その他、安眠効果、消化促進、抗炎症作用、アレルギー症状・冷え性・生理痛・更年期障害の緩和なども期待できる。


 どこかの国の精神科では、やたらと抗うつ剤を出したが、その前にやることはいくらでもある。抗うつ剤は、人を助けるどころか、人生を終わらせかねないリスキーな薬物だ。そんな代物をホイホイ出すなんて狂気の沙汰。もっと患者と真摯に向き合い、カウンセリングをすべきだが、経営上コスパが悪いと判断され、おざなりにされている。30分かけてカウンセリングするより、3分診療で薬を出せば、儲かるからね。


 精神科のクリニック開業は内科や外科などと違い、部屋と机と椅子があればできるので、初期投資の低さから選択されがちだが、それでも、初期投資にはなんだかんだとお金がかかるので、ローンを組むケースがほとんど。それに加え、開業したての若い医者だと奨学金の返済もあるから、どうしても儲け主義に走ってしまう。それゆえ、患者本位の手間暇がかかる医療は置き去りにされ、短時間で楽して儲かる薬漬け医療が蔓延るのだ。


 一応、国も現状の問題点を把握し、精神的な分野に関与できる国家資格として、精神保健福祉士と公認心理士を創設したが、この資格(単独)では治療はできず、主に精神障害者の社会復帰のサポートにとどまっているため、不十分としか言いようがない。福祉の現場では介助や介護のサポート要員として扱われているのが実態だ。それだって立派な仕事だが、働いている人はどう思っているだろうね。


 二資格者も医者と連携すれば、治療(めいたいこと)をできなくもないが、医者がわざわざ商売敵と連携するだろうか? 自分の業務テリトリーに他資格者を呼ぶだろうか? プライドの高い医者が新参の資格者に頭を下げ、協力を仰ぐだろうか? そんなわけで二資格者は治療のためのカウンセリングをする機会がほとんど与えられず、宝の持ち腐れになっている状況だ。これも既得権の弊害だね。


 おっと、話を戻そう。お茶だったな。


 カモミールは子宮収縮作用があるため、妊娠中の女性には適さない。だから、アネットにはその心配がないルイボスティーを飲んでもらっている。これも健康にいい。カモミールに限らないが、ハーブは子宮収縮作用のあるものが多いので、妊娠中は避けた方が無難だ。


 妊娠中の女性に適したお茶は、

 麦茶、黒豆茶、そば茶、コーン茶、びわの葉茶、ルイボスティー、

 ローズヒップティー、ホット豆乳、昆布茶、ごぼう茶あたりだな。


 これらは栄養豊富で、かつノンカフェインであり、

 子宮収縮作用もなく安心だ。


「この栗は甘くていいですね」

「お茶請けに合います」


 ふふ、栗の評判がいいみたいだな。栗は代表的な秋の味覚であり、僕の好物でもある。でんぷんが豊富なため、カロリーは高いが、たんぱく質・ビタミンA・B1・B2・C・カリウム、ミネラル、食物繊維が豊富で健康にいい。渋皮にはポリフェノールの一種であるタンニン・プロアントシアニジンを多く含み、体の活性酸素を取り除いてくれる。外の硬い皮は仕方ないが、中の渋皮はぜひ一緒に食べてもらいたい。一物全体食の観点からもね。外の硬い皮は肥料にする。


 僕は庭の家庭菜園を推奨しているが、それは家庭で発生するごみの大部分をしめる食材ごみをそこで処分できるからだ。野菜くず、卵の殻、魚の骨など、いい肥料になる。この世界の人は大部分が庭付き一戸建てに住んでいるので、これが可能。別に貴族でない平民でも、テニスコート、二、三面ぐらいの土地は持っている。


 土地が広いのは本当にいい。僕がこの世界を気に入っている理由のひとつがこれだ。庭で子供を思いっきり遊ばせたり、仲間を呼んでバーベキューをしたり、自家製で鉄棒をつくったり、ハンモックをつくったり、思いのまま。土地が狭い日本ではこれは味わえない。


「父上、最後は善行のお話でしたね」


 メルーシャが話しかけてきたが、なぜ彼女がそれを知っている?


「質問会にいたのかい?」

「ええ、今回は講義の最初からいました」

「てことは、シルフィード会館まで来てくれたのか?」

「はい、今日はお休みでしたので」


 休日にわざわざ僕の話を聞きに来てくれるとは嬉しい。

 そうそう、善行についてだったな。


「修行は道徳的行為であり、それは『善行する。悪行しない』と言うことができる。先ほども話したが、『悪行しない』はしないだけだから難しくない。極端な話、じっとしていてもできる。だが『善行する』はそうはいかない」


 パネルを提示する。


□--------------


 悪行 → しない(消極的行動)

 善行 → する (積極的行動)


□--------------


「悪いことばかりする人は、悪いことをしないイコール善いことをしたと思いがちだが、そうじゃない。それはマイナスがゼロになっただけだ。例えば、普段、人に悪口ばかり言う人が我慢して、それを止めても、それで標準に戻っただけ。別に善いことをしてるわけじゃない。ただ、低い段階の人はそう捉えるんだよな。マイナスがゼロになったのをプラスと考える。確かにマイナスから見ればプラスだが、客観的に見ればゼロに過ぎない」


 パネルを提示する。


□------------------


 悪行しないこと、即ち善行にあらず、

 善行は別にする必要がある


□------------------


 僕と僕の周辺の人にとって、

 悪行をしないことは難しいことではない。

 難しい人にとっては難しいだろうが、その段階は超えたつもり。


「僕から言わせれば悪いことをしないのは当たり前。別に褒められることでも何でもない。ただのゼロの状態だ。問題はそこからいかにプラスを築くかだ。それが善行となる。つまり僕らのレベルの修行は善行の要素が大きい。だから最後に善行の話をしたんだ」


『悪いことをしない』は学校でも散々教えているしな。道徳教育は先ずこれから始まり、これが普通にできるようになってから『善いことをする』と教える。穴の空いた器にいきなり水を注いでも、穴から漏れてしまう。穴を塞いでから水を注ぐのが合理的な順番だ。


 だから、学校を卒業し、大人になっても、まだ穴が空いている人は

 危機感を持った方がいい。そうしないといつまで経っても水は溜まらない。


 パネルを提示する。


□-----------------


 真善(一切の見返りを求めない善) 陰徳

 近善1(精神的見返りを求める善) 陽徳 


 労働(物質的、金銭的見返りを求める善)ギブ&テイク・取引

 近善2(相手のオーダーに合っていない善)


 偽善(偽装した善)


□-----------------


「先ほど話した善を善性の高い順に上から並べるとこう。労働は物質的、金銭的見返りを求めるが、それを超えた働きがある場合は、その分が善になる。和顔愛語を心がけるとかね。近善2も相手が少しでも喜べば、その分が善になる。例えば相手のために料理を作り、それが不味い料理であっても、その気持ちが通じる場合があるだろ。独り善がりの善であっても、相手がそこに善を感じれば善となる。子供が親の似顔絵を描いて、それが下手であっても親からすれば嬉しいものだ」


 一息つく。


「それと偽善だが、これは善と名が付いているが善ではない。相手を騙し、いい人ぶるわけだから実体は悪だ。『あなたのため』と言いながら、実際は『自分のため』という行為はこれに当たる」


 偽善とは読んで字のごとし、偽の善であり、その実体は善ではない。むしろ善を装って相手を騙すわけだから、悪と言える。しかも、相当質が悪い。一見して判る悪は避けやすいが、善を装った悪は避けにくいからね。世の巨悪の多くが偽善であり、こんなものと近善を一緒にしてもらいたくない。


 前世で言えば、環境保護を謳った太陽光ビジネスは偽善の臭いがプンプンする。あれはまったく環境保護になっておらず、一部の利権が潤うだけだ。外国人労働などの弱者ビジネスもそう。弱者の保護を旗印にしているが、実際は弱者から吸い上げている。こういうのを本当の意味で偽善という。人のためと言って人のためになっておらず、世のためといって世のためになっていない。


 これら善を装った悪である偽善は許容しない。その一方――


 お金(生活費)のための善、誰かに認めてもらうための善、見返りを求める善、相手のオーダーに合わない、つたない善、は許容する。最初から完璧に善ができる人など この世には存在しない。それでも精進しながら善性を高めていくことに大きな意味がある。修行とはそういうもの。それを偽善と混同してはいけない。


 見返りを求める善をする人を批判する人がいたら問いたい。

「そう言うあなたは、世のため人のために具体的に何かしたのか?」とね。

 何の行動もしていない人に行動してる人をとやかく言う資格はない。


 それに「何の見返りも求めない」と言うが、それを公言すれば、結局、「何の見返りも求めない人」として他人から賞賛され、賞賛という見返りを得ることになる。僕はそれで良しとしているが、それを良しとしない人が、そうしたら整合性が取れないだろう。見返りを求める人を批判する人は、反射的に「自分は見返りを求めない人」だと公言してるのと一緒であり、であれば、それにより賞賛を得る可能性があり、結局、見返りを求めていると言われても仕方ないだろう。


 メルーシャと話をしていたら、

 スタッフたちも、こちらに注目してきた。まぁ、これはいつものこと。

 みんな勉強熱心だもんな。それじゃ、もう少しグダグダ話すとしよう。


「あと、善性の高さを示すものとして量と質がある。助ける人の数が少ないより、

 多い方が量は上になる。これは分かりやすいよね」


 ジェレミー・ベンサムは最大多数の最大幸福を説き、量の概念を重視したが、これは民主主義の原則である、一人一票や多数決にも採用されている。一人より二人、二人より三人というのは判りやすい。だが、これだけでは善の本質を見誤る。


「それと質だが、例えば、二つの店でどちらで買うか迷った時、儲かっている店より、そうでない店で買ってあげた方が、同じ値段で買ったとしても、後者の方が助かる度合いが高くなり、善性も高くなる。そんなに困っていない人を助けるより、かなり困っている人を助ける方が価値はあるんだ。犬を引き取る時も、人気のある子犬より不人気な老犬を引き取る方が善性は高くなる。ブラック事業の店でモノを買うより、ホワイト事業の店でモノを買う方が善く、性格の悪い人より性格の善い人を応援する方が善い。同じ行為でも、どこにどう振り向けるかで、善性が高くも低くもなる」


 ベンサムの弟子の息子であったジョン・スチュアート・ミルは当初、ベンサムの考え(功利主義)を継承したが、後に批判的な修正を加え、量ではなく質の重要性を説くようになった。質については主観が入るので、難しい部分があるが、民主主義で言えば、数だけでなく、民度の重要性が言われており、この要素を無視するわけにはいかないだろう。


 というか、物凄く大事なことで、これ(質の違い)があるから、同じ努力をしても結果が大きく変わってくるんだよな。同じ行為でも、悪人や加害者を助けたら悪となり、善人や被害者を助けたら善となる。自分がしている行為が本当に善になっているか、より高い善にできないか、常に考える必要がある。


 これに関連して日本の歴史が頭に浮かぶ。


 江戸時代、八代将軍に就いた徳川吉宗は大奥の人員削減を断行し、四千人以上いたとされる大奥の女中を最終的に千三百人程度にまで減らしたが、その際、大奥を出ても再婚相手が見つかる可能性の高い「容姿端麗な者」から率先して解雇したという逸話が残されている。


 幕府全体のことを考え、かつ女中たちの将来のことを考え、下した決断だが、その点だけ見れば善性の高さを思わせる。凡庸な将軍なら欲望に従い、自分のまわりに「容姿端麗な者」を残しただろうが、吉宗はそうしなかった。実際は「容姿端麗な者」ほど、我がままで贅沢で、扱いづらかったから、リストラ候補になったという可能性もありそうではあるけどね。ただの善ではなく、そこに合理性(経済性)が伴っているのはお見事。


 理想主義者は計算ずくの善を偽善のように批判するが、計算上成り立つからこそ、善を強力に推し進められるのだ。持続可能な善は入念に準備し、計画し、計算する必要がある。純心というが、まったく計算のない思い付きのような無垢の善ほど危なっかしいものはない。


 例えば、現在、日本では各地で熊が出没し、大変な騒動となっているが、とある団体が「熊が可哀そう」という一心で、食料を集め、山に散布したということがあった。彼らの理屈によれば、熊は山で食が取れなくて、人里に降りてくるのだから、山に食料を散布すれば、それを防げる、というもの。


 だが、これはあまりに無知すぎる。人が散布する食料の味を覚えたら、それに依存し、ますます人里に降りてくるようになるだろう。そもそも熊が人里に降りてくるのは、山に食料がないからではない。人里の方が効率的に食料が取れることを覚えてしまったからだ。


 熊から見れば、人ですら食料に見えるだろう。人は動きが遅く、鹿や猪より簡単に捕まえることができる。団体の食料配布は鴨が葱を背負って、熊の前に行くようなものだ。僕は動物を愛護する立場だが、人を襲う動物、ましてや人を食う動物にまで情けをかける必要はないと考えている。情けをかけたい人は安全なところから無責任に「熊が可哀そう」と言い放つのではなく、熊が出没する地域に移住し、自分の家で保護すればいい。できればの話だけどね。


 最近のデータによると上半期だけで、

 熊の出没件数は2万件を超え、6千頭を捕獲してる状況だ。

 人身被害は200を超え、死者も続出しており、

 過去最悪のペースとなっている。


 そんな中、秋の山を目当てに観光シーズン真っ盛り。

 これ以上、被害が出ないことを望む。


 外国からも「日本の山は熊が出る」と注意警報が出されているが、

 もはや日本の状況は、人VS熊の種族間闘争の段階に入りつつあり、

 自衛隊まで出動するレベルになっている。


 とと、吉宗の話が途中だった。


 大奥のリストラを断行した吉宗だが、大奥上層部の経費削減には手を付けられなかった。というのも、吉宗を将軍に指名してくれたのが、大奥のトップに立っていた天英院(六代将軍の正室・御台所)だったからだ。


 元々、吉宗は将軍候補ではなく、天英院の推薦がなければ将軍になることはできなかった。それがあり、天英院に頭が上がらなかった吉宗は、彼女に年間一万二千両もの格別報酬を与え、天英院と敵対していた月光院(六代将軍の側室・七代将軍の生母)にも居所として吹上御殿を建設。さらに一万両の報酬を与えるなど、大奥上層部に対し特別扱いを止めなかった。最高権力者たる将軍ですら、女の園の解体までは踏み込めなかったのだ。


 ただ、これも良く解釈すれば、吉宗が恩に報いたということであり、また、やり過ぎを避けた絶妙なバランス政治とも言えるだろう。大奥を大胆にリストラしつつも、影の権力者の虎の尾だけは踏まないよう、慎重に行動したのだ。


 繰り返すが、元々、吉宗は将軍候補ではなかった。六代将軍の徳川家宣が病死し、その跡を継いだ七代将軍の徳川家継も幼くして亡くなり、さらには、家継の次に将軍職に就くはずだった尾張藩主の徳川義道が急死し、なんと、その息子もすぐに亡くなったのだ。また吉宗は紀州藩主の四男だったが、上の兄が病気などで次々と失脚し、偶然とは思えないようなラッキー(?)が同時進行していた。


 いずれにしても、これら奇跡のような積み重ねにより、本来将軍の有力候補ではなかった紀州藩主の吉宗に将軍職が巡ってきたのだ。紀州徳川家は、徳川本家の男子が断絶し、かつ尾張徳川家の男子が断絶した場合に将軍となる権利を持つ御三家の一つであり、将軍になるための素質は備えていたから、これ自体は問題ない。問題ないが、そもそも、こういうことは前例がなく、権力争いになりかかったところで、大奥のトップだった天英院が吉宗を強く推し、それで決まってしまった。大奥が次期将軍を決めるのも前代未聞だが、それだけの影響力があったということだ。


 ちなみに肝心の吉宗だが、実はまったく将軍職を望んでおらず、推薦があった際も固辞したが、これも天英院から強く推され、将軍にさせられてしまったというのが実態らしい。だが、実際に吉宗が将軍に就くと、これまで培った領主経験が活き、数々の改革(享保の改革)を成し遂げ、名君と呼ばれるまでになった。天英院の人を見る目は間違っていなかったのだ。テレビドラマで放映されるだけはある。


※補足※

江戸の徳川本家を支える形で、尾張藩、紀州藩、水戸藩の御三家(分家)がありますが、格式の高さは、尾張藩、紀州藩、水戸藩の順であり、本家で男子が断絶した際、この順で将軍候補になります。通常、本家の男子が断絶することも、尾張藩の男子が断絶することもありませんので、その両方が断絶し、紀州藩まで回ってきたのは、尋常ならざる事態です。しかも吉宗は紀州藩の四男でした。明確な数字で出せるものではありませんが、体感的な確率で言ったら、数千分の一とか数万分の一とかでしょう。サイコロの目で10回連続、同じ数字を出すようなものだとしたら、もっと低い確率かもしれません。本来、将軍になれる可能性はほとんどゼロだったのに、それを乗り越えて将軍になったが、吉宗という人でした。


「善を効果的に実施するには知恵や勇気や行動力が必要だ。それらがないと善は効果的に、かつ継続的に実施することができない。善人は賢人や勇者の要素も兼ね備える必要がある。ただ、単に善い人というだけでは、真に善人になることは難しい」


 パネルを提示する。


□------------------------------- 


 口だけは良いことを言う人

 何も考えていないお人よしな人

 純心無垢だが、子供のような人

 平和のために譲歩ばかりする人

 確固たる考えがない優柔不断な人 

 いいよ、いいよ、と甘やかすだけの人

 誰にでも良い顔をしようとする八方美人の人

 根の善い人と言われるが、まったく行動が伴わない人

 安全なポジションから出ず、耳当たりのいいことばかり言う人

 他人を傷つけることを避けるが、自分が傷つくことも徹底して避ける人


□-------------------------------


「このような人は真の善人ではない。よくて近善人だろう」


 近善人ならいいだろうとなるかもしれないが、

 相手が真善人と勘違いすると、齟齬が生じトラブルになることがある。


「真善人のように見えて実は近善人、これは善人のように見えて実は偽善者(悪人)、という構造と似てる部分がある。偽善者(悪人)よりはずっとマシだが、人を簡単に真善人だと思わないことだ。現実の世の中で真善人は非常に少なく、そして、なるのに非常に難しい」


「真の善人になるのって大変なんですね」


 メルーシャが同調してくれた。


「そう、大変だ。だから修行になる」


 根が善い人であっても、知恵が無ければ間違ったことを言い、勇気がなければ尻込みし、行動力がなければ善そのものを実現できない。愛も感謝も幸せも平和も内包する「善」がもっとも崇高な概念であり、それを志向すべきなのは間違いないが、現世において、それだけでは不十分。善人になることは中々大変なことだ。

「愛と平和」「人類平等」「博愛」「感謝」など耳当たりのいいスローガンを掲げて、唱えるだけで善人になれるほど生易しいものではない。

 最後までお読み頂きまして、誠にありがとうございました。もし拙作を気にいって頂けましたら、いいね、ブックマーク、評価をして頂けると大変有難いです。

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