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第一章 呼び合うふたり① ー苦痛ー  

 廊下に響く笑い声は、どうしても好きになれない。


 誰かに笑われているような感覚に襲われるからだ。


 みんなが私を笑っている。


 ぬぐい去れない、そんな感覚…。


 背筋がぞっとするような、冷たい感覚を早紀は学校に居る間ずっと感じていた。


 学校にも、家にも、早紀の居場所は無かった。


 それが、中学生の女の子にとってどれだけ苦しいことか。


 結衣のまねをして入部した陸上部だけが、早紀の心の支えだった。


「水野、おはよう」


 たまに早紀に朝の挨拶をしてくる陸上部の友達の声に明るく答えて、そそくさと教室に向かう。


 いつもと同じ、代わり映えしない汚い廊下。


 どこまでも廊下が続いているような憂鬱な気分で廊下を歩いていると、教室の前で団子になって賑やかに話をしている女子が目についた。


 中心にいるのは、如月ののか。


 金髪の長い髪の毛をツインテールにして、リボンで結んでいる。


 顔立ちこそ人目を惹き、なかなかの巨乳だが、背が小さく、スタイルが良いわけではない。


 私のクラスを仕切ってるいけすかないやつだ。


 如月たちも早紀を見つけたようで、急に話をやめて押し黙った。


 ああ、そうか、私の話をしているんだ。


 現状確認だけをして、何の感情も持たずにその場を通り過ぎた。


 彼女たちの前を通り過ぎてしばらくたつと、不快なひそひそ話がはじまった。


 何を離しているかは聞き取れないが、どうせろくな話ではない。


 小さなひそひそ話は、教室まで早紀をおいかけてきた。


 もしかすると、わざと聞こえるように話しているのかもしれない。


 どこまでも嫌なやつ。




「聞いた? 荒木君のこと?」


 ののかと取り巻きたちは、横目で早紀の方を見ながら会話を再開した。


「聞いた聞いた。水野さんにフラれたんだってね」


「告白してすぐにフラれたらしいよ」


「えー。荒木先輩かっわいそー」


 荒木は三年生の野球部のエースで、二年の女子の間ではかなり人気があった。


「告白して、その場でフラれたみたいだよ。水野さん冷たいよね」


「ねー」


 くすくすくすと笑いが廊下に嫌な空気を振りまく。


 ののかは、そんな取り巻きたちの話を聞きながら、廊下の先の自分のクラスに入っていく早紀を睨んでいた。


「何様のつもりなの」


 早紀の背中に冷たく言い放つと、取り巻きを残して早紀と同じ教室に入っていった。


「ののか、またあとでねー」


 静かな怒りに震えているののかの背中に、取り巻きたちは心配そうに言葉をかけた。


「ののか、大丈夫かなー。荒木先輩のこと、好きだったんでしょ?」


「そうそう。ののかがフラれた三日後に荒木先輩をふったんだから、そりゃののか怒るわ。しかもよりによってあの水野さんだもん」


「荒木先輩は水野さんのどこが良かったんだろうねー」




 教室に入ると、早紀は誰とも挨拶することなく真っ直ぐに自分の席についた。


 そんな早紀に声をかける者はなく、早紀の周りには見えないバリアーがあるように誰も近づこうとしなかった。


 こんな状態になったのは、早紀が一年生のときの運動会での出来事が原因だった。


 陸上部のエース候補だった早紀は、クラス対抗のリレーのアンカーを任されていた。


 早紀の学校の体育祭の制度は独特で、競技で良い成績を収めるごとにポイントが貰え、学年に関係なく一番ポイントが多かったクラスは優勝クラスとして校舎屋上の解放や掃除の免除などさまざまな特典が与えられる。


 最後の競技のリレー開始時点では、早紀のクラスと、同学年の三組とが同点で、リレーに勝った方が優勝するという局面だった。


「水野さん、頑張ってね」


 競技直前、そう言ってののかにばんっと痛いくらい背中をたたかれたことを早紀は覚えていた。


「水野さんのお姉さんがいたクラスは三年間ずっと優勝してたんでしょ? まさに、勝利の女神よね。水野さんがいるからこのクラスは大丈夫よね」


 ののかの言葉は、早紀の心に痛い刺として刺さった。


 私はお姉ちゃんとは違う。


 お姉ちゃんみたいに強くなりたくてもなれない。


 でも、今日リレーで優勝すれば、すこしは近づけるかな、お姉ちゃん…。


「ありがとう如月さん。頑張るよ」


 硬い笑顔で早紀はコース上に歩んでいった。


 バトンは既に第三走者まで渡り、三組と早紀のクラスで抜きつ抜かれつのデットヒートを繰り広げていた。


 早紀は隣に居る三組の最終走者を横目で見た。


 確か、バスケットボール部の子だったはずだ。


 持久力は確かにあるけど、瞬発力とスピードなら、負けるはずない。


 大丈夫。


 勝てる。


 同じ学年の女子生徒に負ける訳がない。


 早紀は自信を持ってそう確信した。


 バトンはどんどん近づいてくる。


 走る体制を整え、バトンを受け取って最初の一歩を踏み出そうとしたその瞬間、早紀は足元が崩れていく感覚に教われ、派手に転んだ。


 え……?


 自分の体が地面に倒れ込んでいく瞬間を、早紀はスローモーションのように感じた。


 三組の走者はそんな早紀の横を颯爽と駆け抜けていく。


 事態が飲み込めないまま、早紀は急いで体制を立て直して三組を追いかけた。


 バトンを持つ手と、膝からは血が流れていたが、早紀は痛みを感じなかった。


 焦りと、どうしようもない恥ずかしさが、早紀の足を前へ動かしていた。


 長い髪を縛ったゴムは、いつの間にかちぎれてなくなっていた。


 カーブを曲がったあたりで、早紀は三組の背中を捕らえた。


 抜かせる! そう思った時、三組の選手はゴールテープを駆け抜けていた。


 あと五メートルあれば勝てていたのに!


 転んだにも関わらず、早紀は三位以降の選手に大差で勝っていた。


 しかし、そんなことはどうでも良かった。


 悔しさで俯くと、右足の靴紐が切れているのが見えた。


 どうして……。


 ちゃんと確認したのに。


 どうして……。


 涙を流すわけにはいかなかった。


 クラスのみんなの方には、とても顔を向けられなかった。


 ののかのように大会に固執していたわけではない。


 しかし、クラス全員の当然勝てるであろうという期待と、陸上部のエース候補としての自信が一気に流されていった。


 そしてなにより、姉をこえることができなかった落胆が、予想以上に早紀を責め立てた。


 様々な感情を整理できないまま、大会は終了し、三組の優勝を讃える全校生徒の拍手がとても痛かった。


 拍手の中、ののかが早紀をにらんでいることは感じていた。


 早紀に労いの言葉をかける生徒は一人もいなかった。


 大会後の教室は、お通夜のように静まりかえっていた。


 県内随一の進学校である早紀の学校は、年間の行事数が少なく、普段勉強ばかりしているため行事ごとには全生徒が全身全霊で取り組む校風だった。


 それだけに、クラスの生徒たちの落胆は早紀が考えていたよりも大きかった。


「みんなよく頑張ったよ。来年こそは優勝しような」


 担任の言葉でその日は締めくくられ、落胆した生徒たちは何も言わずに帰っていった。


 早紀だけが、自分の席から立ち上がれずに座っていた。


 誰か、誰か助けて。


 心の中で叫んでも助けなど来るはずがないことは早紀もよくわかっていた。


 しかし、助けを呼ばずにはいられなかった。


 おねえ……ちゃん……。


 自分が拒絶したはずの姉を、今だにことあるごとに頼ってしまう自分が許せなかった。


 満身創痍の早紀を、ののかが不敵な笑みを浮かべて見つめていることに気づく余裕などなかった。

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