ベッド、星空、甘党
甘い甘い夢を見る。
僕は倒れ込むようにして、疲れ切った身体をベッドに横たえた。ファンシーな柄の白いシーツは僕には少し恥ずかしい。けれどふかふかの布団は、いつでも僕を優しく包み込んでくれた。枕に顔をうずめて深く息を吸う。柔軟剤の匂いに混じって、君の香りがした。もうずいぶんと薄くなった香りをいとおしむように嗅いで、僕は甘い夢の中へと落ちていく。
「ああ、__くん。また来たの?」
「うん。来ちゃった」
そこはまるで宇宙だった。真っ暗な闇の中に砂をまいたような光が輝く、床も壁も天井もないだだっ広いばかりの場所。君と僕のほかには誰もいない、二人っきりの宇宙だった。
「そう、来ちゃったの。じゃあ散歩でもしようか」
君は少し眉を下げて、けれど嬉しそうにそう言って僕の手を取った。僕はその手がひんやりと冷たいことに気が付かないふりをして、並んで歩いた。
「今回はどうしたの?」
「ちょっと疲れちゃって」
「そんなに大変だったの」
「嫌なことがいっぱいあったんだ」
僕たちは歩きながら他愛もない話をした。あれは、ベガ、アルタイル、デネブ、と君が指をさす。あまりにも星が多すぎて、僕にはどれがどれだかわからない。ただ楽しそうに微笑む君の横顔を見ているだけで幸せだった。
「ね、お腹空かない?」
君が突然に言った。自分が空腹かどうかなんて意識していなかったけれど、言われてみると確かにそんな気分になった。
「そう、そうかもしれない。空いてるかも」
「そうだよね、そうだと思った」
君はふふふと笑った。いつもの笑顔だった。
「この星、食べれるんだよ」
え、と思う間もなく、君は繋いでいるのと反対の腕を伸ばして、近くにあった星を手に取った。君は親指と人差し指で、キラキラと輝く一センチくらいの星をつまんでいた。何のためらいもなく口に入れて、飴玉のように口の中で転がす。
「おいしいの、それ」
「とっても」
僕の知っている世界では、星が小さく見えるのはそれらが大変遠くにあるからで、決して手を伸ばして摘まんだり、ましてや食べることなんてできないものだけど、君がそういうならきっとそうなんだろう。間違っているのは世界の方だ。
「どんな味?」
「食べてみれば」
君はもう一つ手に取って僕に星を差し出した。思わず受け取ると、手のひらにコロンとした感触が伝わる。形は金平糖に似ているけれど、もっとずっと輝いていて、暗い星空の中にあっても、それは吸い込まれそうな強い光を放っていた。僕の手のひらを少しだけ光らせて、生き物のように脈打っていた。
お腹を壊したりしないだろうか、とつかの間不安になったが、どうにでもなれと口に放り込んだ。コロコロとしたそれは、甘い。物凄く甘い。甘党の彼女ならちょうどいいのかもしれないが、僕にはちょっと甘すぎた。
「おいしいでしょ」
「君にはそうかも」
「まずいってこと?」
「そうは言ってないよ」
コロコロ、コロコロ。口の中で星を溶かしながら、僕たちは言いあった。言い争いのような口調だったけれど、お互い怒ってなんかいなかった。
「君は甘党だからなあ」
「あなたは辛党だったね」
「もうちょっと塩気がある方がいいよ」
「そんなの絶対おいしくない」
コロコロ、コロコロ。小さくなっていく星を惜しむように、僕たちは歩き続けた。ひんやりした君の手のひらは、相変わらず冷たい。
「全部同じ味なの」
「みんな甘いの?」
「そう、みんな甘い」
「ちょっとつまらないね」
コロコロ、コロコロ。星はもうずいぶん小さくなって、舌の上に乗せていてもうっかり消えてしまいそうに頼りない。僕は大事な星が溶けてしまわないように、舌を出した。
「何してるの」
「ほへはいほうひ」
「だめだよ、ちゃんと溶かさなきゃ」
「ひやあ」
君は怒っているみたいに眉を顰めて、僕の顎を抑えて口を閉じさせた。その瞬間、星が消えてしまう。今まで確かにあったはずなのに。不意に相手を失った舌が寂しく口の中を泳ぐ。
「ちゃんと溶かさないとね」
君は悲しそうで、けれど決意を秘めた強い目をしていた。あたりの星々が急に光を強めて、あまりの眩しさに、僕は目を閉じた。
目を開けると、僕はベッドに寝転んで、うつぶせに枕を抱えていた。枕は涙でじっとりと冷たくて、君の匂いはもうしなかった。