6話
その時。涼加瀨シノは、絶体絶命の窮地に陥っていた。
「ふ。そう怯えることは無いさ、涼加瀨さん」
「に、ニカちゃん……?」
彼女の目の前には、昏い眼をした朝星ニカが立っている。
人気のない校舎裏、二人の少女は向き合って、
「テルと別れてくれ。ボクの要求はそれだけさ……」
「────っ!!」
物凄い修羅場を迎えていたのだった。
それはつまり。
朝星ニカが、涼加瀨シノを昼休みに呼び出したことから始まった。
……まあ、シノとしては用件は分かりきっていた。
彼女に『与えた』他ならぬ自分の価値観から、ニカがどの様に動くか容易に想像がついた。
自分がテルを誰かに取られた時、おとなしくスゴスゴと引き下がるわけがない。
「……申し訳ないけれど。私とテル君は両想いのラブラブなの」
「ふぅん?」
「貴女に付け入る隙は無いわ」
ニヤニヤとした笑顔を崩さず、涼加瀨シノを舐めるように見上げるニカ。
そんな彼女に薄気味の悪さを覚えながらも、涼加瀨シノは毅然とした態度でそう言いきった。
凍えるような沈黙が、二人の間に流れる。
涼加瀨からしたら、今のニカの発言は非常に重かった。
だって知っているのだ。自分の恋人テルの、本当の想い人は目の前の朝星ニカなのだから。
シノは一年もの間、耐えた。テルの隣で楽しそうに笑う朝星ニカの存在に。
シノはずっと待った。自分にアプローチしている(ように見えた)テルの告白を。
そして、ついに先日。シノは彼と添い遂げる権利を獲得したのだ。
「テル君は私のモノよ」
「そうか。それが君の答えか、涼加瀨さん」
こんなことになるなら、ニカを救うのではなかった……。等と、涼加瀨シノは考えない。
シノは例え昨日にタイムリープしたとしても、同じ様にニカを救うだろう。
……それは。自分が憧れ焦がれた少年なら、絶対にそうするからだ。
涼加瀨シノは正面から、正々堂々と、朝星ニカを退ける。
それが、テルの恋人たる女の矜持なのだ。
「そう言うことなら仕方ないなぁ、手を変えるとしよう」
「手を? ……何をするつもり?」
「く、くくく。くはははは」
しかし、そんな涼加瀨の宣言を聞いても朝星ニカは涼しい顔だった。
きっとそういう答えが帰ってくるのだろうな、と分かっていた様に。
「じゃあ、涼加瀨さん」
「……何?」
そして、涼加瀨自身も脇が甘かったと言える。
朝星ニカは、普通の少女ではないのだ。生粋のサイコパスとして生まれつき、必死で普通であろうと努力し、人間社会に溶け込んだ『生まれもっての怪物』。
そんな怪物を相手に、二人きりになってしまうなど愚の骨頂であろう。
「えい」
「……っ!!」
勢いよく、朝星ニカは涼加瀨シノへ襲い掛かった。
完璧な奇襲。意表を突かれたシノは、為す術もなく校舎の壁へと追い詰められ、
「……ねぇ、涼加瀨さん」
「な、何? 何をするつもりなのニカちゃ────」
朝星ニカに、覆い被された。
「好きだ涼加瀨さん!! テルなんか捨ててボクと付き合おうよ!!」
「ヴェ?」
朝星ニカはその後、鬱陶しく涼加瀨に抱きついてきたので顔面をチョップされた。
「いやー。その、昨日はありがとう涼加瀨さん。今までも貴女の事が大好きだった訳だけど」
「……はい」
「昨日、涼加瀨さんに助けられてからね? 君の事を想うと、好きで好きで堪らなくて」
「はぁ」
「……ボクと付き合ってください!」
「ごめんなさい彼氏いるの」
がびーん、と絶望的な顔をする朝星ニカ。
涼加瀨は、そのあまりに想定外の展開に頭を悩ませていた。
「あの、ニカちゃん? 私の価値観、使ってくれてるんだよね?」
「そうだよ? いやー、涼加瀨さんの事が分かって思った。本当に、引くほどテルの事好きだね君」
「貴女に言われたくないわ」
シノは少なからずショックを受けた。
自分の価値観を持った人間に惚れられる。それはつまり、シノは超絶ナルシストであるという事にならないかと、思い至ったからだ。
涼加瀨シノは、自らの美貌に自信があって、学校の誰より可愛らしいという自覚があるものの、特に自分をナルシストだとは思っていなかった。
「……それと同時に、ボクはボクだ」
「ニカちゃん?」
「自分の気持ちに、これ以上嘘は吐かない。もう、涼加瀨さんの手を煩わせたく無いからね」
朝星ニカは、カラカラと笑った。
それは何となく、心の底からの朝星ニカの笑顔であると感じた。
「白状しよう。どうやら君の価値観を使わずとも、ボクはテルの事を好きみたいだ」
「でしょうね」
「それと、同じくらい……涼加瀨さんも愛おしい」
「えー」
ニカは恍惚とした表情で、涼加瀨シノにすり寄ってくる。
正直な話、困ったものだ。涼加瀨シノは、至ってノーマルな女性なのだから。
「ああ、どうして君はそんなに可愛いんだい? クラスで一番、いや世界で一番可愛らしいんじゃないか?」
「知ってるけど」
「ああ、君がテルのものになるなんて耐えられない。君は世界遺産として大英博物館に寄贈されるべき美術品さ」
「まあ、妥当な評価ね」
涼加瀨シノは、理解した。
シノがナルシストだから、ニカに惚れられた訳ではない。
単純にニカ本人が、涼加瀨シノの魅力にやられてしまったらしい。
「涼加瀨さん! ボクと一緒になってくれ!」
「ごめんなさい」
つまり、彼女の両刀はテルの価値観を使っているからではなく、生まれつきだったのだ。
恋のライバルに校舎裏に呼び出され、まさか告白を受けるとは想像だにしていなかった。
「……じゃあボク、テルにモーションかけるけど良いの」
「凄まじい2択を迫ってきたわね」
さりげなく迫られたが、それは究極の二択と言えた。
目の前の女を放置すれば、うっかりテルを奪われてしまうかもしれない。以前の二人の仲の良さを鑑みれば、十分以上に可能性がある。
しかし、だからと言ってニカの告白を受け入れるのは論外だ。テルを取られないためにテルと別れるなぞ、本末転倒である。
「テル君に手を出さないで。アレは私のものよ」
「あれもダメ、これもダメ。まったく涼加瀨さんはワガママだ」
「でも、そんな涼加瀬も?」
「美しく、可愛らしい!」
二人の価値観は一致していた。
「大丈夫だよ涼加瀬さん。ボクほど君の事を深く理解している人間なんてこの世に存在しない、君を誰より幸せにできるのこのボクさ」
「でしょうね」
「君の理想の相手になってあげる。君の憧れの存在を具現化して見せる。そしたらきっと、君はボクに釘付けになる筈」
「もう既に、その理想を具現化した人が存在するんだけれども」
同性で有る事を利用してシノに抱き着き、悪い笑顔を浮かべる奇人ニカ。
以前のニカとは違う、計算高さがそこにはあった。
「まずは二人でお出かけしよう、涼加瀬さん。女同士で遊びに行くことに、何の問題がある」
「大きな問題を感じるけど」
「涼加瀬さんに断られたら、ボクは次にテルをデートに誘うとするよ。嘘じゃない、本気さ」
「き、きっとテル君は断るに決まってるわ」
「ボクは君の事も、テルの事も、誰より深く理解している。……最高のデートを演出して見せるよ」
ゴクリ、と涼加瀬は唾を飲んだ。
最悪の敵が出現してしまった、そんな気持ちだった。
彼女に与えたのは、自分の価値観。自分なら彼女の立場で、テルを諦める筈がない。
ニカに出来る手は、何でもやるだろう。彼女は間違いなく、本気でテルを取りに来る。
それを防ぐためには、自らがニカに口説かれなくてはならない。それが、シノにとってまだマシな選択肢で。
────そしてシノがその選択をする事も、全て朝星ニカの掌の上だ。
幼くバカなテルの価値観を使っていたからこそ、表に出なかったニカの狡猾さ。
彼女はきっと、これ以上無い最悪の敵になりうる。
「べ、別に二人で出かける事は問題ないけれど。変な事はしないでよ……」
「やった、ありがとう涼加瀬さん!」
冷や汗を垂らしつつ、涼加瀬シノはニカを受け入れた。いや、受け入れざるを得なかった。
テルは学校一格好いいが、割かしバカである。朝星ニカの裏の顔なんか見抜けず、あっさり騙されてしまう危険性が高い。
ここは、自分自身で目の前の怪物と相対するしかない。そう考えての決断だった。
「じゃあ、お出かけはいつにしようか────」
「……お? 二人してこんなところで何をしてるんだ」
そんな決死の覚悟で朝星ニカと向き合っていた涼加瀬シノに、声をかけるバカが居た。
「あれ、テル君?」
「いや、教室にシノいねーから探してたんだが。ニカと話してたのか?」
それは話題の渦中の人物、愛しい涼加瀬の恋人テルであった。
「ニカ、もう風邪は完全に良くなったのか?」
「……あひゃい!!」
「あひゃい?」
全く空気の読めていない少年は、テルが乱入した瞬間にフリーズしていた怪物に話しかけた。
「お前、ちゃんとお見舞いの件シノにお礼言ったか。こんなに良くしてくれる友達、居ないぞ」
「え、あ、んにゅ!!」
「どうしたお前、まだ調子悪いのか?」
あたふた、おろおろ。先程までのラスボスムーヴはどこやら、朝星ニカはテルを前にして激しく動揺して目を白黒させている。
「テル君、もうお礼言われたわ。その話を此処でしてたのよ」
「ああ、成程な。成長したじゃねーかニカ」
シノの話を聞き、物凄く自然な動きでテルはニカの髪を撫でた。
……涼加瀬のストレスゲージが少し溜まった。
「ニカと話が済んだら一緒にご飯食べようぜシノ。俺はもう腹減ったぜ」
「え? うん、分かった」
「教室で待ってるわ。ニカとの話が終わったら来てくれよ」
そしてその男は流れるようにシノを昼食に誘い、クールに立ち去った。
女同士の会話には混ざらない。テルにだってそれくらいの気遣いは出来るのだ。
そして、
「────」
「おーい、ニカちゃん」
若干1分にも満たないその出来事で、朝星ニカの顔は真っ赤に火照りあがった。
「……ねぇ、ニカちゃん」
「な、何かな?」
「私に対する感情とテル君への感情、本当に同じモノなの?」
ビクリ、とその指摘にニカは肩を震わせた。
それは彼女自身、薄々と気付きかけていた事でもあった。
「も、も、勿論ボクは涼加瀬さんと、テルが同じくらい好き、で」
「テル君はあげないわ」
そのシノの言葉に、ビシリとニカの表情が凍り付いた。
「テル君は私のモノよ」
「……」
「テル君とはもうキスだって済ませたわ。腕も組んだし、一緒に下校もした。今からだって、一緒にご飯を食べるわ」
「……やめてくれ」
涼加瀬は無表情に勝ち誇り、ニカをけん制する。
一方でニカは、静かに半べそを掻き始めた。
「その台詞はボクに効く」
「俺が離れてから、シノがニカの事を気にかけてくれてるみたいだな」
シノとニカ、二人の幼馴染が仲良さそうに歓談している光景を見て、俺は幸せな気分になっていた。
「ニカの奴も嬉しかろう。付き合えないとはいえ、シノとの距離は結構縮まっているみたいだし」
シノは実によく出来た恋人である。きっと、俺が内心でニカを気にしているを見抜いて、ニカと仲良くしているのだろう。
本当、俺には勿体ない女である。多少、やっかみで闇討ちや奇襲をされるのも仕方がない事だ。
「あー腹減った」
俺はシノ達を置いて一人、先に教室へと向かって歩いた。
シノとは、まだまだ話さなければならない事がたくさんある。
まぁ、まずは……最初のデート日と行先くらいは決めておきたいものだ。予定に合わせて色々準備しないとならんし。
「……もし、そこのお方」
「お?」
そんな色ボケたことを考えていた俺に、話しかけてくる声があった。
ふと振り返ると、数人組の男女が俺に向かって立っていた。
……確か、同学年。B組の連中だ。
「今、ちょっとアンケートを取ってまして」
「はぁ」
「君、2学年ですよね。では、質問させていただきます!」
まだアンケートに答えるとも何にも言っていないのに、小柄な男子生徒は俺に向かってズイズイと迫ってきた。
まぁシノを待つ間くらいなら、付き合ってやっても良いが。
「第2学年で最も可愛い女生徒は誰だ!?」
「涼加瀬シノ」
「ガーッデム!!!!!」
俺が迷わずシノの名前を挙げると、そのまま男子生徒に後ろ手を拘束された。
こいつらもウチのクラスの連中に負けず劣らずな練度で、俺を見事に無力化して見せる。
最近、よく捕縛されるなぁ俺。
「まったく、A組の連中はこれだから」
「見る目がない、実に嘆かわしい」
ところで、どうして俺は今まで話したこともない連中に捕まったのだろう。俺の可愛すぎる恋人関連だろうか。
状況がよく分からない。まずは抵抗もせず、成り行きを見守っていよう。
「お前、何で捕まったか分かるか?」
「分かりません。あ、ちょっと右肩緩めて貰えると助かります」
「この状況で妙に冷静だなコイツ」
多人数に囲まれて制圧される事に慣れてきた俺は、実際かなり冷静だった。
「あまり手荒な事をしちゃダメよ。彼にもファンになって貰わないと困るし」
「分かりました、姫!!」
そんな感じで大人しくしていると、その集団の中から見覚えのある女子が姿を現した。
彼女が、このグループのボスらしい。
「……お前はっ!」
「あら、私の顔を知っていまして?」
俺はその顔には見覚えがあった。
それはつい先日、目にしたばかりのB組の誇る美少女。
「そう、私の名前は西姫────」
「ログインボーナスよしこ!!」
「良子、って。え? 何、ろぐいん……?」
「言い間違えた、西姫良子!!」
「その通り、私は西姫良子だけど。今、貴方、何て言い間違えた?」
そう、謎の宴でエロ脇様に無料で貰った写真の美少女、西姫良子さんだった。
「微妙に私の男子人気が、涼加瀬シノに負けているのよ」
「さよか」
話を聞くと、どうやら西姫さんは想像通りの人物で。目立ちたがり、人気者になりたい、ちやほやされたいという酷く俗物的な女子生徒の様だった。
そんな彼女は所属するB組では絶対的な人気を誇っており、きっと学年で一番モテるのは自分だと信じていたらしい。
それを証明するために2年の男子に『一番かわいい女子は誰だ』と聞いて回った結果、僅差ながらその人気は涼加瀬シノに負けていたそうな。
「A組は大体涼加瀬さんの名前を、B組は私の名前を挙げるわ。そしてC組は……半々ね」
「いえ、C組も涼加瀬さん派が多めですね。総じて、微妙に姫が負けております」
「うるさいわね、分かってるわよ!」
冷静な配下の報告に、ガァと怒るログボさん。
何とも暇で、面白い事をしている連中である。学園生活楽しんでいそうだな。
……そして俺は、学年で一番人気のある娘を彼女にしたのか。嬉しいような、恐れ多いような。
「おい貴様、このまま帰れると思うな」
「お前も姫推しに洗脳してやるぜ」
「わあ狂信者ども怖い」
西姫さんの取り巻きには、エロ脇様の宴で見た事のある男子も混じっている。
きっとモテない男が、アイドルのおっかけをしている状態なのだ。
「悪いが、俺は何をされようとも涼加瀬シノ派をやめるつもりはないぜ!!」
「ふ、吠えたな三下が! やっちゃいましょう姫!」
「ぎひひひ、その言葉後悔しても遅いからな」
しかし、俺はシノの恋人だ。俺だけは、彼女より可愛い女性は居ないと断言せねばならない。
そういう風に、シノが自分を磨いてくれたのだから。
「ところで俺、今から何されるんだ? 教室で昼飯一緒に食う約束有るんだけど」
「あ、数分で済むから安心しろ」
あんまり長時間拘束はされないらしい。良かった。
「今から姫が超絶可愛い所を見せるのさ。さっきの言葉、撤回するなら今のうちだぜ」
「おっほっほっほ! 私の美貌にひれ伏しなさい!!」
「今日も笑顔がかわいらしいぜ姫!!」
どうやら、俺は西姫さんに誘惑? される展開らしい。
うーむ、確かに西姫さんも可愛いのは認めるけど。シノ以上に魅力的だとは言い難いような。
「まずは私の全力の笑顔を……」
「あ、姫。こちらをどうぞ、お飲みください」
「あら、ダイエットコーラ? ちょうど喉が渇いていたの、気が利くじゃない」
そんなログボさんが満面のドヤ顔を披露した瞬間。
一人の男子生徒から、コーラの大きいペットボトルを手渡されて。
「姫は今から、この1.5Lコーラを一気飲みするからよく見とけよ!!」
「コーラを一気飲みできるなんて、凄まじい可愛さだろ!」
「……えっ」
そのまま男子にとんでもない振りをされ、ペットボトルと男子の顔を交互に見つめた。
「え? 何それ私、聞いてないけど……」
「なぁ、A組男子。お前も、女の子がコーラを一気飲みすると可愛いと思うよな」
「ああ、当然。めっちゃ可愛いよな」
話を合わせろと圧を感じたので、俺も同意して『コーラ一気飲みは可愛い』と断言しておく。
何やら西姫さんが困り顔をしているが、知ったこっちゃない。拘束されて困っているのは俺の方なのだ。
「流石に、この量を一気は……」
「それだけじゃない。西姫さんは、このコーラを限界まで振ってからでも一気飲みできるんだぜ!」
「おお、そんなに可愛いことが出来るのか!!」
ドンドンと、周りの男子により無茶振りが追加され、顔を青ざめさせていく西姫さん。
その隣で、ニコニコと悪魔の笑みを浮かべてコーラを全力シェイクする男子。
……成程、こういう扱いなのか西姫さん。
「俺、信じてるっす。西姫さんこそ、学年で一番かわいいって!」
「あの男に見せつけてやりましょう! 姫の愛くるしさを!」
「え、ええ」
「うおおおお、全力シェイクぅぅ!!」
「あ、ちょっと。その辺にしておいて……」
そのまま周囲の男子に乗せられ、物凄く振られたコーラを手渡されるログボさん。
彼女は、とても緊張した面持ちでそのコーラを受け取った。受け取ってしまった。
「姫は当然、零さずに一気飲みできるからな」
「西姫さんはアイドルだから、飲んだ後ゲップもしないんだぜ」
「も、勿論よ」
明らかに動揺しながらも、手渡されたコーラを真面目に見つめている西姫さん。
そのおびえた様子は、成程、変な嗜虐心をくすぐられた。
「イッキ! イッキ!」
「……ごくっ」
そして。すうぅと深呼吸した後。西姫良子はカっと目を見開き、勢いよくコーラの蓋を開けて、
「あむう!」
「おお、いった!!」
コーラが吹きこぼれる前に、その口で飲み口を塞いで一気飲みをし始めた!!!
ぶしゅううううう!!
えっほ、えっほ!! ……グェェェップ!!!
そして数秒後、西姫さんは鼻からコーラを噴き出して、嘔吐きながら物凄く大きなゲップをかましたのであった。
「さてもう一度問おう、A組男子よ。学年で一番かわいいのは誰だ!?」
「涼加瀬シノ」
「あんなに身体張ったのに!?」
涙目で顔を拭いている西姫さんに、盛大に突っ込みを入れられた。
しかし、何と言うか。今のを見て、西姫さんに鞍替えする人は居るんだろうか。
「ほら、姫が一気飲み失敗するから」
「無茶振りが過ぎるでしょう!? てかああいうのやるなら練習しとくから前もって言っといてよ!!」
……練習さえしとけば、あんな振りされても良いのかこの娘。
「ふっ。人の好みは千差万別、その男には私の美貌が理解できなかった。それだけの話よ」
「鼻からまたコーラ垂れてますよ西姫さん」
「ふんぬ! ズピー」
人前で思いっきり、鼻をかむ西姫さん。それを見て爆笑している、周囲の男子生徒。
「……」
もしかして彼女、普段からこう言う扱いを受けているのか?
だとしたら、これイジメだったりしないだろうか? 話を合わせてしまったが、大丈夫かな。
「あ、あの西姫さん。もしかしてイジメだったりしない、これ?」
ちょっと気になったので、こっそり姫に耳打ちして聞いて見る。
こんなの毎日やらされてたら、相当辛いだろ。
「え? あー……、その心配は要らないわ」
「本当か? 無理してない?」
「ええ。だってこれ、私の『芸風』だし」
……。芸風。
「はい、名刺。詳しく知りたければここのURLかバーコードからアクセスしてね、私のチャンネルに飛べるわ」
「……動画サイトのURL?」
「そう、私の動画チャンネル。そこそこ、伸びて来てるのよ?」
ニコニコと笑う西姫から貰った名刺には『にっしー☆姫様チャンネル』と書かれた謎のロゴが貼ってあった。
これはいわゆる、何とかtuberという奴なのだろうか。
「私のパパはお笑い芸人。その知名度も利用して、動画サイトで一山当てるつもりなの」
「はぁ」
「ちょっとでも興味があったら、チャンネル登録よろしくっ! 今日のネタも貴方にモザイクかけて、動画化するつもり」
────ニヤリ。その少女は不敵に笑った。
今の昼休みの出来事は素だったのか、台本だったのか。
いずれにせよ彼女は、自らの美貌とそのキャラクター性を理解し動画映えするよう演出したのだ。
「不憫系ネタ動画投稿者、お笑いコンビ『にしきんぐ』の娘、にっしー姫チャンネルをよろしく!」
何とまぁ。目の前の美少女は、ヨゴレ芸人の様な扱いを受けてなお輝けると言う「自分の芸風」を理解して立ち振る舞っているらしい。
こうして俺は、B組の芸人西姫良子と知り合ったのだった。