11話
朝の雑踏の中、今日も俺はシノと並んで仲良く登校していた。
彼女と付き合い始めて半月ほど。最近やっと、周囲から彼氏彼女として認知されてきた気もする。
「ねぇテル君。一限目は移動授業だから、早く行きましょ」
「おう」
ガヤガヤと朝の生徒で賑わう玄関口で、俺はいつものように靴箱を開いた。
それはもう慎重に、警戒心を忘れず。
シノと付き合い始めてから時折、たちの悪い悪戯を仕掛けられるようになった。
呪いの手紙や、画鋲などが入っていた事もあった。
エロ脇様か、それに準ずる勢力に違いない。まったく陰湿な連中だ。
「……お?」
「あら、また何か入っていたの?」
今日も例にもれず、ピンクな封筒が俺の靴箱の中に放り込まれていた。
他に仕掛けられたものは、特になさそうだ。良かった、手紙だけなら大した被害ではない。
「あら、ラブレターじゃない」
「え?」
どうせ不幸の手紙だと破り捨てかけたが、シノに言われて改めてその封筒を見ると。
なんと、便箋がハートマークのシールとなっていたのだ。
「え、あ、あれ? いやこれは違うぞシノ!」
「……何を慌ててるのよ」
「もしこれがラブレターだとしても、俺には身に覚えないんだ。別にこれは浮気なんかじゃ」
「あら、そんな心配してたの。別に気にしないわよ、ラブレター貰うくらいで」
もしかしたら、シノの機嫌を損ねてしまうかもしれない。
そう思って慌てて弁明したが、シノは本当に気にして無さそうにケロリとしていた。
これは、彼女の中では浮気判定にあたらないらしい。
「それを言うなら」
「ん?」
「私、毎日浮気してることになっちゃう」
……そう言って、シノが開いた靴箱の中には何通もの手紙が入っていた。
「テル君という彼氏できてから減ったんだけどねー。それでもまだ、結構来るのよ」
「……パネぇ」
俺の彼女は、本当に人気者らしい。毎日ラブレター貰ってたのか。
昼休み。
俺はシノと二人きりではなく、教室でいつものグループで昼食をとっていた。
久しぶりに大勢で食べるその中には、幼馴染ニカの姿もあった。
「……へぇ。ラブレター……。テルの分際で生意気だねぇ」
「一応聞いとくが、お前の悪戯じゃねぇんだよな」
「馬鹿言うな、ボクはそんな悪質な悪戯をすると思うか」
その手紙には、差出人の名前などはなく。
ただ『放課後16時に屋上で待っています』とシンプルな1文が記されていた。
「正直に言っていいか。俺はこのラブレターを一切信用していない」
「えー、何で?」
「十中八九、ニカかエロ脇の仕組んだ罠であると思ってる」
「疑心暗鬼になってるわね」
ふ、俺はこういうのに詳しいんだ。
シノから好意を寄せられてる時点で望外に幸運だというのに、俺に隠れたファンの女子がいて告白されるとかありえん。
エロ脇やニカの卑劣な罠と考えた方が、すっきり説明がつく。
「とりあえず、防刃ベストを下に着こんでおいた方がいいかな。流石に刃物は使ってこないと思うが……念には念を入れておこう」
「ラブレターで呼び出された時の装備じゃないわね」
「シノ、もし俺がワンコールだけで電話を切ったらすぐに通報してくれ。そして、安全な場所に避難するんだ」
「……普通にラブレターだと思うけどなぁ」
差出人のないラブレターに警戒心を抱きまくっている俺に、シノはあきれ顔でツッコミを入れる。
「シノ、ちなみにその根拠は?」
「テル君格好いいし。そこそこ」
「涼加瀬さん。今からでも遅くない、ボクと眼科に行かないかい」
そうか、俺は格好いいのか……。
そう言ってくれるのは、お前だけなんだけどな、シノ。
「まぁそれは冗談としても」
「冗談だったんですか。俺、そこそこも格好良くなかったんですか」
「私、テル君狙ってる女子を一人知ってるの。だから、まぁ本物でも不思議はないかなぁって」
「え、マジ!?」
歓喜して立ち上がると、ジトーとシノに睨まれた。
あ、いえ。違うんです。
「因みにテル君。この世界で一番好きな女の子は誰かな?」
「す、涼加瀬シノです」
「では貴方が他の女子から告白されたとき、どうするべきかな」
「誠意をもって断ります」
「よろしい」
俺が模範解答を出すと、シノはニコニコ微笑んで怒りを引っ込めてくれた。
助かった。さっき喜んで立ち上がった時、シノ結構怒ってた。
「……そっかぁ、シノ以外にも俺を好きな娘がいたのかぁ。ちょ、ちょっとくらい自信持っても良いかな俺」
「やめとけ」
「勘違いだ」
「気の迷いだ」
「催眠術だ」
「そんなにダメか俺!?」
久しぶりに皆と飯を食った俺は、いつも以上にボロカスに言われて凹んだ。
「んー、エロ脇様も知らないとなると……。これ、まさか本物のラブレターなんじゃ」
「そーなんじゃないの?」
そして放課後。
俺は、呼び出された時間通りに屋上へと足を運んで行った。
「私は下で待ってるから。なるべく傷つけずに、優しく振ってあげなよ」
「う、うす」
道中、エロ脇様にもラブレターの件を問い詰めたが知らないといわれた。
その後「偽ラブレターなどという童貞にとって何より残酷で悪辣で非情な行為を俺がとるはずがないだろう」とブチ切れられた。
奴の言い方的にマジで怒ってるっぽかった。エロ脇様が、このラブレターに関わっている可能性は低いだろう。
「……ほ、本当に屋上で女の子が待ってるのか……?」
ドキドキと、胸の鼓動が早くなる。
落ち着け、冷静になれ。俺にはシノというこれ以上ない彼女がいるんだ。
きっと、向こうの女子もそれは把握してるはず。ある程度は、振られる覚悟できているに違いない。
「よ、よし」
覚悟を決めよう。俺は、ここで女の子を振る。
……なんだか憂鬱だ。これ以上ないくらいに、憂鬱な行為だ。
いっそ、ドアを開けたらエロ脇共が待ち構えていて襲ってきてくれた方がマシかもしれない。そいつら全員をぶん殴れば済む話で、誰も傷つく女子がいないからだ。
「あのー、失礼しまーす」
恐る恐る、屋上のドアを開け。
周囲を見渡しながら出ると、そこには人影が確かにあった。
「待っていたよ、テル後輩」
槍岡先輩だった。
「戦略的撤退ぃぃぃぃぃ!!」
「逃がすかぁ!!」
全力で逃げようとした俺は、槍岡に首根っこをむんずと掴まれる。
ひ、ひぃぃぃぃ!! 予想外だ、想定外だ、こんなのって無いよ!!
シノ助けて!!
「落ち着いてくれ、害意はない。まずは僕の話を聞いてくれないか」
「ごめんなさい、ノンケです。勘弁してください、俺はノーマルなんです。可愛い彼女もいるんです」
「僕も男には興味ないよ。良いから話を聞いてくれ」
槍岡♂に背後から羽交い絞めにされジタバタと暴れる俺に、槍岡のウィスパーボイスが耳をくすぐる。
ああ、なんて男らしい筋肉。こんなのに抱き着かれたら、どんな女でもイチコロだろう。
「じゃあ何であんな手紙出したんですか!! 離してください、俺にはシノという娘が!」
「うん、まずソコに一つツッコミたい。君、僕と前にどんな話したか覚えてる?」
「へ? あ、えーっと」
この前に先輩とした話か。
それは、確かニカが暴走して先輩のアポイントとって……。
「僕は君の心意気を買ったからこそ、少し時間をあげたつもりだったんだけど」
「……」
「あの後、君が涼加瀬さんと付き合い始めたって聞いた時。僕がどんな気持ちになったか分かる?」
「あ、その。えっと、スミマセン」
「結局ニカちゃんにも逃げられたし、あれから散々だったよ」
そっか。先輩目線だと、俺がニカに告白する時間をワザワザ用意してくれたのにシノと付き合いだした訳で。
すごいレベルの最低男だ。
「まぁ、それは良いや。いや、正直全然良くないんだけど、結構怒ってるけど、僕が君にどうこう言うのは筋違いだし」
「ご、ごめんなさい」
そっか。もしかして槍岡先輩、俺を説教するためにラブレター偽装して呼び出したのか。
それなら話が分かる。非があるのは俺の方だし、ここはしっかり反省しよう。
「さて本題だ。改めて、君に告白したいと言ってきた女子がいてね」
「え?」
「僕は紹介役だよ。君に恋人がいることも伝えた上で、それでも想いを告げたいと言ってきた娘が居たんだ」
と思ったら、先輩はすごく不満げな顔のまま俺を羽交い絞めから解放した。
俺がそのまま呆けていると、先輩は物陰から一人の女子を手招きして呼び寄せた。
─────それはストレートのロングヘアの。体系は少し小柄で、眼鏡をかけた文学少女風の娘。
どこかで見覚えがあるような。うちの学校の生徒のようだが、俺と話したことはないはず。
「え、えっと。その、君……初対面、だよね」
「……初対面、です」
本当に女子がいた。
本当に、俺に告白しようとしている女子がいた。あのラブレター、まさか本物だったとは。
ただ、
「……っ」
「えっと、その」
俺、この娘に何か惚れられるようなことをしたっけか?
「僕がしてやれるのはここまでだ。あとは君が頑張りなさい」
「ありがとうございます、槍岡先輩」
その少女の感謝の言葉に後ろ手で答えながら、槍岡はそのまま屋上から立ち去った。
周囲には、俺とこの娘しかいない。
少女はやがてすぅと息を吐き、ゆっくりと自己紹介を始めた。
「亜紗と、言います。星川、亜紗」
「お、お。よろしく、俺は─────」
「テル、ですよね。知ってます」
目の前の文学少女は、星川と名乗った。
初めて会話を交わしたであろうその少女は、俺の目を見て今にも泣きだしそうになっていた。
「いきなり、こんな呼び出しをして迷惑ですよね。涼加瀬さんとの関係、とてもうまくいっている様子ですし」
「え、あ、ああ」
「……実は、ずっと前から遠巻きに見てたんです。でも、声をかけれなくて」
涙声だった。
それは、嘘や演技でもなく。目の前の少女は本当に、俺の事を好きらしかった。
「ご、ごめん、知らなかった。えっと、その。君とどこかで、その、絡んだことはあったっけ」
「覚えていないなら、別にそれでいいです」
「え、う、その」
え、マジで誰だこの娘。どこかで見た覚えはあるんだが、全く思い出せない。
どこだ? 俺はどこで、この娘と接点を持った?
「本当は、この想いはずっと隠して生きていこうと思ったんです。でも、それが思ったより辛くて」
「そ、そうか」
「それを槍岡先輩に相談したら、ちゃんと告白して振ってもらえって。それで、今日、呼び出させていただきました」
思い出せない。俺はどこかで、目の前の少女に会った気がする。
……でも。たとえ、俺がこの娘とどんな接点を持っていたとしても。
「テル。ずっと前から、好きでした」
その、告白に対する答えは決まっていた。
「……その、君の気持ちはとてもうれしいし、光栄なんだけど」
ぎゅ、と少女は自分のスカートを握りしめた。
何かに耐えるように、すでに涙をこぼしながら、星川は俺の言葉を聞いていた。
「あー、その。何と言うか、君は魅力的だし、とても美人だと思う、けど」
「そんなに遠慮がちに言わなくても。ハッキリ言ってもらって構いませんよ」
「そっか。ごめん、他に好きな人がいるんだ。その人は俺には勿体ないくらいに優しくて、かわいくて」
「……続けてください」
「だからその。俺は、君の気持ちには─────」
そしていよいよ、俺は彼女を振る。俺からすれば今日初めて出会った様な、見覚えのない少女を。
やはり、その娘は泣いていた。
下唇をかみしめて。
スカートの裾をぎゅっと握り。
顎を震わせながら、その少女はポロポロと泣いていた。
「……」
─────その姿を、俺はどこかで見た覚えがあった。
深い記憶。
それは、いつだったか。
幼稚園の頃、泣いている彼女に俺は声をかけた。
そうだ。その時も、彼女はこうして泣いていた。
周囲に理解されず、自暴自棄になり、下唇を噛んでスカートの裾を握り、顎を震わせて。
「……へ? お前、ニカか?」
「っ!」
それはよく知っている、俺の大事な幼馴染の泣き方だ。
「え、あ、へ? ……ニカ。ニカじゃないか、お前」
「ち、ちがっ……ボク、は」
「ちょっ。こ、これどういうことだ? お、おい、ニカ?」
……メイクを変えれば、女子は別人になる。
ましてや普段、化粧の類を一切しないニカがきちんとメイクアップすれば、それを見破るのは難しい。
「ボクは、ニカじゃ」
「俺の目をごまかせるわけねーだろ、何年一緒にいたと思ってんだ」
カツラと伊達メガネまで装備されたせいで、完全に騙された。
しかしそうと分かれば、俺が彼女を見間違える筈はない。
目の前の、文学少女風の女子生徒は─────朝星ニカの変装だった。
「……こういう時ばっかり、鋭い」
「おい、ニカ。お前は、お前の悪戯じゃないって」
「……」
「な、なんだ。何がしたいんだよお前、こんなことしてどんな意味が─────」
「うるさい」
ピシャリ、と横顔をニカに張り飛ばされた。
俺は目を白黒とさせたまま、ぶたれた頬をさすった。
「悪戯じゃない」
「ニカ……」
「うっさい。涼加瀬さんに迷惑かけずにするには、こうするしかなかったんだバカ」
彼女は、いつもの無遠慮で意地っ張りな口調に戻り。
涙をポロポロこぼし続け、俺を睨み付けた。
「それってお前、どういう」
「うるさいってば!!」
おもむろに、ニカは自分の髪を引っ掴んで地面に叩きつける。
やはり今の黒髪ロングはウィッグだったようで、いつものニカがカツラの下にはあった。
「……こっち見るな」
「す、すまんニカ。さっぱり状況が飲み込めん」
「良いからあっち向け」
なぜ、ニカは変装して俺に告白したのか。
どうして今、彼女は号泣しているのか。
アイツが何をしたくて、何が目的でこんな事になったのか。
俺には、まるで何もわからなかった。
「……これでいいか」
「うん、そのまま振り向くな」
ただ、アイツが……。朝星ニカが泣いている。
それは俺にとって、何よりも重たい事実だった。
だから俺は、少しでも彼女を落ち着かせるために、ニカに従うことにした。
「今日の、あー、つまりこれはだな、テル」
「……おう」
「君は深く考えなくても良いというか、ボクなりに悩みぬいた末の結論の告白であって」
「……?」
「ああ、つまり……」
ニカはまだ、平静に戻れていない。
何かを話そうとして話がまとまらず、支離滅裂に言葉を並べている様子だった。
「落ち着けニカ。ゆっくり話を聞いてやるから」
「……つまりだね」
「おう」
「朝に、君に宛てたラブレターを書いたのはボクで。それは、君に振ってもらうために出したラブレターで」
ふと背中に、温かい感触を感じた。
俺は、そんなニカに背を向けたまま、言葉をゆっくり待った。
「そう、つまり」
「……」
「ボクは、君が好きだったんだ」
……。
「……それ、は」
「ああ、本当はこんなつもりじゃなかった。涼加瀬さんはボクの恩人だ、こんな告白なんかしたくなかった」
ドクン、と鼓動が早くなる。
ニカから、聞いてはいけない言葉が飛び出してきた気がする。
「君が涼加瀬さんと付き合い始めてからやっと気づくなんてね。自分でも遅すぎると思うよ」
「……」
「分かってる、全部分かってるんだ。君、本心から涼加瀬さんのこと好きだろ? つけ入る隙間なんてなくなってる事、分かってるんだ」
え、それはどういうことだ。
ニカは、俺の幼馴染はシノが好きな百合女子じゃなかったのか。
「どうして気づくんだよ。どうして、ボクがボクじゃないままに振って諦めさせてくれないんだよ」
「ニ、カ……」
「ああ、ボクは最低だ。大好きな涼加瀬さんに黙って、その恋人に迫るなんて畜生にも劣る行為だ」
眩暈がしてくる。
それはずっと俺が聞きたかった言葉で、もう手に入らないと諦めていた恋心で、
「ねぇテル、くだらない質問をしていいかい」
ずっと想い続けていた相手からの、生まれて初めてのアプローチであった。
「君が世界で一番好きな女の子は誰だい、テル」
そのニカの問いに対して。
俺は昼間のように、シノの名前を即答できなかった。




