4話
「おお、居たかシノ」
「あらテル君、どうしたの」
朝星ニカが廊下を飛び出してから。
数分も過ぎると、いつも通りの雰囲気になったテルが、入れ替わるように教室に戻ってきた。
「や、何というか。……今日、一緒に帰ろうぜ」
「ん、良いよ」
テルは頬を掻き目を背けながら、シノを帰り道に誘った。
涼加瀬は快諾しつつも、意外そうにテルを見上げた。彼の方から、こんなに早いアプローチがあると思っていなかったからだ。
もしかしたら、あまり期待していなかった『朝星ニカのキューピッド作戦』が功を奏したのかもしれない。
「ところで、テル君。ニカちゃんと会った?」
「え、ニカ? どうして?」
そう思ってニカの話題を振ってみたけれど、返ってきたのは怪訝な顔だった。
「さっきテル君を探して、走って行ったけど」
「そ、そうなのか。すまん、会ってない」
どうやら、彼はニカに蹴っ飛ばされて此処に来たわけではないらしい。
テルは自身の意思で、涼加瀬を下校デートに誘ったのだ。
涼加瀬は、少しうれしい気持ちになった。
「ま、でも問題ないだろ。ニカには『今夜、時間をくれ』ってメール打ったし」
「……今夜?」
「家が隣なんだよ、俺とニカ。だからすぐ会える」
その男は、そう言うと涼加瀬の前に手を差し出した。
「だから、俺と一緒に帰ろうぜ、シノ」
……久しぶりに差し出された幼馴染のその手を、涼加瀬は静かに握りしめた。
その時、俺は柄にもなく緊張してしまっていた。下校する俺の隣には、美しく成長した懐かしの幼馴染が近しい距離で歩いていた。
幼稚園の頃ならば、シノを帰り道に誘うくらいなんともなかったのだが……。シノがこうも美人になってると、色々と意識してしまう。
ましてや、昼に告白された直後だ。平静になれという方が難しい。
「今日は誘ってくれてありがと。本音を言えば一度、貴方とゆっくり話がしたかったの」
「そっか、そりゃよかった。昔の話とかか?」
「ええ、それはもう色々な話よ。気付いてくれなかった恨み節とか」
「……」
シノは頬を膨らませつつも、嬉しそうに微笑んでいる。
きっと彼女は待っていたのだ。自分の正体を明かし、俺と以前の様に話が出来るそんな日を。
「お前のことを忘れてたわけじゃない、お前とシノが結びつかなかっただけだ」
「……だとしても、再会した貴方の隣にはニカちゃんが居て。最初はかーなーり、嫉妬してたんだよ」
「うっ、でもニカは俺の事なんか」
「そうみたいね」
シノに失恋の傷口を抉られ、俺の表情が固まった。
……いや、良いんだ。俺はニカに嫌われることを承知の上で、あんな暴挙に出たのだから。
今はちゃんと、目の前の涼加瀬シノに向き合わないと。
「で、これは何の企みなの」
「え、企み?」
「今まで歯牙にもかけなてなかった私を、いきなり下校に誘った理由。何か有るんでしょ?」
動揺を悟られぬようふぅと一息入れてシノに向き合うと、彼女はジト目で俺を睨んでいた。
「企みなんて何もないぞ。久々に、親友だったお前と話がしたかっただけだよシノ」
「……ま、良いけど。結婚の約束までした女の子を放置しておいて、虫の良い事ね」
「むぅ」
やはり、シノは俺が気付かなかったことを気にしていたらしい。
完全に俺の失策だから、きっちり謝らんと。
「……でも、別れてからもお前のことは本当に気にしてたんだぞ。またお前が虐められないか、不安だった」
「時折手紙は、くれてたもんね」
ただ俺が彼女と別れた後、シノの事を暫く気にしていたのは本当だ。
当時、俺が割って入ったからこそシノが虐められなくなっていた。その俺が出て行ってしまえば、シノが再び虐められてしまう可能性は十分にあった。
「幸いにも、あれから特にイジメられたりはしなかったわ」
「良かった。去り際に、たっぷり脅した甲斐があった」
「え、そんな事してたの」
だからこそ、去り際に俺はイジメっ子にたっぷり念押しをしていたのだった。
『俺はたまに様子見に来てるからな、もしシノが泣いてたら……分かるな?』と。
「……お前自身が変わったのも、虐められなくなった理由かもな。何というか、自信が付いた」
「幼稚園の頃から、貴方は私を『一番カワイイ!』と褒めてくれたじゃない。その言葉を信じる事が出来たの」
「ま、事実だったしな」
言動や見た目が地味だっただけで、シノは当時から可愛らしかった。
しかし、当時はホンワカした雰囲気の女の子だったので、涼加瀬さんとは結び付かなかった。
「今も昔も、お前がクラスで一番かわいいよ」
「知ってる。貴方が教えてくれたから」
シノは自分の可愛いらしさを自覚し、此処まで磨き上げたのだ。
……俺との約束を覚えていて、それを守るために。
「俺なんかにゃ、勿体ないくらいだ」
「何言ってるの。むしろ貴方の為に、貴方好みに育ってあげたつもりなのに」
「ああ。これ以上無いくらい俺好みだよ。……てか何でお前、俺の好み知ってるの」
「ふっふーん。内緒」
確かに憎らしいくらい、今のシノは俺の好みのツボを押さえていた。
黒髪ロング、少しクールな年上のお姉さん属性。そんな女性に憧れていた時期が、俺にもありました。
……絶対母さんだ。TVへの反応とかで俺の性癖を知り尽くしてる母さんが、ウチに遊びに来たシノにいろいろ吹き込んだに違いない。
「お前と恋人になる。……絶対楽しいよな」
「でしょうね」
「でも、お前は……俺なんかで良いのか? 俺、頭もよくないし運動も普通だし、別段モテる訳でもないし……。全然お前に釣り合って無いような」
「身の程も、よく分かってるわね」
「ハッキリ言うな畜生」
クスクス、とシノは声を出して笑った。そのからかう様な仕草は、見惚れるほどの妖艶さを放っていた。
「そんな貴方が好きだよ、テル君」
「……うっ」
その告白は、本当に反則だ。
シノの真っすぐすぎる視線で見つめられ、俺は自分の頬が上気したのが分かった。
「……あの、さ。シノ」
「うん」
否が応でも、意識してしまう。
目の前の美人が、自分の恋人となってくれた時の幸せを。
「返事、引き延ばしてごめんな」
「謝るくらいなら、ここで返事くれたって良いのよ」
「そうなんだけども。……ケジメと言うか、最後にニカと話をしたいんだ」
その言葉を聞き、静かに涼加瀬シノは俺の手を離した。
そのまま、かなり不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「それ、まさか『最後にニカちゃんに告る』とかそんなふざけた話じゃないわよね」
「違う、違う。てかもうフラれてるし」
「じゃあ、何の話をするのよ」
「……親友としての、最後の仕事かな」
俺はそう言って目を閉じ、静かに天衣無縫で無邪気な『朝星ニカ』の顔を瞳の裏に浮かべた。
「俺は、不器用な男だ。きっと、お前と恋人になったら……時間を全部お前の為に使うと思う」
「え、流石に重っ……」
「お、知らなかったか? 俺ってば、かなり過保護だぞ」
涼加瀬は、俺の愛の大きさを知って軽く引いた。
その反応はちょっと傷つく。
「今までは、俺は全部ニカの為に時間使ってきた」
「でしょうね」
「だから、ニカは俺の手助けが無くなればかなり苦労すると思う」
「まー、貴方と喧嘩した瞬間にお持ち帰りされかけたしね」
「……きっと、ニカがああなった一因は俺にもあるんだ。何から何まで、俺が介入してニカに苦労を掛けなさ過ぎた」
アイツが忘れ物をした時の為、俺は文房具の予備を欠かさなかった。
ニカが忘れてそうな宿題やプリントは、提出日の前に彼女の家に乗り込んで警告した。
ニカが馬鹿やって人間関係がこじれそうになると、俺がそれとなく仲裁に入って誤魔化した。
アイツのするべき苦労を、今まで俺が肩代わりしてきた。
「……俺、槍岡先輩に会って話してさ。存外に、良い人だった」
「そうなの」
「だから、俺は……今後、しばらくニカを放っておく事にする。少なくとも、槍岡先輩に関しては介入しなくても酷い事にはならない気がするし」
俺はニカに振られた。
いつまでも、彼女の隣に俺が居てやれる訳じゃない。
「失敗が許される学生のうちに、苦労して貰おうと思う」
「やっぱり親目線じゃない。あなた本当にニカちゃんを異性として好きなの?」
「……。いや、好きだったと、思うけど」
「どっちかと言うと、娘を取られたくない父親に見えるわ」
……。え、そうなのか?
いや、俺は天真爛漫で無邪気な彼女に惹かれていて。放っておけなくて、いつも付きっきりになって。
「……」
いや、もう止そう。全ては終わった話だ。
「要するに、今日話す内容はニカとの決別だな」
「決別ねぇ」
「向こうはもう俺と口もききたくないだろうし、丁度良い機会だ。……俺とニカは、親友から普通の友人に戻るのさ」
そこまで言い切った後。
俺はぷるぷると震え、静かに涙をこぼした。
「ただの、友人、に……。戻、る……っ!!」
「そんな無理しなくても。別に私、『付き合ったからには女友達と遊ぶな』なんて言うつもりはないわよ?」
「駄目なんだ。それじゃきっと、ニカは俺と離れてから、苦労する事、に……」
「やれやれ、完全に保護者ねぇ」
本音を言えば、嫌だ。ニカとはずっと、仲良くしていたい。
でも、涼加瀬と恋仲になったら。きっと俺は、涼加瀬の為に生きると思う。
いつまでも、ニカに付いていてやれない。
「ま、話は分かったけど」
「ごめん、だから今日は……まだニカの為に出来る事を全部やりたいんだ」
「はいはい、返事は明日まで待ちますよ」
俺の話をなんとなく理解したのか、涼加瀬シノは再び手を差し出してくれた。
その手を握り返すと、シノは楽し気に微笑んで。
「その代わり。良い返事期待してるから」
「う、うっす」
「やっぱりニカちゃんと付き合いました。何て聞かされたら、もう凄いことになるわよ?」
光の無い瞳で、そんな怖い釘刺しを受けたのだった。
……さっき、シノは俺の重さに引いてたけど。
どう考えても、シノの方が絶対に愛重いと思う。
シノと別れ、家に帰ってから暫く経って、玄関の呼び鈴が連打された。
この煩く迷惑なチャイムは、十中八九ニカのモノだろう。
────良かった、来てくれたか。呼び出しに応じてくれない可能性も有ったが、杞憂に終わった様だ。
「……来たよ」
「おう」
玄関のドアを開けると、そこには目つきの悪いニカが立って居た。
昼、俺があれだけの事を仕出かしたからか、ニカは警戒心を剥き出しに俺を睨みつけていた。
「すぐ済む、ちょっと部屋で話をさせてくれ」
「……」
俺は、ニカをいつものように自分の家に誘った。
今日、俺の家には家族がいる。昼間の事件もあったので、誰も居ないニカの家に邪魔するより俺の家の方が安心だと思ったからだ。
「ああ。むしろボクの方こそ君に言ってやりたい事があったんだ」
「む、そうなのか?」
しかし、意外にもニカは俺の凶行を警戒する様子もなく家に入って来た。
家族の有無くらいは確認されると思ったが。
「さてテル、そこに直れ」
そんな無防備なニカは、俺を睨んだままツカツカと目の前まで歩いてきて、
「いつの間に涼加瀬さんコマしたんだこの裏切り者がぁ!!!」
「おぎょっ!!?」
俺の急所を蹴りあげた。
「はー、君の手の速さには呆れたよ。何時から涼加瀬さんにアプローチしてたのかな? 涼加瀬さんと関係を築き上げながら、ボクのピエロっぷりを眺めている時はさぞ気持ちよかっただろうねぇ」
「────(悶絶)」
「その挙句、君からじゃなくて涼加瀬さんに告白させるだと? テルのくせに生意気な、生意気な、生意気なぁぁぁ!!」
股間を押さえのたうち回る俺の、胸ぐらをつかんで激おこなニカ。
この女、やって良い事と悪い事の区別がつかないのか。不意打ちで金的は許されないだろ。
こ、声も出せない。
「そんでもって、返事保留とは何事かぁ!! 生意気に、君は涼加瀬さんを選べる立場とか勘違いしてるじゃないだろうな!!」
「……どこで、それ、を……?」
「あの後、腹立って君の文句言うために屋上に行ったら、告白シーンを目視する羽目になったんだよ。その時のボクの気持ちわかる?」
見ればニカは血涙を流して悔しがっていた。
……そ、それほどか。それほど、シノを好いていたのかお前。
「……はー。で、そんな一生に一度の幸運を保留しておいてまでボクに話って何? 想像つくけど」
「それは、その。涼加瀬と付き合う事について、お前に話を通そうと……」
「君の恋愛だよ!! ボクに許可取る必要も、話を通す必要もないさ!」
ふん、とニカは金的を押さえ蹲る俺の前に座った。
「ねぇテル。つまりボクが居たから、涼加瀨さんの告白保留したんだろ?」
「や、その」
「馬鹿にしないでくれ。ボクは、君の人生の重荷になるつもりなんか無いよ」
そう言うとニカは、俺の頭を軽くはたいた。
「……ニカ」
「あの写真の件、エロ脇様に聞いたよ。君、ボクの為に買い占めたんだって?」
その言葉に顔を上げると、ニカは不機嫌そうながらも、俺に怒っている様子では無かった。
むしろ、呆れていると言った表情だった。
「────ありがとう、テル。実際、君がああいう写真を持っていると知った時、かなり不快な気持ちになった」
「あ、ああ」
「あんな写真、出回られたら確かに嫌だ。……だから、君が手を回したんだろ」
そう言うとニカは、忌々しそうに頭を下げて感謝を示し。
そのままポッケから封筒を取り出し、床に置いた。
「はい、これお代。これで君が持つボクの写真、全部回収させてもらうよ」
「……お、おいこれ!?」
「これから君、金が入用になるだろう。まさか、デートで涼加瀬さんに金を払わせるような事をしないよな?」
その封筒には、それなりの厚みがあった。見た感じ10万円程は入っていそうだ。
……まさか、ニカの奴。エロ脇様から金額聞き出したのか。
「ボクからの用は、これで終わり」
「お、おい。こんなもの受け取れない────」
「その受け取れない様な金額を勝手に支払ったのは何処の誰だ。……そもそも半分は、君が支払った金がそのまま流れてきただけだし」
驚いて封筒をニカに返そうとしたが、彼女にその手を踏みつけられた。
ニカは、これを受け取るつもりはないらしい。
「……すまん、ニカ」
「ボクがお礼を言う側だよ、もう。昼間のアレは、正直まだ腹立ってるけど」
「う、ごめん」
「本気で怖かったんだからな」
……俺の幼馴染は、思ったより大人だった。
好きな相手を取られ、暴力で脅され、いろいろと思う所は有るだろうに……俺への筋を通してきた。
「なぁ、ニカ。俺が涼加瀬……シノと付き合ったら、もう以前みたいにお前と連るむ事も無くなると思う」
「は、せいせいするよ」
「だから、その。お前と一度、距離を置こうと思ってな」
「え?」
俺の言葉に、ニカは意外そうな目で言葉を返してきた。
「シノは気にしないって言ってくれてたけど、お前とは学校で一番仲が良かったし。もう二人きりで一緒に遊ぶのは辞めといたほうが良いかなと」
「……まぁ、道理だね。涼加瀬さんを不安な気持ちにさせる訳にはいかない」
「今日のこれを最後に、もうお前を家に呼ぶこともないと思う。そう言う話を、するつもりでお前を呼んだ」
「そっか」
その話を聞いて、ニカはウンウンと頷いた。
「だから、その前に────今日の事を謝っておきたかった。ごめんニカ、怖い思いをさせて」
「……本当だよ」
「もうあんなことは二度としない。もう、お前に積極的に関わらない」
言葉を出すのが億劫だ。
思わず、声が震えそうになる。
だが、俺は彼女に告げねばならない。
「ニカ。これからは親友でもなく、ただのクラスメイトとして……よろしく頼む」
「……ん、はいはい」
俺が必死で涙をこらえ、絞り出すように告げたその言葉は、
「はぁ、全く君は不器用だなぁ」
彼女の呆れ声と共に、竹馬の友であった俺とニカの関係を終わらせたのだった。
その翌日。
俺もニカも、少し様子がおかしかった。
「……まだ喧嘩してんのか、ニカちゃんと」
「そろそろ仲直りしなよテル」
「いや。もういいんだ」
俺もニカも、互いに目を合わそうとしない。
クラスメイトからは、まだ喧嘩中にしか見えないだろう。
だけど、
「あ痛っ!?」
「ちょ、ニカちゃん!?」
ニカがブレイクダンス中に転んで頭を打っても、俺は駆けつけていかなかった。
彼女も俺が来る事なんか期待せず、自力で保健室に歩いて行った。
今までと同じようで、まったく違う関係。それは言葉を交わすだけの、知り合いのクラスメイトの距離感。
俺は、子供のころからの親友を一人、失った。
そして、
「で、最後の親友としての仕事とやらは済んだのね?」
「ああ。待たせてごめん、シノ」
「待たせ過ぎよ。10年以上は、待ったかしら」
その日、俺は。
「これからよろしくね、テル君」
「ああ、シノ」
クラスで一番可愛らしい、恋人を得た。
こうして俺の、誰よりも幸せな高校生活が幕を開けた。
その、翌日からだ。
朝星ニカが、学校に来なくなったのは。